「お前の見える能力っていうのは、幽霊が見えるとか話せるとか、いわゆる霊能力ではないんだな?」

「ああ」

「他人の評価や偏見、イメージ、いわゆるレッテルが見られる能力ということか」

「ああ」

「そのレッテルは、人の背中に文字が書かれた紙が貼られているように見えると」

「ああ」

「それで……。おい、ちゃんと聞いてるのか?」

「聞いてるよ」

 僕は教室での失敗を悔やんでいた。悔やんでも悔やみきれない。

 生きた人間でないとはいえ、自分の知られたくない秘密を知られてしまったのだから。ああ、本当に笑えない。


「そんなに思い詰めるなよ。バレてしまったものは仕方がないだろ。な?」

 先ほどから僕の背中にまとわりついて離れない謎の男の幽霊。すでに学校を出て自宅に戻っているのだが、なぜかこいつもついてきた。オカルトには詳しくないけれど、幽霊はその土地に縛られて離れることができないのではないのか。だがこいつはあっさりと離れ、僕の背後にふわふわと浮いて離れようとしない。幽霊だから肉体がないとはいえ、常にスーツ姿の男が背後にいると思うと……暑苦しい!

「おい幽霊。お前にも帰る場所があるだろ。話は終わったんだから早く学校に帰れよ」

「土地から離れられないのは地縛霊。何物にも縛られず飛んでいるのが浮遊霊。だが俺は、お前に出会ったことで背後霊になったのだ!」

 謎の男の幽霊が僕の耳元で叫んだ。そのせいで耳の奥がキーンとなった。

 ああ、そういうことか。

 背後霊だから僕の背中にぴったりとくっついているのか。

 そうかそうか。だが、そんなこと知るか!

「なら背後霊。暑苦しいから離れろ。僕の前に来い」

「幽霊だから暑苦しいも何もないと思うんだがなぁ。むしろ寒気がするのが正しい」

 後ろを振り返って睨んだ。

 幽霊は、パッと消えたかと思えば目の前に突如現れた。

 こういうところを見ると本当に幽霊なのだと実感する。しかし、幽霊だと言うのに体がはっきりくっきりと見えるのは何故だ。その姿から察するに二十代半ばくらいの会社員に見える。

「背後霊は、憑いた人間の背後を三分以上離れてしまうと成仏してしまうから気をつけろよ」

「嘘をつくな、嘘を。そんなことを言っていると協力してやらないぞ」

「おおー怖い怖い。学校では敬語だったというのにそれもなくなっているし」

 それはお前が生きた人間でもなければ、敬うほどの人柄でもなさそうだと分かったからだ。

 もしも生前こいつが敬うに値する職に就いていたり功績を残していたりすれば考えが変わるかもしれない。けれど、今までの言動や行動を見ている限り、その可能性はなさそうだ。

「それより幽霊。学校で話していた僕に頼みたいことってなんだよ」

 ゆらゆらと浮遊して落ち着きのない幽霊に話しかける。

「俺の姿が見えて、話せるお前にしか頼めないことだ.。レッテルが見える能力も役立つだろう」

「もし断ると言ったら?」

 学校では能力のことがバレたと勘違いしてしまったが、こいつは幽霊だ。

 生身の人間でないのなら他人に言いふらされる心配もない。

 だから、こいつの頼みを聞く必要もないはずだ。

「くくく」

 幽霊は意味深に笑う。何を考えているのか読めない。そのため何をされるかもわからない。これから一生憑かれるという可能性もある。それは絶対に避けたい。

 僕は小さく舌打ちする。

「先に言っておくけど、僕の能力に期待するなよ。あくまで他人のレッテルを見られるだけだ。その人の心の傷や悩みを深く理解できるわけでもないし、ましてや癒して治せるわけでもないんだ」

