「何をおっしゃっているのか、よく分かりませんが……」

 今さらとりつくろっても遅い。

 僕は起き上がって【魔女】と対峙たいじする。

「急で申し訳ありませんが、この家から出て行ってください。あなたを解雇します」

 彼女は、突然の解雇宣告に動揺して言葉を失っている。だが、すぐに口を開いた。

「突然、何をおっしゃるんですか? 解雇とは、どういうことですか?」

「家政婦としては有能だったので非常に残念です。職務だけをまっとうしていれば良かったのに」

 家政婦が目撃者ではなく当事者になったら終わりなのだ。

「私は、これまで仕事を真面目にやってきました。どうして辞めなければいけないんですか。それに今は、そんなことよりもあかねのことを考えないと。悪ふざけならやめてください」

「悪ふざけではありません。それに、あかねさんのことを想うなら尚更です。『おまじない』でしばることはもうやめてください。それを使うことは彼女の役目ではありません」

 【魔女】がまた言葉を失った。

 今度は、すぐに口を開くことができないほど動揺している。

 僕はあかねの方に目を向けながら話す。

「母親のあなたならご存知ですよね。あかねさんの能力のことを」

「能力? 何のことですか?」

 【魔女】は間髪入れずに返答してくる。

 声は落ち着いているけれど、口元がほんの少しだけ歪んだのを見逃さなかった。

「ご存じないなら教えてあげますよ。あかねさんは、人の心の傷を知ることができるんです。そして心の傷を自分が吸収することで傷を治し癒せる。とても便利な能力ですよ」

真実まさみさん。いい加減にしてください。何をおっしゃっているんですか」

 言葉のわりにあまり怒っているようには見えない。

 むしろ動揺しているように見える。

「しかし、その便利な能力にも代償だいしょうがあるんです。能力を使えば使うほど体に傷がつくんです。あかねさんの全身に付いている傷痕はご存知ですよね? 刃物で切ったような傷痕です」

 知らないとは言わせない。小学生の頃から彼女の腕には、痛々しいほど大量の傷があった。いっしょに暮らしている親なら気づかないはずがない。

「普通に生活していたらあんな傷はつかない。それこそ……虐待でもされていない限りは」

「虐待なんてしていないわ! 失礼よ!」

 今度は本気で怒っていることが分かる。良かった。

 代償の傷と見せかけて、一部虐待の傷跡もあるのではないかと疑っていたから。虐待されていた可能性は薄そうだ。


「いいわ。認めます。あの子には昔から特別な能力があると知っていましたよ。その代償もね」

 【魔女】は一転してあかねの能力をあっさり認めた。

 どうやら自分が不利だと察したらしい。

「私があの子の能力を知ったのは、小学校に入学する前のことです」

 少し驚く。しくもそれは、僕が自分の能力に気づいたのと同じ頃だったから。

「当時は夫があの子をお風呂に入れていました。赤ん坊の頃からどんな時でも自分が入れると言っていましたから。その時は、娘想いの優しくて良い父親だと、そう思っていました」

 【魔女】は昔を懐かしむような語り口で話し始める。

 僕は何も言わずに黙って聞く。

「だけど、ある時からあの子のお腹に小さな傷が付き始めました。刃物で切ったような小さな傷です。夫に尋ねると、あかねが爪で引っ掻いたんじゃないか、と言って取り合ってくれません。怪しいと思った私は、夫とあの子がお風呂に入った時、こっそり浴室を覗いてみたんです」

「そこで、旦那さんがあかねさんに能力を使わせているところを見たんですか?」

 僕は家族の楽しい思い出を聞きたいわけではない。さっさと能力と傷痕の真相を聞きたい。

「はい。夫は、あの子を抱きしめていました。それくらいなら室内でもよくやっていました。でも、お風呂から上がったあかねの体を見たら、傷が増えていることに気づいたんです」

