「おいおい。【魔女】の甘い言葉に騙されるなよ。お前はもらった毒りんごを疑いもせず、丸かじりするような奴じゃないだろ。屁理屈と嘘を並べて、逆に毒りんごを食わせるのがお前だろ?」










 その懐かしい声を聞いて、すぐに【魔女】と距離を取る。


 それから背後を振り返った。


「よう。地獄の底から帰ってきたぜ!」


 なぜか全裸の若い男が仁王立ちしていた。
















 頭が痛い。

 気分も悪い。

 幻覚だと思いたい。

 もう一度見るが、やはり真っ裸の男が立っている。

 いつもの黒いスーツはどうした、幽霊。

「地獄で見知らぬ婆に身ぐるみ剥がされたから逃げてきた。いや、マジで危なかったぜ」

 もう少しマシな嘘はつけないのか。せめて葉っぱか何かで股間を隠しておけ。

 だが、あまりに馬鹿馬鹿しいものを見たおかげか、思考を整理することができた。

「あなたは、これからどこに行くんですか」

「そうね。この国の首都、中央にでも行こうかしら。今までは中年の男たちばかりだったから、今度は若くて将来有望な男を見つけるのもいいわね」

 あかねといっしょに離れ屋を片づける約束があると嘘をつき、僕はその場を離れることにした。

「最後に、一つだけ教えてくれる?」

 逃げるように立ち去ろうとしていた僕に【魔女】が声をかけてくる。

「なんですか」

 振り返らずに僕は、背中越しで【魔女】の問いかけを聞く。

「どうしてあなたは、私の【魔女】、あかねの【傷女】という呼び名を知っているのかしら」

 やはり【魔女】の言葉は心臓に悪い。

 【秋葉】家直属の探偵に調べさせた、と嘘をついてごまかす。

「あなたは【嘘つき】ね。私を【魔女】と呼んだかつての親友は、もうこの世にいないわよ。遺書に『【魔女】に殺された』と書いて自殺してしまったもの」

 あまりの衝撃発言に思わず振り返る。

 【魔女】は、楽しそうに笑っている。

「言っておくけど、私は殺していないわよ。でも男を取られたくらいで死ぬなんて馬鹿みたい」

 幽霊のおかげで助かった。

 数分とはいえ、こんな性根の腐った人間の言葉に惑わされていた。そう思うと、自分の弱さが嫌になる。もっと強くなる必要があると確信した。

「僕は……あかねに能力を使わせません。あなたに【傷女】とも呼ばせません」

「【傷女】……ね。傷を与えるから、傷を受け入れるから、傷がつくから、色々な意味を込めて【傷女】と名付けたのだけど。あなたは、どうしてそれを知っているのかしら」

「あかねに教えてもらったんですよ」

「ほら、また嘘をつく。あの子は、約束したことを必ず守る子よ。口外するわけないでしょ」

 確かにそうだ。あかねは、どんなに辛く苦しくても直接助けを呼べないでいた。だから僕に、大丈夫か、と問いかけることで遠まわしに助けを求めていたのだ。【傷女】と呼ばれていることを話してはいけない、と言われたら、どんなことがあっても話さないだろう。

「もしかしてあなた、他人の呼び名が見えているの?」

 ほとんど正解に近い。だが僕は表情にも声にも出さない。

「いえ、違うわね。呼び名、イメージ、評価……レッテルが見えているんじゃないの?」

 今度は見事に当てられた。心の傷を与えたり受け入れたりする能力があるのだ。レッテルが見える能力があると考えてもおかしくないか。それでも僕は、何も言わない。

「もしそんな能力が本当にあるとしたら、おもしろいわね。あなたにレッテルを付けてあげる。そうね、あの子が【傷女】で、あなたはよく笑っているから……【笑年】なんてどう?」

 【魔女】は楽しそうに笑っている。僕は苦笑した。

「【笑年】……僕はそんなに笑っていますか?」

「いいえ。あなたの笑顔が嘘をついているように思えるからよ」

 【魔女】は笑う。僕は笑わなかった。

「作った笑顔を浮かべて、優しくて甘い言葉をかけて、自分に依存させて心酔させる。やはりあなたは異質ね。【秋葉】真実さん」

「おい。こんな話聞くなよ、真実」

 【魔女】の言葉を聞かせないように、幽霊が目の前に現れる。

 全裸で。これはこれで苦痛だ。

 目のやり場に困って遠くを見ると、いかにも高級そうな車がこちらへ走ってくるのが見えた。その車は、エンジンをふかして大きな音を出して門の前で止まった。運転席には、派手な髪色の若い男が座っている。彼もまた、【魔女】の色香に魅了された男の一人だろうか。

「誰だ。【魔女】のアッシー君か」

 幽霊がそんなことを口走った。アッシー君とは何だ。外来語か何かだろうか。

 アッシー君と評された運転手の若い男が【魔女】の荷物を車に積み込んでいく。【魔女】は、それを黙って見ている。僕も手伝う気がないので何もしない。数分で全ての荷物を積み終え、【魔女】が車の助手席に乗り込んだ。そして車の窓を開けて話しかけてくる。

