第29話 ハカセ推理

 中央間の2階へ繋がる階段を上り、

 右手に曲がって3番目の奥の部屋へ。

 中に入ると白ちゃんは、

 平均台の上を歩くように、

 ふらふらと歩いてすとんと座る。


「ちょっと埃っぽいね、換気するから」


 白ちゃんが頷いたことを確認して、

 シルクのような肌触りのカーテンを左右に寄せて窓を開ける。

 太陽は真夏のようにギラギラと輝いているが、

 吹き抜ける風はそれとなく、

 ひんやりしている。

 この場所が深い森の奥なのだろうか、

 それとも夏の終わりを告げているのだろうか。

 窓から上半身をむき出してみると、

 地平線まで木が青々と茂っている。

 まるでこの屋敷だけ、

 ぽつんと残されたような気がする。


「ん?」


 ふと左腕のあたりに気配を感じて向くと、

 白ちゃんが遠くを見ている。

 マネキンのように顔の部位を変換させないので、

 感情を読むことは出来なかった。


「忘れてた、白ちゃんの毛布持ってくるから待ってて」


 窓から身を引き、

 振り向いて部屋から出ようとすると、

 ぷにぷにと、

 柔らかいゼリーのような物体がしがみついてきた。


「どうしたの?」


 呼びかけても力を緩める気配もない。

 うーん参ったな。

 これじゃ動けないよ。

 かといって無理に外すのも気が引けるし。

 そんな湯たんぽのような、

 じんわりと生暖かい温もりを背中で感じていると、

 1分ほどで白ちゃんは手をほどいてくれた。


 すると、ぼくの背中をキャンバスにうなじのあたりから、

 順番に下へ文字を描く。


 その言葉は、「ごめんなさい」


 すぐに意味がわかった。

 白ちゃんは自分自身のせいであねごさんに、

 ぼくが容疑にかけられたことを謝っているのだろうと。

 ぼくはくるっと反転して白ちゃんと向き合いながら、


「気にしなくても大丈夫だから、ね」


 両肩を優しく叩き部屋を後にした。





 リビングからタオルケットと毛布を3枚ずつ抱えて、

 ハカセさん、白ちゃん、

 そして自分の部屋に配り終えて中央階段を下りる。


 そういえばハカセさんはどこにいるのだろう? 

 きょろきょろと見渡しても、

 影すら目撃することはできなかった。

 となると、地下? 

 いや、ヒメの首を持って両足があった部屋に行ったのかもしれない。

 直感を信じて左に曲がりその部屋を覗く。


「ハカセさん、いないや」


 いないだけではなかった。

 バラバラにされたヒメの身体が煙のように消えていた。


 どこかに移動させたのだろうか? 

 もしかしたら全部揃ったからって、

 外に持って行ったのかもしれない。


 部屋を出て、中央階段をすり抜け玄関の扉を開ける。

 まぶしい光が頭に刺さって、

 グラっとバランスを崩しそうになった。


「息を切らして急用かい?」


 ハカセさんが右から歩いてきた。


「いえ、自分でもわかりませんが、

 走ってきちゃって。

 で、ヒメの遺体なんですけど」


「ごめん。勝手に移動させてしまって。

 あの場所に並べておくのも気の毒と感じて、

 外に運んでおいてきたよ。

 色々と調べておきたいしね」


「なにか変わったところってありましたか?」


 ハカセさんの表情がどんより曇がかかってきた。


「実はヒメくんの遺体には、

 複数の弾薬がめり込まれていたんだよ。

 ひょっとしたら銃殺された後に、

 バラバラにされたってことだろうと思って」


 ハカセさんがそう考えるのも無理はない。

 逆にバラバラにした後に身体中に弾薬を撃ちまくったら、

 それはそれで犯人の行動が狂っている。

 弾薬ってどこかで見たような。


「あ!」ぼくが驚き声を上げるとハカセさんは、


「心当たりでもあるのかい?」


「実はヒメを捜索中に、

 白ちゃんと一緒に中央間に続く廊下で、

 弾薬が地面に残ってて……

 でも、最初からあったものかもしれないし、

 特定するのはちょっと」


「そうだね。

 足元だったら僕も素通りしてることも多いからね。

 これ以上ヒメくんの死因を追求してもムダかな」


 一息入れたハカセさんは更に続ける。


「それともう1つ。

 熊さんの遺体を覗いてみたら、

 全身の皮膚が青く変わっていてね。

 腐敗速度が昨日の比べると早くなっているんだよ。

 本来夏場だと下腹部が青くなって屍臭を出すんだけど、

 全身が青く変色するなんて……」


「でも腐る早さって、

 気温とか体型とかで変化しないんですか?」


「それもあるよ。

 一般的に夏場は温度が高いから腐りやすい。

 逆に冬場は低いから腐りにくい。

 まあ生ものを常温で放置したらどうなるかって、

 考えたほうがわかりやすいかな。

 でも書斎に倒れていた男性の遺体と照らし合わせてみたけれど、

 男性の遺体も腐敗が進んでいるね。

 どうしてだろう? 

 昨日ってそんなに暑かったかな?」


 頭を左右に振ってハカセさんは考え込む。

 そもそも腐敗速度なんて真剣に考えることなのだろうか?

 もっとやるべきことがあるはずだ。

 あねごさんの機嫌を取ったり、

 SOSを出して助けを呼んだり、

 脱出の手立てを考えたり。


 そうだよ、見えない犯人を捜すより、

 脱出の手段を試したほうがまだ利口だ。

 ぼくはハカセさんの頭を切り換えてもらうように水を差した。


「人が死んで腐る順番って、

 100パーセント時間経過と一致するんですか?」


「いや、そうとは限らないね。

 太朗くんが言ったように温度や湿度、

 体型や死因とかで症状が変わるから、

 一概にはっきりしたことは証明できないよ」


「じゃあ、たまたまってことではないんですか?」


「ひょっとしたら、そうかもしれないね」


 ハカセさんはどうも腑に落ちない様子。

 確かに犯人捜しも、

 身の安全を確保する1つの手立て。

 気持ちはわかる、

 話題を変えてみるか。


「ところであねごさんも言ってたんですけど、

 遺体をバラバラにすることって、

 ひとりだったら不可能でしたよね? 

 でもペアだったら可能なんですか?」


 ほんの数秒だけ間を置いて、


「いや、変わらないと思うよ。

 根本的に人間をバラバラにするのが早い人って、

 いないんじゃないかな? 

 効率的に上がると思うけど」


 やはり不可能か。

 もしも共犯だったら、

 あねごさんとハカセさん。

 あねごさんと白ちゃん。

 ハカセさんと白ちゃんの3パターンになる。


 もしこの3人がグルだったら……。

 今、ぼくを生かしている意味はあるのだろうか。

 しまった、つい犯人捜しに陥ってしまった。


「ところで、なぜヒメさんの遺体をバラバラにしたと思うかな?」


 ハカセさんが真顔で責めてきた。

 そういえばヒメがいなくなったって知らせが入ってから、

 ふざけたハカセさんを見たことがなかった。


 ヒメをバラバラにした理由……。

 心底で復唱する。

 なんでだろう? 

 こっちが聞きたいくらいだ。


「殺しても満たされることのない、

 恨みがあったとくらいしか思いつきませんね」


 うんうんと、はかせさんは納得顔で小刻みに頷いた。


「それも動機の1つだね。

 その他にはバラバラにすることによって、

 死体を運びやすくしたりする。

 この理由は力のない女性が及ぶパターンが多いらしい。

 付け加えると、隠しやすくすることもある。

 そしてもう1つは身元不明にすることかな。

 身体の部位を広範囲に放棄することによって、

 犯人の足跡を消すってこともあり得るね」


 ハカセさんが動機を並べてみても、

 ヒメが殺害された理由がわからなかった。

 たまたまだろうか、

 それとも何か見てはいけない物を見てしまったのだろうか。


「そんな眉にしわを寄せても出ないから、

 この話はひとまず置いておこう」


 ハカセさんの口角が少しだけ上向いた。


「ですね。それよりこれからどうしましょうか?」


「実はもう一度、

 道を下って川がどうなっているか確かめようと思っていたけど、

 今の状態では、

 あねごさんと白ちゃんを放置できないので下山は明日に回そう」


「明日ですか?」


 正直驚いてしまった。

 このまま泊まれば、

 次の犠牲者が出る可能性があるのに。

 ハカセさんの答えは悠長だった。


「太朗くんの気持ちもわかるよ。

 一刻も早くここから離れたいってね」


「だったらぼくひとりでも下りましょうか? 

