13
「子どもが減っても教員のやることは減らない。朝早くから出勤して夜遅くまで残って仕事する。終わらなかったら家に持ち帰って仕事する。それ以外にも教員同士の研究会に参加したり他校の授業を見るために出張したり。休日も仕事をするためや部活動の監督をするために学校に行くことがある。それでも給与は高くない。むしろ仕事量を考えれば安いだろうな。残業代なんてないし、休日出勤手当もついていない。公務員は退職金が期待できる、福利厚生が良い、職務手当が良い。現場を知らない奴がよく言うぜ。そんなもん、どこにあるんだよ……」
「もしかして、そのお友達は……過労死したの?」
幽霊が口を閉ざした。しばらく沈黙が続き、ポツリと言った。
「自殺だ」
言葉が出なかった。それでも幽霊は、淡々とした口調で話を続ける。
「あいつは、大学を卒業する年の教員採用試験に一発合格。すごいと思った。同時に、がんばってほしいとも思った。そいつも昔から教員になるのが夢で、子どもが好きで、ずっと努力し続けてきた奴だから。でも、卒業してからは一度も会っていなかった。そいつが忙しいのは当然だし、俺も忙しかったからな。だけど、会っておけば良かったなぁ。ああ、クソ……」
やり場のない怒りと後悔を込めた握り拳で床を叩く。
だが、それもすり抜けてしまった。
「葬式で見たあいつは、静かに眠っているように見えた。ご両親は泣いていたよ。そりゃそうだよな。昔からの夢だった教員になって喜んでいた息子が、その次の年に自殺したんだから」
「その人は、遺書を遺していなかったの。それか病院に通っていなかった?」
自殺の原因が学校側にあれば訴えることができる。例えば、仕事量は適正だったのか、執拗ないじめにあっていなかったか、労働時間をしっかり把握していたのか。もし学校側に落ち度があるなら、いくらかの慰謝料を請求することだってできるはずだ。だが彼は、何も言わない。
「あいつは真面目で努力家。一人で何でもできる奴だった。だけど、悩みやストレスも一人で抱え込んでしまったのが間違いだったんだ。だから、誰の意見も聞かずに最悪の選択をした」
確かにそれは、最悪の選択としか言いようがない。
「葬式の帰り道、友人が勤めていた高校の校長といっしょになって話した。亡くなって非常に残念だ。彼には期待していた。色々勉強できるよう指導していた。でも、最後に言われたよ。今の若者は弱すぎる。この程度のことで心を病んで死んでしまうなら教員は務まらない、と」
その心ない言葉が事実だとしたらゾッとする。それが教育者の言葉なのか、と耳を疑う。
「だけど俺は、怒る気にもなれなかった。体も心も疲れていたんだろうな。気づけば家に帰って翌日の授業の準備をしていた。その時初めて自分が恐ろしいと思ったよ」
教師になることができなかった悔しさ、多忙な毎日、将来への不安、友人の死、先輩教育者の心ない言葉、教師という職業の実態。それらが合わさった物が彼にとっての黒い影か。
「死ぬほど努力しないと就けないのに、就いたら死にそうになるほど働かされて、死んだら罵倒されるって何だよ。教員の仕事って何のためにあるんだよ。なあ、誰か教えてくれよ……」
また少し幽霊の姿が薄くなった。ここで言わないともう会えない。ならば言おう。
「教師が大変というのは、僕も聞いたことがある。けれど僕には、その大変さが分からない。僕は、ただの高校生で教師ではないから。亡くなったご友人も何が辛くて死んでしまったのか分からない。それでも彼は、生徒達にとって良き教師であろうと思っていたんじゃないかな」
「はっ。会ったことも話したこともないお前に……どうしてそんなことが分かるんだよ」
幽霊が虚ろな目をこちらに向ける。僕は、そんな目を今まで何度も見てきた。
「分かるよ。真面目で努力家な人だというなら、きっと良い教師になろうとがんばったはずだ。そんな彼を慕っていた多くの生徒さんは、彼を偲んで葬式に参列したんじゃないかな」
浮かない表情をしていた幽霊の顔が、ほんの少しだけ明るくなる。
「世の中には、たくさんの業種職種がある、それぞれ違った仕事をこなしている人達がいる。そして人それぞれ仕事をする目的が違う。金のため、人のため、世のため、家族のため、それぞれの目的のためにがんばる。おそらくご友人は、生徒のために頑張っていたんだよ」
「だからって死んだら意味ないだろうが、あのバカッ!」
幽霊は涙声で怒った。
あの世にいるご友人に、その声は届いたかな。届くと良いな。
「でもその努力は、決して無駄ではないよ。慕ってくれる生徒がいたということは、それだけ良い教師だったということだろ。なら、その人達の心の中に生き続けることにならないかな」
