十二月。秋葉市あきはしの冬はとても寒い。


 小学校の終業式を終えた僕とあかねは家路を急いでいた。

 ふと空を見上げれば、ちらちらと白い物が降ってくる。例年よりも少し遅い初雪だった。

「ねぇ、あかね。雪が降ってきたよ」

 僕は振り返って声をかける。

「うん。雪の匂いがするね、真実」

 あかねの顔が朝見た時よりも赤い。

 無理もない。ここ数日間、彼女の体調は良くないのだ。けれど、一日も休まず学校に通い続けている。明日から冬休みなのでゆっくり休んでほしい。

「大丈夫? このままだと風邪を引いてしまうよ。早く帰ろう」

 最初は、学校までの道順を覚えるまでと思っていた。しかし、それ以降もいっしょに登下校している。学校から帰ると屋敷の門ので『おまじない』をかけてもらって別れることが日課になっていた。だが最近は、あかねの体調が悪いことを理由に拒否している。

「ほら。もうすぐ着くよ。ランドセルは僕が持ってあげるから。がんばって」

「心配掛けてごめんね。今日は『おまじない』かけてあげるからね。待っていてね」

「そんな体調なのに何言ってんだよ。『おまじない』なんてしなくていいよ」

「いいの。私が真実にしてあげたいから言っているの」

 あかねは微笑んだ。僕は、とても辛そうにしている彼女を見て何も言えなかった。

 僕らの遅い歩みを嘲笑あざわらうかのように、雪の降る勢いは止まらない。むしろどんどん強まっていく。朝の天気予報では、今夜から翌朝にかけて雪が降ると言われていた。僕もあかねも傘を持っていないため、次第に頭にも雪が積もり始める。

 時折自分とあかねの頭に付いた雪を払い、ようやく屋敷の門の前まで着いた。

 秋には綺麗な紅葉を見せてくれたいた木々も、冬になれば葉を全て落としてしまっている。彼女は、ひどく虚ろな目をしている。今にも倒れてしまいそうで不安だ。

「あかねのお母さんを呼んでくるから。先に離れ屋に戻って休んでいた方がいい」

 少しでも寒さを和らげるために自分の手袋を外し、あかねの手にはめてあげようとした。彼女の手は、顔と同じくらい赤くなり、ぶるぶると震えていた。

「辛い人を助けるのが私の役目だから。私は、それぐらいしか役に立つことができないから」

 あかねはそう言うと、僕の手をつかんだ。

 すぐに振り払おうとしたが、もう遅かった。

 一気に僕の心が晴れやかになり、モヤモヤとしていた気分はどこかへ消えてしまう。

「真実は、優しすぎるから。それが心配だよ……」

 それだけ言うと、ふらふらと庭の方へ歩いていく。その足取りはおぼつかない。心配になって声をかけようとした時、彼女の背中に紙が貼られているのが見えた。しかし、今朝までそんなものはなかったはずだ。一体、いつの間に貼られたのだろう。さらに雪が勢いよく降り始め、視界が遮られてしまう。

「あかね!」

 僕の声に気づいて彼女は振り返り、ほんの一瞬微笑むと、その場に倒れた。


 すぐにあかねの元へ走って駆け寄った。声に気がついたのか、この家の家政婦であり、彼女の母親もすぐに玄関から出てきた。そして倒れたあかねを抱えて離れ屋に向かう。

 あかねは寝間着に着替えさせられ布団に寝かされる。僕はその横でずっと彼女を見守る。布団から腕が出ていたので入れてやろうとした時、僕はそれを見て驚いた。

 その腕には、刃物で切りつけたような傷痕がいくつもあったから。

 一目見ただけでゾッとする。だが僕は目を離すことができない。もう片方の腕も見ると、そちらにも鮮やかな赤い線が縦横無尽に走っている。

 これは、あかね自身が刃物で腕を切りつけたのか。

 いや違う、とすぐにその考えを打ち消す。

 怖がりな彼女が自傷行為をするなんて思えない。これはきっと……『おまじない』のせいだ。あかねの能力は、人の心の傷を癒し、その傷ができた原因や経緯を知ることができる。だが、それらを知る過程で、他人の傷を自分の中に受け入れていたのだ。それが心なのか、体なのかは分からない。しかし、他人の傷を受け入れ続けた結果、彼女の心身は耐えきれなくなった。限界を迎え、体には無数の傷がつき、体調不良が続き、とうとう倒れてしまったのだ。