「どうしてあの子が、庭で泣いているあなたに『おまじない』を使ったか、分かる?」

 【魔女】は、ニヤニヤと笑っている。アッシー君は、不機嫌そうにこちらを見ている。

「あなたの策略でしょう。誰にも言ってはいけない、誰にも使ってはいけないと約束していたのに、見ず知らずの僕に使うなんて怪しいと思いましたよ」

「あら、気づいていたの。残念」

 そういう割に嬉しそうに笑っている。

 僕がそれに気づいたのは、つい最近のことだが。

「でもあの子は、約束を守っただけ。あなたにも『おまじない』を使っていいと告げただけ。だからあの子を責めないであげて。あの子は、何も知らなかったんだから」

 あかねは何も悪くない。悪いのはいつも【魔女】だと、いにしえの物語から決まっている。時代や土地が違えば【魔女】には、傾国けいこくというレッテルが貼られていたかもしれない。

「そんなにもこの家との繋がりが欲しかったんですか。たかが田舎の権力者一族なのに」

 【魔女】は、元々この町の人間ではなかったはずだ。

 それなのにどうして……と疑問に思う。

「都会側、西側、0番街側の人間にとって、昔から【秋葉】の家は羨望と畏敬の対象なのよ」

「え……あなたは……」

 詳しく聞こうとしたら、車は急発進して行ってしまった。直後に強い風が吹き、思わず目を閉じる。目を開けた時には、その姿が見えなくなっていた。

 

 しばらく門の前に座り込んで考え込む。これからどうするか、と。

「なんだよ。ぺったんちゃんの部屋の掃除を手伝うんじゃないのか」

「あれは【魔女】から逃げるための嘘だよ。ていうかお前、その格好はどうしたんだ」

 つい先ほどまで全裸で立っていたはずの幽霊が服を着ている。

 黒いスーツ、白いワイシャツ、紺色のネクタイ、黒の革靴。初めて会った時と同じ服装に戻っている。地獄で何者かに衣類をはぎ取られたのではなかったのか。

「PPを消費して衣類を作ってみた。意外とイケるもんだな」

 だからPPって何だ。どういう仕組みだ。万能すぎるだろ。

「なあ、お前のレッテルは何なんだよ」

 幽霊が僕の正面に立って聞いてくる。その表情は真剣だった。

「さっき付けられたばかりの【笑年】。それと【秋葉】だよ。この町では、一族の苗字が有名なんだ。市名の由来にもなっているし、市長をやっていたこともあるし、政治家とか企業経営者、医者や弁護士の親戚も多い。だから周りの大人には【秋葉】の子って言われ続けた」

 僕は少しもごまかさず、正直に話してから立ち上がる。それから離れ屋に向かうことにした。逃げる口実として言ったものの、あかねが離れ屋の掃除をしているのは本当だ。一人では大変だろうから手伝おう。

「他には?」

 僕が幽霊に背を向けて歩きだすと、背後から呼び止められる。

 無視して歩き続ける。

「おい。他にもあるんだろう」

 僕は、そのまま歩いて行く。

 振り向かずに、もうないよ、と答えて歩みを止めない。

「嘘をつくな。俺は、お前の背中に貼られたレッテルを見たんだ」

 そこでようやく歩みを止める。

 聞き間違いかと思って振り返ると、彼の表情は真剣だった。

「ちょっと待て幽霊。お前は、黒い影が見えるだけじゃないのか」

「ああ。だけど、お前のレッテルは見えたんだよ」

 意味が分からない。今までずっと背後にいたのに、なぜ今になって言うのだ。

「成仏する直前、俺の目で見える景色が変わった。その時、お前の背中を見たんだ」

 いつも冗談や下ネタばかりの幽霊が真面目に話している。なら嘘ではないだろう。それに、蒲原を助ける時、僕も少しの間だけ黒い影を見ることができた。今回はその逆ということか。そうなる可能性を考えていないわけではなかったが、まさか本当に起こるとは思わなかった。

「そっか。見えたんだ」

 僕は苦笑して頭をかいた。幽霊は真っ直ぐにこちらを見てくる。

「レッテルは、今も見えているの?」

「いや、見えたのは成仏する直前だけだ」

 なんだ、そうなのか。できればそのまま成仏してくれたら良かったのに。

「でも、レッテルが複数貼られている人は珍しくないよ。蒲原のお母さんもそうだし、僕の家族の背中にも何枚も貼られている。何もおかしいことではない。普通だよ、普通」

「じゃあ、背中に何百枚もレッテルが貼られているお前は普通なのか。おかしくないのか」

 僕はまた苦笑した。

 いつもは感情表現が豊かな奴なのに、彼は表情一つ変えていない。

 

