2
地下書庫に足を踏み入れると、まるで外にいるかのような寒さだった。
春になったとはいえ、朝はまだ肌寒さを感じる。
ひと月前まで防寒着を手放せなかったのだから当然か。
「なあ」
幽霊は、僕の周りをうろちょろしている。
それを無視して黙って書籍を所定の棚に片づける。自ら片づけると言ったものの、早く済ませなければ朝のホームルームに間に合わない。
「おいおい無視しないでくれよ。幽霊は、何も反応されないのが身に堪えるんだ」
お前は肉体が消滅しているだろう、と言いそうになったが、慌てて口を固く閉じた。
これはきっと罠だ。僕に反応させるようという幽霊の魂胆だ。
「さっきのことは謝るよ。俺だけ美人先生の裸を見てしまって悪かった」
そういうことじゃねぇよ。それに雪森先生の裸なら僕だって過去に……。
「よし分かった。俺も本の片づけを手伝うからそれでチャラにしてくれ」
無理だろ。いや、できなくはないのか。
誰も手を触れていないのに物が移動したり物が飛んだりすることをポルターガイスト現象というらしい。
まさかそれができるというのか。
幽霊は本に右手を置くと、何やら呪文を唱え始める。
「ふんぬおぉぉ! うおぉぉ! 俺の右手よ! 今こそ真の力を発揮する時だぁ!」
幽霊の必死の形相に思わず笑ってしまった。
だが、本は少しも動く気配がなかった。
「あはは! おま、お前、その顔、ひっどい! あはは! あはっ!」
「ちっ。ポルターガイストポイント、PPが足りなかったか」
何だその業界用語。初めて聞いたぞ。
もし事実だとしたらどうすればPPが貯まるんだ。
無視することを諦めた僕は、幽霊からの質問を受け付けることにした。
「さっきの美人先生、何の担当なんだ。保健体育の保健か?」
「雪森良枝先生ね。学校の図書室の管理をする司書教諭だよ。図書委員会の顧問もしている」
「メガネちゃんのことは、何か知らないのか」
僕は首を横に振った。津川先輩のことを尋ねたのはかなり前だが、今聞いても同じだろう。
「そう言えば郷土史の研究をしていると言っていたな。何の歴史を研究しているんだ?」
手が止まった。気づかれないように一息ついてから口を開く。
「秋葉市。季節の秋に葉っぱの葉と書いて秋葉市。この町の歴史だよ」
「あきはし……。秋葉市……。【秋葉】ね……。うーん、【秋葉】か」
「あんまり【秋葉】を連呼しないでくれ……。それで、なにか思い出したか?」
「いや、ダメだな。なにも思い出せない」
やはりこいつは、この町の人間ではないのかもしれない。
「そうか。まあ、ゆっくり思い出せばいい。ん?」
本棚と本棚の間に何か挟まっている。細い隙間に入っているので人差し指を入れてどうにか取り出す。表紙にモミジが描かれた朱色の手帳。裏返すと、学年、クラス、出席番号が記されている。最近は面倒だからと写真を貼っていない生徒も多いが、この手帳には持ち主の顔写真もしっかりと貼られていた。
「なんだそれ。生徒手帳か」
幽霊が僕の手元をまじまじと見つめている
「誰のだと思う?」
「こんな薄暗い地下書庫に来るのは、司書や図書委員くらい……。ってまさか」
察しの良い幽霊で助かる。
生徒手帳に貼られた写真を見せる。そこには、真面目な顔で写る津川先輩の姿が。
「おいおい。勝手に中を見る気か?」
先ほどまで欲望にまみれた言動と行動しかしていない奴の台詞とは思えなかった。こいつにも道徳的な言葉を発する時があるのかと心底驚いた。
「先輩のレッテルや黒い影の手がかりになるかもしれないんだ。少し見るだけだよ」
秋功学園の校則により、学生手帳は常に携帯が義務付けられている。校門の服装チェックでは校章バッジだけで済むが、学生手帳の所持確認も抜き打ちで行われる。きっと先輩は、どこかでなくしたと思って困っているだろう。後でちゃんと返そう。
何が出るかな、何が出るかな、とつぶやきながら手帳をパラパラとめくる。だが、中には校則がびっしりと書かれているだけ。メモ帳の欄には、なんの書き込みも見られない。
ダメか、と思いつつ学生手帳のカバー裏に指を入れてみた。
「ん?」
「どうした。コンドームでも入っていたか?」
肉体がないくせに、どうして下半身に直結するような考えしか出てこないんだ、こいつは。
学生手帳の裏に入っていた何かを傷つけないように取り出す。それは、写真だった。
「誰だそのカッコいいの。メガネちゃんの彼氏か?」
「知らないのか、それとも記憶をなくしているのか。有名なアイドルだよ」
今でもその男性アイドルは、テレビ番組や映画に出演している。確かデビューはアイドルだったけれど、今では俳優としての活動が多いと思う。写真に写っている男性を見ると、今よりも少しだけ若そうだ。おそらく二年か三年ほど前に撮られた写真だろう。
僕は、写真を学生手帳のカバー裏に入れ直した。
「好きなアイドルの写真を入れるのは、まあ珍しいことでもないか」
「ああ。少なくともズレていないと思う」
おそらくこれは、雑誌か何かの付録だと思う。それを切り抜いて持ち歩いていても、別におかしくない。好きなアクセサリーを鞄に付けたり持ち歩いたりするのと同じ感覚だろう。
「なあなあ。美人先生を見て思ったんだが、メガネちゃんのブラがズレてるという意味ではないよな?」
先輩にとっての【ズレ】とはなんだ?
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