第88話 先生の宿題
「なるほど・・・こういう展開になっていくんですね・・・。」
編集さんが先生の原稿をチェックしている。こういうことは以前は先生の自宅でやっていたが、女性の編集さんに代わってからは「女性と二人きりで会うのは気が引ける」と『ハマ屋』でやるようになった。先生って、案外ウブなのね。
「はい、分かりました。では、このまま編集部に持ち帰ります。」
「はぁ、良かったぁ。では、よろしくお願いします。」
「それと、みなと先生・・・?」
「はい・・・。」
「例の宿題の件、取り掛かっていただけてますでしょうか?」
「あ、え・・・あぁ・・・。」
先生は編集さんから「探偵小説を」との宿題を出されている。
「みなと先生?」
「ぃやぁ、それが・・・。」
「いえ、分かります。こちらとしましても、みなと先生が苦手なものを要求しているのは承知の上ですので、筆が進まないのも分かります。が、そんなみなと先生だからこそ、読んだ人を幸せにできるサスペンスが書けるのでは無いかと、そう思っているのです。そして、私はそれを読みたいのです。」
その話し方、意見のぶつけ方、スッと伸びた背筋。清々しいほどの真っ直ぐさを持った編集さん。
「そう、言われても・・・僕には書けそうもなくて・・・。」
「いえ、書けます。みなと先生なら、きっと書けます。」
「そうでしょうか・・・?」
「はいっ。」
こうして押し切られていく先生。
「は、はぁ・・・なんとか、頑張ってみます。」
折衷案を出した時と同じように、今回も言い込められてしまった。
「ふふっ。ねぇ、お昼は?まだなんでしょ?」
「あ、はい。これからです。」
「なら、食べて行きなさいよ。先生もこれからだし。」
「あ、はい。では、いただきます。」
「先生と同じでいい?」
「はい、お願いします。」
「あ、ヨーコさん。玉子焼きもお願いします。」
「ん?ふふっ、はぁい。」
いつものアジフライ定食に、今日はちょっと豪華に玉子焼きを付けて。
真っ直ぐな彼女は、食べっぷりも良い。姿勢が良く、箸の動きに迷いが無く、時折目を閉じしっかり味わい、文字通り一粒残らず
「ふぅ・・・ご馳走様でした。」
「ふふっ、相変わらずキレイに食べるわねぇ。」
「え、あ、はい。食材と料理を作ってくれた方への感謝を込めていただいております。」
彼女にとっては、ちょっとした儀式なのかしら。
「ねぇ、先生。」
「はい?」
「その下駄のお礼は、もうしたの?」
「あ・・・ぃえ、これといって・・・。」
「ん~、もう。ダメでしょう、ちゃんとお礼くらいしなきゃ。ねぇ。」
「あぁ、いえ。その下駄は・・・私が一ファンとして先生に履いていただきたいと思って差し上げたものですので、何か見返りを求めてとかそういうものではなく・・・あぁ、ですが、みなと先生のことですから、きっとこれからの作品で返してくれるものと。」
「ふふふ。ですってよ、先生。」
「やはり、
「はい、なんとかお願いします。」
宿題って、大人になってもあるものなのよ。
「ふふっ。あ、でもイヤですからね、私をモデルにした話なんて。」
「へ?そのようなアイディアがあるのですか?」
「えぇ。ふふふ、なんでしたっけ?『小料理屋女将の探偵日誌』・・・とかなんとか言ってませんでした?」
「それはもういいじゃないですか・・・。」
先生、ばつが悪そうに苦笑い。
「おぉ、そのような構想があるのなら是非伺いたいのですがっ。」
「いやいや、構想と言えるほど立派なものじゃなくて・・・いろいろタイトルを考えたら、そこから何か生まれるかなぁ、と思っていたうちのひとつで・・・だから、あの、お話しできるほどのものは無いんです。」
「あぁ・・・いやっでも、タイトルが決まれば一歩前進・・・いや、大きな一歩です。是非、このお話続けて行きましょうっ。」
「は、はぁ・・・。」
「あの~、私がモデルはイヤよぉ。」
「はい。いえ、その点はご心配に及びません。しっかりと個人が特定されないようにいたしますので。」
あの、そういう問題では無くて・・・。
「でも・・・はぁ、やっぱり・・・人が死ぬ話はなぁ・・・。」
「いえ、みなと先生。必要なのはスリルとドキドキ感、それに先の読めない展開です。実際殺人事件の起きない探偵小説もあります。」
「あぁ・・・そうですねぇ。」
「ふふっ。先生、ますます逃れられないわね。」
「あ・・・はい・・・。」
「はい。その為のお手伝いなら何でも致しますので、いつでも申し付けてください。」
「はぁ・・・で、では・・・。」
「・・・はい。」
「僕の代わりに書いて・・・。」
「それは出来ませんっ。」
言い終わらないうちに切り返す、編集さんのキレの良さ。
「はははっ、それはそうよ先生。そこは自分で書かなきゃ。」
「はぁ、やっぱりそうですよねぇ。」
「こちらとしましても、この件につきましては締め切りを設けるつもりはありませんので、みなと先生の納得いくものを書いてください。」
「は・・・はい。」
さすがの先生も腹をくくったのか、キュッと結んだ口元に覚悟の色が見えた。
「なかなかのやり手ね、あの編集さん。」
「え、えぇ。人の『やる気』に火をつけるのが上手い人です。」
「ふふっ、そうね。」
どこか上の空に一点をボーっと見つめているときは、先生の創作のスイッチが入っている時。外からじゃ分からないけど、きっと頭の中はすごいスピードで動いているのでしょうね。どんなものが出来上がるのか、それとも頓挫してしまうのか、これから楽しみだなぁ。
そうそう。あの編集さん、しっかり領収書を切っていった。体が資本の編集者、腹が減ってはなんとやら、だから食事も経費・・・ふむふむ。
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