第33話 夕食のカレー

 満腹になったぼくは、

 ハカセさんと別れて自室で仮眠を取ることにした。

 目を覚ますと、

 部屋の隅からゆっくりと夕闇が流れ込んでいた。

 どのくらい眠ってしまったのかわからないが、

 頭に被さっていた石が、

 ぽろりと取れたくらい快調だった。

 ぐぐぐっと背筋を伸ばして、

 ストレッチをし部屋を後に。

 階段を下りてリビングへ繋がる1本の廊下を歩く。


「う、なんだこれは!」


 思わず鼻をつまんでしまうくらいの異臭が広がったいた。

 キッチンのほうからだ。

 半開きになっているドアを恐る恐る開ける。

 すると白ちゃんがガス台に、

 鍋をかけてお玉でかき回していた。


「白ちゃん?」


 ぼくが声をかけると、

 白ちゃんは手を休めて首を向ける。

 そして再び鍋をかき回した。

 異臭の原因を探ろうと、

 白ちゃんに近づいて鍋を覗き込む。


 黄土色の液体が時計回りに渦を巻いている。

 正体はカレーだった。

 隣のコンロでは鍋が蓋を閉じており、

 その隙間から白い湯気が立っていた。

 この甘い匂いはごはんだ。

 正直カレーは食べたくなかった。

 おっと手が滑った、とかいって鍋をぶちまけてしまおうか。

 いや、白ちゃんのひたむきな姿勢にそんなことはできない。


 カレー鍋の火を止めた白ちゃんは、

 ごはん鍋を開けて、しゃもじでかき回していた。

 するとぼくに目線を合わせた後に戸棚を見つめる。


「はい、わかりましたよ」


 どうやら人数分の皿を持ってこい、と指図したらしい。

 4枚の皿を手にぼくは水洗いをする。 

 左横の台には、

 まな板と包丁、

 そして人参のヘタとジャガイモと玉ねぎの皮、

 開封済みのカレールーと、

 こげ茶色の小瓶が並んでいた。


 1枚目の皿を洗い終えて水滴を拭き取り白ちゃんに渡す。

 白ちゃんはその皿にごはんを敷いてカレーをのせる。

 なんとも微笑ましい光景だった。

 よくできたお嫁さんって感じがする。


 カレーの持った皿を中央のテーブルに置いた白ちゃんは、

 何かを思い出したようにポンと手を叩く。

 そしてまな板の近くにあった2つの瓶を寄せて蓋を開ける。

 この空間にいたら脳が溶けそうだ。

 何か口実を見つけて抜けだそう。

 するとシンク脇に座っている台ふきんを目撃した。

 これだ! 

 と思わんばかりにぼくは、


「先に行ってて、テーブル拭いておくね」


 白ちゃんは表情を変えずにコクリと1回頷いた。



 リビングの明かりをつけて、

 湿った台ふきんでテーブルの上を隅から隅まで拭いた。

 これでよしと。

 作業は1分もかかからなかった。

 キッチンに戻る気はないので、

 椅子を引いて腰をかける。


 ふと時計を見上げると7時に差しかかっていた。

 もう12時間経つんだ。

 仮眠を取ったにも関わらず、

 時間が過ぎるのが早く感じる。

 腕をだらーんと下げて天井を仰ぐ。


 次の犠牲者は一体……。

 毎晩、ひとりずつ殺されていく。

 もしぼくだとしたら対抗できるだろうか。

 それとも他の人だったら。

 とにかく動きはあるはずだ。

 待つしか道はない。

 犯人を捕まえてここから脱出するんだ。


 ん? 脱出? 

 そういえばあねごさんと白ちゃんは、

 橋が壊れていることを知らないはずだ。

 別に口止めされているわけでもないし、

 夕食の時でも話しておこう。


「この臭いは?」


 全身の毛を逆立てながら新鮮な空気が流れる窓際へ退却した。

 リビングに入ってきたのは、

 両手にミトンを装着した白ちゃんがカレー鍋を挟んできた。

 こぼさないようにゆっくり歩きながら中央テーブルに近づき止まる。

 じっと動かない。

 どうやら鍋敷きを忘れたらしく、

 中央を一点集中に見つめている。


 どうするんだろう? 

