第78話 母の心

「いやぁ・・・あの子、バカだからなぁ・・・。」

 素子さんが呑んでいる。息子の源ちゃんの挑戦の進み具合が、どうにも気になっている様子。

「まぁそりゃぁねぇ、私とあの人の子だからさぁ、勉強が出来ないのは分かり切ってるけど・・・ほら、あの子・・・ちょっと、面白いとこあるじゃない?」

 源ちゃんが主導して何かをやるという事が、母としては信じられない部分があるらしい。

「ふふふ、えぇ。でも、案外上手くやっているようですよ。」

「ん・・・そうなの?」

 ツマミは揚げ出し豆腐。

「えぇ。話も面白いらしいですし。」

「え、面白い?あの子の話が?」

「ふふ、えぇ。そうらしいんです。」

「へ~、あの子がねぇ。」

 そこへ棟梁が入ってきた。

「ふぅ、ただいまぁ。」

「あ~棟梁、おかえり~。」

 一息早く素子さんが応える。

「んふ、いらっしゃい棟梁。」

「なになに、なんの話してたの?楽しそうなのが聞こえてたけど。」

「あらぁ、聞こえてたぁ?」

「ふふふ、素子さんがねぇ。源ちゃんのが信じられない、って話をねぇ。」

「あぁ、例の件ね・・・。」

 いつもの席に腰を下ろす。

「ねぇ、棟梁もそう思わない?あの子がさぁ、船のかじを握ってだよ?お客さん乗せて釣りをさせるなんてさぁ・・・ねぇ。」

「ははっ。まぁ、素子ちゃんの気持ちも分かるけど。源ちゃんもさ、それなりに経験を積んで、その成果を試してみたいんじゃない?あぁ、いつものね。」

「はぁ~い。」

 棟梁の注文は、いつも簡潔。

「う~ん、でもさぁ・・・。」

「いやぁ、俺だってねぇ。もうちっちゃい頃から源ちゃん見てるからさぁ・・・ほら、今ヨーコちゃんが使ってる竿があるだろ?」

「あの重たいヤツ?」

「そうそう。アレにさぁ・・・ははっ。あの竿にさぁ、こんなんなって振り回されてる姿を見てるからさぁ。その頃のこと思い出すと『立派に育ったなぁ』って・・・まぁ、感慨深い訳よ、近所のおっちゃんとしては。」

 重たい竿に振り回されてるチビ源ちゃん・・・ちょっと見たかったなぁ。

「そりゃぁねぇ・・・あの頃に比べたらさ、体は立派になったけど・・・な~んかさぁ、はちっちゃい頃のまんまなんだよねぇあの子は。」

「ははは、それはそうだっ。」

 その点は付き合いの短い私も同感。

「それにさぁあ。あの子の『話が面白い』って言うんだよ?ねぇ、そんな訳ないじゃない?」

「はははっ、そりゃぁさぁ・・・ははっ。アレだ、釣り好きにしか分からない話ってのもあるんじゃない?ほらぁ、大物が釣れた話とかさぁ、漁師の苦労話とかさぁ。普段見れないプロの世界の話なら、話下手の話でも興味深く聞けるもんだよ。ねぇ。」

「へ~、そういうもんかねぇ。」

 その気持ちは私も少し分かる。ここで漁師たちの話を聞いてるだけでも、なかなか面白いもの・・・理解できないことも多いけど。

「だからさ・・・まぁ、当人としては不安なことも多いんだろうけど、近所のおっちゃんとしては『素子ちゃんが立派に息子を育て上げた』って見えてるわけよ。」

「え・・・いやぁ、私はただ飯を食わしてやっただけでさぁ・・・。」

 照れる仕草の可愛らしさは、やはり美冴ちゃんに似ている。

「だからさっ。源ちゃんは源ちゃんで大丈夫だと思うよ。」

「そうはいうけど・・・。」

「それにほらっ、今は一人じゃない訳だし。ねぇ、周りに仲間がいて、助け合ってやってる訳だから。」

「あぁ・・・まぁねぇ。」

「今は、そういうさ・・・立派に育った姿ってのをさ。見届けてやるってので、良いんじゃないのかい?」

「そうかなぁ・・・。」

「あぁ。そんで調子に乗ってきたら、また叱り飛ばしてやりゃぁ良いんだからっ。」

「あ・・・はははっ、そうねっ。ふふ、そん時はひっぱたいてやるわ。」

「ははっ、そう来なくっちゃ。」

 コロコロと表情が変わるのも、美冴ちゃんに・・・いや、美冴ちゃんが素子さんに似てるんだな。

「ねぇ、ヨーコちゃん。こないだのアレ、素子ちゃんにも出してあげてよ。」

「アレ?」

「ほらぁ、油揚げ串で焼いたヤツ。」

「あぁ、アレね。」

「なに、そんなのあるの?」

「あぁ、なかなかイケるんだよ。ね、ヨーコちゃん。」

「えぇ、すぐ作りますね。」

「なに~?楽しみ~。」


 母の心、子知らず。源ちゃんは源ちゃんで、自分が目指す「自分像」のようなものがあって、そこに辿り着けるように試行錯誤している訳だけど。その前進していく姿を見ても、母親というのは心配してしまうものなのだろう。進んでも進まなくても、進めても進めなくても・・・その姿は希望でもあり、心配の種でもある。


「ヨーコちゃ~ん、ダメよコレ~。」

「あれ、ダメですか?」

「いやぁ~、ダメよ~。お酒進んじゃうもの~。」

「ははっ、なかなかイケるだろ?」

「も~・・・ヨーコちゃん、もう一杯だけ・・・。」

「ふふふっ、はぁ~い。」

 お気に召していただけたようで。

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