第13話 ゴブリン
遠征から帰ってくると、机の上には書類が山のように積まれていた。というか、そもそも机が書類で完全に埋もれており、まるで単なる紙の山のように見える。
「いやー、この超繁忙期である2週間間不在にしていただいたおかげで、僕らも随分くたびれたよ。ただリリー君の分の仕事は残してあるからね。よろしく」
課長が嫌らしい笑みを浮かべながら私の肩をたたき、自分の席へ戻っていった。今回のブルボン王国外遊は極秘で行われたため、私が不在にした理由は秘書課の面々には知らされていない。唯一事情を知る秘書課長も、だからといって私のために何かしてくれるというわけではなく、むしろ嫌味だけを言いに来たようだ。ただ仕事の山だけが目の前に残った。
「はぁ……やるっきゃないか」
私は誰に言うでもなくため息をつきながら書類の束に取り掛かった。
*****
午前中はただひたすら書類を右から左に流すだけの仕事に専念した。外遊における経費の精算、式典に向けての調整事項、日ごろの秘書業務など、やることは一向に減らなかった。
午後、昼休みが終わったくらいに、1人の騎士が訪ねてきた。
「リリー秘書官でしょうか、先日はいろいろとお世話になりました」
言葉を濁しているが、外遊のことを言っているのだろう。その顔には見覚えがあった。
「その節はお世話になりました。この度は……どういったご用件でしょうか?」
私は騎士の顔を正面からのぞき込む。そもそも騎士が文官の職場、特に秘書課にまで立ち入ってくることは、かなり例外的な出来事である。
「ちょっとお話があるのですが……お時間よろしいでしょうか?」
衆人環視の前でそのような言葉を言われて、ついつい私も動揺してしまう。今回の遠征では私たち——私とアルディとエリザベス——もずいぶん時間に余裕があったため、騎士の方々とは結構仲良くなった。
彼らは護衛や野営場所の設営どころか食事の支度まで進んで行い、さらには自分たちの酒や非常食まで気前よく渡してきてくれた。私たちも時間があれば彼らと食事を共にしたり馬の世話を見学させてもらったりと、それまでちょっと近寄りがたかった騎士団という存在と急接近する機会であった。そんなイベントの後に2人で話がしたいと言われれば……期待しない女子の方が少ないだろう。私は顔を赤くしつつ彼の後ろに従った。
彼に連れていかれたところは、王城の屋上であった。空は果てしなく高く、気持ちの良い風が体の周りを舞う。誰もいない屋上で彼は、私を正面から見つめながら数分ほど逡巡していた。
「あの……リリー秘書官」
「……は、はい」
私もつい声が裏返ってしまった。王室に勤務するようになってから早7年、仕事で男性と話すことは多々あっても、こうして2人で向き合うということは無かったように思う。それは私が常に「王室の一員」として振舞ってきたからであり、「リリー・セインズベリー」という一人の女性として、誰かと正面から向き合うことはしてこなかった。
「リ……リリー秘書官にお願いがあって本日はお時間を頂戴いたしました」
騎士は随分と緊張した面持ちで言葉を続ける。その緊張が私にまで伝染してくるようで、ついつい呼吸が早くなってしまう。
「あの……勇者様にお話をしたいのですが、取り次いでいただけないでしょうか」
最初はその言葉の意味が理解できなかった。次第にその言葉を脳が理解し有意な文章を形成すると、それまでの私の懸念やら心配やら妄想が音を立てて崩れ、それと同時に自分自身に対する羞恥が心の中を支配した。
「……あなたは……勇者様とお話をすることについて取り次げと、そう私に言うのでしょうか?」
私から出た声は、思ったよりはるかに冷たかった。
「あ……はい。すいません、こんなこと頼めるの秘書様しかいないのです。無理を承知で言っているのですが、お願いできないでしょうか?」
