第106話 作家の生態

「ふん・・・。」

 難しい顔をしながら、先生の原稿に目を通す担当の編集さん。

「・・・うん。みなと先生、これで行きましょう。」

「はぁ~、良かったぁ。」

 長いこと懸案だった「先生の苦手分野であるミステリーを書く」取り組み。いくつもアイディアを出しては、編集さんに却下されてきたのだけれど、今回やっと編集さんからのゴーサインをもらうことができた。

「ふふふ、良かったわね先生。」

「あぁ、はい。これでやっと楽になれました。」

「みなと先生、本番はこれからですよ。」

 とてもまっすぐな編集さんの、歯切れの良い強めのひとこと。まだ企画・草案の段階で、本格的にに書くのはこれから。

「それは、そうですが・・・まぁでも、ここまで来てしまえば書けたも同然ですから。」

「みなと先生っ。そういうセリフは書き終わってから言ってください。ただでさえ作家という生き物は『逃げ癖』があるんですから。」

「あ・・・はい・・・。」

「ふふっ。先生、良い編集さんに付いてもらってるわね。」

「あぁいえ・・・私はただ、作家の・・・先生方の実力を思う存分発揮していただきたくて・・・出過ぎた真似をしてしまいましたでしょうか。」

「いえいえ、そんなことはないわよ。おかげで先生の新たな一面が見られそうなんですから。ねぇ、先生。」

「あ、はい。」

 確かな手応えがあるのか、先生はいつになく清々すがすがしい表情。

「あ、ねぇ。お腹、空いてるでしょ?」

「あ、はい。いただきます。」

 食べることに対しては、少々なところのある編集さん。

「ふふっ。ちょっと待ってね、小腹に効くやつがあるんだから。」


 小腹に効くやつ・・・とは、我ながら上手い言い方をしたもんだと思った。いつもうどんをお願いしている製麺所の人に「小鉢で出してるかた焼きそば」の話をしたら、「それなら小鉢サイズのを作ろうか?揚げたの持ってくるよ」ということになり、すっかりメニューの一角を占めるようになった。その時々や時期によって違うがかかるので、豊富なバリエーションを生み出すことができる。

「はぁ~い、こんなのどう?」

「おぉ、あんかけの焼きそばですか・・・。」

「えぇ。」

 今日はアスパラガスと白身魚のあん。

「はぁい、先生にもねぇ。」

「あぁ、どうも。」

 早速パリパリと音を立てながら食べ始めた編集さん。この子は本当に美味しそうに食べる。

「はむ・・・ぅん・・・うんっ・・・。」

 何も言わず黙々と。お腹空いてたのかな。

「ふふふ、それじゃ足りなかったかしら?」

「ぅん?・・・んんん・・・ん。いえ、そんなことは・・・。」

「いいのよ、遠慮なく言ってくれて。」

「は・・・はぃ・・・そ、それでしたらアジフライをいただけませんか?」

「えぇ、もちろんいいわよ。先生も?」

「あぁいえ、僕は、まだそんなに・・・先ほどいただいたばかりですし。」

「ふふっ、それもそうね。」

 毎日食べるほど好きでも、さすがに「日に何度も」とはいかないものね。


「ふぅ・・・ごちそうさまでした。」

 しっかり一人前あった定食をきれいに平らげた編集さん。小柄なのに本当によく食べる。やっぱり編集さんって体力勝負なのね。

「ねぇねぇ、それでさぁ、どんな話になりそうなの?」

 先生のミステリーの話。

「あぁいえ、さすがにヨーコさんでもお話しすることはできません。みなと先生が書き終わるまでお待ちください。」

「あ、やっぱりダメ?」

「はい。ダメです。」

 そうきっぱり言われると、粘る気にもならない。

「そう、よねぇ。じゃぁ先生、ちゃんと書き終わるまで待ってますから。変に『逃げ癖』を発揮して編集さんを困らせないようにね。」

「あぁ・・・はい、頑張ります。」

 ゴールが見えてから書き始める人、見切り発車が好きな人、いろんな人を相手にしなきゃいけないから編集さんも大変よね。

「それではヨーコさん。これからもちょくちょく顔を見せますので、みなと先生のことをよろしくお願いします。」

「はい、確かに。また、お腹空かしていらっしゃい。」

「あ・・・はい。」

 少し恥ずかしそうな笑顔を残して、編集さんは帰っていった。


「・・・で、先生。どんな話なんです?」

「あ・・・で、ですから、言えませんって。」

「ちょっとくらい・・・。」

「ダメです。編集さんとの約束ですから。」

「あら・・・そうね。」

 大事なことろは口が堅い。こういう秘密主義的なところがあるのも、作家という生き物の生態なのかしら。

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