第17話 ストライキ

 騎士団詰め所に行くと、そこには数人の騎士団員が所在なさげに靴を磨いているだけだった。いつもはむさくるしい程に賑わっている部屋は、まるで生徒のいない校舎のような寂寥感で満たされていた。壁には大きく「スト決行中!!」と書かれた垂れ幕がかかり、騎士団員の装備は綺麗にそろえられたまま、壁にかかっている。話を聞くところによると、騎士団員の9割がストに参加し、兵舎に引きこもっているらしい。


「ストライキなんて初めて聞きました……こんなこと許されるんですか?」


 私は隣に立つテスコ財務課長に声をかけた。財務課長は財務・会計にまつわることだけではなく、法律に関することについても熟知している。


「王室労働法の古い規定に、ストライキに関する条項があった気がしないでもないよ。私の知る限り、ここ30年ほどはストライキなんて聞いたことも無いから、そんな条文知っている人がいることの方が驚きだよ」


 財務課長は事態の大きさにもかかわらず、のんびりとした声で言う。


「そうですか。王室側はどう動くのでしょうか?」


「分からないねぇ。多分騎士団から要求書とか来てると思うから、それを見つつ対応を決めるんじゃないかな?」


「要求書……って何ですか?」


「ストライキをする側が、経営者——今回の場合は王室に求めることを書いた文書だよ。給料をあげろとか、休みを増やせとか、大方そんなもんじゃないかな? 王室側としてはそれに対して回答書を出さないといけない。騎士団側がその回答書に満足するのであればストは終わるだろうけど、なかなかそう簡単にはいかないだろうなぁ」


「というと?」


「満額回答、要するに要求書に書かれていることを全て認めてしまうと、また次に要求書が来た時に断りづらいだろう? だから、普通は交渉をしてどこかで折り合いをつけるものなんだ。問題はどこら辺を着地点とするかってことだね」


「なるほど。とすると、まずは要求書の内容が分からないとどうしようもないということですね」


「そういうことだよ。まぁ普通は労使交渉と言って勤務条件とかについて労働者側と経営者側が何度も交渉を重ねて、それでも折り合いがつかない場合にストライキになることが多いらしいんだけどね。いきなりストライキをするなんて、ずいぶん強硬だねぇ」


「はぁ……騎士団は何か思うところがあったのでしょうか?」


「それはなんとも言えないなぁ。リリー君、ところで勇者様はどこにおられるのかな? 最悪、勇者様に対応してもらわなければいけない事態も考慮しておく必要があると思うが……」


「それは……」


 私は口を濁した。結局彼は午前中の打ち合わせにも現れなかった。多少の遅刻はあっても、彼は仕事を無断で休むことなどしない人だ。先ほど侍女から聞いた無断外泊も、もしかしたらストライキの関係で何かあったのかもしれない。そう思った私はまずストライキの詳細を調べることにした。


*****


 結局は私から彼を探す必要は無かった。私の予想通り彼はストライキに関与しており、そのことで私も幹部職員による会議に参加する羽目になったのだ。


 秘書課執務室に戻ったらものすごい剣幕の秘書課長に詰め寄られ、特に説明も無く総務課の会議室まで連れていかれた。会議室には総務課長や人事課長といったお偉方が並び、何やら深刻そうな顔をして顔を寄せ合っていた。訳も分からず連れていかれた私はただ秘書課長の横に座ると、財務課長の隣に座っているモリソン騎士団長と目が合ったのでとりあえず会釈だけしておく。やることも無いので、部屋の中がおじさん臭いなぁと思いながらその様子をぼんやりと眺めていた。


 10分ほどその様子を見ていたところで、部屋の奥のドアが開き、同時に座っていた幹部たちが一斉に立ち上がる。私もよく分からなかったがとりあえず立ち上がると、空いたドアからアズダ宰相と宮廷大臣が入ってくるのが見えた。


