「……懐かしいです」

「え?」

「昔は、家でも学校でも名前で呼び合っていましたから」

「ああ、うん。初めて会ったのは小学生の頃だし、呼び捨てが普通だったから」

「いっしょに学校も行っていましたよね」

「そうだね。いっしょに寄り道したり公園で遊んだりもした」

「あの頃は、毎日がとても楽しかったです。また……できたらいいのですけれど……」

 あかねのか細い声が聞こえてくる。だがそれは、悲痛な叫びにも聞こえる。

 約束を結んでからは名前で呼び合うことも、いっしょに登下校することも、遊ぶこともなくなった。『おまじない』は言うまでもないことだが、あれから一度もしてもらっていない。

「ねぇ、あかね。ここを開けてほしい。直接顔を合わせて話がしたいんだ」

 返事はない。しかし、扉の向こう側にまだ彼女がいることは確かだ。

「ここを開けてくれたら、明日からまたいっしょに登下校するから」

「お。いつになく必死だな」

 黙っていた幽霊が茶々を入れてくる。何とでも言えばいい。あかねのレッテルは、僕が貼りつけたものだ。だから、僕が剥がさなければいけないのだ。それが僕の役目だから。 

 扉の向こうから僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。やはり彼女は、そこにいてくれる。

「今まで無視してごめん」

「いいえ……」

「今までつき離してごめん」

「いいえ……」

「自分勝手なお願いだとは思っている。だけど、あかねを助けたいんだ!」

 返事がなくなった。

 ダメか。

 そう思った時、カチャリと鍵の音。閉じられていた扉は、ゆっくりと開かれる。


「あかね!」


 目の前に立つ彼女を見て、叫ばずにいられなかった。

 あの冬の日の姿と重なって見えたから。

 顔色は悪く、ひどく虚ろな目をしていて、立っているのもやっとのように震えている。


「真実、さん……」


 ハッキリと僕の名前を呼んでくれた。

 だが次の瞬間、ふっと前のめりに倒れ込んだ。

 慌てて支えるが、彼女は足に力が入っていないのか、ぐったりとその場に崩れ落ちる。

「おい! あかね! しっかりしろ! あかね!」

 僕は大声で呼びかける。起きろ。起きてくれ。お願いだから、目を覚ましてくれ。

 しかし僕の声が玄関に虚しく響くだけで、彼女は一向に目を開けようとしない。

 それでも、彼女の手を握って何度も呼びかけ続ける。諦めてたまるか。

「真実。大丈夫だ。黒い影は、まだ大きくなっていない」

 幽霊が落ち着いた声で話しかける。それを聞いて少しホッとする。

 しばらくすると、あかねのまぶたがゆっくりと開いた。

 そして僕と目が合い、優しく笑いかけてくる。

「真実さんは、お優しいですね」

「あかね! 良かった。大丈夫!? どこか痛むところは?」

 僕の問いかけにしっかりと頷いた。そしてまた笑いかけてきた。

「でも、優しすぎるから心配です。あまり無理をしないでください」

 あの時と同じ台詞だった。嫌な予感がした。

 気づけば僕の手が彼女の手に絡めとられるように握られているではないか。

「大丈夫。私が『おまじない』をかけてあげるから。それが私の役目だから」

 慌てて手を振り払うが、一気に心が軽くなった。

 ストレスも眠気も体の疲れも吹き飛んでしまう。


 栃尾あかねの能力は未だ健在――。

 少しも衰えていなかった。

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