 【魔女】の声色に悲しみが帯びる。

「その後もあかねの傷は増え続けました。次第に傷の大きさも、爪で引っ掻いたくらいではなくなっていきました。そこでようやく私は、あの子に傷のことを聞いたんです」

「あかねさんは、何と言ったんです?」

「お父さんから教えてもらった『おまじない』だと。夫は、あの子をストレスのはけ口として使っていたんです。私がもっと早く気づいてあげていれば、こんなことには……」

【魔女】は、悲しそうな表情を浮かべてあかねを見やる。

 僕は、【魔女】から目を離さない。


 僕とあかねが初めて会った時、彼女は自身の能力のことを『おまじない』と言っていた。最初は自分でその名を付けたのだと思っていた。しかし今の話を聞けば、父親が『おまじない』と言っていたから。そのため、あかねも『おまじない』と言うようになったのか。

 さらに彼女はこう言っていた。この能力は人に使ったらいけないし、人に話してもいけない、と。だがそれは、誰と約束したのだろう。この話が事実だとしたら父親だが。

 今の話が事実だとしても疑問がいくつか思い浮かぶ。

 どうしてあかねや父親は、その能力に気づくことができたのか。自分の意思がなければ使えないあかねの能力は、自分の意思と関係なく働く僕の能力とは違う。偶然、人の心の傷を受け入れて能力の存在に気がついた……なんてことはないだろう。

 また、どうして僕に能力の秘密を話して使ってしまったのか。彼女は決められた約束を守る。仮に約束した父親と離れたとしても、約束を破るような子ではないと思う。

「私は、すぐにあかねを連れて逃げました。これ以上、あの人といっしょにいたらあかねが傷だらけでボロボロになってしまうと思ったから。そしてこの家の住み込み家政婦になりました」

「あかねに能力を使わせていた旦那さんとは、無事に別れられたんですか?」

「はい。あかねの親権で揉めましたが、なんとか離婚できました。こちらで働くようになって、真実さんのご親戚の弁護士さんを紹介していただいたおかげです。ありがとうございます」

 確かに親族には弁護士が何人かいる。その中の誰かが助けたのかもしれない。

「こういう時、女は有利ですね。この国で子どもの親権を争うと、母親が勝ちやすいですから」

 【魔女】は笑った。

 僕は笑えなかった。


「私は、あの子にもう二度と能力を使わないように言い聞かせました。しかし……」

 目は口ほどに物を言う。【魔女】は鋭い目つきでじっと睨みつけてくる。

「あの冬の日、あかねが倒れたのは、あなたのせいですよ。真実さん」

 開き直った【魔女】が反撃に転じようとしている。

 僕はしっかりと彼女の声を聞く。

「あかねは優しい子です。困っている人を見たら自分を犠牲にしてでも助けてしまう。だから約束を破り、庭で泣いていたあなたの心の傷を癒した。でも、それから何度も能力を使わせるから傷だらけになってしまった。昨日もまた能力を使ったとあの子から聞きましたよ」

 胸が締めつけられるように痛い。僕が『おまじない』を受けたことは事実だから。

「真実。気をしっかり保てよ。俺が憑いてるからな!」

 背後にいる幽霊が元気づけてくれた。

 嬉しいんだか、悲しいんだか、よく分からない。

 僕は眠っているあかねを見る。幼い頃から伸ばしている長い黒髪が顔にかかっている。

「確かに昔の僕はあかねさんの能力に頼っていました。そのせいで傷を増やしてしまったこと、意識を失って倒れたことは謝ります。すみません。本当に申し訳ありません。責任は取ります」

「それなら……」

 【魔女】が何か言いかけた。

 僕はそれを遮って話し続ける。

「でも、どうしてあかねさんを病院に連れて行かないんですか?」

 率直な疑問をぶつける。【魔女】は、ほんの少しだけ目を逸らして答える。

「病院には、連れていきました。でも、医者が原因は分からないと言ったから」

「原因が分からなくても意識不明ですよ? 重体の患者を帰す医者がどこにいますか?」

「それは……」

「そういえばあの冬の日もそうでしたよね。あかねさんが倒れた時、あなたはすぐに玄関から出てきた。まるで倒れる事を予測していたかのように。そしてすぐここに運んだ」

「それは、前々からあの子が心配で様子を見ていたから」

「心配ならどうして僕に言わなかったんですか。『おまじない』の代償のことを」

「あなたは、毎日のように能力を使わせていたでしょう。あかねは、優しい子だから従った。無理矢理能力を使わせるあなたに言っても聞いてくれないと思ったから」

「確かにあの頃は、ほぼ毎日『おまじない』を使ってもらっていました。だけど、無理矢理使わせたことなんてないです。それにあかねさんが倒れたあの日は、一週間ぶりにしてもらいました。体調が悪そうだったのでずっと断っていました。それなのに使った途端に倒れたんです」

 【魔女】は何も言ってこないが、その目は話を信じていないようだった。

「それから昨日、確かに僕は傷を癒されました。しかしあの冬の日以来、一度も『おまじない』を受けていません。それなのにまた倒れるなんて……おかしいと思いませんか?」

「それは、あなたの抱えていた心の傷があまりにも多くて大きかったからでしょう」

「では、どうして昨日『おまじない』を使ってすぐに倒れなかったのでしょう。不思議です」

 【魔女】が無表情になった。

 それを見てさらに続ける。

「本当は父親ではなく、母親のあなたが『おまじない』を使わせていたのではないですか」

「あなた、何を言っているの?」

 【魔女】は怒りの表情を出しているけれど、全く怖いとは思わない。

「お風呂で抱きしめていたのも、能力を『おまじない』と名付けたのも、あかねをストレスのはけ口として使っていたのも、父親ではなく母親のあなたではないですか?」

「黙ってください」

「それを旦那さんに見つかり、あかねを連れて逃げてきたのではないですか?」

「黙って」

「あかねさんは、僕にこんなことも言っていました。辛い人を助けるのが私の役目だと。そう教え込んだたのは、父親ではなく母親のあなたではないですか?」

「黙りなさい! 失礼でしょ! 証拠もないのに何を言っているの!?」

 【魔女】は激しい剣幕を見せる。今にも殴りかかってきそうなほど顔が真っ赤だ。

「証拠はありませんが、証言ならありますよ。あなたの元夫で、あかねの父親に聞きました」

 僕の言葉に一瞬だけハッとした顔を見せたが、すぐに口元を歪ませる。嘲笑といった風に。

「嘘をつかないでよ。ただの高校生のあなたにそんなことできるわけがないでしょ」

「ええ。【無能】な僕には、そんなことできません。しかし、僕の家ならそれができるんです」

 見えない協力者の存在を仄めかす。これは相手を選ぶけれど効果的な手段だ。

「はっ。だったら、あの男が嘘を言っているかもしれないじゃない」

 その手段が効く【魔女】がこちらを睨みつけてくる。しかし、仮にも雇用主の家族に対して、この態度と口の利き方はどうなのだ。

「ところで、あかねさんの腕を見ましたか?」

「腕? 傷が新しいから最近まで私が能力を使わせていたと言いたいの?」

 おっと困った。僕が指摘しようと思っていたところを切り返されてしまった。

「それは誰かの心の傷を癒してあげていたんでしょう。あかねは優しい子だから。それから昨日すぐに倒れなかったのも、前回で耐性がついてしまって倒れるのに時間がかかったのよ」