 そうか。アレを見たのか。

 僕は毎日のように見ているし、それを貼りつけた状態で動いているから、あまり気にしたことがなかった。レッテルは、手で触れることもできなければ剥がすこともできない。だから重さなんてない。けれど、他人から見たらおかしいものなのか。

「でも僕は、あまりおかしいと思っていないよ」

「あのな、はっきり言わせてもらう。真実、お前のレッテルの数はおかしい。普通じゃない」

「どうして?」

 僕が真顔で聞くと、幽霊は意表を突かれたような顔になる。

「僕のレッテルは、百枚以上あると思う。途中で数えることを辞めてしまったから正確な数は分からない。だけど、僕の心にも体にも影響は全くない。レッテルに埋もれて死ぬなんてこともあり得ない。普通に生活できている。それなら、何も問題はないと思わない?」

 事実、僕は高校に入学してからこれまで欠席したことがなかった。あかねの傷を受け入れたことで全身傷だらけになり、入院しなければ皆勤賞も狙えたほどだ。まあ、そんなもの何の得にもならないからいらないけれど。

「それに、僕に黒い影は見えていないんだろ?」

「ああ。お前には、黒い影が見えない」

「それなら何も問題がないだろ」

「それがおかしいんだよ。お前は、大量のレッテルを貼りつけられて、ストレスを感じていないのかよ。他の三人は一枚しかレッテルがないのに、真っ黒な影を抱えていたんだぞ。なのに、何百枚もレッテルを貼りつけられているお前が、どうして平然としていられるんだ」

 幽霊は、怒っているような悲しんでいるような表情に変わっている。

 目には、涙も溜めている。

 もしも僕のことを想ってのことなら、どれだけ感情豊かなのだ。幽霊のくせに。

「改めて自己紹介をするけど、僕の名前は【秋葉】真実あきはまさみ。ずっと昔からこの土地を治めていた一族らしい。だから、市の名前にも使われている。僕がレッテルを見られるようになってから、自分の背中を確認して初めて見たレッテルが【秋葉】。最初のレッテルだ」

「苗字がレッテルか。ふかふかちゃんと似たようなものだな」

「【秋葉】の血筋の人間全員、同じように【秋葉】のレッテルが貼られている。それほど有名な家柄だから。昔から家族には、他にもレッテルが貼られていた。昔はその意味を理解していなかったから、自分もいつか何枚も貼られたいなんて思っていたよ。さすがに何百枚も貼られるとは思わなかったけどね、あはは。今では家族のレッテルを見るのも嫌だから、自分だけ部屋で食事をしているんだ」

 僕は、笑顔を作って冗談を言う。

 だが幽霊は、ピクリとも笑わなかった。

「お前にレッテルを貼りつけたのは、誰なんだよ」

「家族、親戚、周りの大人達じゃないかな。あとは、クラスメイトも含まれるかな」

 気づいた時には、もう何枚も貼られていた。【期待はずれ】【出来損ない】【劣等生】【落ちこぼれ】【無能】など色々。幼い僕でもそれが悪い意味の評価だということは、すぐに分かった。すぐさま背中に手をやって剥がそうとする。しかし、触れることもできないのだから剥がせるわけがない。レッテルは僕の目に見えたとしても、実際そこには存在しないのだから。それでも壁に背中を押しつけて擦りつけたり、服を脱いで背中をかきむしったり色々と試した。だが何を試しても無駄だった。

「そのうちレッテルは増え続け、取ることもできないんだと分かったから。もう諦めた」

 僕の評価はそんなものだ、と受け入れることにした。その方が楽だったから。もちろん、そのことでストレスを感じないわけがない。ストレスを一切感じない人間なんていないだろう。それこそ人間を辞めるか、死ぬか、どちらかを選ばなければ無理だろう。この国、いや、この世界でストレスを感じないで生きている人はいないだろう。

 僕は【秋葉】の人間として期待されていない。昔から勉強も運動も人並み程度にしかできない。秋功学園では試験の成績が良い一組に所属しているけれど、学年トップというわけではない。スポーツや武道も色々やってみたけれど、全国大会に出場できる実力もない。今でも勉強や鍛錬は続けているけれど、皆の評価をガラリと変えられるほど成長することは難しいだろう。

「この家では、結果が全てなんだよ。結果が出せなかったら何の意味もない。だから僕のレッテルは、偏見でも勝手なイメージでもなく、そのまま正しい評価なんだよ」

「そんなことはない」

「いや、そうだよ」

「結果は大事だ。だが、努力した過程も無駄じゃない。次に活かせばいいだろ」

「次に活かせばいいと言うけれど、次がなかったら?」

 幽霊が黙った。教師になれずに死んでしまった彼には、酷な言葉だったかもしれない。

 けれど僕のレッテルについては、もう何も言わなくていい。

 家族や親戚は、望むような結果が出るまで待ってはくれない。

 多くの負のイメージのレッテルを貼られた僕に、次のチャンスが来るとも思えない。

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