10
「私がどうやってあかねの能力を知ったと思う?」
それは僕が疑問に感じていたことだ。どうやって知ることができたのだろう、と。魔法のように手から炎を出せるわけでも、氷を出せるわけでもない。偶然、能力が使用されて自分の心のストレスを吸い取られたからか。それとも幼いあかね自身が能力のことを認知していたのか。
「なにか特別な検査方法があるんじゃないのか。血液とか脳波とか」
幽霊が自分の考えを述べる。だが、そんな簡単には分からないと思う。
「分かりません」
僕は素直にそう答えた。色々考えてみたが、どれもしっくりこない。それなら聞いた方が早い。
【魔女】は、ニヤニヤとした不気味な笑みを崩さぬまま話し始める。
「昔、私と幼いあの子の唇と唇がぶつかってしまった。その瞬間、小さな痛みが全身に走ったわ。それといっしょに頭の中で映像が駆け巡った。あの子が犬に吠えられているところや男の子に叩かれているところ。最初は、それが何を意味しているのか分からなかった」
僕は黙って【魔女】の話を聞く。
「その後、仕事から帰ってきた夫があの子にキスした時はなんともない様子だった。だから、気のせいだと思ってしばらく過ごしていた。だけど、ふと思い出してまたキスをしたら、今度は前回よりも強い痛みと前回と異なる映像が見えたのよ」
あかねとキスをすると痛みが伴い、同時に映像が見える? どういうことだ?
幽霊も黙って首を横に振っている。彼も【魔女】の話の意味が分からないようだ。
【魔女】は、ニタニタと笑みを浮かべている。僕は早く話すように催促する。
「どういうことですか。それとあかねさんを救う方法に何か関係があるんですか?」
「あかねの本来の能力は、自分の心の傷をキスした相手に与えるという物。私が感じた痛みはあの子のストレスで、映像はあかねがストレスを感じた時の様子を映し出しているの」
同じ日に旦那さんがキスしても痛みを感じなかったのは、その直前に【魔女】とキスをしてストレスを発散していたから。そう言いたいのだろうか。
「別の日に夫があの子にキスした時は、思い切り痛がっていたわ。あかねに噛まれたと言って笑っていたけれど、その時に気づかれなくて良かったわ」
【魔女】は、昔を思い出すように微笑んだ。だが、少しも優しい母親の顔には見えない。
「あかねさんの本来の能力、と言いましたよね。それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。あの子には、自分の心の傷や精神的苦痛、いわゆるストレスを人に与える能力はあっても、人の心の傷やストレスを受け入れる能力なんてなかったのよ」
「ん? どういう意味だ?」
幽霊は、疑問に思ったことをそのまま言葉にする。僕も同じことを考えていた。
「それなら、どうしてあかねさんは、人の心の傷を受け入れられるんですか」
「まだ分からない? あかねは、特別な能力を持っているのよ。他の子とは違う特別な才能があるのよ。だったら、そういう能力も持てるように教育してあげることが親の務めでしょう」
「ん? んむ?」
幽霊は、【魔女】の言葉を理解するのに時間がかかっているようだ。
言葉の意味は理解できた。しかし僕は、本当にそんなことができるのかと疑う。
「だっておかしいじゃない。自分の痛みを他人に与える特別な能力があるのに、他人の痛みを受け入れる能力がないなんて。特別な才能を持っているなら、できない方がおかしいでしょう」
「いや、お前の考え方がおかしい」
幽霊が僕の気持ちを代弁してくれた。
だが【魔女】は、相変わらず笑っている。
「つまりあなたは、あかねさんに人の心の傷を受け入れる能力を与えたんですか?」
「いいえ。そんな魔法みたいなこと、ただの人間の私にできるわけがないでしょう」
僕の考えは即座に否定された。
いくら【魔女】というレッテルを持っていても無理か。
では一体、この女はどのようにしてあかねに能力を持たせることができたのか。
「鈍感。察しが悪いのね。私はあの子の母親よ。親として子どもに教育しただけ」
「教育したってどうやって。自分の心の傷を相手に与えるという能力だけでもすごいのに、全く新しい能力を開花させるなんてそんなこと……」
そこまで言ってからあることを思い出した。
昔、僕がこの家で受けていた教育方法である。
思い出したくもない嫌な思い出。
その教育方法とあかねの傷痕が……なぜか合致した。
まさか……。
「あら、気づいたの。そういうところは察しが良いのね」
僕の血の気が引いた顔を見て、【魔女】が感心したような台詞を吐く。
「あかねの腹部の傷痕……。あれは、代償じゃなかった」
気がつけばそんな言葉が口から出ていた。
嫌な予感がする。当たってほしくない。絶対にこれだけは当たってほしくない。
「ご明察。人の心の傷、ストレスを受け入れられるようになるまで訓練した時にできた傷よ」
的中してしまった。だが、怒りも悲しみも何の感情も湧いてこなかった。怒りや悲しみを通り越してしまったのかもしれない。これが虚無感と言うのだろうか。