我ながら無理のある論理だと思った。
けれど、消えゆく幽霊には効果があるようだった。
「はっ。臭い台詞を吐きやがって。だけど葬式で泣いている生徒達を見たら、あいつは立派に教員をやっていたんだなぁと思ったよ。教員になれなかった俺には、関係ない話だけどな」
そう言う幽霊の台詞も臭いと思った。
だが、時にはこういうのも良いかもしれない。
「確かにお前は教師ではない。それでも僕にとっては……最高の【先生】だったよ」
僕は、できる限りの笑顔を作ってそう言った。
「真実……」
幽霊が泣きそうな顔をしている。
だが、すぐに真面目な表情に変わる。
「真実とは短い付き合いだが、お前がそんな優しい言葉を俺にかけるわけがない。さては、このタイミングを狙っていたな。そんなに俺を成仏させたかったのか!」
チッ。バレたか。
だが、ほとんど消えかかっている。こうなればもうすぐ成仏するだろう。
「未練たらたらで現世に残られたら僕が困るんだ! さっさと逝ってしまえ!」
幽霊は意地でも現世に残ってやると息巻いていたが、時間が経つにつれて足元からどんどん消えていく。
僕は、最後に何か言い遺すことがないかと尋ねる。
すると彼は、幸せそうな顔でこう言った。
「来世は女子校の教員になりたいなぁ。それからブレザー姿のおっぱい大きい子と結婚してぇ」
そのまま幽霊はパッと消えてしまった。
まったくこいつは、最初から最後まで下半身で思考する奴だった。
バカは死んでも治らないと証明しているようなものだ。
「笑えない。本当に笑えない。ああ、笑えない。笑えないんだよ、ったく」
そう言いながら僕は、どんな顔をすれば良いか分からなくなった。
気づけば僕は、いつの間にか眠っていたようだ。
全身傷だらけでひどく痛むのに、よく寝られたものだと我ながら感心する。
だがそれは、あの幽霊が喜びそうな枕のおかげかもしれない。
「おはよう……あかね……」
膝枕してくれていた女の子に声をかける。その瞬間、彼女がビクンと反応する。
「お、お、おは、おはよ、おは、おは、よう、ございます」
無理もない。全身血だらけで倒れていた人間が急に起きたらビックリするだろう。
「イテテ……。落ち着いて……。僕は、大丈夫だから……。ね?」
なんとかあかねを落ち着かせる。彼女の目を見れば、僕が眠っていた間にどれほど涙を流したのかよく分かった。また辛い思いをさせてしまったようだ。
「あかね。気づいてあげられなくてごめん」
先に僕が謝った。今回の件で彼女に落ち度なんて一つもないのだから。
「家でも学校でも、大丈夫か、と話しかけたのは、助けを求めていたからだよね。それなのに、見て見ぬふりをしてごめん。約束を破ったなんて言ってごめん」
僕は何度も謝る。膝枕されながら謝るなんて失礼だけど、ここで動いたら傷口がさらに開いてしまいそうで怖い。あかねは何も言わず、また涙を流し始める。
「昔から母親に言われていたんだろう。人に助けを求めてはいけないって。だから、ハッキリと助けを呼ぶことをできなかった。そうでしょ?」
彼女は、涙を流したまま頷く。深く、何度も、頷く。
やはり【魔女】の仕業か。
「でも、もう大丈夫だよ。悪い【魔女】は、僕が追い出したから。もう心配いらないよ」
やけにあっさりと退いたことは気がかりだが、おそらく問題ないはずだ。
「真実、さん……。わ、わたしは、ここに、この家に、いられ、ない……ですか?」
「あかねは、どうしたいの」
「私は、ここに、いたい、です。真実さんに、お仕え、したいです。恩返し、したい、です」
涙声で途切れながらもしっかりと自分の意見を出した。僕は、それを聞いて笑顔になった。
「あかねは、ずっとここにいていいよ。でも、恩返しなんてしなくていいから」
「でも、その、傷。わた、しの、せい、ですよね」
そう言って血まみれの体を指さした。先ほどよりも酷くなっている気がする。
「すみません……。本当にすみません……」
何度も謝るあかねを制止させる言葉を探す。そして見つけた。
「お揃いの傷だね。いざとなったら舐めて治してよ。あかねの傷は、僕が舐めて治すから」
なんて言葉を選んだんだ。きっとこれは、変態幽霊に憑かれていたせいだ、と言い訳する。
だが彼女は、驚いて謝るのをやめてくれた。それから恥ずかしそうにしながら頷いた。
「出来たばかりの傷は綺麗だね。まるで秋の紅葉のように美しい」
僕は、笑顔を作ってそう言った。
だが、その言葉に嘘はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます