第16話 朝

「ま、眩しい……」


 窓際に横になっていたらしく、

 朝日に優しく撫でられてぼくは目を覚ました。

 しぱしぱする目をこすりながら立ち上がると、

 ハカセさんがぐっすりと寝ていて、

 女性陣の姿は見当たらない。


 まずは用を足してこよう。

 そっとリビングのドアを開けると、

 ふんわりとした匂いが鼻をくすぐる。


「これは、ごはんだ!」


 思わずぼくは、その懐かしさに走り出した。

 一体誰が作っているのだろう? 

 そっとキッチンを開けると、

 白ちゃんとヒメの姿があった。


「おはよう」


 手を挙げて挨拶すると虚しくも返事は返ってこなかった。

 白ちゃんは喋れない。

 ヒメとはあれっきりぎこちない関係。

 無視されたからって泣かないもん。

 どうせ話しかけても相手にされないので、

 ぼくは片隅で見守ることにした。


 IH台は全部で4つ。2つ使用しており、

 1つはごはんの白い煙が鍋から昇っている。

 もう1つは中ぐらいの鍋で、

 昆布が1枚と頭なしの煮干しが数匹浮いていた。

 白ちゃんはおぼつかない手つきで、

 まな板上の豆腐に包丁を入れる。


「そろそろ火、止めていいんじゃない?」


 以前キッチンに置きっ放しのレシピファイルを眺めながら、

 ヒメは白ちゃんに命令する。 

 傍から見れば、

 あごでこき使ってるのと一緒だ。

 すると白ちゃんが左手から包丁を放し、

 ごはん鍋のスイッチをオフにする。

 そしてヒメに強く目力を送った。


「次は昆布と煮干しを取って、かつお節を入れる……」


 どうやらみそ汁を作っているらしい。

 今はダシの段階。

 鼻を鳴らすと、

 磯の香りがして口から自然と唾液が溢れてきた。


「ごはんとみそ汁だけって味気ないね。

 おかず何か作ろっか?」


 ペラペラと流すように、

 ヒメがレシピファイルをめくっていると、

 白ちゃんが戸棚の下から、

 ゴソゴソと長方形の箱を出してきた。

 そ、それって!


「カレーはダメ! 

 あたしカレー大っ嫌いなんだから。

 あのカビが腐敗したような悪臭とドロドロの食感。

 想像しただけでも舌が焦げる!」


 レシピファイルを放り投げて、

 自分で自分を抱きしめるような仕草をして、

 ブルブルと震える。

 首を傾げながら白ちゃんは、

 ぼくのほうを向く。


「右に同じく。

 理由はわからないけど、

 カレーと耳にするだけで、

 全身の筋肉が拒絶反応を起こすんだよ」


「人のマネしないでよ!」


 震えを怒りに変貌させ、

 ヒメがぼくに突っかかってきた。


「同じ物が嫌いなら、ここは同盟を結ぶべきだって」


「ふん! 誰があんたなんかと!」


 カチンときた。

「なんだと、このワガママヒメ! 

 世の中、お前が中心で回ってんじゃないんだぞ! 

 少しは白ちゃんの手伝いをしろよ」


「そっちだってボケーッと鼻の下伸ばしてたくせに。

 このエロエロ魔人!」


 火花を焦がしているぼくたちを尻目に、

 白ちゃんが箱を開けて袋を裂いて、

 カレールーのブロックを沸騰ふっとうした鍋に放り込もうとしている。


「ちょっと待ったあぁ!」


 慌てふためきながら、

 ヒメがカレールーを分捕ぶんどり、

 戸棚の下の小さなドアを開けて乱暴にぶん投げた。


「カレーはアウト、カレーはアウト! 

 食べたければあたしの知らないところで食べて」


 一瞬の出来事に白ちゃんはコクリと頷く術しかなかった。

 ナイス、これだけは高評価してやる。


「おっ、やってるやってる。

 どうだい? 出来栄えは」


 ふふふーんと鼻歌を弾ませて、

 上機嫌なあねごさんがキッチンに現れた。


「こっちはごはんだな、どれどれ?」


 徐に釜を開けようとするとヒメが、


「ダメだって。

 今出来上がってばかりで、蒸らしてる途中なんだから」


「そっか。

 でも自炊って我ながらグットアイディアじゃん。

 あたしってサイコー」


 ギュッと拳を作り自分自身を褒めるあねごさん。

 ちょっと違和感が。気のせいか。


「昨晩、米を研いで吸水してくれたのはあねごだし、

 でもこの量って6人分にしては少なくない?」


「足りなくなったらパンで調整すれば済むだろ。

 デブだったら、

 その辺に生えている草とか食わせておけばいいんだよ」


 相変わらず熊さんに対しては毒を吐き止まなかった。


「あたしたち、さっきまでおかずどうしよっか相談してたの」


「缶詰で済むだろ。

 なんならみそ汁ぶっかけて、

 ねこまんまってのもアリだな」


「缶詰かぁ。

 でも白ちゃんがみそ汁作る予定のお鍋に、

 カレールー入れようとして」


「それもアリだな」


 あごに手を添えてニヤリと笑う。

 何でもありなのか、あねごさんって。


「腹減ったし、ぱぱぱっとみそ汁作ってメシにしよーぜ。

 ヒメとあたしで缶詰とごはん装うから、

 白はみそ汁で太朗はテーブル拭いといてくれ」





 ぼくがリビングのテーブルを拭き終えると、

 あねごさんが缶詰を山のように抱えてきた。

 ざっと見て20個はある。


「そんなに必要ですか?」


「1人だけ食うやつがいるだろ」


「熊さんですね」


 するとあねごさんはテーブルの上にあった眼鏡に気づく。


「まだ寝てんのか、あのメガネ」


 ご機嫌だったあねごさんの頭から、にょきっと2本角が生える。


「ぼくが起こしますよ」


 ハカセさんは毛布を腹に敷いて、

 口を開けてまま仰向けで寝ている。

 さすがに起こすのに気が引けるが、

 あねごさんがやると死と結びかねないので、

 率先そっせんしたのだ。

 取りあえず、声をかけずに体をさすってみる。


「うー、うー」


 寝苦しそうにうな垂れるハカセさん。

 どんな夢を見ているのだろう? 


「ハカセさん、起きてください」


 第2ラウンド。

 呼びかけることに。


「ん? ふわぁぁぁぁぁ」


 カバのように大きく口を開けて、

 上半身だけ体を起こした。


「なんだ太朗くんか」


 その声には不満の成分が半分ほど含まれている。


「期待に添えなくて悪かったですね」


「すまない、ところで僕の眼鏡、眼鏡」


「はいどうぞ」


 テーブルから奪ってきた眼鏡をハカセさんに渡した。


「ありがとう。そういえばいい香りがするね」


 ちょうどそのタイミングでヒメと白ちゃんが銀のトレーに乗せて、

 ごはんとみそ汁を運んできた。

 テーブルに並べる。

 懐かしい日本の食卓だ。


「よし、準備完了だな。食うか」


 あねごさんが椅子に座って箸を持つ。


「熊さんの姿が見当たりませんね」


 目覚めたばかりのハカセさんが、

 キョロキョロと見渡した。


「変ですね。匂いに釣られて来るはずなんですけど」


 昨日みんなで冷やかしたからスネているのだろうか?


「ぼくが探してきましょう。

 ちょうどトイレに行きたかったので」


「お供しますよ」


 尿意のことがすっかり忘れていた。

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