第10話 国外にて

 私が怒って食堂を後にした翌日、彼が執務室まで来て契約変更を受け入れる旨を伝えてきた。正直あまりにも信用できず、本当にこれでいいのか何度も問いただしてしまった。しかし彼は「気が変わった」とか「たまには外の空気も吸いたい」だとか意味不明なことを言ってはぐらかす。結局のところどんな心変わりがあったのかは不明だ。もっとも、私としてはハンナ様からの依頼を無事やり遂げたので文句は無かったが。


 そうして私たちハンナ王女の外遊に同伴することになった。今は馬車に揺られ、先ほどアルビオン王国国境の検問所を通過したところだ。王城からここまでは2日かかったが、ここからブルボン王国の検問所まではさらに3日間を要する。そして検問所からブルボン城まで1日を見込んでいるため、合計1週間弱の旅程だ。滞在は1~2日、そして帰りも1週間程度で戻ってくるという、結構なハードスケジュールである。もっとも、アルビオン王国とブルボン王国は古くから交易があり、街道もかなり整備されているのでそこまで困難な旅ではないだろう。騎士団長と先ほど話をした時には、予定より早く着けそうだと言っていた。


「にしても、のどかだねぇ。外国へ行くのは久しぶりだけど、こんな楽な旅は初めてだよ」


 アルディが窓の外を見ながら言う。馬車は不規則な揺れを繰り返しながらも着実に進んでいた。


「けど何かあったら魔導省の代表として戦ってもらうんだからね。しっかりしてよ」


 私は手元の書類から目を離さず、正面に座るアルディに釘を刺した。彼女は使節団防衛用の魔道具メンテナンス兼運用係として随行員の一員となっていた。上の人々は長旅を嫌がるらしく、若いが実力者であるアルディに白羽の矢が立ったという。言い換えれば、面倒な仕事を押し付けられただけなのだが。


「極秘とはいえそれなりの規模だし、まぁ大丈夫でしょ。それにいざとなれば王女様も自分の身くらい簡単に守れるはずだよ。魔術に関しちゃ私よりあの姫様の方が数段上だし」


 そう言いながらアルディは足を投げ出して背もたれに深くもたれかかった。確かにハンナ様の魔術は歴代王族の中でもずば抜けて素晴らしいと聞く。アルディがかつて調べたところによると、その実力は伝説のSクラス冒険者にも匹敵するとか。もっとも、アルディも魔道具さえあればAクラス冒険者並みの実力を発揮するし、今回の外遊の護衛部隊をまとめ上げているのは元Aクラス冒険者のモリソン騎士団長だ。さらにはルシフェル討伐によって王室内では最強との呼び声高い彼も同伴しているし……そう考えると、この使節団、実は最強なんじゃないのだろうか?


「それはともかく、アンタあれ良いの? 愛しの勇者君とられちゃうよ?」


 アルディが顔を寄せてささやいてきた。彼女の視線の先には白衣を着た金髪ドリルが勇者と楽しそうに歓談している。


「別に私は単なる秘書官だから。勇者様の私的な交友関係までどうこういう権利も義務も無いし……」


 強がっては見たものの、やっぱり若干気になる。旅が始まってから白衣のビッチ……もといエリザベス・ランドは彼にべったりだし、彼の方もまんざらではない雰囲気だ。どこからどう見ても優良物件を落としにかかったハイエナにしか見えない。


「そんなこと言って。リリーずっと怖い顔してんじゃん。一回くらいシメても良いと思うよ? クソガキがチャラチャラしてんじゃねーよって」


「いや、私そんなキャラじゃないし……。そもそも彼女は保健省の医務官として随行しているわけだから、宮廷省の私があんま出しゃばるのも良くないでしょ」


「そりゃ建前としてはそうだけどさ、彼女まだ2年目のペーペーだよ? ここは先輩がきっちりケジメをつけておくべきじゃないかね?」


「ケジメって……」


 私はため息をつきながら馬車の外に目をやる。先ほどから書類に目を通すふりをしていたが、本当のところは揺れがひどくてほとんど頭に入ってこなかった。ただ楽しそうにしている2人を目に入れるのが癪で、何かをしている演技でもしないといたたまれないのだ。きっと私のこんな心境も、長年の友であるアルディにはお見通しなんだろう。


