第25話 部屋割り
夕食を済ませたぼくたちは、
リビングのテーブルを囲んで会議を始める。
「明日からどうするんだ?」
頭痛がすっかり回復したあねごさんは、
くるりと反時計回りにぼくたちの表情を探る。
「そうですね……」腕を組み、
口を一文字に固めているハカセさんの言葉に、
みんなの視線が固まった。
「部屋割り決めてませんね。どうしましょう」
「んなのどーでもいいよ、明日のこと聞いているんだよ」
テーブルに亀裂が入るくらいに、
あねごさんは両手を叩きつけて立ち上がった。
「いえ、重要課題です。
あねごさんとヒメさんは勝手に決めたからいいものも、
僕たちはのろしを上げて、
毛布の引っ越しすらしていないんですよ」
ハカセさんの言うとおり、
3枚の毛布とタオルケットは窓際に積まれている。
「じゃあ待ってやっから、手っ取り早く決めちゃえよ」
椅子に腰を下ろしたのも
あねごさんは立ち上がってリビングを出ようとした。
「トイレだったら付き合うよ」
その姿をヒメが掴まえた。
「んー、大丈夫。何か飲み物取ってくるだけだから」
とぼとぼと出ていく。
「では部屋割り決めてしまいましょう。空きはどこですか?」
ハカセさんがヒメに尋ねる。
「ええと、真ん中挟んで左側は2番目。
右側は2番目と奥の3番目。
つまり左側の手前から1番目があねごで、
右側の手前から1番目があたし」
確か左側の3番目、
つまり1番奥は熊さんの部屋だったはず。
その隣はさすがに抵抗はあるな。
「ありがとうございます。
さて、僕たちの部屋割りは麻雀で決めましょうか?」
「え、なぜ麻雀なんですか?
ルールわからないし、それに卓も牌もありませんよ。
もっとシンプルな方法で決めましょうよ、
例えばジャンケンとか」
ハカセさんの目が、
獲物を発見した黒ヒョウのようにピカッと光る。
「ひとこと言わせてもらいますよ。
今まで何回もジャンケンで勝負してきましたよね?
そしてまたジャンケンで決めるのですか?
確かにジャンケンはシンプルで、
なおかつ経済的にも
だからって、何でもかんでもジャンケンで勝敗を決めるのはどうかな?
もし太朗くんが、社長にジャンケンを申し込まれて、
『負けたらチミはクビね』って解雇通告を食らったら納得しますか?
しないよね。
つまり僕はジャンケンで負けることが嫌いではないんですよ。
最重要課題をジャンケンで委ねてしまうことに、
異議を求めているんですよ。
わかるかな?」
出るわ出るわ、ジャンケンに対するヘリクツがこれほどまでに。
もちろん言っている意味ははっきりと理解できる。
ジャンケンの勝率は33、3パーセント。
つまり勝ち続けるのも負け続けるのも不可能。
以前にも口にしたが、
負け続けるハカセさんは天性かもしれない。
それはそれで置いておいて、
ジャンケン以外でシンプルで早く決まる方法は他に何があるだろうか?
王様ゲームっぽく割り箸に番号を書いて引く、
クジ引きしか思いつかないのだが。
「おーい、決まったか?」
ぼくたちがジャンケンで揉めていると、
あねごさんがトレイを水平に持ちながら帰ってきた。
トレイの上には5人分のグラス。
茶色い液体が入っているので、麦茶と認識できた。
「いえ、まだスタートラインにも立っていないです」
「どうせメガネがヘリクツ並べて妨げていたんだろ?
ま、これ飲んで一息入れな」
あねごさんは自分の手前にグラスを置いたあと、
各々の目先に配ってくれた。
「これはウィスキーですか?」
光に照らすように持ち上げたハカセさんは、疑わしく覗き込む。
「バカヤロウ! 麦茶に決まってんだろ。
昼間冷蔵庫の中身調べてなかったか?
