第9話 準備

 勇者召喚を発表するための式典に向けて、秘書課は繁忙を極めていた。本来なら1年程度の準備期間を設けて実施するような規模の式典を、たった2か月で実施しなければいけないのだ。しかも、控え室の確保、警備計画の作成、来賓への案内状から王族の読み原稿の執筆、当日の導線確保に至るまで、全て秘書課単独でやらなければならない。通常業務を抱えての作業になるため、20人程の秘書課の職員はみな死にそうな顔をして仕事に当たっていた。


「リリー、演台の図面は!? 設営業者から催促が来てるぞ!」

「はいすいません! 明日までには送りますので!」

「明日じゃ遅いんだと! 機材の関係で今日届けろって先方が怒鳴っているぞ!」

「分かりました! 夕方伺うと伝えてください!」


「リリー、勇者様の採寸の日程決まった? もう間に合わないわよ」

「すいません、これから勇者様と打ち合わせがあるのでその時に聞いてきます!」


「おい! 誰か陛下の読み原稿の草稿知らないか!? 今日中に課長まで稟議通さなきゃいけないんだよ!」


 私だけじゃなくてみんなハイになって、ちょっとした伝言でも叫ぶみたいになっている。当日はまだ先なのに、このテンションのままで持つのだろうかと不安になってきた。ふと机の上に留められたメモに目が行く。そこには「午後:ハンナ陛下→課長:指示仰ぐ」と乱雑な文字で書かれていた。


 「課長! ハンナ様との接見の時間ですよ! 何で座っているんですか!?」


 一昨日にハンナ様の秘書より、勇者関係で指示があるので指定された時間に執務室に来るよう伝言があった。そのため課長はこれからハンナ様の執務室まで行かなければいけない予定となっていたのだが、何故だかのんびりと机で書類を睨んでいる。


「え……いや、ちょっと急用ができちゃって。リリーちゃん代わりにお願いできる?」


 課長はびくっと肩を揺らした後、気まずそうにこちらを見ながら言った。先日の一件以来、課長はハンナ様からの呼び出しを何かと理由をつけて避けようとしている。それを宮廷大臣も見て見ぬふりなので、結局はこうやって仕事が下に回ってくるのだ。


「いや、王女陛下の執務室に行くのに幹部職員がいないなんてダメでしょ? 私一人に行かせる気ですか?」


「いや、リリーちゃんももうずいぶん仕事慣れたみたいだし、ほら、ハンナ様は優しいお方だから大丈夫だよ。ね、お願い……?」


 こういうときばかり「ちゃん付け」で呼びやがって、と心の中で舌打ちしつつ、時間も無いので課長のことはあきらめる。資料をもって服装を整え、ハンナ様の執務室に向かった。


 担当秘書に要件を告げ——もちろん彼女も秘書課の一員だ——、執務室の前の椅子に座って待つ。私が執務室でいつも座っている安い木の椅子とは違って、革張りの立派なソファーだ。よく手入れされた観葉植物とハンナ様の肖像画が部屋の高級感を引き立てている。しばらくそれらを眺めつつ待っていると、執務室からモリソン騎士団長が出て来た。


「おぉ! リリー嬢ではないか。お加減は如何で?」


「お陰様で好調です」


 残業続きで絶賛大不調なのだが、王室職員はどんな時も「お陰様で好調です」と答えなければならない。馬鹿々々しい慣習だと思いながら、上品に笑みを浮かべつつ返答する。


「ヨシオ殿も最近はめっきり強くなってきて、剣術でもワシが押されっぱなしだ。本当に彼は見込みがあるよ」


「ありがとうございます。勇者様はこの国の希望ですので、その言葉を聞くと頼もしく思えます。ただモリソン騎士団長は勇者様にはない経験と知識があります。勇者様も騎士団長のことは尊敬しているとおっしゃっていましたよ」


 これはお世辞ではなかった。彼は私に対しては冷たいくせに、騎士団長のことは随分と信頼しているようだった。もちろんモリソン騎士団長は実力、経験共に王国随一であり、人格的にも信頼おける人のため、私も幹部職員の中では一番信頼している。


