第83話 ブチは今日もハマにいる

 吾輩は猫である、名前は幸一。

 縁あって『ハマ屋』という店の前で暮らしている。名前の由来は見ての通りのブチ模様で、「ブチと言えば幸一」という分かったような分かんないような理由で突然付けられてしまった。本当は「ジョセフ」とか「ステファン」とかいったハイカラな名前が良かったのだが、こうして食事を用意してもらい立派な小屋まで建ててもらっている手前、今更贅沢なことは言えない。


 自分が主人と慕っている人は、この『ハマ屋』の女将。ある時、散歩の途中で不意に目が合い、気まぐれで懐いてやったら、どうやら気に入られてしまったようで、それから会うたびに食事を出してくれたり毛づくろいを手伝ってくれたり・・・としてるうちに居付くことにしてしまった。この女将の毛づくろい、力加減が絶妙で、いて欲しいところを的確に掻いてくれるので、思わずうっとりしてしまう。この心地良い声と合わせて、この女将は前世で猫だったに違いない。


 この『ハマ屋』の前は日当たりが良く、昼寝をするにはもってこいの場所だ。そんな絶好の場所に、大工のオヤジが小屋を建てた。なんでこんな所に・・・と最初は邪魔に思っていたが、雨除け・風除けに最適で、屋根に上ると日当たりも良く最高の寝心地を与えてくれるので、こうして有り難く使わせてもらっている。ただ、独りもんには少々広すぎるのが難点だ。


 おおらかというのか無頓着というのか・・・。『ハマ屋』は入口が開けっ放しになっていることがある。だが、中から良い匂いが漂ってくるからと言って、誘惑に負けてはいけない。この敷居をまたぐと、女将に怒られるのだ。普段は温厚な女将があれだけ怒るのだから、よほど重大な理由があるのだろう。だからそんな時は、他の猫が入って行かないようにしっかりと目を光らせている。僭越せんえつながら「門番」の役を任されている・・・というつもりでいるのだが、人間の世界では「招き猫」と呼ぶらしい。


 アホな漁師の話、する?

 この港には「源」という名前で呼ばれている漁師がいる。この男、どうやらウチの女将に惚れてるようなのだが、どうにも滑稽で仕方ない。なんとか気を引こうとするも、まるで相手にされず、どうしたら良いものか・・・と、この猫に愚痴る始末。いつだったか、なんとか糸口を探ろうと奮闘していたら「それ、言う相手が違うわよ。」って言われたことが・・・なんて言い出したもんだから、一発引っ搔いてやった。

 そんな男に惚れているのが、豆腐屋の娘さんだ。一目瞭然。そんなことは猫から見ても分かるのだから、もうすっかりみんな気付いているのだが、どういう訳かこの男だけがそれに気づいていない。これを「恋は盲目」と表現するのは美化しすぎな話で、単純にこの男が鈍いだけの話だ。こんな鈍い奴でも漁師という仕事が務まっているのだから、人間の世界は不思議でならない。


 腹が減ったからといって、どこかの飼い猫のように無闇に食事を要求したりはしない。厄介になっている者の心得として、自らの主張は最小限に抑えておくものだ。女将の手がくのを待って中を覗きこみ、目が合ったらこう言うんだ。

「ミャ~お。」



「ふふっ。ふ~ん、なるほどねぇ。」

「いかかでしょう?」

「うん。面白いと思うけど・・・ふふふっ、ダメなんじゃない?ねぇ、だって一行目からして夏目先生に怒られそうだし。」

「あぁ・・・やっぱり、そうですよねぇ。」

「まぁ、編集さんがどう判断するかだけど・・・私は好きですよ、こういうの。」

「あぁ、ありがとうございます・・・今度、編集さんが来たら見せてみます。」

 時折先生に書きかけの物や試作品(思索品?)なんかを読ませてもらえるのが、私の秘かな楽しみなのよね。

「ねぇ、先生?」

「はい?」

「私の声って、心地良いんですか?」

「え・・・えぇ、はい・・・。」

「ふ~ん、そうなんだ・・・。」

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