第28話 師匠のハチミツ

「おっ、いい感じに仕上がってるっ。」

 干物を作る網を買った。

 とは言っても、業務用の大きなのではなく家庭用の吊るしておけるやつ。

 前日に開いたアジを網に入れ二階の軒下に吊るし、文字通りの一夜干しにしておいたのだ。

「うんうん、美味しく食べてあげますからねぇ。」

 って、なんで私は干物に話しかけているんだろう・・・。変な癖がついてしまったな。

「ミャ~お。」

 猫の幸一がこちらを見上げて挨拶をした。

「あら幸一、おはようっ。今日も早いわねぇ。」

「ミャ~お。」

 物欲しげに見上げるブチ猫。

「えっなに?『僕にもそれを食わせろ』って?」

「ミャ~お。」

「もぉ、ダメよ。これは私のなんだから。」

「ミャ~お。」

 それでも食い下がる。

「ん~もぉ、分かったわよぉ。じゃぁ後で頭と骨あげるから、そこでおとなしくしてなさい。」

「ミャ~お。」

 寄り切って幸一の勝ち。


 焼いた干物と炊きたてのご飯、それにインスタントの味噌汁というシンプルな朝ご飯。最近自分の分の味噌汁はインスタントで済ましている。何より「お湯を入れるだけ」という手軽さが有り難い。