 幽霊は、了承したという風に深く頷いて見せた。

「それで、僕は何をすればいいんだ」

「お前には、黒い影を背負っている生徒を救ってもらいたい」

 黒い影を背負う生徒? 一体どういう意味だ。

「俺は、どうして死んだのかもいつ死んだのかも覚えていない。自分が幽霊だと気づいたのもつい最近のことだ。どういうわけか気づいたら秋功学園なんて聞いたこともない学校の中をふわふわと浮いていた。まあ、最初は女子高生を見放題だと思って大いに喜んだけどな! あはは!」

 今すぐこいつに塩をまきたい。その気持ちをグッとこらえて話を聞く。

「だがある日突然、何人かの生徒の背中に黒い影のような物が見えるようになったんだ」

「黒い影? 何だよそれ」

「分からない。触ったり、揉んだり、擦ったり、舐めたり、嗅いだり、色々したんだがな」

 こいつが幽霊でなかったら完全に変質者の行動だ。

 しかし、黒い影が何かも分からないのにどうやってその人を救えというのか。お祓いでもしてもらうか。ついでにこいつも祓ってもらい、二度と現れないようにしてもらいたい。

「最初は手のひらサイズだったんだ。でもそれが、徐々に大きくなっているんだ。黒い影の正体は分からないが、なんとなくヤバイ気がする。そこで俺は……」

 その後に言葉が続くことはなく、幽霊が僕の顔をじっと見てくる。

 肉体がない自分では何もできないから、肉体のある人間の協力者を探していたということか。

 幽霊の話が本当だとすると、黒い影は悩みやストレスが具現化しているのかもしれないと思った。

 幽霊もそう考えたから、僕のレッテルが見える能力が使えると言ったのではないか。

「話は分かった。だが幽霊、今は真面目な話をしているんだ。その体勢を今すぐどうにかしろ。さもなければ塩をまくぞ」

 幽霊の体は、上下がひっくり返ってしまっている。頭が下に、足が上にきた状態で浮遊している。そもそも幽霊なのにどうして足がついているのだ。足がついていて、姿がくっきり見えているのに幽霊なんてふざけているのか。オカルト関係の業者に売り飛ばしてやろうか。

