第26話 第3の被害者

「おい起きろよ、太朗。おいってば」


 誰かが、ぼくの肩を優しく揺らす。


「ん?」


 ゆっくりと上半身を起こすと、

 あねごさんが正座している。

 その表情は頭痛を犯していたときよりも、

 蒼白く目は血走っていた。


「どうしたんですか?」


「ヒ、ヒメが部屋にいねえんだよ。

 トイレから戻ってきたらドアが開いててさ」


「えっ、ヒメが?」


 今何時だろう? 

 首だけ動かすと、

 頭の中でロック歌手がライブをやっているように重低音が響く。


「いたたたたたっ!」


「もしかして頭痛か?」


「はい。じきに治るといいんですけど」


 再度時計を見る。

 7時前か。

 もうちょっと寝ててもよかったな。

 右側にはハカセさんと白ちゃんが穏やかに寝息を立てている。


「後から鎮痛剤持ってきてやっから。

 それよりこいつらを起こすの手伝ってくれ。

 最初に揺すったんだけど、手応えがなくてさ」


「わかりました。ハカセさーん、起きてください」


「ん、んーん」


 眉をぴくぴくと痙攣けいれんさせながら、

 くるっと半転寝返りを打つ。


 むかっ! 一瞬だけイラッとした怒りの芽を根絶こんぜつに、

 作戦2へ移行する。

 鼻の穴をつまんで窒息作戦。

 本来なら開いた口に水を投入のだが、

 それは作戦3にする。


「ぐほっ、ごほっ」


 ハカセさんはむせて飛び起きた。


「君という人は、死んだらどうするのかね!」


 寝ぼけた様子もなく2倍速で説教を始めてきた。


「あー、むさ苦しい男に起こされて頭がズキンズキンする」


 この人の寝起き、悪すぎるな。


「やっと起きてくれたのかよ」


 あねごさんの努力の甲斐もあって、

 白ちゃんが目をこすりながらリビングを見渡していた。


「さっき太朗にも話したんだが、

 ヒメの姿が見当たらないんだ」


 あねごさんは頭を動かさずに、

 ハカセさんと白ちゃんを横目でじっと見る。

 頬から伝う汗が一滴だけフローリングにぽたんと落ちた。

 開いた口を手で塞ぐ白ちゃんと、

「もしかして?」ゴクンと息を呑むハカセさん。

 そして衝動的に立ち上がると、


「こうしてはいられない、

 二手に別れてヒメさんを探しましょう。

 僕とあねごさんは外を、

 太朗くんと白さんは屋敷内を」


 血相を変えてハカセさんとあねごさんは、

 並んでリビングを飛び出した。


「ぼくたちも急ごう」


 数十秒遅れでリビングを出ると、

 中央間へ続く長い廊下に差しかかる。

 既にハカセあねごペアの姿を掴むことはできなかった。

 ひょっこり現れてくれることを期待しているが、

 熊さんのことを考えると不安で胸が詰まる。

 指輪をきっかけに恋人同士になったり、

 いがみ合ったりしてきたけど、

 こんな形でさよならをするのは心苦しい。

 せめて生きててくれ。


 そんなことを考えていると、

 左側に並んでいたはずの白ちゃんの姿が消えた。


 もしかしてテレポート? 

 ふと視線を後ろに落とすと、

 障害物もないのにうつぶせに転んでいる。

 もちろんぼくは駆け寄る。


「大丈夫?」

 と、手を差し伸ばすと、

 雪肌の柔らかい左手が被さった。

 ギュッと握ると、

 その反動で白ちゃんは膝を曲げて立ち上がる。


「そんなのあったっけ?」


 白ちゃんの足元に1箇所だけ、

 絨毯じゅうたんに100円玉くらいのハゲが撃たれている。

 その場にしゃがみこんで観察すると、弾薬がめり込まれていた。

 もしかしたら、気づかないで通り過ごしていたのかもしれない。

 何せ下なんか気にしないで歩いていなかったからだ。

 ふと立ち上がり、中央間までの道のりを探ると、

 銃痕じゅうこんがまばらに浮かび上がっている。


「白ちゃん行こう」


 胸騒ぎしかしないぼくたちは、廊下を走り抜けた。



 中央間に着くと既に銃痕は消えていた。

 どこから調べればいいだろう? 

