第27話 船長の長い一日

「ヨーコさん、もう一本お願いします。」

「えぇ?船長、まだいくんですかぁ?」

「はいぃっ。」

「もうそれくらいにしておいた方が・・・。」

「いぃえ、もう一本・・・、お願いします。」

「・・・もう、分かりました、これで最後ですからねぇ。」

「・・・はい。」


 今日は船長が呑んでいる。

 呑まれるほどに呑んでいる。


「ちょっと源ちゃん。」

 源ちゃんを呼び寄せヒソヒソ。

「今日はどうしちゃったの?なんかあったの?」

「それがなぁヨーコ・・・、今日は母ちゃんとの『出会った記念日』らしいんだけど、なんか忘れてたみたいでさぁ。」

「へぇ、『出会った記念日』なんてあるの?」

「あぁ、それで毎年二人で小さなお祝いをしていたらしいんだけど、それを船の上で思い出してさぁ。急に『ああぁっ!』って言うから何かと思ったらこういう事でさぁ、もうそっから漁にはならねぇしブツブツ言ってるしでしょうがねぇから、悪ぃけど今日は呑ませてやってくんねぇか?」

「う~ん、そうは言うけどさぁ源ちゃん・・・。」

「いやぁヨーコの言いたいことも分かるけどさぁ、男には『呑みたい時』ってのがあるんだよ。」

「そういう、もんなのかねぇ?・・・はい、じゃぁコレ、本当に最後の一本だからね。」

「あぁ、すまんなぁヨーコ。」


 源ちゃんからお銚子を受け取り、一口飲んでから船長は立ち上がり、

「ヨーコさん、自分はぁ・・・」

 と演説を始めた。何か言うときに立ち上がるのは、遺伝なのかしら。

 相当呑んでるはずだが、ふらつくことなく真っ直ぐ立てている。さすが漁師、型は古いが時化(しけ)には強い。

「自分は、若い頃、一人前の漁師になるべく、港から港へと渡り歩きぃ、ぃっく、修行の旅をしておりましたぁ。そしてこの、雫港にやって来た時ぃ、自分は・・・自分はぁ、ひとりの、天使と出会ったのです。」

 ここでいう『天使』とは素子さんの事なんだろうけど。まぁ、大きな天使だこと。

「自分はその時ぃ、『あぁ、彼女と巡り合う為に生かされてきたのだ』と、そう信じたのであります。ぁっぷ、そして、彼女と夫婦になりぃ、それはそれは可愛い娘と、出来は悪いが元気な息子に恵まれぇ、自分は、この上なく幸せな日々を、過ごしているのでありますっ。」

 しぇべりながら段々と涙目になっていく船長。こういうところも遺伝なのかしら。

「それなのに、自分はぁ、ぃっく、自分は、彼女との出会いを、こんな幸せな日々を、与えてくれた彼女との、出会いのその日をぉ、その記念日をぉ、うっかりしていたとはいえ、わ、忘れてしまうなんてぇ~。」

 ついに泣き出してしまった。こりゃ源ちゃんより重症だわ。

「自分はぁ、うぃっく、自分は、愛するぅ、愛する妻ひとり幸せにしてやれないぃ、情けないぃ男なんです。」

「せ・・・父ちゃん、そんなことねぇって。」

『出来の悪い息子』が慰める。「父ちゃん」と語りかけたところは気が利いている。

「なぁ俺たちだって・・・、俺も美冴も、もちろん母ちゃんだって、父ちゃんのおかげで、ず~っと幸せにやってこれたんだぜぇ。そりゃなぁ記念日も大事かもしれねぇけど、たかが記念日だろ?」

