第16話 本採用

「それにしてもあの子が勇者パーティーに加わるとわねー。案外本気なんだね」


 エールをあおりながらアルディが吐き出すように言った。


「最初に資料を見たときはびっくりしたけど、もともとこれが目的だったと思えば納得がいくわ。外遊の時にもちらっと漏らしていたけど、どうやら彼女の実家、あんまり領地経営がうまくいっていないらしいのよね。長兄はともかくその他のきょうだいもあんまパッとしないみたい」


「良いのかい? そんな個人情報バラしちゃって」


「調べりゃ分かることだから良いわよ。ただ私から聞いたってことは言わないでね」


 そう言って私もラガーをぐいっとあおる。久しぶりに飲むビールの味はのどに響いた。


「そうすると勇者君にモリソン騎士団長、王女陛下にエリザベス嬢か。武力的にはこれ以上ないくらいのパーティーだから、エリザベスちゃんも責任重大だね」


「そうね。昨日事前準備の関係で会ったら、ハンナ様が参加することは初耳だったらしくて顔を青くしていたわ」


「そりゃそうだわ。確かに彼女のヒール魔法は優秀な部類に入る。けどそれはあくまで普通より優秀ってだけであって、他の3人みたいな規格外じゃないからね。これから苦労すると思うよ、彼女」


 結構アルディもエリザベスのことを気に入ってるようで、本気で心配しているのが伝わってくる。


「ちょっとビール頼んでくるわ」


 アルディは笑いながら席を立ってカウンターへ向かった。王城のパブの食事は大したものが無いため、正直ここで食事をする人は少ない。他方でビールだけはかなりの種類がそろっているため、ひたすらビールだけを飲み続ける人は結構多い。一番人気はもちろん地ビールであるアルビオンエールだ。しかしこのパブには私の好きなラガーが複数種類置いてあるため私はいつもラガーを片っ端から頼んでいる。


 周りを見回すと、パブの中は深夜にも変わらず騎士や文官で活気にあふれていた。夏も終わり、ドアの外からは涼し気な風が入ってくる。思えば勇者と出会ったのは春の真っ盛り、はるか昔に友好のしるしとして東の国から送られ、王城の広場の片隅に植えられているピンクの花が満開に咲き誇る季節だった。その後あっという間に夏が過ぎ、こうして秋を迎えようとしている。


 私はラガーの泡を眺めながら、柄にもなくここ半年のことを振り返っていた。勇者担当を命じられて秘書課に足を踏み入れた朝が、遥か昔のことのように感じる。勇者召喚の儀に同席して、彼と初めて言葉を交わして……。その後彼とは何度も衝突して無理難題を突き付けられたけれど、それでも私は何とか四苦八苦しつつやり遂げてきた。ここまで板挟みにあう職場も初めてだったが、それもあと少しで終わってしまうと思うと少し物悲しい。なんだかんだ言って、私は彼と言い合いをしながら仕事をするのが好きだったのかもしれない。


 わがままで四角四面で細かくて、私の食べたいものをわざと目の前で食べるような意地悪なことをするくせに、彼にはどこか憎めないところがあった。それに、心なしかここ最近は少し優しくなってきた気がする。初期のころのような無理難題を吹っ掛けることも無くなってきたし、時々私の言うことにもしぶしぶながら従ってくれるようになった。……ってもともと無理難題を吹っ掛けて来ること自体がおかしいんだ。マイナスだったものがゼロに近くなってきただけ。彼の態度はプラスとはいいがたい。しかしそれでもなお、心のどこかでこの仕事が終わるのを寂しがっている自分がいた。彼が魔王討伐の遠征に出たら、次に会えるのはいつになるのだろうか。