「仕方ないわねぇ……」


 そういいながらアルディは2人の方に向き直った。


「イザベル……だったかしら? そこの若い子」


「エリザベスですが、何か? 魔法省の方」


 エリザベスは警戒感のこもった瞳でアルディを見返す。


「ちょっと確認したいんだけど、薬草とポーションの準備はどのくらい? 目録があれば見せてほしいんだけど」


「いいですよ、こちらです」


 エリザベスはカバンからさっと羊皮紙を取り出してアルディに渡す。アルディはものすごい速さで目を通しつつ、手元の手帳に何かをメモしていった。2人の間に不穏な空気が流れる。


「全体的は良く揃っているわ。さすがは保健省の医務官だけあって優秀ね。ただ、ヤハギ草が2人分しかないのは何故?」


「ヤハギ草は毒矢を打たれたときにしか使わないじゃないですか。今回は魔族の奇襲を考慮して装備を選んだので、対人戦のものは最低限にしてあります」


「そう? けど外国遠征時の奇襲は8割が盗賊や傭兵、つまるところ人によるものという大前提を忘れていない? 確かに魔族に襲われる可能性は高いけど、結局のところ一番の脅威は人なのよ」


「対人戦だったら騎士団が負けるわけないじゃないですが。それに、毒矢くらいでしたら私のヒール魔法ですぐに治ります。そもそもこの使節団には勇者様もモリソン騎士団長もいるわけだし、常識的に考えれば襲撃されて負けることは考え難いかと」


「何かあるか分からないのが外国遠征なの。それに、もしあなたが死んだらヒール魔法は誰が使えるの?」


「そりゃそうですけど……だからってどうすれば良いんですか!? そういうことは遠征前に言ってくださいよ!」


 エリザベスはいら立ちを隠そうともせず声を荒げる。対するアルディは涼しいものだ。


「地図によるとこの道の先、半刻ほど行ったところにかなり大きなヤハギ草の畑があるわ。ちょっと行って拝借してくればよいじゃない。加工くらいはできるでしょ?」


「それはそうですけど……」


 エリザベスが言いよどんでいると、アルディがいきなり馬車の扉を開けて身を乗り出した。


「モリソンさん! お願いがあるんだけど!」


 アルディが隊列の前の方に向かって声を張り上げると、騎士団長が馬に乗って駆けてきた。


「どうしました、アルディ嬢?」


 騎士団長は私たち文官用の馬車に並走しつつ聞いてくる。


「保健省の医務官の方がヤハギ草の採取に行きたいらしいの。何人か護衛お願いできますか? 場所はこの道を半刻ほど行った先にある畑です」


「お安い御用です。パーカー分隊をつけましょう。パーカー! 医務官のお嬢さんの護衛を頼む!」


 騎士団長の声に、馬に乗った数人の騎士たちが私たちの馬車のすぐ横までやってきた。腕章をつけたパーカー分隊長と思しき騎士が、こちらに向かって手を差し出してくる。


「私の前に乗ってください!」


「ほら! 来たよ!」


 アルディは有無を言わさずエリザベスを立ち上がらせて、彼女の背中を分隊長の方に押した。馬車から落ちそうになったエリザベスは騎士に抱きかかえられるようにして馬に乗せられたが、何が起こったのか分からず目を白黒させている。