ドアポケットに入ってただろうが」
そう怒鳴りつけると、
そそくさとリビングから出て行ってしまった。
「あーあ、知ーらない」
ヒメは流し目を送りながら、麦茶を一口ゴクンと飲む。
「あれくらいで青筋立てるなんて、沸点が低いんですよ」
ハカセさんがぼやいているうちに、
あねごさんは2リットルのペットボトルを持参して、
テーブルの中央に叩きつけた。
「これが目に入らぬかぁー」
ニヤッと白い歯をこぼしたあねごさんは、
まるで時代劇のワンシーンを切り取ったセリフを、
熱を込めて言う。
オブラートに包むと、
麦茶のおかわりを持ってきただけなんだけど。
ハカセさんが無感情で頭を下げた後に、
とんでもないことを催促した。
「ありがとうございます。
ついでにその足で麻雀セット一式お願いします」
「はあ? どこにあんだよそんなもん。
ぐだぐだ言ってねえで早く部屋割り決めろって」
「わかってないですね、
その部屋割りを決めるのに麻雀をするんですよ」
「ジャンケンで済むだろうが!
今までもそうしてきたのに、
今更まどろっこしいことに変更するんじゃねぇよ」
「ジャンケンが不平等ってことに散々議論してきた結果、
麻雀で勝負することに決まったのです」
いや、まかり通さないでくださいよ、ハカセさん。
そんな体たらくなやりとりを目に、
ぼくはグラスを手に半分ほど麦茶を飲んだ。
「ほ、本当か、おい?」
額に一滴だけ汗を滲ませながら、
あねごさんはスローモーションに、
ぼくに顔を向ける。
「嘘ですよ。
ハカセさんがジャンケンで負けるからって、
麻雀に指向を変えてきたんです。
ルールも道具もないくせに」
「だよな。だったら早く決めろよ。
今何時だと思ってるんだ?」
壁のアナログ時計は9時半を刻んでいる。
寝る時間には早いが、
こんなことで言い争っているのにはもったいない。
明日に備えないと。
「できたよ。中央階段を境に左があねごで右があたし」
せっせとヒメがボールペンで何か書いていると思ったら、
部屋の配置図を作成してたのかよ。
「1発勝負な。最初はグー」
あねごさんが音頭を取ると、
ぼくたち3人はその合図で中心に手を伸ばす。
ぼくと白ちゃんはグー。
そしてハカセさんは、
「僕の勝ちですね。では1番右の……」
「ちょっと待ってくださいよ!
最初はグーの段階でパー出すなんて反則ですよ」
ハカセさんのやったことは悪意だ。
あねごさんにジャッチを送る。
「勝てないからって
「わかりましたよ」
ハカセさんが生意気に舌打ちをする。
反省の色が見えない。
再度あねごさんの音頭で、ぼくたちはポンの合図で中心に手を伸ばす。
結果は……。
「うっ」
ハカセさんが右手のチョキを見つめて絶句している。
「はいメガネの負けー。本当に弱いな」
見えている結末に、あねごさんはピクリとも驚かなかった。
「おかしいですね、実は左手のほうが強いんですよ。
仕切り直しましょう」
「アウトだ。敗者に権限はない」
あねごさんの優しい一喝でハカセさんは、
熱戦を終えたボクサーのように、
ぐったりと椅子に落ちた。
「白ちゃん、先に決めていいよ」
あの部屋が
「優しいな、太朗」
「レディーファーストですから。ははは」
そう言ってあねごさんは麦茶のペットボトルを手に、
ぼくのグラスにたぷたぷ注ぐ。
別にのどは渇いてないんだけど。
すると白ちゃんが差したところは、右側の一番隅の部屋。
ってことは、ぼくはその隣で……。
ん? これって。
「げっ! スケベ太朗があたしの隣って最悪。
勘弁してよ。
ドリルで壁こじ開けて夜這いなんかかけてきたら、
ケチョンケチョンにぶっ殺すから!」
三角に目を尖らせたヒメは、
自家製配置図を片手でくしゃりと丸めてしまった。
おい、まだそれ使うんだぞ。
「あのー、白ちゃん。
実はぼくもその部屋がいいなぁって……」
男らしくないが、ダメ元で交渉してみることにした。
だが白ちゃんは、目尻に溢れるくらいの涙を浮かべ、
夏の終わりのヒマワリのように、首が垂れ下がってしまった。
「今のウソだから、
ノーカウントでノーコメント。
ノーリターンでノークレーム。
なかったことにして」
「僕でよければ、その部屋と交換してあげましょうか?」
こっち必死で
ハカセさんが生暖かい手で肩を掴む。
「結構です。間に合ってます」
と、手をはね除けると今度はヒメが、
「泣かしたー。泣かしたー」
手拍子を交えて冷やかし口調で歌う。
お前は小学生かよ!