「そう言われるのはありがたい。ただ訓練では手加減しませんとお伝えください」


「はい、承りました」


 私が礼をするのと同じタイミングで、秘書課の職員に名前を呼ばれた。「それでは失礼します」と騎士団長に一言声をかけてハンナ様の執務室に向かった。


 執務室ではハンナ様が難しそうな顔で書類を睨んでいる。私が入室したことに気が付くと、「ちょっと座ってて」とひとこと言ったっきり、机から離れようとしない。私は言われた通りソファーに座って、ハンナ様の手があくを待った。


 蝋でできたよう白い肌と透き通るような金髪は窓から入る太陽の光を反射して、まるで宗教画のように神々しかった。いつからか千年に一度の美女だとか世界三大美女の一人だとか言われるようになっただけあり、眉間にしわを寄せていても目が離せないほど美しい。もっとも、彼女はただ美しいだけではない。その頭脳は学者をも唸らせるほど明晰であり、その魔術は魔法省のベテラン魔術師すら及ばないと聞く。さらには高齢の国王陛下に代わりほとんどの国務をこなす働きぶりは、王室職員の心をつかんで離さなかった。王室の幹部職員も、ハンナ様の兄である王子陛下よりハンナ様の言うことをよく聞くという。かくいう私もハンナ様を尊敬している一人だ……ある1点を除いては。


「アズダ! この書類は何だ!」


 ハンナ様が大声で叫ぶと、ドアをけ破らんばかりの勢いで白髪の老人が汗をかきながら入ってきた。彼はアズダ・レオンハルト、王室の実務全般を取り仕切る宰相である。


「はぁ、はぁ……何でしょう? 陛下……?」


「あなた、この高純度魔石生産計画は何なの? 何の数値に基づいた数字なの?」


 ハンナ様は書類を突き出しながら、茨のような攻撃的な口調で自分の親ほどの年齢の宰相を詰問する。


「えぇと……はい、前年度ベースでの数値をもとに、今年度は遠征が前年比1.2倍になることから1.2倍の生産計画としており……」


「はぁ? そもそも今年度遠征が増えるんなら昨年から生産計画変えておかなきゃいけなかったわよね? 今年急いで作っても配備されるのは半年後よ? あなた頭腐ってるの?」


「いえ……それは、工房に急遽作るよう要請しており……」


「だったらその分費用かさむんじゃないの? そもそも近年の政情不安によるインフレ分も反映してないし、何考えているの? そんなんだから奥さんに逃げられるのよ。これでタマだけでなく頭も使い物にならなくなったら、あなた生きてる意味ないじゃない」


「はい、おっしゃる通りです」


「今すぐ書き直して! 明日までに!」


「はい! 喜んで!」


 相変わらずハンナ様は男性に厳しい。私だったらこんな人格否定みたいな罵詈雑言を受け時点で仕事を休んでしまいそうなものを、宰相をはじめとする側近たちはめげることなく、むしろ自ら進んでハンナ様に罵られている。先輩の職員から聞いた噂によると、宰相達はハンナ様からの罵詈雑言を受けることが嬉しくて、わざと書類に穴を作っているらしい。もちろんただの噂に過ぎないが、書類を抱えながら顔を紅潮させ幸せそうに部屋を出ていく宰相を見ると、あながち単なる噂でもない気がする。

 他方でハンナ様は、私たち女性職員に対しては決してそのような姿を見せない。ミスをしても決して声を荒げず、常に聖女のように優しい。この落差は一体何なんだろうかと、常々疑問に思っていた。


「お見苦しいところを見せてごめんなさいね、リリー。うちのゴミ虫どもが適当に仕事をやるものだから、ちょっとばかしきつい言い方になってしまって。最近は忙しくない? ちゃんと寝れている?」