「こんなところにいたのか。仕事は無いのか? 暇人」


「えぎゃ?」


 頭の中で想像していた人物がいきなり声をかけてきたため、胃がひっくり返ったような音を出してしまった。声がする方を向いてみると、彼が私を見下ろすように立っている。


「どうした、ゴブリンがつぶれたような音を出して。一人なのか? ここ座って構わないか?」


 私が了解の言葉を発するよりも早く、彼は私の目の前に座った。


「女一人で飲むとは感心しないな」


「アルディも一緒よ。今飲み物を頼みにカウンターに行っているわ。あなたこそ、何か飲まないの?」


 業務時間外だからか、口調がずいぶんとラフになってしまっている。酒場だから仕方がないかと思い、特に言い直すことはしなかった。


「いや、今回は秘書官殿に用事がある」


「私に用事? 業務時間外に仕事のことを尋ねに来るなんて珍しいわね。雪でも降るのかしら?」


「たまにはそういう気分の時もある。私だって人間だ」


「異世界の、ね。それはそうと、要件は何?」


「質問が2つある。良いかね」


 彼は机の上に置いたままになっているアルディのジョッキのコースターを手に取って遊んでいる。私は目で先を促した。


「まず1つ目はパーティーについて聞きたい。結局、先日の面接でメンバーが決まったと思うが、これが最終決定だと理解して良いのか?」


 私はじっくりと記憶をたどる。確か慣習として、正式なメンバー決定は式典の直前だった気がする。


「式典の直前に国王陛下に拝謁する機会がありますので、そのタイミングで魔王討伐を任命されます。確か正式にはその瞬間をもってパーティー結成ということになるんだったかと記憶していますが」


「なるほど。ちなみに仮定の話だが、その瞬間に王様がトチ狂って侍女を任命したりしたら、その女を連れて行かなければならなくなるのか?」


 彼が変なことを大声で言うので私はあわてて身をかがめる。


「ちょっと! ここをどこだと思っているの? パブとはいえ王城の中にあるんだから、言葉に気をつけなさいよ! 周りは王室職員だらけだし、どこに監察官がいるのか分からないんだから。こんなことで不敬罪にでもなったら目も当てられないわ」


「どうせ誰も聞いていないよ。で、どうなんだ? そんな不慮の事態でも王の言葉は絶対なのか?」


「まぁ陛下のお言葉は絶対ですからね。言ってしまったらたとえ宰相や王女であろうとひっくり返せないでしょう」


「なるほど、じゃあ直前で変更になる可能性も無くはないのか」


「限りなくゼロに近いわ。こちらから事前に原稿をお渡しして、それを読み上げていただくだけの儀式よ。もちろんご乱心になられたらどうしようもないけど、今まではそんなこと無かったらしいから気にしなくて良いんじゃないかしら。確かに国王陛下も昔に比べれば弱ってきているけれど、渡されたカンペを読むくらいは十分できるでしょ」


「……その役人的発言の方がはるかに不敬罪な気もするがな。まぁいい、その件は分かった。次に2つ目の質問だ。私の正式採用の件について教えてほしい」


「それなら式典の前日にまた説明をする予定なので、その時じゃダメなの?」


「前回みたいに君らがアルビオン王国の言語のみで文書を作るなんて嫌がらせをしないとも限らないからな。事前に話は聞いておきたい」


 私はため息をついてカバンから契約関係書類の束を取り出した。せっかくパブで飲んでいたのに仕事の話をすることになるとは、テンションが落ちる一方だ。


「まず、正式採用になったからと言って何が変わるということでもありません。雇用契約自体は今のものが継続しますし、福利厚生サービスも今まで通り使えます。もっとも、正式採用後は有給休暇が賦与されますので、任意の時にお休みを採ることが可能です。最初に説明した通り、有給休暇の日数は勤続年数に応じて変わってきて、初年度は10日ですね。時給については現行の850ゴールドから900ゴールドになります。まぁ既にずいぶんと稼いでいるようですので、お金についてはどうでも良いんでしょうが」