本気で泣かしてやろうか。
「部屋くらいで揉めてんじゃねえよ。ガキだなお前ら」
それぞれのグラスに麦茶をつぎ足し回るあねごさん。
「ではあねごさん、部屋を交換してください」
「ああん?」
ハカセさんが反論すると、
あねごさんは低い声で
恐れをなしたハカセさんは、無言で椅子に座ってしまった。
「それを飲んだら、もうお開きにしようぜ」
欠伸を加えてあねごさんが言った。
ヒメも釣られて欠伸を殺している。
「最後に提案があるんです」
ハカセさんが首元をギュッと締めると、
「何かあるのかよ」
と、あねごさんが鋭いオーラを刺してきた。
「これは太朗くんと白さんに用がありますので、
お二方は解散して結構です」
だが気になるらしく、
あねごさんとヒメはリビングを出て行こうとはしなかった。
そんな彼女たちの尻目に、
ハカセさんは話を進める。
「差し支えなければ、
今晩だけリビングで休息するのはいかがでしょうか?」
ちらちらとぼくたちの反応を伺っている。
確かに今から部屋に行って、色々と片付けをするのは面倒だった。
明日に回しても支障はない。
それに何よりも身体が重かった。
「ぼくは構いませんよ」
「ありがとうございます」
次にハカセさんは白ちゃんを見る。
白ちゃんは一瞬だけ、
ぼくをチラ見してからコクンと頷く。
「ですよね。
夜も深いし、今から各部屋に戻って、
ベッドメーキングするのは重荷でしょう」
うんうんと納得してから、親指をグイッと挙げる。
「おいおい、太朗はともかく白は危ないじゃないのか?」
あねごさんの口角が数ミリほど上がる。
作り笑いをしているようだ。
「やましいことなんて、これっぽちっも、ねえ」
首と手を必死に左右に振りながら、
ハカセさんはぼくに同意を求めてきた。
「むしろぼくたちと同じフロアにいたほうが安全ですって。
もし白ちゃんに何かあったら、
ハカセさんを好きに殴ってください」
「その時はふたりともボッコボコにしてやっかんな。
おやすみー」
あねごさんはドアを押して出ていく。
その後をヒメが何度も欠伸をしながらついて行ってしまった。
これまた意外。
「僕たちも休むとしましょう。テーブルを動かすから手伝って」
ハカセさんと力を合わせてテーブルを窓際へ移動させる。
草木を撫でるような一陣の風が鳴る。
その風は網戸を通じてリビング中に巻き込んだ。
冷たい。
どことなく夏の終わりを肌で感じる。
白ちゃんが川の字に毛布とタオルケットをセットで貼り付ける。
「消しますよ」
時刻は10時15分を過ぎようとしている。
ぼくは入り口脇のスイッチを押して寝床に着地。
ふわふわのタオルケットを腹に敷いてゆっくりと目を閉じる。
なぜだか知らないが、今日はゆっくり眠れそうな気がした。
熊さんを失ったのにも関わらずに。
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