第8話 内輪揉め
「え、ちょっと、帰るってどういうこったよ? あと少しでルシフェル倒せるんだよ?それとも何? 女を殺すのは忍びないってか? そりゃアンタ殺しは私も好きじゃないけどさ、これは戦争なんだよ? 仕方ないかじゃないか」
アルディがまくしたてるように彼に迫った。しかし彼の考えは違うのだろう。恐らく私の予想が正しければ——
「いや、定時を過ぎた。先ほど5時の鐘が鳴っただろう? 勤務時間が終わったので、帰らせていただく」
やはり、彼は労働契約以上のことをやろうとはしなかったということだ。たとえ敵が目の前にいても自分の仕事の範囲外であれば殺さない。まさに彼らしいといえば彼らしい。もっとっも、騎士や医療魔導士たちは彼の発言の真意が分からず珍獣でも見るような目つきで口をあんぐりと開けていた。ルシフェルさえも、何を言っているのか理解できないといった感じで茫然としている。そんな中、最初に言葉を取り戻したのは秘書課長であった。
「わ……分かった! じゃあ残業を命じる! 残業代を出すから、ルシフェルを討伐してくれ!」
「先日読んだ王室労働法の本には時間外労働だと割増賃金として時給が1.25倍になると聞いたが、それで間違いないな?」
彼が秘書課長に念を押す。いつの間にそんなことまで調べたのだろうか。
「構わん! リリー、今すぐ業務命令書を!」
「けど課長、すでに課の予算は先ほどの課長の命令で使い切っていますよ?」
私はここぞとばかりに言ってやった。少しくらいこの課長も困ればよいのだ。確かにルシフェルは脅威だが、そんなことよりも私にとっては日ごろから溜まったうっぷんをここで課長にやり返すことの方が重要だった。
「おい、どうにかならないのか!」
「いや、予算を全額使えって言ったの課長ですし……」
「何であの時に俺を止めなかったんだ! こうなるのは予想できなかったのか!?」
「いや、ちゃんと言いましたよね、私……」
自分のことを棚に上げておいて私を責める秘書課長につくづく嫌気がさすが、直属の上司なので強くも言えない。私が言いあぐねていると横から思わぬ助っ人が入ってきた。
「秘書課長、予算が無いのに勝手に残業させちゃあ困りますよ」
課長と私が言い争っていると、横からテスコ財務課長が入ってきた。一瞬驚いた顔をしたのもつかの間、秘書課長は財務課長に駆け寄って縋り付く。
「財務課長! では至急財務課の予算から支出をお願いします!」
「いや秘書課長、勇者様は秘書課の職員ですし、財務課の予算で残業代は出せませんよ」
財務課長は相変わらず淡々と答えている。
「じゃあ王室予備費から出ませんかね!? ……何かあるでしょ、課長!」
「いや、最近はどこもカツカツでねぇ……。ちょっと今秘書課に回せるお金は無いなぁ」
秘書課長の必死の懇願に対して、財務課長はけんもほろろに対応するのみであった。そんな姿を見て、私も少し溜飲が下がる。
「そうか、残業代が出ないのか? なら私は帰らせてもらう」
回れ右をして帰ろうとする彼を、秘書課長が抱き着くようにして足止めした。
「ちょっと待ってくれ! ここでルシフェルを取り逃がしたとしたら大臣になんて言われるか分かったもんじゃない! 騎士団からも軍からもバカにされるだろうし、頼むよ!」
「いや、私はタダ働きはしない主義なので」
彼は冷たくそう言い放つと面倒くさそうに秘書課長の腕を自分の体から引き離す。
「どうしてもっていうなら、課長が自腹切ればいいんじゃないですか?」
ついつい面白くなって、私は以前に財務課長から言われたセリフを口にしていた。秘書課長はその言葉を聞いて信じられないものでも見るような目つきで私を見るが、財政課長が私に同意しながら追い打ちをかける。
「そうですね。秘書課長が個人的に勇者様に支払いすることは、財務課としても気にしませんので」
「いや待ってくれ、今は月末だろう? そんな他人に給料を払うような余裕は無いぞ! うちは住宅ローンも残っているし来年子どもが学校に入るから1ゴールドでも無駄にはできないんだ。それに私がそんなことしたらうちの奥さんに何言われるか分かったもんじゃない……」