 ハンナ様は慈しみのあふれた顔でこちらに寄ってきて、正面のソファーに座った。いい匂いが漂ってきて、それだけで頭がクラクラする。


「式典の件で少し忙しいですが、体調を崩すほどではありません」


 徹夜続きでかなりハイになっていてそのうち倒れるような気がするが、さすがにハンナ様を前にして「死にそうです」とは言えなかった。


「宮廷省はただでさえ激務だから、体調に気を付けてね。リリーはまだ嫁入り前なんだし、自分の体大切にしなきゃだめよ」


「ありがとうございます」


 ハンナ様の優しい言葉に、ついウルっと来てしまう。どこかの課長とは大違いだ。


「それで、今日呼んだのはあなたたちの担当している勇者のことなのね」


「あ、すいません。本来は課長が来るはずだったのに、私ごときが執務室にお邪魔してしまって」


「良いのよ、あんなヘタレ野郎は。むしろ私はあなたが来てくれてよかったわ」


「……ありがとうございます」


 嫌いな課長ではあるが、直属の上司でもあるのでここまでボロクソに言われると複雑な気分だ。


「それでね、来週私からは2週間かけてブルボン王国まで外遊に行かなければならないの。どこかでこの話を聞いたことがある?」


「そうなんですか? それは初耳でした。2週間って……式典の準備は間に合うんでしょうか?」


「そちらには極力影響が出ないようにするわ。ただ少し迷惑をかけるかもしれないから、その時はごめんなさい。今回の外遊はどうしても外せなくて……。というのも、勇者召喚の報告と魔王討伐隊派遣の事前の根回しが目的なの。ほら、現在のブルボン国王は私の叔父にあたるわけだし、魔王軍の残党を討伐する際には一緒に戦ってもらうことになるかもしれないから、同盟国として話を通しておく必要があるの。もっとも、今回は隠密での訪問になるので、人数は最小限に絞っているわ。王室内でもまだ極秘の扱いよ。そこで、その旅に彼を連れて行けないかと思っての相談なの」


「彼……って勇者様ですか? それは、ブルボン王国の国王に謁見させるためですか?」


「それもあるけど、護衛をお願いしたいの。先日のルシフェルの一件で、勇者の存在が既に魔王に知られていることが分かったでしょ? けど本来それは王室内部の限られた人しか知らない情報なの。そう考えると……」


「王室内に魔王への内通者がいるってことですか?」


「その可能性は十分にあるわ。だから今回の訪問も極秘なんだけど、どこから魔王軍に情報が洩れるか分かったものじゃない。幸い今は軍と騎士団の主力部隊がいるから城の防備は完璧なので、狙われるとしたら私の可能性が高いのよね。なので、彼にお願いできるかしら?」


「ハンナ様のお願いとあれば勇者様にきちんとお伝えいたします。ただ……何と言うか、彼はちょっと特殊なため、すぐに折れるかどうかは分からないんです。だからもしかしたらちょっとお時間をいただくかもしれません」


「ありがとう、リリー。出発は5日後だけど、準備があるから4日前までには結論が分かると嬉しいわ」


 ハンナ様はやさしく笑いかけてくるが、そのオーラには有無を言わせないものがあった。要するに、今日明日で何とか彼を説得しろと……。やはりハンナ様は女性に対してもドSなのかもしれない。


「承知いたしました」


*****


「というわけで、ハンナ様から護衛任務の要請がありました。これは業務ですので、随行の準備をお願いします」


 職員食堂のテーブル越しに向かい合い、私は淡々と事実だけを述べた。


「はいそうですか——と私が言うと思うか? リリー秘書官」


「もちろん、あなたのことですから何かにつけて文句を言ってくるであろうことは容易に察しがつきます。この機会にもう一度雇用契約書を読み返してみましたが、おそらくあなたが今頭に思い描いているのは『勤務場所』の条項じゃないでしょうか?」


「ほう……?」


「第4条にはこう書いてありました。『第4条 勤務場所 乙の勤務する場所は、甲の指定する場所とする。ただし、試用期間中はアルビオン王国内に限る』……つまり、試用期間中における国外での勤務は想定されていないと。きっとそう反論するんじゃないですか?」


「ずいぶんと君も私の扱いに慣れてきたようだね。確かにそうだよ、私は今そのことを考えていた。それで、秘書官殿の考えた対応策は何かね?」


「私は、契約変更を要請しようかと思います」


「なるほど。第4条のところを変更する雇用契約を新たに結ぼうというのか……。それは良い案かもしれないが、私に何かメリットがあるのかね?」


「そう言うと思っていましたよ……」


 そういいながら私は先ほど作った変更契約の用紙を見せる。


「変更箇所は2か所。勤務場所のほかに時給も変えさせていただきます。財政課長と協議した結果、時給を10ゴールドアップの860ゴールドに変更する許可が出ました! これでどうです!?」