騎士の必死な形相に、私も気勢をそがれる。
「はぁ……まぁアポを取り付けるくらいでしたら問題ありませんが、そもそもどのような要件なのでしょうか?それくらいは事前に伺っておきたいと思いますが」
「実はですね……」
と騎士が語った内容は、思ったよりもどうでも良いものであった。
騎士団は毎年、その年の国王の功績をたたえるべく、国の郊外に記念碑を建立する伝統があるという。もちろん、毎年記念碑を立てるような功績とか事件が発生するわけでもないので、何も無くとも何かしら理由をつけて記念碑を立てなければいけないらしい。ちなみに今年は国王陛下の自伝が出版された記念で記念碑を作るそうな。
そんな全くもって無駄な業務については財務課から予算が下りるわけでもなく、騎士団が渋々ながら土木工事を行っている。まずは用地を選定し、その周囲の森を開墾し、記念碑の土台を作り、職人を呼び寄せ、意匠の凝ったらしいトーテムを作るという。もちろんこれは騎士団の通常業務に加えて行われるわけであり、特に手当などは出ない。
しかしながら今年はちょうど先日ゴブリンの大量発生があり、騎士団本隊が掃討作戦に出陣してしまった。そのため記念碑作成のための人員が足りなくなり、騎士からの信頼も厚い彼にお願いをしに来たという。彼には、最もパワーを要する森の開墾及び整地をお願いしたいとのことだった。
「はぁ……まぁ一応話だけはしておきますけど、彼に対して何らメリットが無ければ受けないと思いますよ?」
私は騎士の説明を全て聞いた後、どうでも良いといった感じで回答した。
「それでも良いんです。今騎士団はあまりの業務過多にパンクしそうなので、すこしでもそれを軽減すべく、ダメもとで勇者様にお力を借りたいと思っております。ぜひお話だけでもできないでしょうか……?」
「分かりました。とりあえず話だけは通しておきます」
とてつもなく気が進まなかったが、次回のミーティングの時に話してみようと手帳に要件を書き込んだ。
*****
王城から半日ほど歩いた森の中。彼は剣を構え精神を集中させている。全力をあげれば周囲の森を荒野に帰すほどの力があるが、それではだめだ。今回は依頼された範囲の、依頼された木のみを薙ぎ払うべく、魔力の微妙な出力を調整しなければならない。そのためには通常以上の精神の集中が必要とされた。アルディいわく、魔力の威力や範囲を細かく限定することは、今の彼では出来ないことでもないという。そのため数日程アルディの講義と特訓を受けた上で、今こうして騎士団の土木工事に臨んでいる。
結局、何故だか分からないが彼は騎士からの依頼を受けた。本来は別組織なので上司を経由せずにやりとりするのは越権行為ともとられないが、今回はどうやら騎士団から彼への個人的依頼として処理したようだ。そのため、どこから出たのか分からない金銭——おそらく騎士団の裏帳簿に貯蓄されているものだろうが、それをわざわざ指摘するほど私も空気を読めないわけではない——が成功報酬として彼に支払われることとなったらしい。金額は知らされていないが。そしてさらに何故だか分からないが、その現場に私も同席することになった。
「勇者様、お願いします!」
「我ら勇者様、ぜひ!」
「こんな荒山、ひと思いに吹き飛ばしてください!」
いや、一思いに吹き飛ばしちゃダメだろと心の中で突っ込みを入れつつ、私は少し離れた場所からその様子を見守っていた。騎士たちの期待に満ちたまなざしが彼に注がれる。彼は剣を構え集中力を高めながら、力を籠めた。
剣先から目がくらむような光が漏れ、彼の周囲を白く神聖なオーラが覆う。
「おぉぉ……」
誰ともなくその光景にため息が漏れた。
刹那、彼が剣を振り上げ一思いに振りかざすと、風の波が勢いよく森の中を駆け巡り、木々が少しだけ地面から浮かんだ。空の雲は一瞬にして消え去り、太陽の光がゆがむ。しかし彼の意識した範囲、彼が剣を振った先にある範囲以外の木々はまるでそよ風を受けたように軽くなびき、何事も無かったようにその場に立ち続けた。