「座ってくれ」


 宰相が一言発すると全員が一斉に着席し、続いて総務課長が司会進行を始めた。


「これより、本日発生した騎士団によるストライキ対策会議を開始します。まず人事課長、概要を説明してください」


 その言葉に続き人事課長が起立し、手元の原稿に目を落としながら説明を始める。


「はい、ストライキは本日朝より始まり、騎士団員475名のうち440名の欠勤が確認されています。要求書は今朝方人事課に届けられました。騎士団の要求は、

 『1 給与の改善、具体的には現行の給与額より1割増額した水準の給与を支給すること』、

 『2 残業手当の支払いを行うこと』、

 『3 今後、定期的な労働条件に関する交渉の場を設置すること』

 の3点です。要求が達成されない限り無期限でストライキを続けるとのことで、現状はストライキに参加していない騎士団員と王立軍の応援により業務を回しています。なお、ストライキには勇者様も参加しているとのことで、勇者様はご自身の労働条件に関する王女陛下との1対1の交渉を要求されております」


 その言葉が発せられた直後、室内にいる全員の視線が私を向いた。もちろん私はこんなこと初耳だったのであっけにとられてアホみたいに口を開けて固まってしまった。


「状況は承知した。そこで、対応策はあるのかね?」


 宮廷大臣が人事課長に鋭い視線を向けながら訊く。


「はい。3つ目の要求に関しては、労働組合の設立を認めることによって解決できるかと思います。今まで前例はありませんが、王室労働法の規定により労働組合を設置することは可能ですので、それを促すことにより解決できるかと思います。問題は第1と第2の要求ですが、財務課長からは断固拒否されまして……」


 その言葉を聞いて財務課長が席を立つ。


「はい。現状の財政状況では給与額の1割増しどころか、残業代の支給さえ難しいと思われます」


「そうか……騎士団長、君の意見はどうだね?」


「はい、大臣。正直今回のことは寝耳に水でして……。部下の動向を掌握できていない自分の力不足がいたすところで、大変反省しております。他方で近年は業務も増え騎士たちも激務になってきており、その主張に部分的にではあれ頷けるところがあるのも事実です。なので、何卒寛大なご処置をお願いします」


 その言葉を聞いて今度は法務課長が立ち上がる。


「しかしながらストライキをすれば給与が増額するなどという前例が出来てしまえば、王室中の職員がストライキをしだしますぞ! いくら騎士だからとはいえ特別扱いは許されまい。ここはひとつ、きっぱりとケジメをつけなければなりません」


「法務課長の言う通りですね。王室財政はギリギリのところを回しています。これでも王室職員の待遇は一般の臣民と比べればはるかに良い。これ以上の好待遇は臣民の反感を招きかねません」


 財務課長が続けると、今度は騎士団長が反論する。


「待遇が良いと言ってっも商会や腕利き冒険者ほどではないでしょう。それに騎士団のみならず、文官の職員も昼夜を問わず物凄い働いているではないか。繁忙期には1週間も家に帰っていないという職員もいると聞く。これだけの激務なら、もう少し待遇をあげても良いと思うが……」


「我々はずっとこうしてやってきたんだ! 今の若い者だってそのくらいこなせないと、この国をしょって立つ幹部にはなれない」


 と秘書課長。それに人事課長が続ける。


「我々王室職員はアルビオン王国最難関と言われる採用試験を突破した、いわばこの国のブレーンです。我々の行っている仕事は、臣民には理解すらできないだろう。だからこそ、どれだけの困難があろうとも、我々が王国を動かしていかなければならないのです。待遇云々の問題ではなく、王室職員としての矜持の問題です」


 傍観者である私は何を言うでもなくただ黙って議論の推移を見ていた。どうやら少しずつ論点がずれているなと思ったところで、総務課長が軌道修正をする。


「我々の働き方はともかくとして、まずは今回のストライキをどうするかを考えましょう。私も第3点目の要求に対する労働組合の認可という回答は、非常に良いと思います。他方で第1と第2の要求、つまり給与増額と残業代支給に関する要求に対しては対応が難しいということが分かりまた。なので、まずは3番目の要求には対応すると伝えてはどうでしょうか?」


「ただ、ストライキをした騎士団の連中はそれじゃあ満足しないでしょう。ストを継続した場合はどうします?」


「ロックアウトはどうでしょう?」


 秘書課長の言葉を受けた人事課長の「ロックアウト」という単語に、私を含めた多くの人間が首をかしげる。それを見て人事課長は説明を続けた。


「騎士団の詰め所、訓練所などを封鎖する行為です。騎士の装備は詰め所にあるので自分の剣すら触れなくなりますし、訓練所が使えなければ魔法の訓練もできません。そうすれば彼らも焦って強硬なことは言わなくなると」