「課長はルシフェルよりも奥様が恐ろしいのですか?」
私が訪ねると、課長は「当たり前だろう!!」と怒鳴って頭を抱えながらうなだれてしまった。その様子を見ていた騎士たち——特に年配の方々——がうんうんと無言で首を縦に振る。
「何をやっているのです?」
鋭い凛とした声がその場に響き渡った。そこにいる騎士たちは条件反射的に直立不動の姿勢をとり、私たちも本能的に危険を察知してたたずまいをなおした。声のする方に目を向けると、そこにはアルビオン王国王女、ハンナ・ウエィトローズ様が刺すような目つきでこちらを睨んでいた。
「先ほどから話を聞いていたらくだらないことで内輪揉めをして。王室職員としての自覚はあるのかしら?」
秘書課長はうなだれて言葉も出ないようだ。
「テスコ財務課長、そこの勇者が残業代が欲しいというのなら、王室機密費から出してあげなさい。ついでにボーナスとして1000万ゴールドほどくれてやって」
まるで商店で果物を買うような気軽さで私の年収の2倍近い金額を払うと言ってのけるハンナ様を見て、あらためて王族と住む世界が違うことを実感した。
「承知いたしました」
財務課長は鞄から何やら上質な紙を取り出し、慣れた手つきでそこに何かしらを書きつけた。紙を手渡されたハンナ様は、絵を描くようにそこへサインをする。
「では勇者さま、ハンナ様から正式に残業代と臨時ボーナス1000万ゴールドの支出許可が出ました。臨時ボーナスについてはルシフェル討伐という条件付きですが、討伐が証明されれば14日以内にお支払いいたします」
そう言いながら財務課長はその上質な紙を勇者に恭しく差し出した。彼は気怠そうにそれを受取り一瞥した後、私に手渡してくる。渡された紙の右上には王室の印が押してあり、中央上には大きく「王室機密費支出許可証」と書いてあった。私も初めて見るものだ。
「了解した。ルシフェル討伐を行う」
そう言いながら勇者がルシフェルに向き直った。
それまで私たちのやり取りをあっけにとられて見ていたルシフェルは、勇者が鞘から再び剣を抜いたと同時に我に返ったように飛び上がり、城門の上を高く飛び上がりながら逃げようとした。
「逃げるぞ!」
「追え!逃がすな!」
そこかしこから騎士の声が聞こえてくる。その混乱の中でルシフェルが城門を飛び超えると、彼も腰を低くため、一気に跳ね上がって彼女の後を追って行った。続いて騎士たちがワイワイと門を飛び出して行ったため、あっという間に広場の喧騒は霧のように消えてしまった。静まりかえった王城前の広場には、ハンナ様とお付きの数人の騎士、顔面蒼白な秘書課長、ポーカーフェイスな財務課長、そしてアルディと私だけが残された。
「秘書課長、後で話があるので私の執務室まで来てください」
ハンナ様はそれだけ言うと返事も聞かず、王城の方へ歩いていった。私たちも、がれきの上で震える秘書課長を見ないふりをして、王城に帰ることにした。
*****
で、結局どうして私が怒られるのでしょうか。無事討伐は終わってめでたしめでたしのはずなのに、なぜか私は秘書課長の机の前に立たされていた。
「まったく、おかげでハンナ王女に1時間もこってりやられてしまったじゃないか。これも、もとはと言えばあの勇者が変なことを言いだしたのがきっかけなんだよ。わかるかい?君は勇者の担当秘書官としてもっと自覚を持たないと」
「はぁ……すいません」
とは言ったものの、内心どうにも納得がいかない。なぜ課長は勇者に言わず私にグチグチと小言を言うのか。もちろん理屈としては分かっている。私が秘書官として勇者をきちんとサポートしなきゃいけないんだろうし、宮廷省と勇者のコミュニケーションがスムーズにいくように、根回しもしっかりしておく必要がある。彼と秘書課長の間に行き違いや誤解があったのなら、その責任の一端は私にあるのは紛れもない事実であった。
しかしそれを考慮したうえでもなお納得がいかない。やはり今回の件に関しては、根本的な原因は予算を一気に使い切った課長にあるのではないだろうか。さらにその上自腹を切るのさえ渋ってハンナ様の逆鱗に触れたのだから、これはもう自業自得だろう。しかしハンナ様はもちろん勇者にさえ文句を言えない小心者の課長は、こうやってグチグチ私に文句ばかり言って……。まぁ私も上司には言い返すこともできず、ただ「すいません」しか言えない以上、課長と五十歩百歩なのかもしれない。