「はい、いただきますっと。」

 外から覗きこむ幸一の視線が気になりつつ、

「ん~、おいしいっ。これなら大成功ね。」

 やっぱりアジは干物にするのが一番好き。

「ミャ~お。」

「はいはい、アンタのことも忘れてませんよ。」


 食器を片付けてから頭と骨をやると、幸一はフガフガ言いながら食べ始めた。

「ねぇ、アンタそろそろ『黙って食べる』ってこと覚えたらどうなの?」

 返事もなく一心不乱に食べる幸一。

「もぉ、しょうがない子ねぇ・・・。」

 見上げると青空が広がっている。そろそろ漁師たちが戻り始める時間だ。また新しい一日が始まる。

「さぁて、今日も一日頑張るぞぉ。」



 昼過ぎに荷物が届いた。送り主には『宮下養蜂園』なんて書いてある。

「『宮下』って確か棟梁のお師匠さんよねぇ?」

 昼過ぎから呑んでる暇な大工。腕は確か。

「あぁ、そうだよ。開けてごらん。」

「え、えぇ。」

 箱を開けると、ビンが二つ入っていた。

「これは・・・、ハチミツ?」

「あぁ、師匠自慢のハチミツだ。」

「へぇ、いま養蜂園なんてやってるのねぇ。」

「いやいや『養蜂園』ってのはシャレでねぇ、手の届く範囲で養蜂を楽しんでいるんだよ。」


 棟梁の師匠の宮下さん。以前話題に上った時には「大工を引退して田舎に引っ込んだ」って話だったけど、ハチミツを作っていたなんて。


「ってことは『商売』ではなく、あくまで『趣味の範囲で』ってこと?」

「そうそうそう。で、こうやって時々送ってくれるんだ。」

「へぇ~・・・って、ココに?」

「・・・ん?」

「いや、だから。棟梁のところにでなくウチに?」

「あ、あぁそうなんだ。ウチの師匠も『ハマ屋が我が家』みたいな人だったからね。」

「へぇ・・・じゃぁ棟梁はそれも受け継いだわけだ。」

「へへっ、そういうこと。」

 と、お猪口をグイっと傾けた。

 まじまじと見ると、きれいな琥珀色。

「でも・・・どうしようかしら。ねぇ、おやっさんもコレ受け取ってたのよねぇ。」

「あぁ、そうだねぇ。」

「何に使ってたのかしら?」

「あぁ、何か料理に使っていたはずだよ。」

「うん、やっぱり料理に使ってたのね。」

「おっヨーコちゃん、何か閃いた?」

「いやぁ、閃いたって程じゃないんだけど・・・。なんとなく『煮付けに使ったら美味しそうだなぁ』なんて思ってねぇ。ねぇ、ブリ照りなんて良さそうじゃない?」

「あぁ、いいねぇ。早速作ってよっ。」

「いやぁ、ところがそうもいかないのよ。この時期美味しいブリがあるかしら?」

「あぁそれもそうだねぇ・・・。」

「・・・うん、まぁこれに関しては明日また考えるわ。」

「おっ、じゃぁ楽しみにしてようかなぁ。」

「ふふっ、まぁ明日の水揚げ次第かなぁ?」


 棟梁の師匠の宮下さんは『ハマ屋』の常連さん、というか『ハマ屋』開店時に「若ぇもんが港に店出すって言うから、みんなで盛り立ててやんねぇとな。」と尽力した人。表に立てかけてある『ハマ屋』の看板は宮下さんの手によるもので、ちょうど潰す船があったからそこから使えそうな板を一枚はがしてきて看板に仕立てたものだそうだ。

 以前棟梁が自慢げに話してくれた。

 やはり『元大工』ということだから、当然蜂たちの巣箱も自らの手で作っているんだろうけど。そうなるとそこで暮らす蜂たちは幸せ者ね、本物の大工が建てた家で暮らせるんだから。まぁ、彼らはそんなこと考えもしないだろうけど。


 さて困った、ブリ照りに勝るものを探さなくては。と、朝の港をぶらつく。

 う~ん、イカ・・・は、煮るより焼く方が好きなのよねぇ。サバ・・・も悪くなさそうだけど、サバにはやっぱり味噌かなぁ・・・。ん?このブサイクな子は誰かしら・・・。う~・・・ん?イワシ・・・イワシかぁ、うんっこれなら良さそうね。大きさも程よいし。


 仕入れてきたイワシをバッサバッサと捌き、大きめの鍋に敷き詰める。醤油にみりん、そこに砂糖代わりの「師匠のハチミツ」を入れる。スライスした生姜を入れたら火をつけ煮ていく。