 頭を悩ませていると、

 白ちゃんが肩を叩いて2階を差した。


「そうだね、ヒメの部屋からにしよう」


 階段を上り、すぐ右横の部屋に到着。

 その隣はぼくで、またその隣は白ちゃん。

 そんなことは今はどうでもいい。

 あねごさんが確かめたって言ってたけど、

 見落としがあるかもしれない。

 何か手がかりがあればいいんだが。


 ドアノブに手をかける。

 鍵は開いている。

 白ちゃんがぼくの左腕にしがみついてきた。

 そっとドアを開ける。

 左側にベッド、中央に丸テーブルと椅子。

 家具の配置は他の客間と変わり映えもなくシンプルだった。


「おーい、ヒメー」


 叫びながら部屋中を駆け回る。

 ベッドの下を探る。

 何もなかった。


「他を当たってみよう」


 ぼくたちは2階の部屋をしらみ潰した。

 熊さんの部屋、

 あねごさんの部屋。

 だが収穫は得られなかった。


「一階に戻ろう」


 階段を下る。

 怪しいところは地下室くらいか。

 すると左から錆びた金属が擦れるような音が叫ぶ。

 そこは確かぼくが最初に倒れていた部屋と、

 ヒメがいた部屋が並んでいた。

 ぼくがいた部屋の扉が、

 半開きになって悲鳴を上げていたようだ。

 もしかして。

 ゴクンと唾を飲む。

 悪い予感なら的中しないでほしい。


「あの部屋行ってみよう」


 白ちゃんと一緒にドアの前に立つと、

 ノブが消えて転げ落ちていた。

 熊さんの時と同じ臭いがした。

 手に力を込めてドアを引いた。

 すぐ横には古時計が飾っており、

 懐かしい毛布が捨てられていた。


 するとカーテンから伸びる細い足が。

 ぼくはホッと胸を撫で下ろす。


「心配かけやがって、探したんだぞ」


 その足はこちらを振り向く感じはなかった。

 窓が開いているらしく、ふわりとカーテンが膨らむ。

 膝から上の影が見えない。


 もしかして幽霊? 

 いや幽霊なら足が透き通っているはずだが。


「ここで待ってて」


 白ちゃんに足止めをすると、

 窓に向かってゆっくり接近し、

 カーテンを左右に広げる。

 姿はなかった。

 その反動で2本の足がコロンと倒れた。


「うわあああああ!」


 奇声を高らかに上げて尻もちをつく。

 慌てふためいて、

 四つん這いになりながら白ちゃんの元へ夢中で這った。

 白ちゃんは棒立ちしている。

 ぼくは立ち上がって白ちゃんの細い肩を抱きしめた。

 びくびく震えている。


「あれって本物だよね? 本物のヒメの足だよね?」


 声の出ない白ちゃんが答えるわけがない。

 だが、喋らなければいられなかった。


「昨日まで動いていた手は? 

 頭は? 

 胴体はどこに行っちまったんだよ!」


 わからない、

 わからない。

 パンクしそうだ。

 ぼくの腕をすり抜けた白ちゃんは、

 肩を強く揺らしてきた。

 ハッと我に返る。

 早くこの状況をハカセさんとあねごさんに知らせなくては。


「動揺しちゃってごめん。あねごさんたちと合流しよう」





 ぼくは白ちゃんの手を引いて部屋を飛び出し、玄関をすり抜けた。


「太朗、白!」


 偶然にもあねごさんの呼び声がビューンと通過した。

 ハカセさんとあねごさんは、

 左側のちょうど昨日のろしを上げていたところから、

 息を弾ませながら走ってくる。


「実は……ですね。……聞いて……もらえますか?」


 ぜぇーぜぇーと完全に息が上がっているハカセさん。

 コップに水を汲んで飲ませてあげたいが、

 こっちもこっちで、

 それどころではなかった。

 もしかしたら、

 ぼくたちと体験が一致するとしたいたので、

 聞き手に徹することにした。


「引っ込んでろ、あたしが話すから」

 前屈みになって息を切らしているハカセさんに、

 釘を刺してあねごさんは続けた。

「あの後、あたしとメガネで外に飛び出して、

 倉庫の中とかくるっと一周調べたんだ。

 ヒメの姿は掴むことはできなかった。

 仕方なく橋を渡って向こう側を調べてみるかてときに、

 ほら、お前たちがさぁ、焚き火してたとこあっただろ?

 そこに腕が1本埋まってたんだ。

 左か右かは確認はしてないけど、

 もしかしてヒメのじゃないかって。

 一刻も早く知らせようとして走ってきたわけ」


 あねごさんの声は低く暗かった。


「実はぼくたちも膝から下の足を、

 そこの部屋で見つけたんです。

 信じたくはないんですけど、

 細かったのでヒメので間違いありません」


「そっか、ヒメはもう……」


 あねごさんは強く唇を噛んだ。

 血が出るくらいに。

 悲しみだろうか、怒りだろうか、

 そこまでは読み取れなかった。


 そして誰も何も言わなくなった。

 そんな時間が5分、10分と過ぎていく。

 外はこんなに晴れているのに、

 ぼくたちの心の中までは光が届かなかった。


「こうしていても仕方ありませんね。

 残りの部位も見つけてあげましょう」


 この沈黙を破ったのはハカセさんだった。


「そんなことして、どーすんだよ!」


 あねごさんはハカセさんの胸ぐらを握って高く持ち上げた。

 ハカセさんは抵抗しなかった。


「悪りぃ」


 あねごさんはパッと手を離す。

 そして歯を食いしばって、

 うつむいてしまった。


「僕とあねごさんでもう一度外を探します。

 太朗くんと白さんで屋敷内をお願いします。

 見つけたら億劫おっくうですが、

 ひとまとめにしておきましょう。

 これが今できるヒメさんへの供養くようだと僕は思います」

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