一瞬のち、滝つぼのような轟音が周囲を舞い、立っていられないほどに地面が揺れる。木々が根っこから浮き上がって、まるで重力が無くなったかのように無秩序に飛び上がった。その直後に浮かび上がった木、土、葉、動物……ありとあらゆるものが地面にたたきつけられ、さらなる轟音があたり一面に響きわたる。瞬きするほどの間にすべてが終り、あとにはまっ平らな地面とその上に根っこから引き抜かれ折り重なった木々だけが残った。
「何と……本当に指定した場所だけ木々を切り倒すとは……」
騎士の一人が信じられないという目をしながらポツリと漏らした。
「勇者様! ありがとうございます!」
「おかげで仕事が2倍、いや10倍ははかどります!」
「ぜひ今夜驕らせてください!」
騎士たちが賞賛の言葉を口にしながら、彼に握手を求めたり抱擁したりしている。確かに物凄い功績ではあるが、そこまで絶賛するほどなのだろうかと疑問に思う。ただ、勇者も騎士も戦闘職、お互い何か通じるものがあるのか、彼もいつになく嬉しそうな顔をしていた。
「よし! では木材の搬出と、それが終わったら整地だ! 一気にそこまでやってしまうぞ!」
リーダーらしき騎士の人が声をあげると一斉に作業に取り掛かる。
しかしそれもギュゲェゲェという奇妙な声の合唱に阻まれた。
「ゴブリン! 戦闘隊形!」
騎士の一人が叫んだと同時にゴブリンがわらわらと森から出て来た。騎士たちはさすがエリートと言ったところで、あっという間に気持ちを切り替えてゴブリン討伐に移行している。
「勇者様、この程度の雑魚はこちらで蹴散らしておきます! ここはゆっくりご観戦ください!」
「あぁ、そうしておく」
そういうと彼は戦い続ける騎士を傍目に、切り倒した木の一つに座って武具の手入れを始めた。何とも緊張感のない感じであるが、騎士たちも危なげなく着実にゴブリンの数を減らしている。
そもそも王室騎士団は軍や冒険者の中から腕利きのみをスカウトして結成した王国随一のエリート部隊である。コブリンやオーク程度なら目をつぶってでも倒せるだろう。先ほどから一方的な騎士団による殺戮が続き、そこら中はゴブリンの死体だらけとなっていった。ほとんどの死体は剣で一突きされただけのものだが、中には頭が潰れたものや内臓が飛び出したものもあり、つい目を背けてしまう。
「どうした? もう仕事は終わった。先に帰っても良いぞ?」
彼が私の方を見ながら言う。
「ええ、ゴブリン程度でも私にとっては脅威ですので、先に王城に戻らせて頂こうと思います」
正直なことを言えば血の匂いが苦手だったので早くこの場を離れたかったのだが、戦っている騎士を前にしてそのことを言うのははばかられた。私は回れ右をして王城に足を向けた。
周りの惨状で少し注意が散漫になっていたのかもしれない。少し離れたところにいたゴブリンの肩がちょっとだけ震えるのが目に入った気がしたが、それを見なかったことにしてしまった。
次の瞬間、そのゴブリンが飛び起きてこちらに迫ってきた。私はとっさのことで声をあげることもできずにその緑色の体が迫ってくるのを見続けることしかできなかった。
「リリー!」
彼の叫び声で正気を取り戻した時には、既にゴブリンの振り上げたこん棒が今まさに私に向かって振り下ろされんとするところだった。それを私はすんでのところで躱したものの、振り下ろされた棒の一部が私の左肩をかすったため、バランスを崩して地面に倒れてしまう。私は這って逃げようとするが、悪いことに別のゴブリンが、その愚鈍な顔を嬉しそうに歪めて私の前に立ちはだかった。