「・・・で、でも、お、俺はぁ・・・。」

 船長の一人称が「俺」に変わった。

「それになぁ父ちゃん。自分の愛した女が、そんぐれぇの事でヘソを曲げるような肝っ玉のちっちぇ女だと思うかい?」

「お・・・げ、源・・・お前ぇ・・・。」

 涙の止まらない船長が、源ちゃんをギュッと抱きしめた。いや、これはヘッドロックか。

「源~お前ぇ、しばらく見ねぇウチに、随分と立派になったなぁ~。」

 毎日一緒にいるはずなんだけど、まぁいいか。

「いてっ、いてぇよ父ちゃん。」

「源~・・・お前、立派にぃ・・・。お・・・俺はぁ・・・素子ぉ、素子ぉ~っ。」

 泣きながら叫ぶ船長。


 するとガラガラっと戸が開き、

「なんだいお前さん、昼間っから人の名前叫んだりしてぇ。」

 大きな天使が現れ・・・いや、素子さんが現れた。


「おぉ、も・・・素子ぉ~、ごめんよぉ、俺はぁ、こんな大切な、お前と巡り合った、こんな日をぉ~・・・。」

「もう、お前さんったらぁ・・・。」

 素子さんがとてもやさしい表情で船長を見ている。なるほど、これは『天使』だ。

「いてぇって、なぁ母ちゃん助けて。」

 源ちゃんへのヘッドロックはまだ決まっている。

「ほぉらお前さん、源ちゃんが痛がってるわよ。」

 と肩をポンポンと叩くと、

「お、おぉ。」

 やっと解放された源ちゃんは、なぜか私の方へ。

「ちょっとあんた、なんでコッチ来るのよ。」

「そりゃ・・・俺があそこにいたら、邪魔だろ?」

 意外と気をつかう源ちゃん。おでこのあたりが真っ赤だ。

 素子さんは船長を見つめて、

「そりゃぁ、あたしだってねぇ。毎年毎年ちゃんとこの日をお祝いしてきたから、今日は『あぁこの人、忘れてるな。』ってちょっと寂しかったけど、人間生きてりゃ、たまには忘れてしまうこともあるでしょうよ。」

「・・・うぅ~、ごめんよ~・・・。」

「あぁもう、そんな顔しなさんな。そりゃぁねお前さん、あたしたちにとっては大切な記念日だけど、たった一回すっぽかしたぐらいで怒るような、そんなちっちゃい女に私が見えるかい?」

 横に並ぶと素子さんの方が頭ひとつ大きい。

「・・・うぅ素子ぉ・・・。」

「それにねぇお前さん。あたしは、お前さんが、毎日無事に帰ってきてくれれば、それでいいのよ。」

「も・・・素子ぉ~。」

 再び大泣きする船長を、素子さんはギュ~っと抱きしめた。

「ねぇ、お前さん。あしたもちゃんと、あたしのところへ帰ってきておくれ。」

「・・・う、うぅ~・・・。」

 そのまま船長は、素子さんの胸の中で息絶え・・・いや、眠ってしまった。


 立ったまま寝てしまった船長をなんとか椅子に座らせると、そのままテーブルに突っ伏してしまった。

「よいしょっと。はぁ、このままほっときゃ、そのうち起きるでしょ。・・・あぁごめんねぇヨーコちゃん、ウチの人が随分と・・・。」

「いやぁ、いいんですよ素子さん。なんでも男には『呑みたい時』ってのがあるそうですから。ねぇ、源ちゃん。」

「あ、あぁ・・・。」

「ふふっ、源ちゃんも酔っぱらった父親の面倒を見るなんて、立派になったのねぇ。」

「しょ、しょうがねぇだろぉ。父ちゃ・・・船長の、あんな姿見てらんねぇもん。」

 呼び方を「船長」に戻した。

 満面の笑みを浮かべた素子さんは、

「もう、源ちゃんったらカワイイっ。」

 そう言って源ちゃんを抱きしめた。幸いヘッドロックではないが、苦しそうだ。

「んん~っ・・・。」

 もがきながらタップする源ちゃんに、

「もぅ、ヨーコちゃんの前だからって照れなくてもいいのに~。」

「そうよぉ、源ちゃん。親子なんだからいいじゃない。」

 私は少し追い打ちをかける。

「んあっ、そうじゃねぇって。母ちゃんのコレは苦しいんだって。」

 必死に抜け出しそう訴える源ちゃんを、素子さんは再びギュッとして、

「・・・ホントに、立派になったのねぇ。あんたはあたしの、自慢の息子よ。」

 そう、しみじみと伝えた。

「・・・ぁ、ありがと・・・。」

 今度は息苦しくないように配慮した形になった。


「この人は若い頃ねぇ・・・」

 素子さんは船長との話を始めた。

「この人は若い頃ねぇ、単身でアチコチの港を回ってたのよ。なんでも漁師の三男坊だから、『自分の居場所は自分で探さなければ』って思ってたらしいんだけど。でね、コッチに来た時になんでか真っ先にウチに髪を切りに来たのよ。それで『お兄さん見かけない顔ねぇ』なんて話しかけながら切ってたんだけど、ふふっ、この人ったらそのまま寝ちゃってね。で、寝てる人の頭やるの危ないし、あまりにも気持ちよさそうに寝てるもんだから、そっとしておいてあげたの。」

