最終章 【  】

 その後の話をしよう。

 【魔女】は、親族との不倫を告発されたことにより家政婦の職を解雇された。

 ここまでは予定通り。しかし、不倫をしていた親族は一人では済まなかった。【魔女】の口から一人二人三人と名前が出てきたかと思えば、気づけば両手の指では数えきれない人数になっていた。ついには自ら親族会議に出席し、一族の上役連中相手に口止め料を請求したという。本来なら慰謝料を請求されてもおかしくない立場なのに。

 だが【魔女】と不倫をしていた男の多くは、それなりの社会的地位にいる者ばかりだった。この家の人間は、なによりも世間体や社会的信用を気にする。そんな彼らが金で解決できるならと、口止め料を払わないわけがなかった。よって、不倫の件を口外しないということ、この家から出て行くことを条件に、高額な口止め料と給与、おまけに退職金まできっちりもらって出て行くことになった。


 僕はその話を病院のベッドの上で聞いた。傷のことも忘れて大笑いしてしまい、傷口がまた開きかけた。だが、その痛みすら忘れるほど笑った。あかねには、ひどく怒られたけれど。

「【魔女】の火遊びは程々にしてください。いつか火あぶりにされてしまいますよ」

 僕は、門の前に立つ【魔女】に別れの言葉を告げる。

「私の名前は栃尾清女とちおきよめ。清い女と書いて清女。覚えておきなさい」

 【魔女】のレッテルを持つ女の名前が清女とは……。とんだ皮肉だな。

「それにしても懐かしいわぁ。【魔女】なんて呼ばれたの何年ぶりかしら。確か私が高校生で、親友の彼氏を奪った時に初めて言われたわ。その男とは、すぐに別れちゃったけど」

 そんな昔から貼られていたレッテルだったのか。それが未だに貼られているということは、よほどその親友から恨みを買ったのか。もしくは、他の人にも【魔女】と呼ばれていたのか。どちらにせよ、【魔女】のレッテルは伊達ではなかったということか。

「あなた、傷の方はもういいの?」

 驚いた。

 【魔女】自身がやらせたというのに、わざわざ心配するなんてその神経を疑う。

「今でもあなたのしつけの映像が脳裏にこびりついて離れませんが、まあ大丈夫ですよ」

 僕が無表情で嫌味を言うと、相手も無表情で嫌味を返してきた。

「もし痛みに耐えられなくなったらキッチンにある薬を使いなさい。すぐ楽になるわ」

 【魔女】の嫌味は年季も精度も何もかも違った。

 できれば、もう二度と会いたくない。

「でも、驚いたわぁ。あの子がこの家に残るなんて。いったい、どんな魔法を使ったのかしらん」

 【魔女】は、ニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見てくる。

「この家の人間は、合理的で打算的なんです。新しく使用人を雇って教育するより楽ですから。あかねをそのまま雇った方がいいと考えたんですよ」

 僕は表情を変えずに話す。そしてできるだけ相手の顔を見ないように話す。

「家の中を引っ掻きまわした女の娘を置いておくなんて、【当主】様がお許しになるとは思わないけれど。あなたが口添えしてくれたんでしょ。あの方もお孫さんには甘いのかしらねぇ」

「あの人は……身内も他人も平等に扱いますよ。孫だから甘やかすなんてことはあり得ません」

 確かに口添えはした。けれど、あまり効果があったとは思えない。なぜなら僕は、親族会議への出席を認められていないから。いくら本家の人間とはいえ、末席にすら座ることのできない僕の発言力など無に等しい。

 おそらく時期が良かったのだろう。不倫をしていた親族の処置に忙しく、新しい使用人のことにまで手が回らない。だったら、今の使用人の一人をそのまま雇用すればいいという風に考えた。あかねは高校生だから平日昼間はいないけれど、その間はパートでも雇えばいいだろう。


「でもあなた、本当にあの子を救う気なんてあったのかしら?」

 なぜかその言葉が僕の胸に突き刺さる。

 【魔女】の顔をまともに見ることができない。

「あなた、あの時言ったわよね。あかねの能力は便利だって……。あの子の能力とその代償を知った上で便利なんて思うかしら。私だったらあんな能力を持ちたいなんて絶対に思わないわ」

 確かに言った。言ったけれど、それは僕の本心ではないとごまかす。

 だが、何人もの男を手玉に取ってきた【魔女】には通用しなかった。

「たとえ本心でなかったとしても、そう考えたという事実に変わりはないわ。便利、というのは、利用することを前提で考えたからでしょ。自分の手は汚さず、傷つかず、安全に使うことができるなら便利な能力よねぇ」

 さらに鋭い言葉が僕の胸に突き刺さる。動揺をなんとか隠して返事する。

「僕は……そんな考え方をしません。人を利用しようとか人を使おうなんて」

「あら、あなたさっき言ったじゃない。この家の人間は、合理的で打算的な考え方をすると。そしてあなたもこの家の人間でしょ? ねぇ、【秋葉】真実あきはまさみさん?」

 それは、僕の嫌いな苗字。そして僕のレッテルでもある。


「ずっと昔からこの街を治めている権力者一族、【秋葉】。秋葉市となった今でも、この町の人間なら知らない者はいない有名な家柄。己の利益のためなら手段を選ばず何でも利用する。その本家の人間のあなたなら、そういう風に考えても何もおかしくないと思わない?」

「……何がおっしゃりたいんですか」

「別にあなたのことを責めているわけじゃないのよ。利用する人間にあの子を選んでくれて、ありがとうと言いたいだけなの。それに、そろそろ潮時だと思っていたのよ。あなたのおかげでお金をたくさん稼ぐことができて、ちょうどいいタイミングで離れることができる。本当にありがとう」

 僕は言葉を発しようとするが、なぜか口が開かない。

 まるで呪いをかけられたかのようだ。

「人の弱さを的確に見抜き、そこを攻撃して屈服させて、自分との格の違いを見せつける。完全に心が折れたところで自分の手駒にする。そんなやり方が得意な人達よね、【秋葉】の人間は」

「……あなたにこの家の何が分かるんですか」

 この街の出身でもないくせに。この家の人間でもないくせに。

「分かるわよ。【秋葉】の男と何人も寝たのだから。女は男よりも立場が下。何でも自分の思い通りにさせたいという抱き方だったわ。失礼よね。女を何だと思っているのかしら」

 そう言って【魔女】は笑った。僕は笑わなかった。

「だけどあなたは違う。人の弱さを的確に見抜くけど、そこを責めようとしないでそこを癒す。まるで傷口を舐めてあげるように癒すの。さらにその人が欲している優しくて甘い言葉をかけ、自分に依存させて心酔させて手駒にする。【秋葉】の家の人間としては……異質よね」

 僕の何を見て、そう言っているのだろう。

 当然ながら【魔女】と寝た覚えはない。

「そんなに睨まないで。心配しなくてもあの子には男を取らせていないわよ。それに、あんな全身傷だらけの醜い女を抱きたいなんて男はいないでしょうからね」

 誰のせいであかねの心と体が傷だらけになったと思っているのだ。

 今にもこの女を殴りたい。

 けれど、そんなことをしたらこいつの思う壺だ。

 そんな安い挑発には乗ってやらない。

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