「美味しいのが出来てくれるかなぁ。」

 こうやって火にかけながら、食べてくれる人の笑顔を想像するのがとても心地良い時間。

「あぁ、生姜は細く切った方がよかったかしらねぇ・・・。」


「あれぇ、ヨーコさん今日は何作ってるんです?」

 先生がいつもの時間にやってきた。

「あら先生いらっしゃい。ふふっ今日はねぇ、棟梁のお師匠さんがハチミツを送ってきてくれたんで、それでイワシの煮付けを作ってみてるのよ。」

「あら美味しそうじゃないですか、じゃぁ今日はそれをもらおうかな。」

「はぁい、もう少しでいい具合だからちょっと待っててねぇ。」

「うん、待ってるワン。」

「ワン?」

「あ、ごめんなさい。ここんところ犬の童話を書いてるもんだから。」

「へぇ~、手広くやってるんですねぇ。」

「えぇ、おかげさまで。」

 先生がいつもの席に落ち着いたところで、

「あぁ腹減ったぁ~。」

 と、漁師の源ちゃんが入ってきてた。

「何よぉ源ちゃん、入って来るなり『腹減った~』って。育ち盛りじゃあるまいし。」

「それがさぁ聞いてくれよヨーコぉ。母ちゃんがさぁ、朝飯炊き忘れてさぁ、まだなんも食ってねぇんだわ。」

 素子さんもそそっかしいところがある。

「あらぁ、それは災難だったわねぇ。」

「あぁ、びっくりだよ。炊飯器開けたら空っぽなんだもん。だからさぁ、なんかすぐに食えるの出してくれよ・・・って、なんか今日はいい匂いするなぁ。」

「あら気付いた?イワシを美味しく煮てるのよぉ。あ、なら源ちゃんこれにする?まだ少し早い気がするけど、味見てよ。」

「あぁ、なんでもいいから出してくれよ。おなかと背中がくっついちまうよ。」

「ふふふっ、子供みたい。あ、先生良いかしら、源ちゃんに先に出しても。」

「えぇ、どうぞどうぞ。」

 大盛りのご飯と味噌汁、それに煮付けたイワシを皿に乗せ源ちゃんの前に出すと、

「いただきまぁす。」

 と言い終わらないうちにガツガツ食べ始めた。なんかフガフガ言いながら食べてる幸一と変わらないわね。

「ねぇ、どんな具合?」

「ん?・・・ぅふん。」

「『ふん。』じゃ分かんないわよ。イワシの具合はどう?ちゃんと染みてる?」

「ぅん・・・あぁ。」

「だからぁ『あぁ。』じゃ分かんないって。美味しい?」

「ん~、あぁ・・・。ぅうん、うめぇんじゃねぇか?」

「ん~もうっ、何よそれぇ。やっぱり源ちゃんじゃぁ当てになんないわ、先生味見てもらえます?」

「え、えぇ。いただきます。」

 同じように定食にして先生に出す。先生のご飯は普通盛り。

「まだ少し早い気はするのよねぇ。」

「では早速、いただきます。」

 一口食べてフムフムといった顔をしている。

「先生、どうかしら?」

「えぇ、美味しいですよ。この優しい甘みが良いですねぇ。・・・まだ少し若い感じはしますけど。」

「あらぁ、やっぱり。」

「でも、ご飯によく合いますよ。」

「あぁ、それなら良かったぁ。」

 これなら火を落として少し置いておけば良い具合になるだろう。

「っは~っ、食ったぁ~。」

「なに源ちゃん、もう食べちゃったの?」

「あぁ、おかげで生き返ったよ。」

「な、なら良かったけど・・・。で、どう?美味しかった?」

「ん、あ・・・あぁ。」

「んもぉ、何よそれぇ。」

 やっぱりコイツは当てにならない。


 昼時にはこの匂いに釣られてか、いつもより多くの人で賑わった。やはり「匂いの効果」は絶大だ。

「ヨーコちゃん、このイワシ何やったの?すごく美味しいよ。」

「これねぇ、棟梁のお師匠さんが送ってくれたハチミツを使ってるのよ。」

 そうそう、棟梁のために一つ残しておかなくちゃ。


 日が傾いたころ、

「ただいまぁ。」

 と棟梁がやって来た。

「いらっしゃい棟梁。ふふっ、美味しいのが出来てますよ。」

「おぉ、早速何か作ったんだね。」

「えぇ、今出しますからね。」

「あ、あと『熱いの』ね。」

「はぁい『熱いの』ね。」

 熱燗の準備をしてからイワシを皿に乗せ、棟梁の前に出す。

「はぁい、お待たせぇ。あ、『熱いの』はもう少し待ってねぇ。」

「お、これはイワシだね?」

「そう、イワシを煮付けにしてみたのよ。」

「ほぉ~。じゃぁ、いただきます。」

 一口入れた棟梁から笑みが漏れる。

「ふふっ、いいじゃない。うん、ご飯欲しくなっちゃうね。」

「あら、ご飯もいきます?」

「うん、あ~半分だけちょうだい。」

「はぁい。」

 茶碗に半盛りのご飯を渡すと、早速ご飯に乗せ一緒に頬張った。

「うん、ふんふん。ふふっ、美味いねぇ。」

「良かったぁ。ふふふっ、お師匠さんのハチミツのおかげね。」

「あぁ、そう言ってもらえるとウチの師匠も喜ぶと思うよ。」

「まぁ、私まだ会ったことないんだけどねぇ。ねぇ、お師匠さんってどんな人?お祭りの時にでも遊びに来てくれないかしら?」

「あぁ、今度話してみるよ。」

「えぇ、お願いします。あっ、ついでに『ハチミツいっぱい持ってきて』って。」

「はははっ、ヨーコちゃんも調子がいいねぇ。」

「ふふふっ。あ、『熱いの』すぐ出しますね。」

「あぁい。」


 閉店後、鍋の底に残ったつゆが美味しそうにこっちを見ている。

「ふふっ、今日の晩御飯はこれにしましょ。」

 ご飯の上につゆをかけ、刺身の切れ端を乗せるとちょっとした海鮮丼になった。これと味噌汁があれば立派な晩御飯だ。

「私ったら、なんて贅沢な暮らしをしてるのかしら。」

 食べながら「師匠のハチミツ」をどう生かしていこうか考えていた。今回の煮付けは大成功だったけど、毎回これでは芸が無いし少しもったいない気もするし。だからって、いきなり「ハニートースト」じゃぁひっくり返ってしまうし・・・。まぁどっちにしても、まだたっぷり残ってるから当分は楽しませてもらえそうね。

「ミャ~お。」

 幸一がこっちを覗き込んでいる。

「はいはいはい、アンタのことも忘れてませんよ。」

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