「あなたは、あかねのことを何だと思っているんですか」

「家族に決まっているじゃない。私がお腹を痛めて産んだ子なんだから当然でしょ?」

 【魔女】は、あかねに対して行ったことを『教育』だと言っていた。だが僕には、ストレスのはけ口として使っているようにしか見えない。まるで道具扱いじゃないか。

「確かに私は、あの子の能力を使っていた。でもそれは、家族の助け合いよ」

 助け合い? 一方的にストレスを押しつけているだけではないのか。

「私は、この家で使用人として働いてお金を稼ぐ。でも秋葉市は、地方の一都市でしかないの。賃金も安いから、いくら名家の家政婦といっても稼ぎなんてたかが知れている。だから私は、金持ち男の愛人になった。あの子と二人で暮らしていくためにそうしたの。でも当然、そんなことを続けていけばストレスが溜まるわ。だから、あかねに助けてもらっていたのよ」

「不倫でお金を稼いだりストレスを押しつけたりするなんて間違っている。もっと他に……」

「【秋葉】のお坊ちゃんが何を言っているの。その日食べる物に困ったこともないあなたに、私の生き方を否定する権利はないわ。この国で母と子二人だけで暮らす大変さが分かるの?」

 母親としてお金を稼ぎ、かわりにあかねはストレスを受け入れる。

 それが【魔女】の言う助け合いというものか。

 まさにギブアンドテイクだが、そんな関係が家族といえるのだろうか。

 僕の視線で言いたいことに気がついたのか、【魔女】がまた笑った。

「私から見れば【秋葉】の家族、いえ一族の関係の方がずっといびつに見えるわ。家のための利益、秋葉市のための利益、常に自分たちにとって利益になることしか考えていないじゃない」

 確かに歪かもしれない。

 けれど、【魔女】にそんなことを言う権利はない。資格もない。

「あなたの愛情は、歪んでいます」

「たとえ歪んでいたとしても私の愛は純粋よ。なぜなら、親としてあかねを愛しているから」

 あなた達はどうなの、と目で訴えてくる。

 確かにこの家には、お互いの利益のための協力関係、血縁による結びつきはあっても、家族愛は存在すると……断言できない。


「また責めているみたいに言ってしまってごめんなさいね。【秋葉】真実さん」

 【魔女】の謝罪が耳に入ってこない。だがレッテルだけは、嫌でも耳に入る。物心ついた頃から言われてきたせいだ。秋葉市、秋葉駅、秋葉駅前商店街といった風に名詞として聞けばレッテルだと感じない。しかし、【秋葉】を強調されると嫌でも意識してしまう。

「あの子を選んでくれてありがとう。あの子を救ってくれてありがとう」

 【魔女】の感謝の言葉が聞こえてきた。僕はまた深く悩む。

「僕は打算や利益で助けていません。もちろん、愛や恋という理由でもないです」

「大丈夫よ。あの子を選び、助けたという事実。今はそれだけで十分よ」

 【魔女】が優しく微笑みかける。その顔は、娘のあかねと重なって見えた。

「最初は傷ついた者同士、傷を舐め合ったらいかがですか」

 何を言っているんだ、こいつは。【魔女】が一歩こちらに近づく。

「あの子は『おまじない』を使うことを拒否した。けれど、あなたが命じれば喜んで使うわよ。それがあの子の生きがいで、私がそういう風に育ててきたから」

 その言葉に怒りを覚える。

 【魔女】の呪いとも言える家庭教育には反吐へどが出る。

「命じても無駄ですよ。もう能力を使わないように、僕と約束しましたから」

「それならもう一度約束させればいいのよ。今後は自分のためだけに使え、と」

 確かに優しすぎる彼女ならそう言えば約束しかねない。

 【魔女】がさらに一歩近づく。

「【秋葉】の家に生まれたあなたも、そういう風に育てられてきたのよね」

「違いますよ。僕は、一族の人間のように人を使役して利益を生み出すなんてできない」

 すぐさま否定する。僕には祖父や父、母や兄のような才能はないのだから。

「あなたは一族の生き方を否定しているみたいだけど、考え方は誰よりも一族らしいのよね。他人が自分にとって有益か無益か、打算的かつ合理的に判断する。ねぇ、【秋葉】真実さん」

