第57話 負けてもなお

 素子さんとの日暮れ前のひと時。

「もうさぁ、毎日毎日晩御飯作るのってさぁ・・・ねぇ、かったるくなっちゃうわよねぇ。」

「ふふっ・・・ちょっと分かります。」

「ねぇ。毎日毎日毎日・・・よ、もう。どんなに手間暇かけて作ったって、あの人達ぁ一瞬で食べちゃうんだから。『私の努力を少しは味わって~』って思うんだけどさぁ、ねぇ。」

「えぇえぇ。」

「良いのよぉ、食べるために作ってるんだから。でもねぇ、せめて『うまかった』の一言くらいあっても良いんじゃない?ねぇ。いつ聞いたって『あぁ・・・おぅ』って、コレよぉ。」

「ふふっ・・・えぇ。」

 船長と源ちゃんのことだから、なんとなく想像は出来る。

「でも、文句を言われないってことは『うまかったよ』ってことなんじゃないですか?」

「え~、そうかなぁ・・・。」

 なんてやり取りをしているところに、

「ただいまぁ~。」

 と、美冴ちゃんが帰ってきた。

「あぁ、美冴。おかえり~。」

「あ~、お母さん。ただいまぁ。」

 美冴ちゃん、不機嫌?

「なぁに、その顔。また負けたの?」

「んっ・・・そうなのっ。また負けたのっ。」

 素子さんの隣にドカッと座った。

「なに?なんかの試合?」

「そう、今日は野球の応援に行ってたのよ。ねっ、美冴。」

「あ~、あの『エースがメジャーに行っちゃったぁ』って言ってた、あの?」

「ん~・・・っ。」

「ふふ、美冴が応援に行くと必ず負けるのよねぇ。」

「え、そうなの?」

「ん~・・・っ、そうなのっ。私が行くと必ず負けるのっ。信じられる?毎回よぉ。年に一回しか行かないのに、毎回毎回毎回・・・も~っ。子供の頃からずっとなんだからぁ。」

 筋金入り。

「あぁ、でも・・・この天気だったら、気持ち良かったでしょ?」

 好天に恵まれたことに話を向けると、

「あっ、そうそうっ。天気は最高だったぁ~。青い空っ、白い雲っ、映える緑っ・・・。」

 笑顔の花が開いたが、

「打たれる投手、くうを切るバット。」

 素子さんに打ち砕かれてしまった。

「も、も~っ、お母さ~ん・・・。」

「ははは、そうなの?」

「ん~・・・そうなの・・・。」

「だからさぁ、『そろそろお払いに行った方がいいんじゃない?』って言ったんだけどさぁ・・・。」

「え~、だからさぁ。それじゃ私のせいで負けてるみたいじゃん。」

「え、違うの?」

「ち、違うもんっ。絶対違うもんっ。」

 素子さんの前では、いつにも増して子供っぽい美冴ちゃん。

「ふふふ。それでもさぁ美冴ちゃん、天気が良かったんならそれでもいいじゃない。ねぇ。雨の中応援するの大変でしょ?」

「そうだけど・・・。」

「それにさ、雨で中止になんてなったら、応援だってできないんだから。ねぇ。」

「ん~、そうだけどぉ・・・。」

 何か言いたげなそぶり。

「ん?」

「・・・中止なら負けないもん。」

 おっと、その発想は無かったなぁ。

「ふ・・・はははっ、ねぇ美冴ちゃん。ふふっ、負ける前提で物事考えてない?」

「え・・・そ、そんな事ないもんっ。」

「ははは、美冴~、痛いとこ突かれたねぇ。」

「も~、お母さぁん・・・。ん~、もうっ。ヨーコさん、なんかサッパリしたもん出してっ。」

「ん、サッパリしたもん?お酒?」

「ん?じゃない方がイイ・・・。」

 ふてくされ顔もカワイイ美冴ちゃん。

「ふふ、うん。じゃぁねぇ・・・あ、今日はカボスがあるのよっ。コーラに絞ってあげる。」

「コーラにカボス?」

「うんっ。サッパリするわよ。」

「ふ~ん・・・じゃぁ、それお願い。」

「はぁ~い。」

 ジョッキにカボスを一個分ギューッと絞り、少量の氷を入れたところにコーラを注ぐ。カボスの爽やかな香りが一気に弾ける。

「はぁい、どうぞ~。」

「わぁ、いい香り~。いただきま~す。」

 香りをたっぷりと味わった後、一気に飲み干さんばかりに行った美冴ちゃん。

「ん~っ、爽やか~っ。ぁぷっ。ヨーコさん、これイイっ。レモンより絶対コッチがイイっ。」

「へへへ、でしょ~。」

「良かったわねぇ、美冴。これで今日の負けもチャラね。」

「うん・・・んっ?そ、そうはならないもんっ。」

「ははっ、騙されなかったかぁ。」

「む~っ、さすがの私も騙されませんっ。」

 やはり、この親子のやり取りを見ているのは楽しい。

「ふふふっ、ねぇっ、美冴ちゃん。次は勝てると良いわね。」

「あ~・・・毎年みんなそれを言うのよねぇ。」

「そりゃ、毎年負けて帰って来るからよ。」

「あぁ~っ。そう言うけどお母さん、昔は一緒に行ってたんだからねぇ。」

「あら、それを言っちゃう?なら言わせてもらうけど『お母さんと一緒に行くと負けるから、今度から一人で行くっ』って言ってたの誰だっけ~?で、どうなの?勝ったの?負けたの?」

「んん~・・・そうだけどぉ・・・。」

「ねぇ。ヨーコちゃんからもなんか言ってやってよ。」

「え?ん~・・・やっぱり、お払いに・・・。」

「行きませんっ。」

「はははっ、も~。美冴ったらムキになっちゃって~。」

「だってぇ、二人してさぁ・・・。」

 そう言って、カボスコーラを飲み干す。

「ぷはぁ~っ。あ~、おなか空いたっ。もぉっ、お母さんご飯にしてっ。私その間にお風呂入っちゃうから。」

「あ、あぁ、えぇ。」

「うん。じゃぁヨーコさん、ごちそうさま~。」

 そう言い残して、美冴ちゃんは帰っていった。

「ふ・・・ふふふ・・・。」

「ん?」

「あの子・・・不思議と天気だけは良いのよねぇ。」

「え?」

「ふふっ、うん。子供の時からそう。運動会も遠足も、文化祭なんかも大体・・・ふふっ、生まれた時もだわ。天気だけはホントに良いの。」

「へぇ~・・・天気?」

「ふふふ・・・えぇ。なんか、可笑しくなっちゃうわね。『青い空、白い雲、映える緑っ・・・』だって。」

「ふふっ。『打たれる投手、空を切るバット』・・・でしたっけ?」

「あらっ、ヨーコちゃんもお人が悪い。」

「ん?・・・ふふっ。」

「はぁっ、さぁてっと。私ぁご飯を作りに帰るとしますか。はぁ~、やんなっちゃうねぇ毎日毎日・・・ねぇ。」

「あ、なんか持ってきます?」

「ん?ううん、大丈夫。なんかテキトーに作るからっ。じゃぁね~。」

 そう言って出ていく素子さんの背中は、頼れる母親の背中だった。

「ふふふ・・・じゃぁ、私もそろそろ店仕舞いしますかねぇ。」

 私もいつか、あんな背中になれるのかなぁ。

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