図書委員の男子からの証言と本人の言動や行動からそのレッテルの意味を考える。

【春】は、単純に季節を表すだけではない。だとすると僕の考えが正しいのではないか。しかし、それが正しいのか間違っているのか、答え合わせをするすべがない。

 ブレザー服の彼女、蒲原【春】とは学年が違うし、所属する委員会も違う。なかなか接点を作ることができない。幽霊も僕の推測に同意してくれたが、どうしたものか。

 窓の外を見れば太陽が沈みかけていた。図書委員会の昼の当番はなかったけれど、放課後の当番はあるので足早に移動する。


「ちょっと待った。あれ見ろよ」

 脇目も振らずに図書室へと向かう僕を幽霊が呼び止める。

 何事かと思って振り返れば、廊下の突き当たりに見覚えのある女子生徒達の姿があった。黒いセーラー服姿の女子生徒三人がブレザー姿の女子生徒を囲んでいる。ここからでは顔がハッキリと見えないけれど、なんとなく見覚えのある背中だと思った。

「確かあれは、三年生の【女王気取り】【腰巾着A】【腰巾着B】それから一年生の【春】」

「なんだ。他人のレッテルを覚えているのかよ」

「物心ついた頃から見続けてきたからね。自然と覚えるようになったんだ」

 僕は自嘲気味に笑った。

「なるほど。俺も生前のことは覚えていないけど、好きなAV女優の名前は覚えているから同じだな」

「ちょっと待て。僕の記憶力とお前の記憶力をいっしょにするな変態幽霊」

「まあまあ、今そんなことはどうでもいいだろ。それよりどうするよ、アレ」

 幽霊が女子生徒の集団を指さす。


 迷わず『助ける』という選択肢を選ぶ。


 どのように助けるか幽霊と打ち合わせ、僕は走って彼女の元に向かう。足音に気がついてセーラー服の三人が睨みつけてきた。ブレザー姿の彼女は、こちらを見ようともしない。まるで自分には関係ないといった風を装っている。

「なんか用?」

「あんた誰? こいつの彼氏?」

「邪魔だからどっか行って。あんたに関係ないことだから」

 伝統と格式ある秋功学園と言われていたのも今は昔か。創設者が見たら怒り狂うだろうな。彼女達は学園指定の制服を着ているが、ところどころに自己流のおしゃれが施されていた。僕の目から見るとそれは、格好悪いとしか思えないけれど。

「二年一組の真実と言います。すみません。そちらにいる一年生に用があるんです」

 僕はできる限りの笑顔を作り、丁寧な口調で説明をする。

 当の本人は、相変わらず我関せずといった風に、明後日の方向を見ている。

「話聞いてた? どこかに行けって言ったの」

「一組の生徒なら頭が良いんだから、この意味分かるよね?」

「あんたも彼氏が来たからって助かると思わないで。このビッチ!」

 セーラー服の一人が蒲原に向かって言い放つ。

 その暴言を聞いて、僕の推測が尚更正しいと思えた。

「幽霊。あとは頼んだぞ」

 背後にいる幽霊に小声で話しかける。だが、なかなか反応がない。

 心配になって後ろをチラリと見ると、ふて腐れた表情をしている幽霊が一体。

 その姿は、スーツを着た男なのにひどく幼く見えた。


「おいおい真実。呼び名が違うだろ。最初に会った時、俺は何と呼べと言った?」


 そういえば、初めて会った時にお互いの呼び名を決めた。

 けれど、その呼び名があまりにもこいつに合わないと思って一度も使っていない。だから、幽霊とか背後霊とかで済ませていた。


「ヘイ! マサミィ! コールミー! コールミー、マイネェーム!」


 死んだ人間のくせに生気あふれる情熱的な語り口だ。

 こいつを敬う気持ちは一切ないが、お願いする立場なのだから仕方ない。



「お願いします……【先生】!」



「は? 何言ってんの。教師にチクる気? ってか、誰もいないんだけど」

 当然の反応だ。彼女達には、見えていないのだから。

 しかし、僕には見えている。窮地を脱するための味方の姿が。

「ガッチャ!」

 やはりどこか締まらない。

 だが、三年生の一人に幽霊が憑依して仲間割れさせることでこの場は乱れる。その隙に彼女をここから連れて逃げれば……。

「うおぉぉぉ! 校舎の窓ガラス壊してまわるぜぇ!」

 何を言っているんだこいつは。打ち合わせと全然違うじゃないか。

 だが、気づいた時にはもう遅い。いつの間にか幽霊は、廊下の外から窓をドンドンと叩く。それこそ本気で割ろうとする強さだ。本来なら幽霊だから物には触れられないのでは、と疑問に思った。だが、すぐにポルターガイストポイント(PP)という謎のシステムを思い出した。

「割れろ! うおら! 割れろ! こなくそ!」

 だが、こんなことで怖がるだろうか。スーツ姿の男が必死に窓を叩いているだけだ。

「ちょ、なに、何なの。意味分かんない」

「え、風? 誰かいるの? いないよね? ねぇ! ねぇってば!」

「こわいこわいこわい! 何これ! 何なのこれ?」

 思いのほか効果があった。僕から見たら滑稽な姿だとしても、彼女たちから見れば恐ろしい光景のようだ。無関心を装っていた蒲原も窓ガラスに亀裂が入る音を聞いて体を震わせる。

