第73話 塩引き鮭と彼女の笑顔
「うわぁ~、立派ねぇ。」
塩引き鮭が一本『ハマ屋』にやって来た。
「えぇ、私もびっくりしちゃいました。こんなに大きいのが届くなんて・・・。」
なんでも、明音さんが以前新潟に出張した際に世話になった方が「遅~~くなっちゃったけど、結婚祝いに。」と送ってきてくれたのだそうだ。
「これでも普通のサイズなんだそうですよ。」
「へぇ~・・・。」
乾燥しててこれなんだから、元はどれだけ大きかったのかしら。
「という訳で、ヨーコさん。これを皆さんに振る舞ってあげてくださいっ。」
「良いけど・・・どうしようかしら。」
「あら、塩引き鮭は初めて?」
「いや・・・もうずいぶん前に、おすそ分けでいただいたことはあるけど・・・あの時は少しだったから。」
「その時はどうしたんです?」
「うん・・・結局、お茶漬けで食べちゃった気がするのよねぇ。」
本当は色々考えたんだけど、「試しに一杯」とやったお茶漬けが美味しすぎて一気に食べてしまった。
「あ~、美味しいですよねぇ。私も向こうでいただいた時に・・・ふふっ、思わずおかわりしちゃいました。」
「ふふふ。やっぱり、そうなるわよねぇ。」
「えぇ。」
意外と大食いな明音さん。どうやってこのスタイルを維持しているのかしら・・・。
「でもまぁ、酒処の名物だから、お酒に合う食べ方がいっぱいあるはずよね。」
「えぇ・・・あぁ、ちょっと調べましょうか?」
スマートフォンを取り出して、スルスルと操作する明音さん。現代っ子の職人芸。
「え・・・っと?炊き込みご飯に親子丼に、お茶漬けに・・・う~ん、そのまま焼いて食べる・・・と言ったところですかねぇ。」
「ん?そんなもん?」
「えぇ、そんなところ・・・ですねぇ。」
案外普通のレシピしか出てこないもんなのね。
「う~ん・・・なら、炊き込みご飯が良いかしらね。それならみんなで食べられるじゃない?」
「えぇ・・・あ、頭と骨を使ったアラ汁ですって。」
「あら、良いわねぇ。うんうん、絶対良い出汁が出るわよね。」
「えぇ。なんだか・・・ふふ、もう美味しいです。」
「ははは、もう明音さんったら。」
「ふふふっ。」
さぁ、そうと決まれば早速準備だ。
「ん・・・思ったより、硬いわね。」
ここに来てからいろんな魚を捌いてきたから、ある程度どんな魚でも捌けるようになったけど・・・今回はちょっと勝手が違う。やっぱり生の魚を捌くようにはいかないなぁ。
「ん~・・・っと、うん、なるほど・・・。」
力加減と刃の角度にコツがいるのね。
「ふう・・・これは、結構な大仕事になりそうね。」
それでもなんとか三枚におろし、身の方は切り身に、骨や頭はぶつ切りにして鍋に入れておく。
「これ、全部炊き込んだら・・・さすがに多すぎよね。」
予想はしていたが、切り身の山を前に途方に暮れんばかり・・・。
「うん、半分はストックにしましょっ。」
そのまま焼いたら美味しそうなところは別にしておく。 あとで焼いて食べるのだ・・・っ。
「よし、じゃぁお米を研いでっと・・・。」
晩にはみんなで鮭祭りだ。
漁師町の朝は早い。ということは、当然夜も早い。日没までにはまだ時間があるが・・・。
「は~い、みんなに少しづつだけど、明音さんの結婚祝いのおすそ分けだからねぇ。」
「明音さんの結婚祝いって、今頃?」
今日も棟梁はいつもの席。
「ふふ~ん、その辺の詳しい話は明音さんからねぇ。」
「はい、あのですね・・・。」
この塩引き鮭がやって来た経緯を話す明音さん。照れくさそうに話す姿は、まだまだ新婚さん。
「はぁ、なるほどねぇ。こういうのも旬があるからねぇ、いい時期に送ってくれたんだ。」
「えぇ、そのようですっ。」
「は~い、アラ汁もあるわよ~。」
頭と骨だけでこんなに良い出汁が出るなんて・・・ちょっと塩を加えただけで、他には何もしていないのに。
「みんなの分もね~。」
晩酌漁師たちのもとにも、ちゃんと行き渡った。
炊き込みご飯とアラ汁、それにいつものお酒。
「いやぁ~、美味いねぇ。」
「ねぇ、たまにはこういうのも良いですよね。」
「いやぁ、たまにと言わず毎日でも良いねぇ。」
「もう、棟梁ったら。そんなこと言ったら漁師たちが怒りますよ~。『俺たちのとってきた魚は食えねぇってのか』って。ねぇ。」
にわかに漁師たちの視線。
「あ・・・あ、いやっ、そうじゃなくってね・・・もう、ヨーコちゃんも意地悪だなぁ。」
「ふふふ、毎日じゃないからいいのよ、こういうのは。」
捌くことの大変さを考えたら、毎日はやってられない。
「こちらから・・・ん、何かお返しできるものがあると、良いのですけど・・・。」
炊き込みご飯を頬張る明音さん。
「明音さん?食べるか喋るかどっちかよ?」
「ん?ん・・・ん。ふふふっ。」
必殺微笑み返し。
「ふふっ、もう・・・。うん、でもそうね。何かお返ししないと、もらいっぱなしって訳にはね。」
「あ~、なら。明音さんのお菓子詰め合わせってのはどうだい?」
アラ汁を堪能中の棟梁。
「あらぁ、良いじゃない。」
「私の・・・ですか?」
「えぇ。パウンドケーキとかクッキーとか『大工のマドレーヌ』とか・・・ねぇ。」
「ですが・・・港の名産とかの方が・・・?」
「ううん。明音さんからのお返しなんだから、それが良いと思うわよ。ねぇ、棟梁?」
「あぁ、そうだ。こういうのは気持ちの問題もあっから、あれだ『顔の見えるモノ』ってのが一番だと思うな。」
まぁ、この港に「名産」が無いという事情もあるが・・・。
「そう・・・ですね。ふふっ。では、いっぱい焼かなくっちゃ。」
そりゃぁ、この笑顔だもの。みんな彼女を好きになるわよ。
「もう、ゆっくりしてていいのに・・・。」
「ふふふ、いいんですっ。」
後片付けを手伝ってくれている明音さん。手際の良さが家事経験の豊富さを物語っている。美冴ちゃんとは・・・比べてあげないでください。
「ヨーコさん、私ね・・・。」
「・・・ん?」
「私・・・使命に燃えてるんです。」
「はい?」
「ふふふ、えぇ。この港で生きていくんだって、この港の発展に貢献するんだって。」
「まぁ。あまり肩肘張ってると疲れちゃうわよ?」
「疲れたら・・・その時には、ヨーコさんがいてくれますから。」
「ん、私?」
「えぇ。ヨーコさんは・・・私にとって癒しの存在なんです。」
「・・・鈴木ちゃんじゃなくて?」
「あ・・・か、彼もですけどっ・・・でも、こうしてヨーコさんとお話してると、気持ちがニュートラルに戻される感じがして・・・。」
「え?私、そんな力持ってる?」
「ふふふ、はいっ。」
「あら、いつの間にそんな力を・・・ふふふっ。」
「これからも・・・末永く、よろしくお願いします。」
「えぇ、こちらこそ。」
食器を洗う無機質な音と明音さんの澄んだ声が、上質なハーモニーを奏でている。
うん、今日はよく眠れそうだ。
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