 運良く向こう岸の舗装ほそうが始まっているかもしれませんし」


 ぼくたち4人で下りたときから2日が経過してるんだ。

 きっと向こう岸で最低でも橋の崩壊に気づいている人がいるはず。

 だがハカセさんは、口を一文字にして同意に迷っていた。

 更にもう一押しすることにした。


「見てくださいよ、

 この晴れ晴れとした雲1つない空を。

 これは天が授けてくれたチャンスですって。

 もし明日から土砂降りの雨が続いたら、

 下山なんてとても、とても……」


「でもね、今は晴れてるかもしれないけど、

 山の天気は移り気が激しいよ。

 大荒れになるってこともあるから」


 頑固にもハカセさんは一歩も退いてくれなかった。

 あの方法を使ってみるか。


「要するに天気が崩れなければいいんですね?」


「そうだね」


「車のラジオで確かめてみませんか?」


「あの車は、あねごさんが乗っておシャカにしてるから無理だね」


「ラジオくらい聴けますって」


 ハカセさんを尻目に、

 ぼくは真っ直ぐに走ってコンクリートの一本橋のところへ。


「あ……」


 立ち止まってしまった。

 ……ない。ないんだよ! 

 橋がないんだよ。


「太朗くん、怖じ気着いたかい」


 ゆっくりと背後からハカセさんが忍び寄る。


「橋がないんですけど」


 くっきりと切り抜かれた漆黒の谷底を見下げた。


「こ、これは一体」


 ハカセさんは、

 ぼくの右横で魂の抜け殻のように、

 ぽかーんと立ち尽くしてしまった。

 こっち以上に驚いている。

 でもなんかおかしい。


「橋が消えているのって、

 今気づいたんですか?」


 ハカセさんは言葉も出さずにゆっくりと頷いた。


「あねごさんとハカセさんで、

 ヒメの行方を捜すのに外に出ましたよね?

 なんで気づかなかったんですか?」


「向こう側を探そうとしたときに、

 ヒメさんの腕を見つけてしまって、

 僕もあねごさんも動揺していたから、

 橋の存在までは確認していなかったんだ。

 すまない」


「はあー」


 もはやため息しか出なかった。

 ハカセさんを責めるつもりはない。

 同じ境遇に立たされたら、

 ぼくだって見逃していただろう。


 これで完全にこの屋敷に取り残されてしまった。 

 でも、いつ壊れたんだろう? 

 当てはまるとしたら、

 ぼくたちが寝ている間しかない。

 でも、壊すにしたってそれなりの衝撃音が響くはず。

 寝ていたって飛び起きずにいないのはおかしい。


「恐らく小型爆弾で、

 根の部分を爆発させて、

 すとーんって谷底に落としたみたいだね」


 ハカセさんが底を覗き込みながら言った。

 そこでぼくは、


「でも爆弾を使っていたのに、

 誰も気づかなかったっておかしくありませんか?」


「確かにそれだと振動もプラスされるわけだから気づくはず。

 だとすると、小型爆弾を複数忍ばせて粉砕させて谷底に落とす。

 この仮説だったら辻褄が合いそうだ」


 うんうんと自己満足にハカセさんは頷いた。

 いずれにせよ壊れた橋は戻らない。

 ここからどうやって渡るかが先決だ。


「ところで太朗くんは頭は大丈夫かい?」


 失礼なことをハカセさんは口走ってきた。

 カチンときたぼくは、


「どうせハカセさんと違って悪いですよ!」


「僕が言いたいのは頭痛のことなんだけど」


 おでこを押さえながら下を向いている。

 額にぽつぽつと汗が滲んでいた。


「意識していなかったですけど、がんがん響きますね」


 そういえば鎮痛剤を飲むために、

 キッチンへ向かい冷蔵庫を開けたらヒメの首が落ちてきて。

 事件が重なり合って、

 一時的に痛みが吹き飛んでいたらしい。


「今は足掻あがいても仕方ないから、

 ひとまず薬を飲んで一休みをしよう」

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