 仕事モードになると、自然と言葉が敬語になってることに気が付いた。すこし厭味ったらしく彼を見るが、全く気にすることなくこちらを見ている。癪に障るが話を続けた。


「あと勤務地もアルビオン王国内から大陸全土になります。その他の扱いは今と変わりません。それから、これは契約の話ではないのですが、魔王討伐の遠征に関して必要なものは経費で落ちますので、事前に言ってください。馬車や飛竜に乗る場合の交通費は事後清算なのできちんと領収書を保管するようにお願いします」


「そういった費用はさすがに出してくれるわけか。ちなみに、それらって遠征中はどうやって処理するんだい? 毎月王城まで帰ってくるわけにもいかないだろうし」


「領収書の管理、支出品目については伝書鳩を利用してください。大陸内であれば10日もあれば王城まで届くでしょう。財務課で内容を精査した後、問題が無ければ商業ギルド経由で振り込まれます」


「なるほどね……。ところで一つお願いなんだが、ここらでもう一度契約変更はできないものかね?」


「契約変更……ですか……?」


 今まで私からのお願いに対して無理難題を吹っ掛けてくることはあったが、彼からお願いをされるのは初めてなのでいぶかしく思う。


「ああ。ここ数か月を振り返ってみると、ルシフェルの討伐から外遊の護衛、土木工事、さらには採用面接官と、ずいぶんイレギュラーな業務が舞い込んできた。これまではまぁ仕方ないかと引き受けてきた面もあるが、今後正式採用されるにあたってそこをはっきりさせておきたい。今後ももしそのようなことが考えられるのであれば、例えば私を「期間の定めのない雇用」にするとか、給与額を大幅アップしたうえでの「年俸制」にしてもらうとか、そういったことはできないだろうか」


 確かに、彼の言うことももっともだった。現在の彼は1年契約の契約職員、言うなれば不正規雇用に甘んじていることになる。しかもその賃金は最低賃金なわけで、不満を持つのも十分に理解できた。期間の定めのない雇用、要するに正規雇用になれば身分は安定するし、退職金も出るようになる。本当なら何とかしてあげたいのだが、今の私にはどうすることもできない。


「事情は分かるのですが……今の私じゃどうにもできないんです。すいません」


「そうか、分かった」


 もっといつもみたいにゴネられるかと思ったが、意外に今日は素直に引き下がったので拍子抜けする。嫌味の一つも飛んでこないので、少し物足りない気分だ。


「で、話はそれだけ?」


「ああ。パブでくつろいでいるところ、仕事の話をして悪かったな。しかしどうしても今日中に聞いておきたくてね」


 そういいながら、彼は席を立った。


「おりゃ? 勇者君じゃーん。どうしたの? 一緒に飲むかね?」


 1パイントグラスを持ったアルディが戻ってきた。相変わらずエールを飲み続けるようだ。


「いや、話は終わったのでね。今日はこの後も人に会わなきゃいけないので、先にお暇させていただく。お二人でゆっくり過ごしてくれ」


 彼は手に持っていたコースターをアルディに渡し、こちらを振り返るでもなく出口に向かって速足で歩いていってしまった。


「アンタたち何話してたのさ? 私のいない間に逢引きかい?」


 席に座るなりアルディが顔を近づけて聞いてくる。


「んなわけないでしょ。パーティーの正式決定の手続きとか、試用期間が終わった後の彼の待遇とか……」


「なんだ仕事の話か。相変わらずアンタたちはつまんないねぇ。これじゃあのエリザベス嬢にホントにとられちゃうよ?」


「だからそういうの狙ってないし。それに、彼もどうせあと少しでいなくなるんだし……」


「あれ? すこし寂しいって思っちゃってるの?」


 だんだんとフェードアウトしていく私の言葉に被せるようにして、アルディが面白いものを見たとでもいうようにこっちをのぞき込んでくる。


「まぁ、少しわね」


 そういって私は彼女から顔をそむけた。


*****


 結局その日は遅くまでアルディと飲んだため、翌日はぼやけた頭を抱えながら出勤することとなった。いつもより少し遅い時間に執務室に入り自席に座ると、勇者の部屋の清掃を担当している侍女が少し困ったような顔をしながら近づいてきた。


