第32話 二人きりの昼食

「太朗くんも小腹が空いているのかい?」


 ハカセさんだった。

 のそのそと、ぼくの目先まで歩いてきた。


「小腹どころじゃないですよ。

 もうペコペコで」


「朝からなにも食べていなかったからね。

 君も抵抗あるんだね。

 普通の人なら、

 死体を目撃したら1日くらいは何も口にできないはずだよ」


 ジョークのつもりで言ったつもりだろうが、

 ハカセさんの顔には微笑みの兆しはなかった。


「この時期だからパンは腐ると思って、

 冷蔵庫に入れておいたよ」


 ハカセさんはぼくに冷蔵庫を開けてくれと、

 オブラートに包み込む。


「ですかね」


「そっか、すまない。

 僕がパンと何か出しておくから、

 太朗くんは適当に缶詰を頼むよ。

 リビングで一緒に頂こう」



 リビングに着いたぼくは、

 胸に抱えていたツナやサバ缶などをテーブルに並べる。

 時計を眺めると午後1時を通過したところ。

 窓から差し込む光も徐々に傾いてきた。

 ハカセさんが来るのまで特にやることがないので、

 椅子にだらりと腰掛けて待つことに。

 缶詰の蓋を開けておこうかと思ったが、

 保存の高い貴重な食材なので、

 無闇に開けることはしなかった。


「おまたせ」


 ハカセさんは銀のトレイに、

 4枚の食パンとイチゴジャム、

 それとマーガリンにピーナッツバターと積んできた。

 テーブルの上に食パンを並べる。

 オーブンレンジで温めてきたらしく、

 湯気がゆらゆらと昇っている。


「いただきます」


 ぼくは食パンを1つ掴み、

 スプーンの裏でピーナッツバターをふんだんに塗りつぶすと、

 迷わずにかぶりついた。


「そうそう、飲み物持ってこなかったね」


 ハカセさんはリビングを抜けると、

 1分経たずに牛乳パックと、

 グラス2つを持ってきて注いでくれた。


「ありがとうございます」


 罪悪感もなしに、一気に牛乳を飲みほしてほっと息をついた。

 ハカセさんは食パンの片手にマーガリンを隅々まで塗っていく。

 まるで大工さんがコンクリートを塗るくらい丁寧だった。

 こういうのって性格が出るんだな。

 そんな静かな時間がゆっくりと過ぎていく。

 1枚目を完食したぼくは、

 2枚目の食パンにマーガリン、

 そしてその上にイチゴジャムを塗ってパクッと一口。

 うん、おいしい。

 意外にも腹に溜まるな。


「缶詰開けようか?」


 対峙して座っていたハカセさんがツナ缶に手を伸ばす。

 正直いらないかもしれないが、

 ひとつくらいならいっか。


「ハカセさんは食べます?」


「2枚目を食べてからだね。

 でも太朗くんがせっかく持ってきてくれたから」


「ぼくはいらないかなって、思っていたところですよ」


「開けないでおこうか」


 手を引いたハカセさんは再び食パンを。

 それ以降、リビング内は咀嚼する音だけが鳴った。 

 風が入ってきたらしく、

 窓際のカーテンがゆらゆらと泳ぎ始める。

 ぼくの推理をハカセさんだけでも言っておくべきだろうか。


「ハカセさん」

 ぼくがそっと叫ぶと口を止めて見つめ返した。

「あ、いや、この先どうしましょうか? 

 橋も壊れてしまったし」


 だめだ、言えなかった。

 盗聴器の気配と信憑性しんぴょうせいの度合いが高くて、

 あさっての方向へ口走ってしまった。


「外部との連絡が取れれば最良なんだけど、

 助けが来るまで待っているしか手立てが浮かばないね。

 架け橋を作るってのも1つ方法だけれど、

 これはこれで至難しなんわざだね。

 まずはあねごさんと和解して、

 一致団結して案を出し合った法がよさそうだね」


「ですね」短く同調した。

ハカセさんも一応考えているんだな。


「ところで太朗くんは記憶が戻ったらどうする?」


 唐突に聞いてきた。

 まさにさっきまでぼくが探していたものと微かに一致した。

 だけど変な質問だった。


「戻ったらですか? 

 うーん、答えが出てきませんよ。

 そもそも戻った時点で今、

 この状況に置かれてるかもしれないし、

 脱出しているかもしれないし。

 欲を言えば、お腹いっぱい好きなものを食べて、

 不安を忘れてふかふかのベッドで寝ることですかね」


 うんうんと頷いていたハカセさんは、


「僕は……過去の過ちを清算をしたい」


 言っている意味がわからなかった。

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