 話ながらも時折やさしい表情で船長の方に目をやる素子さん。

「そしたらこの人、目を覚ますなり『あぁ、すいません。あなたの話声があまりに心地よかったので、つい居眠りを・・・。』なぁんて映画スターみたいなこと言うから可笑しくて笑っちゃったら『僕、何かおかしなこと言いました?』だって。ふふっ、でね、聞いたら漁師でアチコチ回ってるって言うから、『漁協には挨拶に行ったの?』なんて訊いたら『いえ、まずは身だしなみを、と思いまして・・・。』って。ねぇ、律儀なんだか順番が逆なんだかよくわかんないでしょ?」

 船長の「飲み残し」を一口。

「で・・・『当面は雫港にいる』って事になって。それからは、年が近いのもあってよく話すようになってね。あっ、あたしの方が三つ上なんだけど・・・。でね、段々と『この人、ずっとココにいてくれないかなぁ・・・。』って思うようになってねぇ。」

 にわかに両親のなれそめを聞くことになった源ちゃん。

「この人もそうするつもりになってたと思うんだけど、やっぱり『もっと北の海も見てみたい』って言いだしちゃって。あたしとしては、もうその頃には一緒になるつもりでいたから『イヤっ』って言ったんだけど、この人ったら『僕は必ず素子さんのところへ戻ってきます、そして、この雫港で生き続けます。』なぁんて言うもんだから、もう『待ってます』って言うしかなくなっちゃってね。」

 船長はまだ寝ている。

「でもね、それからな~んの音沙汰もないもんだから、ほら、それこそ手紙ひとつよこさないから『あぁ、あたしは良いように遊ばれてたんだぁ・・・。』なんて思ってたの。そしたら一年くらいしてひょっこり現れて『今日が何の日か分かりますか?』って。・・・まぁあたしとしては、帰ってきてくれただけで嬉しいからそんなことはどうでも良かったんだけど、『え、何の日?』って訊いたら『今日は僕と素子さんが出会った日です。』って。」

 男の人の「粋な計らい」って時にうざったい。

「で、その時この人が『これ、今北海道で話題のお土産なんです。』って持ってきたのが『白い恋人』なのよ。」

「あぁ、それで母ちゃん『白い恋人』好きなんだぁ。」

「ふふっ、分かってもらえたかしら?」

 うん、納得。

「それでもう、すぐこの人と一緒になって、で・・・」

 バシッと源ちゃんの肩を叩く。

「あんたが生まれたって訳よっ。」

「おぉい、随分と間を端折ったなぁ。」

「おやぁ~、なんだいあんた、両親の『夜の営み』を事細かに聞きたいってかぁ?」

「なに源ちゃん、そんな趣味があるの?」

「ば、バカぁ!そんなんじゃねぇよぉ。ほ、他にいろいろあるだろぉ、ほら、ご両親への挨拶とか、結婚式の話とかぁ、ほらぁ・・・。」

 源ちゃんがあたふたする姿を見て楽しんでいるのは、私だけではないようだ。

「もう、源ちゃんったらカワイイ。」

「あぁっ、ヨーコにそれ言われると、なんか腹立つなぁ。」

「ん?素子さんにならいいわけ?」

「そ、そりゃぁ『母ちゃん』だからなぁ・・・。」

「ふ~ん、源ちゃんのそういうとこ、やっぱりカワイイ。」

「あぁも~、だからヨーコには言われたくねぇって。」

「あらぁいいじゃない、源ちゃんカワイイんだから。ねぇヨーコちゃん。」

「も~、母ちゃぁん。俺そんなにカワイくねぇって、自分で鏡見て分かってるからぁ・・・。」


 結局その後、なかなか目を覚まさない船長を素子さんは担いで帰っていった。

「もう、たいして呑めないのに無理するからぁ、・・・もう。」

 最後の「もう。」に愛情が籠っている。


 帰り際に源ちゃんが、

「ヨーコ・・・、俺は、ずっとココにいるから、な。」

 なんて言い出したので可笑しくなった。

「いてもいいけど、源ちゃん。ふふっ、そのセリフ、言う相手が違うわよ。」

「へ?・・・え、えぇ?」

「もう、源ちゃんったら鈍感ね。」


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