「リリー様、ちょっとよろしいですか?」


 どうやら周りに聞かれたくない話のようで、いったん廊下に出て向かい合う。


「どうしたの? 勇者様に何かあったの?」


「いや、いつも通り朝のお掃除に伺ったのですが、ベッドが全く使用された形跡が無くって……。今まで外泊などなさる方ではなかったので少し気になったのですが、リリー様は何かご存知ですか?」


 確かに私は彼の秘書官だが、私生活まで逐一把握しているわけではない。ただ王城外に行くときには事前に声をかけるように言ってあるので、そのルールを守っているのであれば、王城のどこかにいるはずであった。


「特に心当たりはないわね。昨日の夜に城のパブで会ったんだけど、私が見たのはそれが最後かと。その後に人に会うって言っていたけど、誰とは言っていなかったし……」


「そうですか。いらぬ心配をかけてしまったとしたら申し訳ないのですが、一応念のため報告しておこうと思いまして」


「ありがとう。どのみち今日の午前中に式典の打ち合わせがあるから、その時には現れると思うよ。また何か少しでも気が付いたことがあれば教えてくれると嬉しい」


 私がそういうと侍女は顔をほころばせ、「分かりました」と元気よく一礼して去っていった。私はその後姿を笑顔で見送ったが、心中はあまり穏やかではなかった。彼が今までどこかに外泊したということは聞いたことが無かったし、どこか泊まるような場所についてもまったくもって心当たりが無い。何らかの事件事故に巻き込まれたという可能性も無くはないが、極めて低いだろう。

 仮に彼を誘拐するのであれば王立軍が総出で待ち伏せしても失敗するかもしれないし、万が一運よく成功したとしても、誘拐犯には多大なる犠牲が発生するだろう。もし死者の出るような戦闘が王城付近であれば、王室の中枢部所である秘書課に情報が入らないはずがない。


 そう考えると一番可能性の高いのは、誰かの家に泊まったということだ。そこまで考えて、ふと私の頭にエリザベスの顔がよぎった。本気で彼のことを狙いに行っていたのだろうが、まさかここまで手が早いのだろうか。しかし今後は同じパーティーとして遠征を共にする仲だ。否が応でも親密になるだろうし、エリザベスもそれを見越して何かアクションを起こしたのかもしれない。

 いや、むしろ勇者の方から行動を起こしたということも考えられる。彼は決して見境も無く女性に手を出すタイプではないが、それでもエリザベスは美人で明るいし、ついつい魔が差してしまったということもあるかもしれない。


 結局机に戻っても私の心のもやもやは晴れなかった。別に恋愛対象であるわけではないと思っているのに、その彼が特定の女性と一緒にいると考えるとどうしてここまで落ち着かないのか。別にそうと決まったわけではないのに、彼とエリザベスが楽しそうに部屋で過ごす姿が頭の中から離れなかった。


「リリー君、そういえば式典の警備計画の件、騎士団からの要求事項を反映したやつできた?」


 いきなり秘書課長に呼びかけられてはっとする。昨日の夜に騎士団から連絡があったため、今日の朝一番で作ってしまおうと思っていたものだ。しかし朝から心ここにあらずで全く進んでいなかった。


「すいません、今急いで作りますので……昼までには」


「分かったよ。僕が待ってればよいんだね。期待しないで待ってるから」


 相変わらず一言多い課長である。ムカつくのでさっさと終わらせようと書類を手に取ると、勇者との打ち合わせの時間が迫っていることに気が付いた。打ち合わせはいつも通り食堂で行うため、慌てて書類をまとめて席を立つ。


 それと同じくらいのタイミングで、息を切らした人事課の職員が部屋に飛び込んできた。彼は額から汗を流しながら秘書課長の机に向かって速足で突き進んでいく。その勢いに押されて、秘書課長が若干引いているのが見てとれた。


「秘書課長、緊急で王女陛下に報告です! 騎士団がストライキを始めました!」

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