今までは遠くからしか見たことのないゴブリンであったが、こうして手の届く距離から見るとその醜悪さが良くわかる。人型の魔物とはいえその瞳に知性は無く、緑色の皮膚はところどころ黒ずんでいる。髪の毛と思しき体毛は無造作に伸ばされており、そこから酸っぱいような変なにおいが漂ってきた。ゴブリンは私を捕まえようと、いびつな黄色い歯をむき出しにしながら気持ちの悪い笑いを浮かべた。
私はその醜悪な体をまじまじと見て固まっていたが、ブヨブヨとした手が私の首をつかんだ瞬間自分でも驚くくらいの叫び声を出していた。
「いや!離して!」
当然言葉が通じるわけでもなく、ゴブリンは私の首を絞める手に力を込めてくる。お互いの顔が近づき、ゴブリンの血走った目が私をのぞき込む。黒くただれた目の上で、シラミのようなものが動き回っているのが見えた。ゴブリンが口を開くと死んだ魚のようなにおいが溢れだし、腐った牛乳のような唾液が口から流れ出ている。
目に見えない風の切れ目がゴブリンの腕を切断し、私は弾みをつけて後ろに転がった。両腕が肘のところから亡くなったゴブリンは何が起こったのか分からず茫然としていたが、その直後に腕から青いドロドロとした血のようなものが噴き出すと焦りなのか痛みなのか大声をあげて何かを喚きだした。
しかしその声も一瞬ののちには止まってしまう。ゴブリンの胸には1本の大剣が突き刺さっていた。
「大丈夫か? 怪我は無いか?」
彼がこちらに寄ってくる。私は首にくっついたままになっていたゴブリンの腕を引きはがして投げ捨てた。
「……死にかけたわ」
そう言葉を出すのが精いっぱいだった。
「秘書官殿! 私たちが打ち漏らしたゴブリンです。すいません!」
既に周囲のゴブリンはすべて討伐され、こちらの異変に気が付いた騎士たちが近づいてきた。騎士たちは飛び掛からんばかりの勢いで誤ってくる。私はその勢いに若干引いてしまい、勇者の側に身を寄せた。
「いや……これは私の不注意が招いたものです。騎士様は悪くありません」
「いえ、もとはと言えば私たちが勇者様に無理を言って騎士団の業務をお願いしたのが発端です。本当に申し訳ございません」
「そんな、頭をあげてください。私は何もなかったんですから」
「まぁリリー秘書官も無事だったわけだし、今回はこれで良いんじゃないだろうか。目に見える怪我も無いようだし、王室に報告するまでも無いだろう」
オロオロする私と謝り倒す騎士に向け、彼がその場をまとめるように言う。
「しかしリリー様、本当に怪我はございませんか?」
「ええ、大丈夫です。いつも通りピンピンしてますよ」
本当はこん棒のかすった左肩が少しだけ痛んだが、ここはおとなしく大丈夫だったことにしておくほうが良いだろうと考え、嘘をつく。
「本当に申し訳ございません。何かありましたら、どんな些細なことでも騎士団までお声掛けください」
「ありがとうございます。とりあえず私はいったん王城に戻りますね。皆様のお仕事の邪魔をしても悪いですので。勇者様、送ってくださいます?」
「ああ。またこんなことがあったんじゃ寝覚めが悪いからな」
そういって私と彼は王城に向かって歩きはじめた。少しずつ左肩の痛みが強くなっていくように感じたが、動かせるところを見るとおそらく骨折や脱臼ではないだろう。王城に帰ったらエリザベスのところに行ってこっそり直してもらおうと算段をつけた。
「で……いくら欲しいとか言わないの?私の護衛してくれるんでしょ?」
歩きながら彼に問う。
「今回は特別に無しだ。たまには私だってボランティアくらいはするさ」
「意外ね……けどありがとう。でもどこかでお礼はするわ」
「なら時給をあげてほしいんだが」
「それは無理ね。せめて私ができることにして」
「考えておく」
そう言いながら私たちは並んで王城まで歩いて帰った。
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