「あっ……」

 気のせいだと思いたかった。だが、すでに窓ガラスの一枚がヒビ割れていた。その窓ガラスの向こうには、幽霊のしまったと言いたげな顔が浮かんでいる。どう見てもやり過ぎだ。

 しかし、この機を逃すわけにはいかない。僕は蒲原の手を取ると勢いよく走り出す。

「ちょっと何ですか」

 彼女は、いきなりのことで状況が整理できていないようだ。

「いいから。早く逃げよう」

 詳しい説明は後だ。そのまま手を引っ張って走る。

 僕の予想に反して手を振りほどいたり殴ってきたりすることはなかった。呆気に取られている三年生集団は動く気配すらない。


 僕と蒲原は勢いよく図書室に駆け込んだ。三年生女子は、やはり追ってきていないようだ。

「どうしたの真実まさみちゃん!」

 図書カウンターにいた津川先輩が声をあげる。持っていた書類を放り出し、こちらに駆け寄ってくる。僕は呼吸を整えてから謝罪する。

「すみません。遅くなりました」

「それはいいけど、少し司書室の中で話そうか? その子もいっしょに。ね?」

 先輩の顔に笑みが浮かびあがってくる。けれど、その下に怒りの感情が見えてならない。

「あの先輩。遅刻してすみません。これから図書委員の業務を始めます」

「それはさっき聞いた。今は自習の人が多いから図書カウンターにいなくても大丈夫」

 やはりなにか怒っている。

 原因は何だろうと先輩の視線の先を追うと、僕と蒲原の握り合った手に至った。慌ててその手を離すが、もう言い逃れはできない。

「あ、先輩。今日は眼鏡じゃなくてコンタクトレンズなんですね。似合ってますよ」

「今はそんなことを話す時じゃないよね? さ、早く司書室へ」

 悪あがきも無駄だった。


 観念して司書室に入ると、コーヒーの香りが広がっていた。カップをパソコンの脇に置いてタイピングしている司書教諭の雪森良枝先生。こちらをチラリと見て、うふふと笑った。

 一体、なにがおかしいのだろう。笑えない。

 僕はなにも言わずに一人用のソファーに腰掛ける。

「さ、あなたも座って。コーヒーがいい? それとも紅茶?」

 先ほどと打って変わって明るい表情で話す津川先輩。浮かない表情の蒲原を長いソファーに座らせ、カップを三つ用意した。一つにコーヒー、もう一つに紅茶の粉末を入れて熱湯を注ぐ。

「……紅茶を」

 遅れて蒲原が答える。先輩が紅茶の粉末をカップに入れて同じように熱湯を注ぐ。それからスプーンで軽くかき混ぜる。そしてコーヒーのカップを僕に、紅茶のカップを蒲原に渡した。最後に自分の分のカップを持って、蒲原のいる長いソファーに座った。

「えーと、あなたのお名前は?」

蒲原かんばら……です」

 彼女は、とても言いにくそうに自分の名前を答えた。

「蒲原さんね。初めまして。私は三年の津川香夏子つがわかなこ。よろしくね」

 そう言って笑いかける。蒲原は津川先輩の目を少しだけ見つめてから頭を下げた。

「あちらに座っているのが司書教諭の雪森良枝先生。そして彼は【秋……真実ちゃん」

 津川先輩が機転を利かせてくれて助かった。僕は自己紹介が苦手だから。

「蒲原さん。顔色が悪いけど大丈夫? なにかあったの? 私で良ければ相談に乗るよ?」

 本当に津川先輩はよく気がつく。浮かない表情をしているとは思ったけれど、蒲原の顔色までは判別できなかった。先ほど先輩が怒り気味だったのはこういうことか。

 蒲原は、とても言い辛そうにモジモジとしている。それからこちらをチラリと一瞥いちべつする。

「真実ちゃん……まさか欲情に駆られてこの子を……」

 津川先輩が目配せしてきた。話しやすい雰囲気を作るための冗談交じりの軽口だろう。

「違います! さっき三年の女子生徒に絡まれていたところを助けたんですよ!」

 言って良いかと悩んだけれど、何も言わなければ僕の立場が危ういと判断した。だが現段階で僕から話せるのはこれくらいだ。詳しい事情を話すかどうかは、彼女次第だから。

「あの、さっきは、ありがとうございました。助けてくれて……」

 ぶっきらぼうながら蒲原から感謝の言葉が届いた。

 正直驚いた。見た目だけで【不良】や【ヤンキー】とイメージしていたが、すぐに考えを正そうと思った。僕個人の一方的な印象でレッテルを貼り付けて良いわけがないのだから。

「さすがに誰もいないのはまずいですから、僕は図書カウンターにいますね」

 男の僕がいない方が話しやすい話題もある。

 蒲原のことを先輩と先生に託して司書室を出る。

 