「リリー君、どうして君はあの勇者をちゃんと躾ておかないかね? あれじゃ単なるクレーマーじゃないか。君があんな変な入れ知恵をしたのかい?」
「いや、違いますが……」
「じゃあどうして彼はあんなに王国の制度に詳しいんだ? 残業代が通常の時給の1.25倍になるなんて、聞いたこと無かったぞ?」
「いやそれは、……宮廷省はサービス残業ばかりだからそもそも誰も気にしたことがなかったと言うか……」
「仕方ないだろう! 切り詰めるところは人件費しか残されていないんだから。毎年仕事は増えるのに人は減らされるし、これ以上どうしろっていうんだよ……。しかもうちはあんな勇者なんか押し付けられて」
「勇者って押し付けられたんですか?」
「当たり前だろう! 本当は軍か騎士団に丸投げしたかったのに、モリソン騎士団長の口添えで秘書課扱いになって……。ハンナ様もあの髭オヤジの言うことだけはすぐ信じてしまう。おかげでうちは貧乏くじだよ、通常業務に加えて勇者のお守りまで……」
相変わらずネチネチと様々なことを言ってくる人である。面倒ごとの擦り付け合いという上層部の政治的駆け引きで勇者が秘書課に来たのは初めて知ったが、それはさすがに私に言われてもという感じだった。
「そもそもなんで壊れた城門の復旧費まで秘書課が負担するんだ?勇者がさっさとルシフェルを倒せばよかったものを。リリー君、ちなみに君は請求書を見たかい?」
「いいえ、見ていませんが……」
私がそういうと課長は一枚の羊皮紙をこちらに放り投げてきた。中身を見て私は目を丸くする。そこにはゼロが8桁も並ぶ数字が書かれていた。これを秘書課が負担?
「これを秘書課が負担ですか!?」
「いや、財務課長も全額求めてくるほど鬼ではない。ただ秘書課にも相応の負担をしてもらうということで、我々の給料は3か月間、10分の1カットだ」
その言葉に秘書課の全員の視線がこちらを向く。なんで私がこんな敵意のある視線を浴びなきゃいけないんだろうか……。
「……まぁ課長、結局ルシフェルは討伐できたから良いじゃないですか。私も現物は見てないから分かりませんが、ちゃんと彼もルシフェルの左手を持って帰ってきたわけですし」
騎士団とともに王城を飛び出した後、真っ先に帰ってきたのは騎士たちだった。どうやら彼らはルシフェルと勇者の動きがあまりにも早すぎて見失ってしまったらしい。
結局勇者が帰ってきたのは日が落ちた後、ルシフェルの左腕のみを持っていきなり秘書課に入ってきた。彼は執務室に入るなり何も言わずルシフェルの左手を差し出してくるものだから、私の隣に座っていた後輩の女の子が驚いて悲鳴を上げてしいた。彼いわく、ルシフェルの死体を持ってくるのは面倒だったので左手だけを切り取ってきたという。仕方がないからそれをもって討伐完了の確認ということにし、財務課長もの確認も取れたため、今回はきちんと討伐報酬が振り込まれることだろう。
「まぁ確かに、ルシフェルを討伐できたことだけが今回の騒動における唯一の救いだな。四天王の一人を倒したということで、王族も勇者の実力を本物だと認めるようになったらしい。……そうそう、それに関連してだが、秋に勇者召喚を臣民に発表する際に、ハンナ王女も同席することになった。もともとは王室内で簡単なセレモニーと布告を行う程度で済まそうかと思っていたらしいんだが、どうやら大々的な式典を考えておられるようだ。彼にはその場に同席してもらうから、今のうちから伝えておいてくれ」
「分かりました」
「ちなみに、勇者召喚発表の式典は秘書課が取り仕切ることになった。また残業が増えると思うが、うちの課は貧乏なのでもちろんサービス残業をお願いするよ」
その瞬間、私を睨む秘書課の方々の視線がより一層冷たくなった気がした。
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