第15話 誕生日(鈴木の場合)
今日もデスクワークに追われている。
漁獲高、競りの開始時刻、売上高、漁船の燃料費、ホームページの更新・・・
いくら小さな漁港とはいえ、これらの処理を一人で全てやるのは、やはり無理があるように思う。
一応パートの晴子さんに雑務や電話対応をしてもらっているが、彼女はパソコンが苦手なので、結局一人でこなす事になる。
もっとこの雫港漁港が栄えてくれれば、人を雇うこともできるのに・・・。
今日もパソコンと格闘していると、珍しく棟梁が訪ねてきた。
「鈴木ちゃん、ちょっとイイかい?」
「えぇ、大丈夫ですよ。」
・・・ホントは良くない。
「今日はどうしたんです?」
「ぃや~・・・ちょっと、聞きたいことがあってねぇ。」
「預金残高なら教えませんよっ。」
「そ、そんなこと聞かんよ。・・・いやぁ、ヨーコちゃんの誕生日をだねぇ・・・。」
「ヨーコさんの誕生日ですか?・・・なんでまた?」
「ぃや~、この間さぁ・・・ヨーコちゃんのところで『母の味』の話になってさ、なんか懐かしくなって、かぁちゃんに電話してさぁ、まぁ親孝行の気持ちもあったんだけどさ・・・。」
「えぇ、それで・・・?」
ゆっくり話し込んでいる余裕はない。
「そしたらさぁ『あんた私のこともいいけど、今お世話になってる人のことも大事にしなさいよ。』なんて言われちゃってさ。」
「それで・・・ヨーコさんの誕生日?」
「あぁ『今お世話になってる人』って言ったら、やっぱりヨーコちゃんだろ?」
「えぇ。」
「そんなら誕生日くらいは知っておかないと、でもまさか本人に直接聞くわけにいもいかないじゃない?」
「ぇえ、そうですね・・・。」
「だから、鈴木ちゃんに聞けば分かるんじゃないかなぁって。」
そうやってみんなが頼るから、僕の仕事が増える。
「それなら、ヨーコさんの履歴書を見れば分かりますよ。」
え~っと確か、ファイルに入れて、この棚のこの辺に・・・
「・・・あぁ~、ありました。」
「おぉ~、さすが鈴木ちゃん仕事が速いっ。」
速くしないと終わらないからです。
「え~・・・っと、誕生日は・・・あっ」
大変なことに気が付き、
「あぁ~っ!」
柄にもなく大きな声を出してしまった。
「ど、どうした鈴木ちゃんっ。」
「よ、ヨーコさんじゃなかった・・・。」
「なんだ間違えたんなら、さっさとヨーコちゃんの履歴書出してくれ。」
「ぃ、いやそうでなくて、・・・ここ。」
『オガワ ヒロコ』
しっかりフリガナがふってある。
「・・・え、じゃナニかい?ヨーコちゃんは『ヨーコ』じゃなく『ヒロコ』だった、ってのかい?」
「・・・どうやら、そのようです。」
「でもあぁた、鈴木ちゃん、最初に会った時『こちら小川ヨーコさん』って紹介しなかったかい?」
「え、えぇ確かに、で、でもだって『洋子』って字で見たら『ヨーコ』って読んじゃうじゃないですか、ねぇそれにヨーコさんだって・・・」
訂正する間も与えずしゃべり続けたことを思い出した。
「・・・あぁ~・・・。」
これを「はやとちり」と言うのか「早合点」と言うのかはよく分からないが、僕のせいで港のみんなが『ヨーコさん』と間違えたまま呼び続けてしまっている。
またそれを、受け入れてしまっているヨーコさんの懐の深さと言ったら・・・
「で、鈴木ちゃん・・・どうするよ。」
「で・・・ど、どうって・・・?」
「だから・・・これを知ってしまったからには、もう『ヨーコちゃん』って呼ぶのは失礼な気がするし、だからっていきなり『ヒロコさん』って呼ぶのはあまりにも不自然だし・・・。」
「え、えぇそうですよねぇ・・・あ、誕生日・・・え~、三日後ですね・・・。」
「えっ三日後?・・・って今それどこれじゃ・・・。」
「え、えぇ・・・っあ、」
ちょっと閃いた。
「『それどころ』にしましょう。」
「は?『それどころにする』って、どういう日本語?」
「ですから・・・、あの~何か考えますので、明日あさイチで来てください。」
「あ、あぁ分かった。じゃぁ鈴木ちゃん、頼むよ。」
また、仕事がひとつ増えてしまった。
そりゃぁ狭い港町だもの。
この話はその日のうちに広まった。
ヨーコさんの誕生日が三日後であること、
僕がその日に何か企んでいること、
そして・・・、
ヨーコさんが、ホントは『ヒロコさん』だってこと。
この港の人たちが正直者なのは分かっていたけど、まさかここまで嘘がつけないとは思わなかった。
これじゃまるで「私たち、隠し事しています。」って言っているみたいじゃないか。
平然としていられるのは、学生時代に演劇の経験のある作家のみなと先生くらいなもんか。
きっと、勘の良いヨーコさんの・・・いやヒロコさん・・・あぁ・・・彼女のことだから、自分の誕生日に僕が何か企んでいることくらいは気付いてしまっているだろう。
あぁ、困ったもんだ・・・。
翌朝。
「鈴木ちゃん、どんな塩梅だい?」
「えぇ、ちょっとコレ見てもらえます?」
夜に書いたイラストを見せる。
「お、ん?なんだい?・・・マンホール?」
「・・・一応、誕生日ケーキです。」
画力に難あり。
「おぉっ、そうかそうか。」
「で、この真ん中のメッセージプレートに『ハッピーバースデー ヒロコさん』って入れたら、見せた時の驚いてくれるんじゃないかなぁ・・・と。」
「おぉっ!イイじゃねぇか鈴木ちゃん。これならヨーコちゃ・・・あ、あの方も喜んでくださるだろうよ。」
「・・・え、えぇ。」
この調子で当日まで持つだろうか。
「じゃあまた帰りに寄るから。」
と棟梁は仕事に向かった。
横須賀にある老舗の洋菓子店に電話を入れ、ケーキの予約をする。
二日後にもかかわらず快く受けてくれ、細かい点は「後ほど来店する」という事になった。
夕方やってきた棟梁に、準備は万端であると伝えると、
「おぉっ、それなら良かった。さすが鈴木ちゃん、仕事が速い。」
と『ハマ屋』へ向かった。
僕はまだ仕事が残っている、今日も定時には帰れない。
そして当日。
サッサと片付けるつもりだった仕事にやや手間取り、洋菓子店への到着が遅れた。シンプルで美しいケーキに仕上がっている。このケーキに35本もロウソクを立てると台無しになってしまうので、メッセージプレートの隅に「35」と入れてもらった。
予定の時刻から少し遅れて『ハマ屋』へ。
ケーキでふさがった両手でなんとか戸を開けようとしていると、棟梁が中から開けてくれた。
「あぁあのぉ・・・こ、こちらをお持ちしましたぁ。」
ここまで来てひっくり返したんじゃシャレにならないので、慎重に慎重にカウンターに置く。
「さ、どうぞ、開けてみてください。」
「まぁ、何かしらねぇ・・・」
彼女が勿体つけたようにゆっくりと箱から出す。
と、驚きを隠せない表情を見せた。
あのメッセージプレートが目に留まったのだろう。
「・・・ぇ、えっ・・・えぇ~っ!?」
(つづく)
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