「では責任をもって護衛いたしますので!」


「え……ちょ、待ってよ、ホント!? え、マジ?マジで行くの? え、私馬とか無理なんだけど! 無理無理! ちょっと!?」


 エリザベスの抗議もむなしく、彼女は騎士に抱きかかえられたままあっという間に見えなくなってしまった。




「ずいぶん乱暴だね……」


 静かになった馬車の中、私はアルディに声をかけた。


「あの子はちょっと弛んでるし、このくらい厳しくやっておいた方が後々ためになるよ。それに、私たちも新米の頃はこうやって先輩にいびられたし」


「お局様だな」


 ボソッと彼がこぼす。その言葉につい吹き出してしまった。


「お局様って……! 大体アンタが仕事中にもかかわらず若い女の子に鼻の下伸ばしているのがいけないんじゃない! もっと勇者らしくしっかりしなさいよ!」


 アルディの顔は真っ赤になっているが、事実私も同じような感想を抱いてしまったことは否定できない。


「単なる暇つぶしさ。それに、若い子にチヤホヤされるのは悪い気がしない」


「私たちも十分若いんだけどね、このエロ勇者。リリーも私も絶賛売り出し中よ? 何なら一緒のテントに泊まる?」


「売れ残り中の間違いじゃないか? そもそも君たちは男より仕事を選ぶ人種だろう? そういう生き方もアリだとは思うが、私は仕事にばかり縛られて行きたくはないんでね。考え方が根本から違うんだろうよ」


「売れ残りって……ちょっと有名人だからっていい気になるなよ勇者! 私やリリーだって本気になれば凄いんだから」


 私がどんな風にすごくなるのかよく分からないが、アルディの表情には鬼気迫るものがあった。それを彼はどこ吹く風と流している。


「じゃあ本気になってもらおうか……ん? 何だ?」


 彼が目を細めて森の方を見たので、私たちも窓の外に目を向けた。青々とした草がおおい茂る平地の先に、深緑の葉を堪えた森が立ち並んでいる。夏の強い日差しが満遍なく降り注ぎ、ささやかに吹く風が不規則に葉を揺らしていた。特に変わったところは見えない、ごく普通の森である。


「……! 伏せろ!」


 彼の叫びと同時に腕をつかまれて馬車の床にたたきつけられる。同時に地面が割れるような轟音が響き渡り、馬車の外が赤く染まるのが見えた。


「魔族か!?」


 揺れが止むとアルディが窓から身を乗り出すようにして遠眼鏡を構えた。隊列自体は常時作動している防御魔方陣のおかげで無傷だったようだけれど、馬が混乱したため馬車は立ち往生してしまったようだ。彼は剣を手に取りいつでも飛び出せるような態勢で扉に手をかけている。


「いや……あれは人だ。盗賊か? 5人……10人……いやもっといる、何人いるんだ?」


 アルディが遠眼鏡から目を離さずに呟いている。馬車の外では騎士たちの怒号が行きかい、御者が馬を鎮めようと右往左往している音が聞こえてきた。


「アルビオン王国の者聞こえるか! 傭兵ネルソンだ! 抵抗しなければ命だけは助けてやる!」


 広域音声魔法だろうか。やたらと野太い声があたり一帯を震わした。その声に合わせて、森の方からわらわらと武器を持った男たちが出てくる。その数おおよそ200人。


「誰だそれ?」


 良く分からないといった顔で勇者が私を見る。私もよく分からないので、アルディを見ると、彼女は遠眼鏡から目を離さずに答えた。


「大陸で一番有名なアウトローだよ。実力はAクラス冒険者にも匹敵すると言われていて、ホイッグ団っていうゴロツキを率いている。時に盗賊になり、時に傭兵になる、要は金さえ積まれれば何でもする連中だ。かなり大きな勢力だとは聞いていたけど、ここまでとは……。これじゃまるで軍隊だ」


 確かにゴロツキ達は統一された装備で武装しており、一見するとどこかの国の軍隊にも見えなくはない。


「アルビオン王国の隊列! お前らの中に勇者がいるのだろう! おとなしくそいつを渡せば、俺たちは撤退する! 5分猶予をやるから考えろ!」


 その言葉に私は少なからず動揺した。魔族だけでなく、人の間でも勇者の存在がリークされていたとは。それは王室内に複数の——少なくとも魔族とネルソンに通じる——密告者がいることを示すことになる。アルディも勇者も深刻そうな顔で考え込んでいた。