 言葉の刃が突き立てられ、傷痕が開いた感覚に陥る。

 だが僕は、そのどちらも否定する。

「違います。昔から僕は、そんな血も涙もない考え方が嫌いで、憎んでいるから」

「それならどうして私のことを追放するのかしら。あの子を救うだけなら別の方法もあるじゃない。あの子の傷痕を学校や児童相談所、医療機関に見せたら良い。それではダメだったの?」

「考えなかったわけじゃない。でも、これが最も効果的な方法だと思ったからです」

「不倫を告発することが? あなた本当は、親族会議の末席を狙っていたんじゃないの?」

 苦しい言い訳を絶対に見逃さない【魔女】。

 どんどん追い詰められていく僕。

「傷痕を舐め合って、慰め合って、癒し合って、愛し合って、依存し合ったらいかがですか」

 まさか、あの時の光景を見られていたのだろうか。

 とうとう【魔女】が目の前まで来た。

「そしていつか、あの子と家族になってくれたら嬉しいわ。傷物の娘で申し訳ありませんが、末永く宜しくお願いします。【秋葉】真実さん」

【魔女】が僕の耳元で囁く。

 その体からは、どうしようもないほど――女の匂いがした。


 僕は【魔女】の言葉に翻弄されてしまっている。

 頭では、聞かなくていいと理解している。けれど心の中では、これで本当に良かったのか、僕は正しい選択をしたのかと疑っている。

 あかねを救ったけれど、このまま【魔女】と引き離すことが正解なのか。

 僕といっしょにいることで、今度は僕に『おまじない』を使おうと依存しないか。

 親族を告発することの真意は、僕が親族会議に参加するためだったのか。

 津川先輩に対して言った、利用していいという言葉は、僕が一族の人間だからか。

 蒲原に対しての説得も、今考えたら合理的とか現実的とか言ってしまった。

 僕は心から三人を救いたかったのか。本当は、優しく甘い言葉をかけて自分の都合で使う駒が欲しかったのではないか。将来のための人脈作りの一環と少しでも考えなかったか。

 そもそも【秋葉】の家風が嫌いな僕が、どうして一族が創設した秋功学園に進学したのだ。一族の掟、親族会議で進路決定されたという理由もある。けれど、優秀な人材と親交を深めておけと言われ、素直に従ってしまった。本当に嫌なら選ばない。

 家族に対して、親族に対して、僕はいつも様々な感情を抱いている。疑問や不満、嫌悪や憎悪など。

 それなのに……。

「僕は、知らぬ間に、【秋葉】の生き方を、選んでいた……?」

 一族の生き方を嫌い、否定し、拒んできたはずなのに。とんだ間抜けである。

「あなたをそんな風に育てたのは、誰かしらね。【当主】として絶対的権力を握っている御祖父様? 【次期当主】が決定しているお父様? 【女王】と畏れられているお母様? それとも【神童】と期待されているお兄様?」

 【魔女】がニヤニヤと笑いながら問いかけてくる。僕の目に涙が溜まる。

「誰でも、ない。僕は、昔から、皆に、否定されていた。だから、いつも、泣いていて……」

 そうだ。僕はいつも一人だった。

 だからあかねが僕を見つけてくれて、手を握ってくれた時、本当に嬉しかった。

 友達というより家族ができたという風に感じた。

 僕を見てくれて、怒らないでいてくれて、殴らないでいてくれて、否定しないでいてくれる。周りには、今までそんな人がいなかったから。

 気づけばボロボロと涙がこぼれていた。

 そんな僕を【魔女】が優しく抱きしめてくれた。

「辛かったわね。ずっと我慢していたのよね。でも、もういいのよ。個人を尊重しない教育なんて間違っているわ。あなたは【秋葉】として異質でも、その生き方は間違っていないのよ」

 【魔女】が腕を緩めて僕を離す。それから目と目をしっかり合わせて話す。

「男も女も、自分を支えてくれて甘えさせてくれる、そんな存在を求めているもの。だから、あなたはあかねを使い、あかねはあなたに甘える。お互いに利益があると思わない?」

 これはまずい、と頭では理解している。

 だが心の中では、誰かに支えてもらいたい、甘えたい、という感情も渦巻いている。

「家族は助け合いよ。それにあかねを選んでくれれば、私とも家族ということになるわね」


 【魔女】の呪いが僕の心を少しずつ蝕んでいく。そんな感覚に陥る。

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