「私もやらせてすぐにできるなんて思っていないわ。だから毎日百回ずつ試した。百回試してできなかったら罰としてお腹に傷をつけた。次の日、百回やってできなかったらまた一つ傷をつける。でも、女の体に傷がつくなんて可哀想だから。小さな果物ナイフにしてあげたわ」
「虐待……」
どうしようもない虚無感に襲われる中、無意識のうちに言葉が出ていた。
「あなたも夫と同じことを言うのね、でも虐待じゃないわ。これは家庭教育よ。しつけよ!」
【魔女】は、ひどく激昂している。
しかし、それを見ても何の感情も起きなかった。
「子どもを傷つけるしつけって何ですか。傷つけなければできない教育って何ですか」
今の時代、言葉が通じない動物に芸を教える時だって傷つけることなんてしない。それなのに、同じ人間で自分が産んだ子どもの教育に、言葉ではなく暴力を使うなんて間違っている。
「毎日続けても結果が出ない。こんなに辛いことはなかったわね。でも私は、あかねの才能を信じていた。そして私の教育方法に間違いがないと信じていた。だから、できるまで続けた」
黙ってほしい。
口を閉じてほしい。
これ以上何も言わないでほしい。
「そしてある時、あかねに緊張感が足りないのかと思ってナイフを替えてみたのよ。すごく切れ味鋭いやつにね。そしたらあの子、ちょうど百回目で今の能力を使えるようになったのよ!」
【魔女】は、我が子の功績を自慢するように話している。
僕は……笑えるわけがない。
「でも、残念なこともあるわ。他人の抱える大きなストレスを受け入れると体に傷がつくこと。能力が安定して使えるようになってからは、もうナイフで傷つけないと言っているのに。それから、あの子自身がストレスを溜めこみすぎると意識を失ってしまうこと。ほら、こんな風に」
そう言って布団に眠っているあかねを指さした。
その目は、まるで物を見ているようだった。
僕はそれを見た瞬間、今まで襲っていた虚無感が一気に吹き飛んだ。さらに、今までくすぶっていた怒りの火種が一気に燃え上がった。
「あなたは間違っています。そんなの絶対におかしいです」
僕は目の前の悪を睨みつける。だが【魔女】は涼しい表情でこちらを見ている。
「あなただってこの家で似たような教育を受けていたじゃない。それは、おかしくないの?」
その言葉が僕の胸に突き刺さる。
それは昔のことだ。もう終わったことだ。思い出させるな。
「私が知らないとでも思った? 家政婦と言う仕事柄、家の中のことは、よーく見えるのよ」
僕の顔を見て何か察したのか、【魔女】が上機嫌に口を開く。
「言う通りにしなければ怒る。望み通りの結果を出さなければ殴る。名家に生まれた子どもは、大変ね。どんなことでも人並み以上の結果を求められるから。生き苦しくないのかしら」
「他人より自分はどうなんですか。あなたもあかねさんに対して同じことをやったでしょう」
「あら、私はあの子のためを想ってやったのよ。あなたの家族といっしょにしないで欲しいわ。でも一つだけ同じだと言うなら、親が子に成長を期待するのはおかしなことではないわね」
あかねにあんな傷を負わせておいて何を言っているんだ。呆れて何も言えない。
「おい真実。お前の体を貸せ。こいつに言ってやらないと気が済まない」
背後から幽霊が話しかけてくる。その声は、少し震えている。
「俺は、自分の考えが絶対に正しいと思っている奴が大嫌いなんだ。言って聞かないから殴って言うことを聞かせる親や教諭が大嫌いだ。体罰が怖くて生徒を指導できるか、と息まいていたが、どんなに生意気でもムカついても生徒は子どもだ。教諭は教え諭すから教諭なんだ!」
僕は【魔女】から目を離さない。そして幽霊の怒りの声にじっと耳を傾ける。
「どんな理由があっても、子どもを傷つけていい教育なんてあるか!」
その言葉を聞いて僕は、こいつをしっかり成仏させてやろう、そう思った。
「話を聞いて、大体分かりました。助ける方法も、あの冬の日に僕に何をさせたのかも」
あの冬の日、僕に睡眠薬を飲ませて眠らせてから実行したのだろう。小学生の男の子なら、成人女性一人でも持ちあげることは容易だろう。それにしても、厄介な救助方法だ。
「【魔女】に呪いをかけられた姫は、王子の
そう言ってニタニタと笑う【魔女】。なんて悪趣味な女だ。
しかし、眠っている状態でも能力を使うことができるなら、どうして無理矢理『おまじない』を使わせようとしたのか。僕は、最後の疑問を投げかける。
「心の傷を相手に伝える能力は、意識がなくても寝ていても使えるわ。でも『おまじない』は、意識があって自分の意思がないと使えないのよ。後から作り出した能力せいかしら」
【魔女】もあかねの能力を全て把握し、理解しているようではなかった。今後はあかね自身に色々と聞いて、調べていく必要がありそうだ。
「いつもなら【傷女】と言えば『おまじない』を使っていたのに。今日だけは、頑なに使おうとしなかったわ。あなたと約束したから。もう【傷女】じゃないと言ってくれたからって」
【魔女】は、それだけ言って部屋から姿を消した。
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