 突如、馬車のドアが音を立てて開く。


「ヨシオ殿!」


 モリソン騎士団長が馬車に乗り込みながら話しかけてきた。騎士団長は椅子に座りながら続ける。


「王女陛下はこの場の対応をヨシオ殿に一任するとのことです。敵の数は200程度、それなりの装備ですが、練度はそこまで高くないように見えます。ヨシオ殿の火力で突破したあとを騎士団で討伐すれば何とかなると思いますが」


「その場合、こちらの被害はどの程度?」


 彼が騎士団長に向きあって訪ねる。


「相手の主力魔導士がどのくらいの実力なのかによりますが、おそらく死傷者は出るでしょう。大方の者は単なる盗賊でしょうが、冒険者で言えばBクラス程度の実力をもつ者もチラホラいるはずです。苦戦はするでしょうが、こちらも後れを取ることは無いかと。隊列については防御魔法が作動している限りは大丈夫かと思うのですが……そこはどうですか? アルディ嬢?」


「今の火炎砲はかなりの衝撃でしたが、あの程度の火力であればあと数回は防げます。王女陛下と私が魔力を供給すればさらに強固なものを作れますので、防御に関しては問題ないかと」


「とのことです、ヨシオ様。騎士団長として言わせていただくと、ヨシオ殿が降伏するふりをしつつ攻撃し、その混乱に乗じて騎士団を突入させる作戦が最善かと思いますが」


 彼はすぐには返答しなかった。腕を組みつつ難しそうな顔をして下を向いている。その後ちらっと私の方に目をやり、騎士団長に向き直った。


「私が一人で投降しましょう。騎士団は特に動かなくて大丈夫です。おそらく森の中に連れていかれると思いますが、相手の全容が分かった段階で対処して逃げ出します。その間、騎士団からは手を出さず、私が見えなくなったら隊列は全速力でここから遠ざかってください」


「しかし、それではヨシオ殿が……」


「私は単なる護衛です。まずは王女陛下の安全を第一に行動しましょう。私も彼らごときに負ける気はありません。隊列にもすぐ追いつきますので」


「しかし……、相手の人数が分からないうえ、そのトップはAクラス冒険者並みの実力を持ちます。大した実力は無いと言え、傭兵もかなりの数がいます。とても一人では……」


 なおも食い下がる騎士団長を、彼は手で制しながら立ち上がった。


「王女陛下はこの案件の処理を私に一任されました。今回の件は私が責任をもって対処します。モリソン騎士団長は通常通り、陛下の護衛業務を継続してください」


「……分かりました」


 彼が馬車を降りると苦しそうな表情をした騎士団長もそれに続く。勇者が森の方に歩き出すと、騎士団長は周囲に集まった騎士たちに指示を飛ばした。


「ネルソンとやら! 私が勇者ヨシオ・ノリヅキだ! これから単身そちらに向かう!」


 彼が大声で叫び、森に向かって進んでいく。


「ヨシオ様!」


 私は馬車の扉から身を乗り出して彼を呼んでいた。声に出すまで気づかなかったが、彼の名前を口にしたのはこれが初めてだった。彼はゆっくり振り返ると、特に何を言うでもなく片手を挙げてそのまま歩き続けてしまった。馬車と森の中間あたりまで彼が進むと、展開していた傭兵たちが彼を取り囲むように密集してくる。彼を中心に輪のように連なった傭兵たちは、ゆっくりと森の方へ移動していった。モリソン騎士団長は馬に乗りいつでも出発できるような体勢で森を睨み続ける。


 彼が森に入る刹那、モリソン騎士団長の「全速前進!」という掛け声が響き渡り、隊列が一気に動き出した。同時に森から炎の波が一直線に飛び出し、私たちが今までいた場所の地面をえぐって空気が揺れる。爆発の衝撃で周りが見えなくなるくらいの土砂がまき散らされた。その土砂に紛れるように、私たちは全速力で道を進んだ。

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