 それも昨日僕が帰ってから能力を使わせたので倒れたと指摘しようと思っていたのに。

 反論する余地を与えず、終わらせるつもりだったのだが、なかなか上手くいかないものだ。

 仕方ない。僕は、用意していた三つ目の問いを彼女に投げかける。

「なら、これは気づきましたか?先ほどあかねの腕を見たら、なぜか痣ができているんですよ」

 【魔女】が動揺した顔を見せる。

 僕はそれを見てここぞとばかりに話す。

「おかしいですよね? 今まで能力の代償は、刃物で切られたような傷しかなかったのに」

「嘘でしょ。そんな強く握ってなんか……」

 【魔女】が慌てて口に手を当てた。なんてわざとらしい慌て方だろう。

 だが、もう遅い。

 一度言葉を口に出してしまったら、それが相手の耳に届いてしまったら、もう遅いのだ。

「すみません。また嘘をつきました。本当は、痣なんてありません。あるのは、鮮やかな赤い切り傷です。でも、娘の腕をそんなに強く握るなんて……何かあったんですか、お母さん?」

 どんどん青ざめた顔になる【魔女】。

 それを見て笑顔になる僕。

「あかねさんに無理矢理でも能力を使わせたんじゃないですか?」

「そんな訳ないでしょ」

 顔は怒っているけれど、声に力がこもっていない。明らかに弱っている。

「昨日、僕はあかねさんと約束しました。もう二度と能力を使わないように、と。彼女は約束を破ってはいけないと必死に抵抗したのでしょう。けれど【魔女】の呪いには勝てなかった」

 紅葉の庭で初めてあかねと会った時、彼女は助けを求めるために能力を使ったのではないか。母親との約束を破ってでも助けてほしいと思ったから。これは僕の推測でしかないけれど。

「さっきから【魔女】って何なのよ。いい加減にしなさい!」

「話は最初に戻りますが、それは解雇の件にも繋がるんですよ。家政婦が勤めている家の人間と不倫関係になったらダメでしょう。相手が独身ならまだしも、既婚者なんですから」

 【魔女】が何か言いかけたが、僕の顔を見て口を閉じた。

 もう全て知られていると悟ったのだろう。理解が早くて助かる。

「正確には、この家の人間ではなかったです。離れ屋を尋ねる僕の親戚の人、でした」

 僕の部屋の窓からは、モミジの庭や離れ屋がよく見える。母屋に用がある人間は多いけれど、離れ屋に行く人間はほとんどいない。これまでは見て見ぬふりをしてきたが、あかねを救うためにとうとう告発することにした。伝えるのは、警察でもその配偶者でもない。この家を牛耳る当主へ。

 少し申し訳ない気持ちはあるが、これまで妻や子どもを置いて【魔女】の色香に溺れて楽しんでいたのだから。自業自得である。

「僕があなたのことを【魔女】と呼ぶのは、いくつか理由があります」

 【魔女】は、もう観念しているのか、興味がなさそうな目をしている。

「娘に『おまじない』と称して危険な能力を教えたから【魔女】。男を家に誘いこんで誑かしていたから【魔女】。さらに……薬を使って人を利用しようとしたから【魔女】」

 僕は、唇を付けただけのコーヒーカップを指し示す。

「キッチンに調味料と同じように怪しげな薬を隠していたぞ、この女」

 本物の見えない協力者。今回ばかりは本当に活躍してくれた。とても感謝している。

 しかし、蒲原へのセクハラを許したわけではない。こいつは、必ず地獄に落としてやる。

「薬を使って僕に何をさせようとしたんですか。また……と言っていましたね。前回倒れた時は、僕を眠らせて何をさせたんですか?」

「バレてしまったのならもう意味がないわ。その子は、もう助からないから」

【魔女】は捨て台詞を吐いて出て行こうとする。だが、それでは困るのだ。

「それはこちらで判断します。どうやったらあかねさんを救えるのか、教えてください」

 僕はその背中に声をかけて制止させる。

 てっきり怒りや悲しみの感情を露わにしていると思っていた。

 しかし、振り返った【魔女】の顔には、そのどちらもなかった。

 ただ、笑っているだけだ。

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