第92話 人参のジャム
「ヨーコさん、ちょっと良いですか?」
「ん?あ、えぇ、良いわよ。」
港での暮らしへの完全移行に向けて、貯まっている有給休暇の消化を進めている明音さん。最近は週三日勤務のペースになっているので、空いた日はよくこうして訪ねてくる。
「イズミさんの人参、ジャムにしてみたんです。」
農家のイズミさんが持ってきてくれた「まだ若い」人参。
「へぇ、いいじゃない。」
「味見てもらえます?」
「えぇ、もちろんっ。」
真輝ちゃんとの洋菓子店「しおまねき」の本格開店へ動きだした明音さん。時折持ってきてくれる「試作品」をいち早く味わえるのが・・・むふっ、役得。
「これ、クッキーに付けたら良いんじゃないかと思うんですけど・・・どうでしょう?」
「ぅん・・・うんっ、美味しいじゃないっ。ちゃんと人参の風味が活きてるし・・・うん、この程よい青臭さが良いわねぇ。」
「ホントっ?良かった~。ただ甘いだけのジャムにはならないように、甘さは控えめにしてみたんです。」
こういう「洋菓子」な分野では明音さんには敵わない。私がやると、どうしても「茶色いおかず」の方向へ行ってしまうのよね。
「これは・・・お砂糖だけ?」
「はい。あぁ、いいえ。お塩も入れてます。ほんの少~しですけど。」
「へぇ、お塩をねぇ・・・。」
あんこに塩を入れる・・・みたいな感覚なのかしら。
「最初はパウンドケーキに混ぜて『人参のケーキ』みたいな形にしようかとも考えたんですけど、ジャムの方がいろいろ使い回せるかなぁって思って。」
「うん、それはジャムにして正解だと思う。パウンドケーキに入れるんなら、混ぜ込むより折り込む感じの方が良いかも。」
「折り込む?」
「ほら、ブルーベリーのパンとかあるじゃない?断面がマーブル模様になってるやつ。」
「あぁ、はいはい。あの感じですねっ?」
「うんうん。そういう方がジャム感が活きてくると思う。」
「えぇ。ふふ、じゃぁ今度はそれでやってみましょ。」
という事は、また「試作品」を味わえるという訳だ・・・むふふっ。
「う~ん、そうなると・・・もう少し固めに作った方が良いのかなぁ・・・?」
こういう試行錯誤を楽しめるのが、モノ作りの面白さなんだな。
「ねぇ、そのジャムはまだある?」
「えぇ、コレと同じくらいのがもう一瓶。」
「なら、それイズミさんに持って行ってあげなさいよ。『こんなの出来ましたぁ~』って。」
「あ、そうですねっ。ちゃんと報告しなければいけませんね。」
「今度はいつ?」
洋菓子店「しおまねき」は、現在月一で道の駅に出店させてもらっている。イズミさんとはそこで出会った。
「えっと、来週ですから・・・十日後、かな?」
「十日か・・・あれ、じゃぁそれまで持つかしら?」
「あ、えぇ。日持ちはすると思いますよ。」
「あぁ、そうじゃなくって・・・その前に無くなりそうじゃない?」
「あ・・・ふふっ、えぇ。きっと、食べちゃいますね・・・。」
美味しいものに賞味期限を表記する必要はない・・・という説を聞いたことがある。悪くなる前に食べ切ってしまうからだ、と。
「ん・・・んふふ。そうなったらイズミさんには『美味しい話』にしてお届けしますっ。」
「あら、話だけで『今回はお預け』ってこと?」
「ふふふ、先日のお返しですっ。」
隙あらば抱き付き、イチャつこうとするイズミさんへの対応に困ってたものね。
「もぉ、明音さんったら意地悪。」
「ん?ふふふ・・・。」
まぁ、見方によっては楽しそうでもあったけど。
「へぇ~、案外イケるもんだねぇ。」
明音さんが一瓶置いていったジャムを、スズキの切り身に塗って焼いてみた。肉にジャムやマーマレードを塗って焼くことがあるのだから、魚でもイケるだろうと思って。
「ねぇ、結構良いでしょ?」
棟梁の口には合ったようだ。
「あぁ、こんなん出されたら・・・また進んじゃうなぁ。」
棟梁の言う「進む」は、当然お酒のこと。
「ふふっ。でも、お医者さんに『控えなさい』って言われてるんでしょ?」
「あ、いやぁ、医者はそこまでは言わねぇんだけど・・・。」
「え、じゃぁ奥さん?」
「あぁ。ウチのはいつも『明日の仕事に響くといけませんからね』なんて言うからさぁ。」
「あら、良い奥さんじゃない。」
「あぁ、そうなんだけどさぁ。もうちょっと、大目に見てくれても良いんじゃないかな・・・とか思うこともあってさ。」
「でも、手元がおぼつかない大工じゃぁ『今日は帰ってくれ』って言われるわよ?」
「あ・・・ははは、それもそうだなっ。」
「ふふふ、でしょ?」
「じゃぁ、今日はここまでにして・・・お茶もらえる?」
「お茶?ふふ、はいよ~。」
お酒を控えることが健康の維持に対してそれだけ効果的かは分からないけど、時には肝臓を休めてやるのが永く楽しむ上では大切なのだと思う。それこそ、医者に止められる前にね。
「なぁ、これさぁ。焼く前に少しジャムに漬けといても美味いんじゃないかと思うんだけど・・・。」
「あぁ、それ私も考えてた。お味噌と混ぜてさぁ。」
「あぁっ、そっちの方が良いかも。」
「ふふっ、じゃぁ明日やっとくわね。」
「あぁ、頼むよ。」
こういう試行錯誤を楽しめるのが、モノ作りの面白さなんだな。
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