第109話 オフの日もオン
朝日に照らされる堤防の突端。ひとり糸を垂れる。
「う~ん、この時間の静かな海もいいわねぇ。」
今日は港が休みの日。普段なら漁師のみんなが忙しく作業をしている時間だけど、今は物音ひとつ無い静かな時間が流れている。おそらく多くの人がイメージする「地方の漁港」ってこういう感じだと思うのよね。
「さぁて、なんか釣れるかな?」
棟梁が新しい疑似餌を作ってくれた。前回の猫の毛を使ったものが惨敗に終わったので、今回は気合の入れようが違う。軽くしなやかな竿に合わせて、小振りで軽めで尚且つ魚たちにアピールする派手な色あい。しかも、色違いで五つも作ってきた。
「もう坊主はイヤよ。」
日の出直後は良く釣れると聞いたので期待しているのだが、なかなかその恩栄にあずかれない。少しずつ日が高くなり、海の中も明るくなってくる。
「もっと早く来なきゃダメだったのかなぁ・・・。」
当たりがない。
「違う色のにしてみるかな・・・せっかく五つもあるんだし、ねっ。」
疑似餌を変えてみたり、攻める深さを変えてみたり、誘い方を変えてみたり・・・そんな試行錯誤も釣りの楽しみのひとつだけど、それもこれも釣れてこそよね。
「はぁ、日が上がりきる前になんとか・・・。」
漁の無い日に新鮮な魚を食べるには、自分で釣るしかない。
「なにか、釣れて・・・お願い。」
祈ったからって釣れるもんじゃない。
「まぁ、プロの漁師でも坊主の日があるんだから・・・。」
そう自分に言い聞かせて『ハマ屋』に戻る。
「ミャ~お。」
店先で待っていた猫の幸一が、足元に絡みついてくる。ここぞとばかりにおこぼれに与ろうと、いつにも増して上機嫌にスリスリ。
「期待させてごめんよぉ。今日は、ほら。」
バケツの中を見せてやると、
「ミャ・・・。」
と、バケツと私の顔を視線が行ったり来たり。最近ますます仕草が人間ぽくなってきたような気がする。
「ふふっ。もう、しょうがないでしょ?釣れない時は釣れないんだから。」
「・・・ミャ~お。」
「はいはい、分かったわよ、なんか作りますよ。」
すっかり私のことエサ係だと思ってるんだから。
「それにしても晴れてくれて良かったぁ。」
休みの日にやっておくこと。部屋の掃除、厚手のものの洗濯、布団干し。タイミングよく晴れた日には、一気に全部やる。午前中にやってしまえれば、午後にはゆっくりできるのだが・・・。
「う~ん・・・やっぱり、坊主ってのは気分悪いわよね。」
布団をパタパタ叩きながら下を見ると、見上げる幸一と目が合った。
「ミャ~お。」
「ん?ふふふっ、分かったわよぉ。もう一回行ってくるわよ。」
夕方までには、釣果を得たい。今度こそ。
「う~ん、そろそろ・・・ねっ。」
まだ日は高い。時間は十分ある。そう、自分に言い聞かせる。
「さっき何か当たったのよねぇ・・・。」
何かがついばむ感触が、先ほどから二度三度。
「素直に食ってくれると、ありがたいんですけど・・・?」
いったい誰にお願いしているのやら。
「いるのは分かってるんですから、ね・・・。」
まるで手応えの無かった朝と比べると、まだ希望が持てる。
「もう少し、ゆっくり・・・かなぁ。」
誘い方を工夫していると、念願の手応えが・・・。
「あ、えいっ。」
しっかり食うまで待つのも忘れ、反射的に引っ張り上げてしまった。
「あ~、早かったかぁ・・・おっ?」
軽い感触に外れかと思ったが、針にはかろうじて魚が一匹食いついていた。
「なに~、カワハギちゃんじゃない。」
ひょうきんな顔したおちょぼ口。それも随分と小さな個体。
「キミは・・・リリースサイズだな。」
勿体無いけど、食べるところがないほど小さいのだから仕方ない。
「よ~し、いるのは分かってるんだからねぇ。次はもっと大きいのを・・・。」
一匹いれば、他にもいるはず。
「ふふふ、ガンガン行くわよぉ。」
釣りは楽しい。釣れれば楽しい。
本日の釣果、カワハギ2尾。カワハギは種類が多いから、詳しい名前は分からない。
「どうだい幸一、立派なもんだろ?」
ちょっとだけ誇らしい気持ち。
「ミャ~お。」
「へへ、朝の借りは返したもんねぇ。」
坊主を回避できただけでも褒めてほしい。
「ミャ~お。」
「待ってなねぇ、すぐ準備するから。」
ちょっとの釣果で上機嫌。私って単純。
休みの日だけど、結局「一日ゆっくりする」なんてできずに過ごしてしまう。休めているような、休めていないような。でもしっかりリフレッシュはできているから、人間の体って不思議。よく「オンとオフ」って言い方するけど、やりたいことをやって充実した時間が過ごせたら、どちらも「オン」なのよね。
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