第110話 熱と癖と

「で?来週届くんだっけ?」

「はいっ。もう楽しみで楽しみで・・・ふふふっ。」

 貯まっていた有休を無事に使い切り、晴れて会社勤めから港の暮らしに完全に移行した明音さん。真輝ちゃんとの洋菓子店『しおまねき』の本格開店に向け、新たにオーブンを買った。それが来週届くのだ。

「置くとこあるの?」

「えぇ。なんとか確保しました。」

 仕事好きで趣味を持たない鈴木ちゃんだから、居住スペースには余裕があるのかも。

「じゃぁ、いよいよね。」

「はい。この子のためにも、頑張っている姿を見せなくちゃですからっ。」

 お腹の子の発育も順調だそうだ。

「で、これが新しいやつね・・・。」

「はい。ぜひ、ヨーコさんの意見を伺いたくて。」

 メインの商品である「おからを使ったパウンドケーキ」の改良をしている。焼き方を変えてみたり、配合を変えてみたり・・・そのほかの商品のベースになるものだから、この機会に改めて見つめ直しているのだそうだ。

「外はサクっ、中はふんわり・・・っていうのを目指したんですけど、どうでしょう・・・?」

 確かに外側のサクサクとした食感は以前のものより主張が強くなり、中の方はもっちりとした食感すら出ている。甘さは少し控えめになったかな?

「ふん・・・ぅん、随分と色々変えたのねぇ。味も食感も・・・うん、イイ感じに個性が出てる。」

「ホントに?ふふふ、それなら成功です。今までのは、なんとなく『どこにでもある感じだなぁ』って思ってたので、これならなんとか勝負できそうです。」

「ふふっ、それなら良かった。」

「えぇ。これまでのは『おからを使たヘルシーな・・・』ってところに頼りすぎてたと思うんです。純粋に『他にはない美味しさ』があって『尚且つヘルシー』っていうものにしたかったんです。」

 人生の新たなフェイズに向かって、希望とやる気の熱を放つ明音さん。

「で、どんな感じのお店にするの?」

「あ、えぇ。当面は漁協の一角を間借りすることになるんですが、いずれはちゃんとお店を構える予定です。一緒に緑茶も出すカフェのような感じで。」

「え、緑茶?」

「えぇ。真輝ちゃんとも話してて『紅茶やコーヒーよりお茶が合うわね』ってことになりまして。それならそれを売りにしていこう、って。選りすぐりの美味しいお茶を一緒に出したら、きっと多くの人に楽しんでもらえるんじゃないか・・・って。」

「うん・・・いいわねぇっ。『おからを使ったパウンドケーキを緑茶と一緒に楽しむ海辺のカフェ』って、なかなか絵になるんじゃない?」

「ふふふ、はい。私、美味しいお茶にはいくつか心当たりがありますし、美味しい淹れ方も教わってきましたので。」

 出張の多かった明音さん。行く先々で美味しいお茶との出会いがあった。

「ふふふ、楽しみだなぁ・・・ねぇ、ユニホームは?やっぱりエプロン?」

「あぁ、それねぇ・・・なにかあった方がいいですよねぇ。」

「うん、そう思うっ。」

 こういう話題になると、つい力が入ってしまうのは何故だろう。これが「癖」というものなのか?

「でしたら・・・あの、ヨーコさんって裁縫の方は・・・?」

「え、裁縫?あ~、私はそっち方面は苦手だわぁ。雑巾くらいなら縫えるけどね。」

「あ~、そうでうすか・・・あの、誰かいませんか?そういう、エプロンとか作れる人。」

「ん~、そうねぇ・・・。」

 心当たり。心当たり・・・心当たりが・・・。

「・・・ん~、無いなぁ。」

「あらぁ、そうですかぁ・・・。」

「あ、じゃぁ棟梁にでも聞いてみましょうか。あの人意外と人脈広いし。」

「ふふっ、そうでうすね。なんだか棟梁にはな気もしますけど。ふふふっ。」

 お店の看板も仮店舗のワゴンも、棟梁の手によるもの。これから店舗になる予定の自宅の改装も。

「ふふっ、いいのよぉ、いるうちはき使ってやれば。」

「あら。もう、ヨーコさんったら人が悪い・・・ふふふ。」

 そういう明音さんだって、こういう時は「可愛い顔」をしている。


 救世主は意外なところにいて、

「あ~それなら私作れるわよ。チャっチャっチャっとやってダァ~っと縫えばすぐだから。」

 漁協のパート職員の晴子さんがエプロンを作ってくれることになった。

「あらぁ、それなら助かります。」

「そうとなったら、しっかり寸法測って作らなくちゃね。」

「え、そこまでするんですか?」

「うん。だって、裸の上につけるんでしょ?」

「え、えぇっ?い、いや、そういうエプロンじゃないですっ。」

「あ?なに、違うの?」

「はい、普通のやつで。」

「なんだぁ、つまんないの~。」

 これも一種の「癖」というものかしら?

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