「そんな! 我々騎士から剣を取り上げるなど無情に過ぎます! 剣と訓練は騎士団の生命線です! それを禁止されたら我が騎士団の練度が保てなくなる! 私は断固反対です!」


「確かにこれは諸刃の剣ですが、彼らも王室あっての騎士であることを自覚する良い機会かと。それに騎士団長、もともとはあなたがきちんと騎士たちの人心を掌握していれば事態はここまで大きくならなかった。そこをきちんとご理解いただいた方が良いかと」


 人事課長の反論に騎士団長は悔しそうな顔をしながら椅子に体をうずめた。


「ではまず第1次回答として労働組合の結成認可、それでもストが続くようならばロックアウトにて対処し様子を見るということでどうでしょうか?」


 総務課長の言葉に宮廷大臣は満足そうにうなずき、宰相の方を見た。


「分かった。その内容で対応してくれ。王族への報告は私からしておく。ところで、勇者様の要求についてはどうする?」


 その言葉にはさっきまで威勢の良かった人事課長も押し黙り、奇妙な沈黙が場を支配した。


「そもそも、なぜ勇者様が?」


 当然の疑問を宮廷大臣が口にすると、人事課長がこちらを見ながら立ち上がった。


「我々の調べたところによりますと、先日のルシフェル討伐戦の折に勇者様が残業代を要求したことが、それを見ていた騎士たちに影響を与えたようです。その事件以降、一部騎士たちが勇者様と接触を図っているという目撃情報が複数の筋から寄せられました。おそらく、今回のストライキも勇者様が示唆したことではないかと……」


「本当かね! リリー君!」


 秘書課長が驚いたように大声をあげて私に向き直った。恐らく自分は知らなかったということを周りにアピールするためだと思うが、まるで私が全て知っていたかのように言うのはやめてほしい。


「いや、今の件は私も初めて耳にしました。ただ彼……勇者様はこちらに来る前の世界において奴隷商のような仕事をしていたらしく、法律や契約といった事柄に随分と慣れている印象がありました」


 私の発言を聞いて方々からため息が漏れた。


「で、君は勇者様が謀反を起こすような前兆はつかめなかったというのかね? あんなに毎日傍にいながら」


 秘書課長の声のトーンがいつもより高い。


「はい……一度騎士の皆様の業務をお手伝いしたことはありましたが、それ以外で騎士の方々と頻繁に接触しているというのも今初めて聞きました。ところで、勇者様の要求事項とは何なんでしょうか? 国王陛下と何を交渉したいといった情報はありますか?」


「その点は全く不明だ。しかし我々としても勇者様を単独で国王陛下に合わせるわけにはいかないと考えている。陛下はお体も弱っているし、何より勇者様とはいえこんな謀反のようなことを起こした人間と2人にするのは危険すぎる」


 人事課長の言葉に私はよっぽど反論しようかと思ったが、周囲の人間がうんうん頷いているのを目にして結局は黙っていることにした。確かに彼はこの国の希望だけれども、まだ召喚されて半年しかたっていない。毎日接している私ならまだしも、それ以外の人からしたら異世界から来たよく分からない人に過ぎないのだろう。


「では勇者様の件については保留とすることで異議はありませんか?」


 総務課長はそういって周りを見回して特に反応が無いことを確認すると、会議の散会を宣言した。


 会議室から人が流れるように出ていき、後にはモリソン騎士団長と私だけが取り残された。


「騎士団長……申し訳ありません。私が勇者様の動向をきちんと把握しておけば……」


「いや、リリー嬢は何も悪いことはしていない。むしろ勇者様も騎士たちも、当然のことを言っているまでだよ。この組織はあまりにも人の扱いが雑だ。日々仕事は増え、責任は重くなり、だが給料も地位も上がらない。しかしながら私も組織を束ねる身として、財務課長の言い分も痛いほどわかる。組織はお金が無ければ存続することすら不可能だ。どちらも正しいのだよ。そして答えが無い……」


「騎士団長……」


「いやはや冒険者として散々修羅場をくぐってきたと自負していたが、世の中には様々な形の苦しみがあるのをこの年になって実感するよ。現役のときはただ自分のことを考えて戦えばよかったが、今は王室や部下、そして部下の家族のことまで考えなきゃならん。何とも難しい仕事だ……」


 いつも陽気なモリソン騎士団長の悲し気な横顔を、その日初めて見た。

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