 そしてあかねが意識を失って倒れる原因を作ったのは――僕しかいない。


「それから僕は、あかねと距離を取るようにした。僕が『おまじない』に頼りすぎたから。能力を使わせすぎたせいで、あんなことになったんだから……」

「だから、校内であんなに顔を合わせないようにしていたのか」

「うん。家の中でも部屋には入れないし、できるだけ顔を合わせないように過ごしてきた」

「でも、あかねちゃんの意識は戻ったし、大事にはならなかったんだろ。それなのにどうしてお前がレッテルを貼ることになるんだよ。そもそもあの子のレッテルは何だ?」

 幽霊が背後から身を乗り出して聞いてくる。

「栃尾あかねのレッテルは【傷女】しょうじょ。傷の女と書いて【傷女】。それは僕が貼り付けた。でも……」

「でも、何だよ?」

「……どういう経緯で貼り付けたのか、正直よく覚えていないんだ」

「はぁ? どういうことだよ」

 彼が呆れと怒りのこもった声を上げる。だが、それも無理はない。あかねの両腕の傷を見たところまでは、僕もはっきりと覚えている。しかし、その後のことがどうにも思い出せない。そこだけぽっかりと記憶が抜け落ちていしまっているのだ。

「いつの間にか僕も眠ってしまっていて、目が覚めたら布団の上だった」

「はぁ? 倒れたぺったんちゃんと添い寝したのか? 意味が分からん」

「違う違う。なぜか僕は布団に寝ていて、あかねは意識を取り戻していて立っていたんだよ。それを見て僕は、彼女に対して【傷女】と言ってしまったんだよ」

「はぁ? ますます意味が分からん! よく思い出せ!」

 先ほどから幽霊は、そればかり言っている。だが、支離滅裂な説明を聞けばそんな反応になっても無理はない。けれど、本当に覚えていないし思い出せないのだ。

「思い出す努力はするけど、こっちの問題はどうするかな」

 僕は固く閉じられた離れ屋の戸を指さす。幽霊は低い声でうーんと唸る。

 先ほど離れ屋の戸は開かれた。しかし、すぐに閉じられてしまった。あかねの姿を見ることはおろか、声さえ聞くことができなかった。これでは救いようがない。

「幽霊の俺が戸の前で裸踊りをしても効果がないだろうからな。どうしたものか」

 たとえお前が生身の人間だったとしても、男の裸踊りなんて見たいとは思わない。それに、そんなことで戸を開けてくれるものか。もしそれで成功したら神様も驚く奇跡だろう。

「あの、真実さん。ここに来るなんて珍しいですね……。どうかなさいましたか?」

 戸の向こうから小さな声が聞こえてくる。

 その声は、紛れもなく栃尾あかねのものだ。

 僕は一度深呼吸して、気持ちを落ち着かせてから返事をする。

「今日、学校を休んだから心配になって来たんだよ。体調はどう?」

「ご心配をおかけしてすみません。もう大丈夫です。明日には学校に行けると思います」

 本当だろうか。声だけ聞くと元気がないことは明らかだ。

「そうだ。お弁当ごちそうさま。でも、体調が悪かったらお弁当作りは休んで良かったのに」

「お気遣いありがとうございます。でも真実さんのお弁当は、どうしても私が作りたくて……」

 それを聞いて少し恥ずかしくなった。だが、背後からの冷やかしですぐ冷静になる。

「ねぇ、あかね。あの約束は破棄するから。ここを開けて顔を見せてくれないかな」

 かつて僕とあかねの間で結んだ約束。家でも学校でもお互いに顔を合わせないというもの。家ではドア越しに話をするようにした。学校でも余程のことがない限り、話さないよう努めた。だが最近は、学校で何度か彼女から話しかけられたことがある。

「最近は、約束を破っていたよね。だから、もういいんじゃないかな」

 この約束は、あかねが倒れて以降に結んだ。

 理由は二つ。これ以上、彼女の能力に頼らないという戒め。そして僕が彼女のレッテルを見たくないという身勝手な理由。

 あれからずっと約束は守られてきた。もちろん、同じ学校で同じクラスにいる以上、完全に顔を見せないなんてできるわけがない。それでも何か理由がない限り、小中高とお互い顔を合わせず、話さずに生活してきた。それなのにどうしてだろう。

「申し訳ございません。真実さんの顔色があまり良くなかったので、つい声を……」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。僕は、見た目よりも丈夫なんだよ」

「はい。昔はいつも泣いていらっしゃいましたけれど、今は泣かなくなりましたものね」

 使用人、いや、幼馴染からの強烈な言葉の暴力。レッテルを言い当てられるよりも強力。

「あ、すみません。失礼なことを……」

「いや、あかねの言う通りだよ。あの頃の僕は、いつも泣いてばかりいたから」

 丈夫にならなければいけなかった。

 強くならなければいけなかった。

 そうしなければ、また彼女に頼ってしまうと思ったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る