第69話 幸せな時間
朝。表の鍵を開けると、猫の幸一がじゃれついてきた。
「ミャ~お。」
「はいはい、おはようさん・・・ん?なに、なにどうしたの?」
今日は、いつになく入念にまとわりついてきて、しまいには足下にゴロンと転がってしまった。
「も~、なによぉ。ふふふ、お腹なんか出して無防備なんだから。」
「ミャ~お。」
物欲しそうに見上げてくる。
「なに、ワシャワシャしてほしいの?」
「ミャ~お。」
「んも~、しょうがなわねぇ~。」
仕方なくしゃがみ込んでお腹のあたりをさすってやると、ご満悦のようでゴロゴロと鳴きだした。
「ねぇ、幸一。最近太ったんじゃない?」
「ぐっ・・・。」
「ぷっ。なによ、変なリアクションして。」
「・・・ミャ~お。」
「ん?も~、しょうがない子ねぇ。」
今日は時別に、多めにワシャワシャしてあげる。
「ヨーコさん、おはよ~。」
そこへ美冴ちゃん。
「おはよう。今日は早いのねぇ。」
「うん、今日はちょっとねっ。へへ、いいわねぇ幸一、ヨーコさんに遊んでもらってんの?」
「ミャ~お。」
美冴ちゃんの方へゴロン。
「なに?私にもして欲しいの?ふふ~ん、じゃぁ帰ってきてからねぇ。じゃヨーコさん、行ってきます。」
「うん、気を付けてねぇ。」
「は~い。」
「じゃぁ・・・私も支度をしますかねぇ。」
「ミャ~お。」
「ん?まだ欲しいの?」
「ミャ~お。」
「ん~もう、じゃぁあとちょっとだけねぇ。」
「ミャ~お。」
猫と
猫の幸一は、昼間は店先にある棟梁が作った小屋の中にいて、そこからお客さんに愛想を振りまいたりしているが、大体の時間は寝ている。日が傾いてくると、小屋の上に登りあたりを見渡したり、散歩に出かけたり・・・時には体中に枯れ葉をくっつけて帰って来るときもあったり・・・と意外とアクティブなところも見せるが、夜にはまた戻ってきて、やはり小屋の中で寝ている。
この日もしっかり日没前に帰ってきた幸一。
「ミャ~お。」
「あら、ふふっ、お帰りニャさい。」
私も手が空いたので、外へ出て伸びをしたりしていた。
「ミャ~お。」
足下へ来て、勢いよくゴロンっと。
「なぁに~もう、今日は甘えん坊さんねぇ。ふふふっ、しょうがない子だにゃ~っ。」
こちらも負けじと勢いよくワシャワシャしてやると、よほど上機嫌なのか調子良くゴロゴロと鳴きだした。
「ん~なんだい?ここか?ここが良いのか?」
あまりの良い反応に調子に乗ってワシャワシャしているところへ、
「ただいま、ヨーコさん。」
美冴ちゃんが帰ってきた。
「あ~、ふふふ、お帰り美冴ちゃん。」
「ミャ~お。」
「なぁに幸一、今日は一日ヨーコさんに遊んでもらってたの?」
そう言ってしゃがみこんだ美冴ちゃんの方へ、
「ミャ~お。」
ゴロンと幸一は体の向きを変えた。
「なに、私にもやれって?」
「ふふ、朝やってもらえなかったからじゃない?」
「なんだい、アンタ待ってたの?も~、しょうがないヤツだなぁ~。」
腕まくりをして、幸一の方に手を伸ばす。バイト帰りの美冴ちゃんの指先は、すっかり赤くなっている。
「ほ~れぇ、うりうりぃ~。これでどうだぁ~。」
もはやその手つきは、お客の頭を洗う美容師のそれ。
「ふふふっ。お客様ぁ、お痒いところはありませんか~っと。ははは、ほれほれぇ~っ。」
「ミャ~お。」
もうされるがままの幸一は、一層調子よくゴロゴロ鳴いている。
「ふふふ、良かったわねぇ幸一。美冴ちゃんにワッシャワッシャしてもらって、ふふ。」
「ミャ~お。」
幸一の幸せな時間は、美冴ちゃんが飽きるまでしばらく続いた。
「ヨーコさん、私ね・・・。」
夕日は山の向こうへ行ってしまった。
「ん?」
「今のバイト先・・・大学卒業しても、当面は置いてもらえることになったんだ。」
「あら・・・良かったじゃない。」
「うん・・・。」
浮かない顔。
「・・・ん?」
「でも・・・このままずっとアシスタントだったら、私・・・ちゃんと修行になってるのかなぁって。」
「ん・・・うん、なってると思うわよ。まぁ、専門外の私が言うのは変だけど、いろんなお客さんとお話しするだけでも充分な修行だと思う。」
「そう、かなぁ・・・。」
「えぇ。ねぇ、和やかな雰囲気を作るのってなかなか難しいじゃない?」
「うん、つくづくそう思う。」
「ね?そういう雰囲気づくりを学べるだけでも、収穫があるってもんじゃない?」
「うん・・・。」
「美冴ちゃんは・・・雰囲気の悪い所で、髪切りたいと思う?」
「ん?無い。」
「ふふ、でしょ?なら、その場にいるだけでも勉強になることはあると思うなぁ。」
「でも・・・いい加減指痛い。ずっと人の頭洗ってるんだもん。」
「ふふふ、それは・・・私だって似たようなもんよ?」
私の指だって、いい加減赤くなっている。
「あぁ・・・そうか、ふふっ、お互い水商売だもんね。」
「うん・・・ん?それを言うなら水仕事ね。」
「あっ・・・ははは、そうかっ。」
「そうよ~、ちょっとの違いで大違いなんだからぁ。ふふっ・・・あぁ、あとで良いクリーム教えてあげるね。」
「ホント?助かる~。」
美冴ちゃんとのこんな時間も、私にとってはとても幸せな時間。
幸一は、もう寝ている。いや、猫って夜行性じゃないのか?
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