 僕は、今日何度目か分からないため息をついた。


 部屋の戸を叩く音が響いた。

 突然の来訪者に驚いて体がビクンと反応した。それを見た幽霊が腹を抱えて笑っている。

「失礼します。入っても宜しいですか?」

「あーっ、ちょっと待ってください」

 僕は、早く隠れるように幽霊を部屋の隅に追いやる動作をする。

 彼は、ニヤニヤ笑いながらパッと姿を消した。

「はい。どうぞ」

 その言葉を聞いてから戸が開き、エプロン姿の女性が入ってきた。その手には、畳まれた衣類がある。

「失礼します。洗濯物をお持ちしました」

「ありがとうございます」

「なあ、この人は誰だ? お前の母親か?」

 背後からの声に驚いてまた体を震わせた。

 女性は、訝しげな目線をこちらに向ける。

 今にも振り向いて幽霊を睨みつけたい気持ちをなんとか抑えた。

 そうだ、考えてみればこいつは幽霊だ。僕以外の人には見えていないのだ。

 冷静に。平常心を保とう。こいつを怒るのは、彼女が部屋を出た後だ。

 失礼します、という声と共に女性が部屋を出る。廊下を歩いていく音が徐々に遠ざかっていく。念のため外の様子を確認してから幽霊の方へ体を向けた。

「か、勘違いしないでよね! お、俺は人間じゃないんだからね!」

 スーツ姿の男が裏声で何か言い始めた。

 なんだなんだ。幽霊とは、こういう生態なのか。

 お前のことがバレたらどうするんだ、と言うつもりだったが、その気は一瞬にしてなくなった。

「何のマネだ?」

「ツンデレ。いや、俺の場合はツンデ霊?」

「ツンデレなんて聞いたことない。というか意味が分からないし、何より気持ち悪い」

「マジかよ。これがジェネレーションギャップってやつか。いったい俺の没年は……」

 今度は幽霊がぶつぶつと悔やみ始めた。

「それよりさっきの人は誰だ?」

「あの人は【 魔……。この家の住み込み家政婦さんの一人だよ。親子で働いてもらっている」

「ふーん。お手伝いさんがいるとは、裕福な家だな。さてはお前、ボンボンか?」

「べつに……そんなんじゃない……」

 あまり話題にしたくないので適当に返事する。

 時刻を確認するため壁掛け時計の方に目を向ける。

 幽霊が僕の背中を離れてからすでに三分以上経っていた。

 チッ、やはり嘘だったか。

「しかし、お手伝いさんか。俺個人としては、メイドと呼びたいのだが、構わんかね?」

 知らねぇよ。勝手に呼べよ。お前は、キメ顔で何を言っているんだよ。

「それで、救わないといけない生徒は何人いるんだ」

「三人だ。大きな黒い影を抱えた三人を救ってくれ」

 雰囲気が変わったと肌で感じた。つい先ほどまでふざけていた男とは思えない。浮遊をやめて正座までしている。

「分かった。その三人を救うからお前はさっさと成仏してくれ」

「ああ、よろしく頼む」

 幽霊は、そう言って頭を深く下げた。なんだか調子が狂う。

「そう言えばお前の名前。確か学校では、真実(まさみ)と呼ばれていたよな」

「ああ。呼び名なら何でもいいよ」

「そうか。よろしくな、真実」

 幽霊が右手を差し出してきたので僕も右手を出す。

 お互いの手はすり抜けてしまったけれど、握り合う動作をする。

 ここに条件付き期間限定の協力関係が締結された。

「俺は名前を忘れている。死んだ年も、どうして死んだのかも、なぜここにいるのかも分からない。だが、せっかく学校で出会ったんだ。俺のことは……【先生】とでも呼んでくれ」 

 その直後、控えめなノック音が聞こえてきた。今度は慌てずに返事をする。

 失礼します、と先ほどとは異なる若い女性の声。それを聞いてほんの少しだけ体が強ばった。

「本日のお夕飯はどうなさいますか? おそらく本日もご家族の皆様は、お帰りが遅いと思います。お部屋にお持ちしますか?」

 彼女は、中に入らずドア越しに用件を尋ねてきた。少しホッとする。

 幽霊は、別の使用人だと察したのか、それとも興味がないのか、姿を消している。

「はい。部屋にお願いします」

「承知しました。それでは、失礼します」

 去ろうとする彼女に声をかけて呼びとめた。

「あ、そうだ。あかねさん。今日は、お弁当を届けてくれてありがとう。助かりました」

「いえ、仕事ですから」

 生真面目な返答だ。けれど、彼女らしい返答とも言える。

「それからもう一つ聞きたいことがある。ツンデレって知ってる?」

 すぐに返事はなかった。扉の向こうで考えてくれているのだろう。しばらくして自信がなさそうな声で答えが返ってきた。

「外来語か何か、でしょうか」

 物知りな彼女にも分からなかったか。

 僕は改めて感謝を述べて、仕事に戻るよう伝えた。失礼しますという声の後に小さな足音が廊下に響いていく。

「なあ、あそこは何だ。誰か住んでいるのか」

 幽霊が窓の外を指さして尋ねてくる。

 窓に近づいて外を見ると、モミジの木が何本も植えられた庭が広がっている。

 秋になると真っ赤に染まり、とても美しい光景が広がる。

 その紅葉の森を抜けた先には、一軒の家屋がある。

「あそこは離れ屋だよ。お手伝いさん二人が住んでいる」

 離れ屋の玄関先には、ランタンが吊るされている。まだ光は灯っていない。

 しかし、光が灯っていなくても、虫は引き寄せられるようにそこへ飛んで行く。

 庭を歩いていく人影が見えた。けれど木が邪魔してその姿までは見えなかった。


「まるで【魔女】の館だ」


 そう言うと僕は、また一つため息をついた。

  

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