 と、眺めていると中央にカレー鍋を置いて駆け足でリビングを出て行く。

 そして鍋敷き2つと皿を3枚持ってきた。

 カレー鍋の下に鍋敷きを乗せて、

 再び出ていこうとする白ちゃんを呼び止めた。


「手伝うよ」


 そしてぼくはキッチンからごはん鍋を持ってくると、

 白ちゃんはグラス4つと水筒を乗せてきた。

 これで全部かな。

 バタバタと忙しかったが役者は揃ったようだ。

 すると白ちゃんは最初に分けたカレーを自分の手前に置いて、

 ぼくの右隣にきてごはんとカレーを分けてくれた。


「ありがとう」


 と、礼を述べる。

 さてここからが問題だ。

 せっかく白ちゃんが、

 腕を振るって作ってくれた料理を食べないわけがいかない。

 でも、よりによってカレーだなんて。


「ハカセさんとあねごさんを呼んでくるから待ってて」


 取りあえず時間稼ぎをすることにした。

 ぼくがリビングを出ようとすると、

 ドア越しに足音が近づいてきた。


「あ」


 ドアが開くとあねごさんの目線にあってしまった。

 犯人扱いされてから、

 ばったり姿を眩ましていたので、

 かなり気まずい雰囲気に突入。


 ここは、ぼくから謝るべきだろうか。

 いや、あねごさんだって非がある。

 最初に突っかかってきたのはそっちだから。

 ぼくから先に頭を下げたら、

 罪を認めてしまうことになる。

 難しいさじ加減だった。


「そうぷんぷん怒んなよ。

 あたしが悪かったからさぁ、すまねえ」


 先に頭を下げてきたのは、あねごさんのほうだった。

 どうやら黙ってじっと見つめていた行為が、

 怒っていると感じたらしい。


「夕食ができたので、

 あねごさんたちを呼びに出ようとしていたんです。

 ぼくのほうこそすみません。

 疑ったりして」


 もちろん、急に和解を求めてきた理由など読めない。

 ぼくと同じく犯人に目星がついたのか、

 それとも何か裏があるのだろうか。

 どちらにせよ距離は置いて接しておこう。


「白、悪かったな。

 さっきは首を絞めて。

 あたしってバカだからさぁ、

 ちょっと変わったことあると都合よく誰かを疑っちまうんだよ。

 部屋に閉じこもってじっくり頭冷やしてきたよ。

 今まで共にゴールを目指してきた仲間を犯人扱いするなんて。

 すまねえ」


 ぼくの脇を素通りしたあねごさんは、

 白ちゃんの前に立って、

 何度も何度も誠実に謝罪をした。

 白ちゃんは可愛らしく首を振った。

 これであねごさんへの和解が成立した。


「お、今日はカレーか。うまそうだな」


 クンクンと子犬のようにわざと鼻を鳴らしたあねごさんは、

 テーブル上のカレー鍋を物珍しそうに覗く。


「臭いが部屋中に充満してるのわからなかったんですか?」


 鼻をつまんで左右に手をあおぎ、

 ぼくはあねごさんに激臭アピールをする。


「リビングに近づくにつれてわかってたさ。

 カレーはカレーでも、

 うどんとピラフだってあるだろ。

 も、もしかしてカレー嫌いなのか?」


 あねごさんはあごが外れるくらい大きく口を開けて、

 一歩二歩と後退りをする。

 まるで雷に打たれたくらいの衝撃を与えてしまったようだ。


「人間なんだから、

 1つくらい嫌いな食べ物だってありますよ」


「まあ、誰しも1つはあるわな」


 うんうんと胸のあたりで腕を組んで、

 強く同意してくれた。が、


「だがカレーだけは別格だ。

 太朗の味覚おかしいんじゃねえのか。

 鼻孔びこうをつーんと撫でる、

 ならではの優しい匂い。

 つま先から頭のてっぺんまで伸びる衝動的なスパイス味。

 嫌いなやつがいるなんて、

 ちゃんちゃらおかしいぜ」


 ころっと手のひらを返してきた。


「世の中にはたくさんの人がいて、

 たくさんの食べ物で溢れているんですよ。

 ぼくが嫌いな食べ物のくじを引いてしまったのが、

 たまたまカレーだったわけで、

 何1つ不思議なことなんてありません」


「じゃあ水が飲めない人間っているのか?」


「それは、水はすべての生物と植物に必要なものですし、

 味もしないので飲めないって人はいないですよ」


「あべこべだな、言ってることが」


 うぐっ。一歩引いてしまい反論できない。


「まあ許してやるわ。

 冷めちまうから早く食べようぜ。

 太朗もそんなとこでボケッとしてないで、

 こっちに来て座れよ」


 皿を左手にあねごさんが、

 しゃもじで、ほかほかのごはんを右半月に装う。

 ごはんを平らにして、

 カレーをかける白ちゃんとは別タイプだ。

 テーブルへ戻るぼくの足が止まる。


 そういえば何か忘れているような。

 人数分の皿を見て、あっ、と思い出した。


「ハカセさんのこと忘れてました。

 呼びに行かなくちゃ」


「寝てんじゃねえのか。

 来るときにあたしがノックしてやったけど、

 うんともすんとも返ってこなかったし。

 そっとしておいたやったらどうだ?」


 お玉を手にカレーをたっぷりと盛りながらあねごさんが言う。