 おそらく蒲原は軽度の男性恐怖症だろう。

 一年生男子と三年生女子の評価、彼女自身の言動行動から考えて間違っていないと思う。整った顔立ち、ほどほどに細長い手足、大きな胸。モデルのような体型とでも言おうか。男の視線を惹きつけて離さない美しい容姿をしている。しかし、美しく生まれたことは彼女にとって幸か不幸か。

 根も葉もない噂を流され、好き勝手にレッテルを貼られるのだ。幸せなわけがないか。ましてや名前がレッテルなんて……笑えない。

 そういえば先ほどから幽霊の姿が見えない。蒲原を連れて逃げることに集中していたから彼が逃げたのか確認できていない。もしもレッテルや黒い影に関連する話が出ても良いように、できれば司書室にいてくれたらいいのだが。試しに小声で呼びかけてみたけれど、幽霊からの返事はなかった。


 しばらく図書カウンターで貸出返却の手続きをしていると、司書室から津川先輩が出てきた。

「真実ちゃん。交代しよう。あの子の話を聞いてあげて」

「え、いいんですか?」

 僕が聞いても良いような内容なのか。

 なぜか先輩は、申し訳なさそうな顔をしている。

「あまり気分の良い話ではないかな。でも、できるなら真実ちゃんの力を貸してあげて」

 【期待はずれ】で【出来損ない】の僕に何ができるというのだろう。力なんて何にもない。けれど先輩の真剣な眼差しを見て、僕は席を立って移動する。

「先輩はコンタクトレンズも似合いますけど、眼鏡の方が似合っていると思いますよ」

 恥ずかしかったので司書室に入る直前に伝えた。

「あはは。心配してくれてありがとう」

 津川先輩の声に少し元気が戻っていた。

 司書室に入ると、雪森先生が蒲原といっしょに長いソファーに座っていた。その前にある机の上には、一枚の紙が置かれている。僕は机を挟んで対面にある一人用の椅子に腰かけた。

「真実くん。ぜひ力を貸してほしいの」

 雪森先生が真剣な表情でこちらに訴えてきた。

「ここにある嘆願書を読んでくれる?」

 先生が机の上にあった紙を裏返して僕に渡してくる。題名は嘆願書。その内容は……。

「蒲原さんがブレザーを着用することを特別に認めてほしい、ということですか」

 僕は、書類の内容に誤りがないか尋ねる。先生が頷いた。

「秋功学園は規則に厳しいですからね。しかも一人だけ特別なんて認められるかどうか」

「だから、あなたの力を借りたいの。お願い」

 津川先輩の申し訳なさそうな表情の意味がようやく分かった。

「理由を聞いてもいいですか?」

「正当な理由、納得できる理由がないとダメよね。でも、あのね……」

「あたしが話します。あたしのワガママでお願いするので、あたしが話します」

 ずっと閉ざしていた蒲原の口が開く。その表情は暗いままだ。

「先輩は知ってますか? 秋功学園の女子のセーラー服ってすごく人気なんですよ」

「秋葉市内の高校は、ブレザーが多いから黒のセーラー服は珍しいと聞いたことがあるけど」

「ネットオークションで高額出品されていることは知っていますか?」

「……知らなかった」

「制服姿で電車に乗ると痴漢に遭いやすいことは知っていますか? 乗客の少ない電車なのにわざわざ近くまで寄ってくるんですよ。おかしいでしょう」

「……」

「電車じゃなくても同じです。市内のコンビニでも本屋でも喫茶店でも駅前でも同じなんです。秋功学園のセーラー服を着ているというだけで男が寄ってくるんです」

「……」

「この気持ち……男の先輩に分かりますか?」

 涙は流していないけれど、蒲原の声は震えている。見かねた雪森先生が背中をさする。

 僕には分からない。蒲原がどれだけ辛い想いをしたのかも。彼女に群がる男の気持ちも。だが今やるべきことは、はっきりと理解した。

「笑えない」

 書類を手に取り、雪森先生の机に移動した。置いてあった黒のボールペンを借りて署名する。自分の名前を書く時、いつも以上に手に力が入った。


 気分が悪いという蒲原を先に帰し、図書室の閉室作業をすることにした。司書室から出ると、すぐに先輩が気づいて頭を下げてきた。その行為の意味は分かるけれど、彼女が頭を下げる理由は分からない。

「どうして先輩が謝るんですか」

「真実ちゃんに嫌な思いをさせちゃったから」

 相変わらず申し訳なさそうな表情をしている先輩。苦笑して答える僕。

「一番嫌な思いをしたのは蒲原さんですから。それに、後輩を助けるのは先輩の役目です」

「さすが私の後輩で、妹で、未来のお婿さん候補ね」

 いつの間にか新たな肩書が付けられていた。まあ、レッテルではないから良いか。

「あれ、僕が婿に行くんですか?」

「その方が真実ちゃんにとっても都合が良いでしょ?」

 そう言って先輩は、にっこりと笑う。

 あれは自分の利益だけでなく、僕の利益も見越しての提案だったのか。

 だが、それでも僕には――。

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