 先ほどまで秘書課長と財政課長に必死に掛け合って、何とか折り合いがついたのがこの条件だ。ちょっと心もとないが普通ならあり得ないタイミングでの昇給である。交渉条件としては悪くないだろう。


「……君は、私が本当に10ゴールド程度の時給アップで契約変更に応じると思っているのかい?」


「ええ。1日働けば70ゴールド、1週間で490ゴールド。490ゴールドあれば職員食堂でプラチナ定食が食べられるんですよ!」


 ちなみにその下のシルバー定食は400ゴールド、上のミスリル定食は550ゴールドである。いつも私はシルバー定食、時々自分へのご褒美にプラチナ定食を食べているが、ここ最近は給料カットのせいもあって300ゴールドのブロンズ定食を食べる日々だ。


「そうか。ちなみに私はいつもオリハルコン定食だがな」


「なん……だと……? あ、あの1食あたり700ゴールドもするオリハルコン定食を毎日!? そうか……あなたには給料とは別に討伐の報奨金があるんですよね。……だったらなおさら時給が10ゴールド上がるくらい良いじゃない! ケチなこと言わないで変更契約にサインしなさいよ!」


「そう言われてもね、気が進まないんだよ」


「気が進まない!? どういうことよ!?」


「いや、秘書官殿に言われるがままにサインするのは癪に障る。だからもう一度考え直してくれ」


「え……ちょ……」


 彼はそういって変更契約の案を私につき返すと、手元のコーヒーをいかにもおいしそうに飲んだ。それが一杯300ゴールドもするスペシャルブレンドコーヒーであることも頭にくる。私なんか無料の水しか飲んでいないのに。



「あのー、勇者さんですよね?」


 白い制服に身を包んだ金髪の女性が彼に向かって声をかけてきた。


「えーと、たしか君はエリザベスちゃんだったかな?」


「えー! 覚えていてくれたんですね! 嬉しいです。先日はサインありがとうございました」


 そういえばそんな人もいた気がする。その時は2人組で来ていたように記憶しているが、今日は1人のようだった。


「勇者様はお仕事ですか? もしかしてお話し中のところをお邪魔しちゃいましたか?」


「いや、もう話は終わったから大丈夫だよ」


 おい、まだ終わってねぇよと言おうとしたが、2人は完全に私のことを無視して話し込んでしまっている。


「そういえば今度合ゴンがあるんですけど如何ですか?」


 金髪ドリルが彼の肩に手を載せながら言う。


「合ゴン? 何だいそれは?」


「こっちの世界の略語ですよ。正式には『合同ごはん』って言って、男女で一緒にご飯を食べに行ってお話しするんです。保健省の友達がぜひ勇者様とご一緒したいって言ってて、どうですか?」


「ありがたいね。そうしたら私は男を集めればいいのかな? 何人くらい必要かな?」


「ご一緒したいのは10人なんですけど……。けどせっかくだから男性は勇者様一人で良いですよ? 私たちみんなでおもてなししますので」


 いや、それ合ゴンじゃなくて単なるハーレム、って言おうとしたけれど、すんでのところで心の中での突っ込むに留めておく。ここで口を出すと面倒くさいことに巻き込まれそうだ。


「分かった、ありがとう。日時が決まったらまた連絡してくれるかな。僕が捕まらなければこの秘書に言ってくれれば時間調整するから」


「ありがとうございます! さっそくみんなに知らせてきますね!」


 金髪ドリル、あらためエリザベスは、勇者に向かって蕩けるような笑みを浮かべた後、速足で出口に向かって行ってしまった。彼はその姿を優しそうな目で追い、彼女が扉の陰に隠れて見えなくなると、こちらに向き直る。


「というわけで、もし日程の連絡があれば私に教えてくれ」


「私は宮廷省秘書官のため、業務に関することしか行えませんし行う気もありません。かわいい女の子にチヤホヤされたいのなら、スケジュール管理くらいご自分で管理してください。私も暇ではないので」


 柄にもなく怒った私はそのまま席を立ち、食堂を出てきてしまった。いい加減ストレスが溜まってきたので今日はアルディを飲みに誘おうと、心の中でスケジュールと調整する。やることは山ほどあるがどうせ終わらないのだ。今日やることを明日やったところで、何も変わらない。

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