第6話 ハマ屋に来た日(後)

 横須賀からバスで25分ほど、

『雫港漁港前』

 で降りると、漁協は目の前にあった。


「あの~・・・鈴木さんは・・・?」

 パソコンと格闘していたメガネの男性が立ち上がり

「鈴木は私ですが?」

「あ・・・先日連絡をしました小川です。」

「あぁっ!『ハマ屋』の件の、どうぞどうぞコチラへ・・・」

「はぃ、失礼します。」

 促された席に着き、履歴書を手渡すと

「はい、小川さん・・・小川ヨーコさん」


「あっ、いえ、『ヨーコ』でなく『ヒロコ』です・・・」


 と、訂正する間もなく

「あぁっ『管理栄養士』の資格もお持ちなんですね!それは心強い。」

 と畳みかけられてしまった。


 フリガナを振り忘れたかしら・・・?


 こちらの様子には構わず続けて、

「それとですねぇ、申し上げにくいのですが求人票には書き忘れてしまった事がありまして・・・」

「ぁあ、はい、なんでしょう・・・?」

「出来たら『住み込み』で来ていただきたいのですが・・・?」

「はっ・・・え・・・?」

 鈴木は遠慮がちに、

「あの、食堂の二階が住居になっていまして・・・、漁師は朝が早いものですから・・・」

 この申し出には、いささか驚いた。


 父と暮らしたアパートは、ひとりで暮らすには広すぎるし、家賃も大変なので、いずれにしても引き払うつもりでいた。

 父との思い出がひとりの寂しさを増幅させる気もしていた。


「あの、そういうことでしたら、そういうことでも、私は構わないのですが・・・。」

 あいまいな返事をしたところで、条件面の話になった。

 書類上は漁協の職員という扱いになること、家賃と水道光熱費は漁協が負担すること、仕入れと経理は漁協が行うので帳簿の記入だけで良いことなど、意外なほどの好待遇の準備ができていた。


 そこまでして守りたい『ハマ屋』って・・・。


「ここで話してても分からないこともあるでしょうから、お店の方見てみませんか?」

 漁協を出ると『ハマ屋』はすぐ目に入った。

 店先で大工がひとり作業をしている。

「棟梁、来ていただきましたよ。」

「おぉっ、鈴木ちゃん。こっちもそろそろ終わるよ。」

 鈴木が紹介する。

「こちら『ハマ屋』の常連で大工の佐々木さん。棟梁、こちら小川ヨーコさん。」

「ようこそ雫港へ!いやぁ~こんな若い方に来ていただけるとはねぇ~。」

「ぃや棟梁、まだ『決まり』という訳ではないんですが・・・」

「あっいやぁ、こりゃ失敬。さっまぁ中へどうぞ、すっかり仕上がってますから。」

 また訂正する機会を逸してしまった。


 店内に入ると、大工が言うように「仕上がっている」ようで、若い木材のにおいがする。それでいて「新品感」の無い仕上がりは、常連客のなせる業だろう。

 L字のカウンターがあり反対側に小ぶりなテーブル席が3つある、理想的な「漁師町の食堂」だと感じた。

「お風呂とトイレは新しくしてありますから、一応確認しといてください。」

 大工が店内に入りながら言うと、鈴木が引き取って

「棟梁は『ハマ屋を再開する』って言ったら、大喜びで修繕を引き受けてくれたんですよ。」

「そりゃぁさぁ鈴木ちゃん、ココがねぇと俺たちゃ調子が出なくてさぁ。」

「あの・・・メニューはこれだけですか?」

 壁にかかったメニュー表に目がとまる。

  刺身定食

  焼き魚定食

  フライ定食

「えぇ、基本的にはこの3つだけなんですよ。」

「あと『お酒』ねっ。」

 大工が補足する。

「他にもなくは無いのですが、その辺のことは、棟梁の方が詳しいですので・・・」

「そうそう、他にも『隠しメニュー』があったりするからね。」

「レシピのようなものは無いんですか?」

「それがねぇ、おやっさんの遺品を整理してた時にも出てこなかったんだよねぇ。」

「そ、そうですか・・・。」

「ぅん、その辺は俺らの『舌』を頼ってもらえると、いいんじゃないかな?」

 大工が笑って見せる。

「じゃぁ鈴木ちゃん、看板の方は家持って帰ってやるから、3日くらい預かるね。」

「はいっ棟梁、ありがとうございましたぁ。」


 大工が去ったあと、カウンターの中に立ってみる。

 無駄のない導線に仕上げられたキッチンに、店主の腕の良さが見て取れる。

 そして、ここからの景色。

 とても落ち着く。

 ふとカウンターの隅で、父が笑っているような気がした。


「ここで生きてみるのも、いいかな・・・。」


 こうして私は、

 ハマ屋の主人になった。

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