第52話 じれったい恋

「え、明日から?また急な話ねぇ。」

 源ちゃんが研修でいなくなる。

「いや、そんな急な話でもねぇんだ。だいぶ前から準備してたんだから。」

 漁師としてより多くの経験を積むため、他の地域の港に出向き漁に参加させてもらう。

「へぇ、今回はどこ行くの?」

「あぁ、北陸方面をな・・・4か所ばかり回ってくる。」

「あら、結構回るのね。」

「あぁ、一か月くらいになるかな。」

 研修というより「修行の旅」と言った方が、一般的なイメージに近いかしらね。

「ふ~ん、一か月ねぇ・・・。」

「ん?」

「うん・・・寂しくなるわね。」

「なんだ?俺がいないとそんなに寂しいか?」

「ん?私じゃないわよ・・・ね、真輝ちゃん。」

「あわわ・・・な、なんで私に振るんです?」

 今日は真輝ちゃんがお手伝いに来てくれている。皿洗い中。

「なんでって・・・ねぇ。」

「ん?なんだぁ真輝、どうかしたのか?」

「え、ど、どうもしないよぉ・・・。」

「そうは見えねぇけど?」

「そ、そんな事ないもん。」

「そうか?最近お前、ちょっと変だぞ。こないだだって、人の顔見ちゃぁ走って逃げてったりさぁ・・・。」

「あ~もうっ、源ちゃんは黙っててっ。」

「ん・・・なんだ?男には関係のねぇ話か?」

 いや、むしろ源ちゃんが「話の中心」なのだが。

「そういう訳でも、無いけど・・・う~、もうっ。いいから、源ちゃんは黙ってて。」

「あ~はいはい、部外者は黙ってますよ~。」

 そう言うとグイっとお猪口を傾け、最後の一杯を飲み干した。

「じゃぁヨーコ。そういう事だから、明日からみんなのこと頼むな。」

「あ、え、えぇ。気を付けて行ってくるのよ。」

「あ?あぁ・・・。」

「な・・・も~、何よその生返事は。いい?ちゃんと気持ち入れてやらないと、余計なケガする事になるんだからね。」

「あ、あぁ分かってるよぉ・・・もぉ。じゃぁ、行ってくるから、な。」

「はい、行ってらっしゃい。」

「あ・・・げ、源ちゃん・・・無事に、帰ってね。」

「あ、あぁ。真輝も元気でな。」

「・・・うん。」

「じゃぁヨーコ、またなっ。」

 と、店を出かけたところで顔だけコチラを向け、

「あ、お土産・・・何が良い?」

 なんて訊いてきた。

「ふふっ、バカねぇ。元気で帰ってきたらそれでいいわよ・・・ね、真輝ちゃん。」

「う、うん。」

 いつかの「北海道土産」を思い出してしまった。

「そ、そっか・・・分かった。じゃぁなっ。」

 暖簾をくぐり出ていった源ちゃんの背中。今度会う時は、きっともうひと回り大きくなっているのだろう・・・は、期待しすぎか?


「ねぇ、真輝ちゃん・・・。」

「はい・・・?」

「チャンスは、そんなには無いわよ。」

「あ・・・はい。」

 お皿洗いをしながら。

「まさか、このまま言わずに見てるだけでいい・・・なんて言わないわよねぇ。」

「そ、そんなことは・・・無いです。絶対。」

「うん・・・それならいいけど。」

「でも・・・。」

「ん?」

「で、でも・・・まだ・・・早いんじゃないかと、私には・・・。」

 そう、そんなことを気にしてたのね。

「ふふっ。そんなことは、無いと思うわよ。ほらぁ、十八くらいで結婚して立派にやってる夫婦だっているんだからさぁ。まぁ、私には言われたくないだろうけどっ。」

「ん・・・う~ん。」

「ふふふ。そりゃぁねぇ、向こうだっていきなり『結婚だ』ってなったらひっくり返っちゃうだろうからさぁ。ねぇ。」

「・・・はい。」

「まずは、その気持ちを伝えることから・・・じゃない?」

「そうですけどぉ・・・いきなり『好き~っ』なんて言ったら、ビックリしちゃわないかなぁ。」

「はははっ、そりゃぁ多少はねぇ。これまでの人生に無かった事が起こるんだから、ビックリはするだろうね。」

「ね、そうですよね。だから・・・その、多少『匂わせる』くらいにしておいた方が、良いのかなぁと・・・。」

 もう十分じゅうぶん匂ってるのだが、それに気付かぬ源ちゃんの鈍感さよ。

「ふふふっ。じゃぁ今から源ちゃんとこ行って顔見せてきたら?」

「え・・・顔を、見せて・・・?」

「えぇ。」

「・・・って、どうするんです?」

「どう・・・って、ほら。顔見て一言二言交わすだけでもさぁ、随分印象が違うじゃない?」

「そう、なんですか?」

「うん。『アイツ、俺のこと気にしてくれてんのかな?』なんて思ってくれると思うよ。」

「う・・・うん。」

 あとは勢い。

「ほらっ、今から行ってらっしゃいよ。」

「え、え?今からっ?」

「ほらぁ、早くしないと源ちゃん寝ちゃうわよ。」

「でもぉ、なんて言えば・・・。」

「もう、なんだって良いわよ。顔見て一言いえば。ほら、もうこっちはいいから。」

「あぁ・・・はい・・・。」

「ほ~ら、女は度胸っ。」

「あっ、はい。い・・・行ってきます。」

「うんっ。」

 不安と勇気を両肩に背負って出ていった真輝ちゃん。

「はぁ・・・私、余計なお節介しちゃったかしらねぇ。」


 お皿を片付け終わった頃、真輝ちゃんが戻ってきた。

「はぁ・・・緊張したぁ・・・。」

「ふふ、お帰りなさい。ちゃんと、言えた?」

「えぇ・・・一応『無事に帰ってきてね』って・・・。」

「うん、なら良かった。」

 カウンターの「いつもの源ちゃんの席」の隣に座った。

「はぁ・・・なんでこうなっちゃったかなぁ、私・・・。」

「ん?」

「昔は・・・子供の頃は、一緒にいるだけであんなに楽しかったのに・・・なんか、苦しいなぁって・・・。」

「うん・・・そうね。」

 私だって、恋の苦しさのひとつやふたつ・・・。

「あ・・・お茶、いれるわね。」

「はい、すいませ・・・あ、あの・・・。」

「ん?」

ひやに・・・して、ください。」

「え?いいの?明日仕事よねぇ。」

「えぇ、いいんです。」

「うん、分かった。じゃぁ、ちょっと良いやつ出しちゃおうかなぁ。」

 大吟醸を切子のグラスに、なみなみと。

「ほいっ、今日は特別よ~。」

「はい・・・いただきます。」


 こんな具合なので、真輝ちゃんの恋の話は進展までもうしばらく掛かりそうです。

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