7
朝は晴れていたのに、いつの間にか空には雲が増え、太陽が隠れてしまっている。
僕たちは屋敷の門の前まで戻ってきた。学校では、午後の最初の授業が始まっている頃だろう。友人は、僕が早退したことをちゃんと伝えてくれたかな。
「なあ、本当にやるのか?」
背後に浮かんでいる幽霊が弱気な発言をする。今になって急に不安になったのか。
「やるよ。たとえ幽霊が協力してくれなくても僕一人でもやる」
囚われの姫を救うのが僕の役目だから、なんてきざな台詞は、心の中にしまっておいた。
「もし失敗したらどうするんだよ。あの子が一生目覚めないなんてことになったら……」
「前にも言ったと思うけど……もしもの時は、僕が責任を取るつもりだよ」
幽霊はそれ以上何も言わなかった。どうやら僕の覚悟を分かってくれたようだ。
しかし、失敗するつもりなんてない。必ず成功させてみせる。
門を抜けて母屋の扉の前に立つ。一度だけ深呼吸をして扉に手をかけて開けようとするが、ガチャッと金属音が聞こえた。どうやら鍵がかかっているようだ。
「メイドさんいないのか。ということは、離れにいるのか」
「うん。母親らしく……あかねの看病をしているのかもしれない」
僕は財布に入れていた鍵を取り出して扉を開ける。玄関に鞄を置いて離れ屋に向かう。できる限りの最短ルートを通って離れ屋に着くと、すぐに戸を叩いた。
だが返事はない。それでも構わず叩き続ける。しかし、なかなか人が出てくる気配はなかった。
「どうする。俺が中に入って確認してくるか?」
「ああ、頼む」
幽霊にお願いしてからすぐに音が聞こえる。誰かが歩いてくる。少し離れて待つと、静かに戸が開かれた。
顔を出したのは、あかねの母親だった。なぜか驚いた表情を見せている。
「真実さん! 学校は、どうされたんですか?」
彼女は、外に出てくると後ろ手に戸を閉める。その声は、なぜか震えている。
「早退してきました。ところで、あかねさんの体調は大丈夫ですか?」
僕は笑顔を浮かべて尋ねる。彼女も同じような表情で答える。
「ご心配おかけしてすみません。でも、大丈夫ですよ。先ほどお昼ご飯を食べてから薬を飲んでまた眠りました。あの子、お弁当に手紙を付け忘れてすみませんと謝っていましたよ」
嘘つきほど饒舌になるとは本当かもしれない。彼女の発言すべてに違和感を覚える。
「嘘はやめてください。お願いです。本当のことを話してください」
「え、何のことでしょう」
「とぼけないでください。今日の朝食も、お弁当も、あかねさんが作っていませんよね?」
彼女が言葉に詰まって顔を伏せる。
「味付けがいつもとほんの少しだけ違うんですよ」
僕の家族は気づかなかったかもしれないし、仮に気づいたとしても気にもしなかっただろう。彼らは、打算的かつ合理的な考え方で生きている。自分にとって利益になるか不利益になるか、それを念頭に置いて最も無駄のないように行動する。だから、みそ汁の味付けなんてどうでも良いのだ。
しかし、僕は違う。これは、僕にとって重要なことだから。
「それからすみません。僕も嘘をつきました。いつも手紙なんて付いていないんですよ」
「事情はよく知らないが、その顔は、すみませんって全然思っていないだろ。なあ?」
幽霊が何を言っているのか分からない。それでも構わず話を続ける。
「本当のことを話してください。あかねさんに何かあったんでしょう」
「真実さん……」
「僕は彼女を助けたいんです! だから、お願いします!」
そう言って深く頭を下げた。
その言葉に嘘はない。ただ、真意を隠しているだけ。
「真実さん。どうか、あの子を……。救ってあげてください」
彼女は、涙をぼろぼろと流しながらすがりついてくる。
僕はどうにか落ち着かせてから中に入ることに成功する。
「第一関門は突破か。だが、これからが本番だな」
幽霊の言葉にしっかりと頷いて返事する。
そう、まだ本番ではない。
彼女が僕を二階へと案内する。常にその背中から目を離さずについていく。
そして昨日と同じ部屋に入ると、あかねが布団をしっかり掛けられて眠っていた。
「あかね。真実さんが来てくださったわよ。起きなさい」
そう言ってあかねの体を揺すって起こそうとする。だが、強く揺すっているのに全く起きる気配がない。眠っている病人を無理矢理起こすなんて普通ならしない。
つまりこれは……。
「ねぇ、起きて。お願い、あかね。お願いだから、起きて。真実さんも来てくれているわよ」
また涙を流し始める。僕もそばに寄ってあかねの顔を覗きこむ。
その顔には、何一つ傷が付いていない。知らない人が見たら眠っているだけだと思うだろう。
「ダメだ。俺の目には、黒い影が全身を覆ってしまって何も見えない。これはまずいぞ」
幽霊がそう言った。それはつまり、蒲原の時と同じということか。
あの時は荒療治とはいえ、なんとか対処できた。だが今回は違う。
意識を失っているあかねをどうすれば助けられるのか。全く方法が思いつかない。
「意識を失っているということは……あの冬と同じ状態なんですね」
僕は確認のために尋ねる。彼女は目から流れる涙を手で拭いながら答える。
「はい。朝になっても起きてこないので、部屋に入ってみたら……」
それでも拭った先からどんどん涙がこぼれていく。構わず僕はさらに尋ねる。
「医者には診せたんですよね?」
「はい。でも、原因が分からないと言われてしまいました」
「どうして朝の時点で言ってくれなかったんですか! どうして嘘をついたんですか!」
思わず語気を強めて言った。
こんなに感情を露わにして怒ったのは、初めてかもしれない。
彼女は、ひどく怯えた様子で弁解する。
「す、すみません。家の皆様にご迷惑をかけてはいけないと思って……。申し訳ございません。失礼します」
そう言うと部屋を出て一階へ下りていった。同時に、幽霊もふっと消える。
ついカッとなって言ってしまった。
本当は、母親のあの人が一番心配だというのに。
しかし、原因不明の昏睡状態か。本当に何もかもがあの冬と同じだ。
僕はバカだ。アホだ。昨日の時点で気づくべきだった。あかねは風邪ではないと。
「笑えない……」
眠っているあかねの背中に腕をまわし、ゆっくりと抱き上げる。
その背中を覗いてみると、レッテルがある。昨日剥がしたはずのレッテルがべったりと貼りついているではないか。
「なんで? どうして? もう僕は、あかねのことを【傷女】なんて思っていないのに」
再び布団に寝かせてから腕の方も見てみる。
昨日見たばかりなのに、鮮やかな赤色の真新しい傷ができている。長さの異なる直線の切り傷の中に曲線のような傷が混じっている
今朝まではレッテルを剥がせていると考えていた。レッテルを貼りつけた僕自身がそれを否定したのだから。あかねもあんなに喜んでいたから。また、昨夜の幽霊の言葉を信じると、黒い影は薄くなり少なくなっていたと言っていたから。
しかし今、僕の目にはレッテルが見えている。
それに、幽霊の目にも黒い影が見えている。
この事実から目を背けることはできない。
ここに来るまでに幽霊と話しあったことを再確認する。
レッテル【傷女】、能力『おまじない』、約束、役目、大丈夫という言葉――。
黒い影の発生原因とレッテルを貼り付けられた原因の共通点――
それはもう、わかっている。
あとは、僕のぽっかり抜け落ちた記憶を思い出すことができれば。
チャンスは一度だけ。
失敗は許されない。
だが、あの時と違って今回は協力者がいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます