昼休み、僕は職員室に呼び出された。

 友人にはからかわれ、栃尾さんにはまた心配されてしまった。

 幽霊はその光景を見て笑っていた。


 職員室に行くと、見慣れたブレザー姿の女子生徒が立っていた。きっと僕と同じ用件だ。

「あれ、先輩も来たんですか」

「仕方ないだろ。僕も来るように呼ばれたんだから」

「へぇ。暇なんですね」

 蒲原が意地悪そうな笑みを浮かべる。だが、そんな安い挑発には乗ってやらない。

 あれから僕は、蒲原を見かけるたびに話しかけるようにしてみた。彼女にとって名前であり、レッテルでもある【春】。これは、彼女の人を惹きつける容姿を妬み羨んだ人達がつけたものだ。あいつは【春】を売ると噂を流され、それが徐々に広まっていき、ついにレッテルとなった。

 そのせいで蒲原【春】は、軽度の男性恐怖症になったのではないか。それを解消するために始めたことだ。当然、最初は無視された。だが、制服被害の件で相談に乗ってくれた津川先輩の協力もあり、今ではこうして軽口を叩くようにもなった。いや、罵倒かもしれない。

「今日は図書室来る? 津川先輩はいると思うけど」

「アルバイトがないので行きます」

「わかった。津川先輩、喜ぶと思うよ」

 津川先輩は、蒲原の勉強を手伝ったり悩みの相談に乗ってあげたりしている。

「あれー、真実先輩は嬉しくないんですかー? 悲しいなー」

 蒲原がまた意地悪そうな笑みを浮かべてからかってくる。今度は乗ってやろう。

「え、嬉しいよ。僕も蒲原と話すのは楽しいから」

 僕は、真面目な顔をして答える。


「F! D! C! F! D! C! F! D! C!」

 その直後、変態幽霊が調子に乗り始めた。おそらく蒲原、雪森先生、津川先輩の胸のサイズを言っているのだろうが、早く成仏させたい。そして意味が分かってしまう自分を殴りたい。

 その気持ちを拳に込めて職員室の戸を叩いた。

「失礼します!」

 戸を開けて入って用件を告げる。少し遅れて蒲原も後から入ってきた。

 蒲原のクラス担任が手を高く挙げているのが見えた。二人でいっしょにそちらへ向かう。そこには、長いソファーと一人用のソファーがいくつか置かれている。簡易的な応接室だろうか。

「おお、君も来てくれたか」

「はい。僕もクラス担任の先生から呼び出されました」

「昼休み中に悪いな。二人ともそこに座ってくれ」

 教師が一人用ソファーに座っているので、僕と蒲原は対面の長いソファーに座る。司書室にある物と比べて狭い。お互いの体が密着してしまうけれど、少し我慢してもらおう。

「最初に蒲原の制服の件だが……」

 教師は非常に言い辛そうにしている。

「他の先生方の了承を得られないということですか。やはり特例は見られない、と」

 その様子を見て、先に僕が言ってしまう。

「ああ、その通りなんだ。申し訳ない」

 無理なお願いをしていることは分かっている。

 正直、検討してもらえただけでもありがたい。

 そのことは蒲原もわかっているだろう。

「けれど、黙認の方はしてくださっていますよね。ありがとうございます」

「そのことは、あまり大きな声で言わないでくれよ。他の生徒に聞かれたら……」

「すみません。それで、僕たちを呼んだのはどういった理由ですか?」

「ああ、そのことなんだが……。蒲原。ボランティア活動をやる気はないか?」

 僕の頭上に疑問符が浮かぶ。隣に座る蒲原が何も言わないので代わりに尋ねる。

「それは、制服の件と何か関係があるんですか?」

「嘆願書を読んだ教諭の多くは、理解してくれているんだ。それでも一部の教諭は……な?」

「つまり蒲原がボランティア活動をすることで、反対派の教師陣の心証を良くしようと?」

 蒲原の担任教師は、少し頼りない印象を受けたけれど、なかなか計算高い人のようだ。それに彼女のことをしっかりと考えてくれている。

「結論を言ってしまうとその通りなんだが、心証を良くするって言い方は……」

 教師はばつが悪そうな顔になった。

 けれど、とても良い考えだと思う。僕が当事者なら二つ返事で了承してボランティア活動に精を出すだろう。他人から信頼を得るためなら、心証を良くするためなら、僕は何だってする。

「どうだろう蒲原。少し考えてみてくれないか」

 先ほどから黙っている彼女に担任教師が声をかける。

 横を見ると、耳が少し赤くなっている気がした。やはり軽度の男性恐怖症だから気分が悪いのか。しかし、こればかりは僕が代わりに答えるわけにはいかないので黙っていよう。

「そのボランティア活動は、あたし一人でやるんですか?」

 蒲原は俯き気味だが、しっかりとした口調で話す。

「地域の清掃ボランティアをしているグループがあるから、それに参加してもらおうと思っている。時間は放課後。できれば何日か続けて参加してもらいたい」

「……アルバイトがない日ならやってもいいです」

「本当か。よかった。なら、早速予定を……」

 担任教師が腰を浮かして立ち上がろうとした。そこに蒲原が待ったをかける。

「あの、真実先輩は……参加しないんですか?」

 今度は、顔を上げてしっかり前を見て言った。

「えーと、彼に来てもらったのは、最初の件を伝えるためで……」

 担任教師は、腰を浮かしたまま苦笑して言葉に詰まっている。

 蒲原が立ち上がってこちらを見る。知り合ってから初めてしっかり目を合わせた気がする。

「お願いします。真実先輩も、いっしょにボランティア活動に参加してください!」

 そう言って頭を深く下げた。髪の根元まではっきりと見える。それは綺麗な赤茶色だった。

「いいよ。後輩のお願いに応えるのが先輩としての僕の役目だから」

 僕は笑顔を作ってそう言った。


 ボランティア活動が始まったのは、一学期最初の試験が終わってすぐのことである。四月には芽吹き始めたばかりだったモミジも若葉になっていた。

 放課後、僕と蒲原は地域清掃ボランティア団体がある事務所を訪れた。平日なので若い人は少なく、高齢者が多い。ボランティア活動を率先してする人達だからか、皆が柔和な表情をしていると思った。参加者は男性の方が多い。少し心配になったが、問題はなかった。蒲原は、ぎこちない笑顔を浮かべながらもしっかりと話をしていたから。

 初回はあいさつもそこそこに、秋功学園周辺の清掃活動をすることになった。モミジ並木の坂道を始め、校舎を取り囲む壁の周りに落ちているゴミを拾っていく。普段からしっかり清掃されているおかげか、ゴミはあまり落ちていなかった。幽霊は、必死になってエロ本を探していた。しかし、一冊も見つからずに憤慨していた。

「クソ! なんて時代だ!」

 日が暮れて辺りが暗くなり始めた頃に解散となった。大きめのゴミ袋を用意していたけれど、その半分も入っていない。

 帰る前に図書室に寄ると電気は消えていた。だが、司書室の電気はついていた。ノックしてから中に入ると、津川先輩と雪森先生が談笑していた。

「初めての共同作業、お疲れさま」

 雪森先生がからかってきた。蒲原は怒った。津川先輩は笑った。


 二回目のボランティアは、あいにくの雨だった。

 あまり遠出はできないということで、団体の事務所もある秋葉駅前商店街を掃除することに。幸いここは、歩行者が通る道には屋根がついているから雨に濡れない。車が走る中央の道路には、ザーザーと大きな音を立てて雨が降り続いている。帰りには、弱まるか止んでくれているといいのだが。

「あの子って君の恋人? かわいい子だね」

 初日にはいなかった若い男性が僕に尋ねてきた。

 誰のことかと思い、彼の指さす方を見る。その先には、蒲原が黙々と清掃作業に従事している。

 さて、どう答えたものだろうか。否定すると、彼は蒲原に接近するかもしれない。男性恐怖症を克服するには良い機会だが、失敗した時が怖い。だが肯定すると、それはそれで問題だ。なぜなら僕は、蒲原の恋人ではないから。

 何も言わずに黙っていたら相手は作業に戻った。沈黙は金、ということか。

 もう一度蒲原の方を見たら、彼女もこちらを見ていたようだった。だが、すぐに視線を逸らされる。

 清掃活動が終了した頃には、ゴミ袋が大きく膨らんでいた。前回よりも小さな袋を使っていたとはいえ、学校周辺よりもゴミが多かった印象を受ける。

 僕の願いとは裏腹に、雨はまだ強く降っている。雨脚が弱まるまで事務所で待たせてもらうことにした。温かいお茶をごちそうになっていると、蒲原が隣の席に腰掛けて話しかけてきた。

「先輩は電車通学ですか?」

「いや、ここが地元だよ。商店街側に住んでいる」

 地元住民ならすぐに分かるけれど、蒲原がどこに住んでいるのか僕は知らない。念のため、意味が分かるか確認すると頷いてくれた。

「あたしは都会側です。でも、おかしいですよね」

「なにが?」

「同じ市内で大して違いがないのに都会側って……。どっちも田舎じゃないですか」

「そうだね。僕も商店街側と言っても、家の近くには田畑や川しかないから実感がないよ」


 秋葉市は、真っ直ぐに伸びる電車の線路によって東と西に分断されている。もちろん壁なんてないから東西は自由に行き来できる。僕が東と西を移動する時、地上から数十mの高さに建てられた秋葉駅の中にある自由通路を通ることが多い。

 ガラス張りの自由通路から街の風景を眺められるからだ。鉄道好きの友人の話によると、秋葉駅の駅舎は橋上駅舎というらしい。跨線橋と駅舎を一体化したような構造を持つから、駅舎内を通ることができるのだと力説していた。

 秋葉市民は秋葉駅の東口側のことを商店街側、駅の西口側のことを都会側という。東口側は、古い商店と住宅が混在する秋葉市の中心街。西口側は、新興住宅地となっている。

 商店街側は、その名の通り、秋葉駅前商店街があるから。しかし田舎の商店街のため、寂れていてシャッターを閉めている店も多い。僕が津川先輩と出かけた万代駅前商店街とは大違いだ。かつてはここも賑わっていたようだが、僕が生まれる前の話だ。過去の栄光である。

 昔の秋葉駅西側は東側の人間から、住む場所ではない、と揶揄された。住民同士の争いが起こることもあり、それほど東と西で地域格差があったと言っても良い。だが、ここ十年ほどで西側は大きく様変わりした。東側に比べて地価が安く、広い土地も残っていたため、住宅が次々に建てられる。そこに若い世代の人達が住むようになり、それに伴って大きなショッピングモールができた。今では、こちらが秋葉市の中心街かもしれない。

「でも昔は……」

 言いかけてすぐに口を閉じた。僕は蒲原の耳に届いていないことを強く願う。

「雨、止みませんね」

 彼女は窓の外を眺めながらそう言った。

 雨は、一向に止む気配がない。

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