 確かに数時間前、一休みしようと別れたはず。

 なおさら起こしに行くのも気の毒になってきた。


「ですよね。ハカセさんのことだから勝手に起きてきますよね」


 止めていた足を動かして椅子に座る。

 目先の現実に顔を背ける。

 白ちゃんが分けてくれたカレーがあった。

 さてと、これをどう処分するか。


「んー、うまい。絶品。

 やっぱこの味。

 けどあたしは、もうちょっと辛くてもアリかな」


 左横では、あねごさんが頬を弾ませて次々と口へ放り込む。

 ぼくからしてみれば、

 味覚が狂っているとしか思えない。

 一方左横では白ちゃんがニッコリと口角こうかくを上げている。

 自分の手料理が喜んで食べてもらえることに、

 相当嬉しいのだろう。


「はあー、美味しかった」


 いつの間にかあねごさんは、

 ぺろりと完食してしまい、

 グラスの水をゴクゴクと一気飲みしている。


 チャンス到来、とぼくはあねごさんに、


「よかったら、ぼくの分も食べませんか?」


「おい、いいのか? せっかくふたりで作ったのに」


「白ちゃんが全部作ったんですよ」


 自分の嫌いな料理を自分が作るわけないのに。

 それくらい読んでほしかった。

 白ちゃんの反応を目で追う。

 だが表情は変わらずに微笑んでいた。


「太朗が残すくらいなら、

 あたしが食べたほうが幸せってことだな。

 いいよ、おかわりほしかったとこだし、

 ありがたく頂くわ」


 ぼくはあねごさんにカレーを渡すと、

 完食した皿の上にそのまま落として、

 スプーンですくって食べ始める。

 これで任務完了だ。


「食べるのないなら、

 缶詰をおかずにして食べたらどうだ?」


 ぼくの視線を感じたあねごさんが、右手を休めて言った。


「でも缶詰は一番の保存食なので」


「いいって。近いうちに橋んとこ行くんだろ。

 5日も経ってたら、

 さすがに向こう岸で誰かいるだろう」


 やはりあねごさんは、

 あのことに気づいていないようだ。

 白ちゃんも同じだろう。

 ぼくは決意し伝えることにした。


「実は橋が壊れているんです」


「知ってるって。今あたしが話しただろ?」


 言葉1つ足りなかったらしい。

 ぼくは続けた。


「あの橋じゃなくて、すぐそこの橋ですよ」 


 あねごさんと白ちゃんは首をひねる。

 まだ伝わったいないらしい。

 更に続けることにした。


「ほら、ぼくたちが行った川に流れていた橋ではなくて、

 すぐそこの絶壁のコンクリートの橋ですって」


「そこの橋ってもしかして」


 あねごさんは目をぱちくりとさせて言葉を失っていた。

 持っていたスプーンが手をすり抜けて、

 テーブルにワンバウンドし、

 床の上で溺れている。

 白ちゃんもショックを隠しきれず、両手で口を覆っていた。


「お、おかしくねえか、台風も来たわけじゃないのに」


「ハカセさんの検証によると、

 小型爆弾で崩壊させたらしいです」


「だったら爆音で気づくだろうが」


「サイレント式の爆弾とか」


「あってたまるかそんなもん。

 じゃあこの屋敷に閉じ込められたってことかよ。

 一体誰なんだよ、

 そんなことするヤツは」


 拳を振るい上げて、

 テーブルを叩いたあねごさん。

 鍋やグラス、水筒が数ミリだけジャンプした。

 ぼくは今話すべきことではないと後悔した。

 なぜなら楽しいディナータイムを壊したことになってしまったから。


「新しいスプーン持ってきます」


 あねごさんが床に落としたスプーンを拾って席を立つ。


「ありがと。ついでに缶詰と茶碗も持って来いよ」



 キッチンから戻ってきたぼくは、

 あねごさんにスプーンを渡して茶碗にごはんを分けて、

 サバみそ缶を開けて箸で摘まむ。


 閑静かんせいに包まれたリビング。

 時計の進む秒針だけリアルに聞こえてくる。

 あねごさんはスプーンを持ったまま、

 カレーに手をつけようともしない。

 白ちゃんはというと、

 一口サイズに切り取ったカレーと、

 ごはんを皿の上でかき混ぜていて口に運ぼうとしない。

 深刻そのものだった。

 この空気を打開する切り札を持っているが、

 今は隠して話題を変えることにした。


「一応、ハカセさんがそろったら、

 もう一度話し合ってみましょうよ? 

 みんなで知恵を絞れば、

 きっと対策が浮かびますから」


 希望に満ちあふれた発言をしてみたが、

 ふたりと無反応に動かない。


「ん? ああそうだな」


 10秒程度遅れて、

 あねごさんが魂が抜けたように呟いた。


「取りあえず食べてしまいましょうよ」


「そうだな。

 食事中にウジウジ悩んだってもったいねえし、

 食べてから考えるとするか」


 あねごさんがカレーに手をつけると、

 真似するように白ちゃんとぼくも食べかかる。


 まあ、ぼくはサバみそだけれど。

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