第9話 危険なハンドル裁き

「よーし、みんな乗った、乗った。

 あたいのハンドル裁きで一気に下山してやろうぜ」


 えっ? ぼくは一瞬、自分の耳を疑った。

 あねごさん、車の運転できるとは限らないって宣言したよね? 

 なのに運転する気なの? 


「逃げろー!」


 ハカセさんのおぞましい者と遭遇そうぐうしたような声を上げる。

 ぼくたちは一斉に車から飛び出した。


「おい、てめえらあたいをバカにしてんのか、コノヤロー」


 車内に取り残されたあねごさんは、ドアを開けて怒鳴りつけてきた。


「自分の腕に自信があるなら、試運転して見せてよ」


 木の陰から顔だけぴょんと出してヒメが説得をする。


「おーし、わかった。目ん玉引ん剥いてよーく見てろよ」


 バコンと車体が傾くくらい、大きな音を立ててドアを閉める。

 バラバラに散らばったぼくたちは、

 集結して車から10メートルくらい離れたところから、

 行く末を見守ることにした。


 車はピクリとも動かない。

 1分ほど経過。


「おーい、これどうやってエンジンかけるんだ?」


 運転席のドアが開いてあねごさんが、せっかちに吠える。


「ブレーキペダルを踏んで、

 ハンドル周辺のエンジンボタンを押してください」


 我こそにハカセさんが対応してくれた。


「ブレーキペダルってどれだ?」


「右足元から2番目のペダルですよ。

 右隣がアクセルですから」


 おい、大丈夫か? 

 これって運転する以前の問題だよな。

 ってことはエンジンかかってなかったのか。

 でも、どうして?


「ハカセさん、エンジンかかってないのに、

 なんでラジオ聴けたんですか?」


「ブレーキペダルを踏まないで、

 エンジンボタンを押したから、

 スタンバイモードに入って聞くことができたんだよ」


「案外詳しいですね。

 だったら、ハカセさんが運転した方が安全ですよ」


「僕も自信はないよ。

 それにいまさら彼女が代わってくれると思うかい?」


「……ごもっとも」


 ハカセのさんと会話をしていると、

 エンジン音が高鳴り車が息を吹き返した。


「エンジンがかかったぞ、次は?」


 窓を下へスライドさせて、

 あねごさんが顔を少し出してきた。


「ギアをドライブの位置に落として、

 ハンドブレーキを解除してください」


 果たしてハカセさんの説明は通じるのだろうか。


「ギア? ドライブ? ブレーキは踏んでねーぞ」


 ダメだこりゃ。


「ブレーキペダルは踏んだままで、

 左手にギアがありますよね?

 運転席と助手席の境目の辺り。

 パーキングのPに入っているので、

 Dに落としてその下ったところに、

 棒みたいのが斜め45度に上を向いていますよね。

 その先端のボタンを押しながら、

 下に落として解除してください」


「次?」


「ブレーキペダルを離して、

 アクセルペダルを踏むと進みます」


 ハカセさんの説明は一通り終了したらしい。

 車はゆっくり前進する。

 まるで亀が散歩しているようだ。


 と、その瞬間、

 やかましいくらいのエンジン音と共に、

 車が激しく蛇行して走り出した。


「乗らなくて正解でしたね」


 ハカセさんは胸に手を押し当てて、深く息を吐いた。

 そんな安堵あんども束の間、

 猿の悲鳴のようなブレーキ音を上げたと同時に、

 ドンっと追突音が走る。


「やってしまいましたね。

 救助に行きましょう」


 額に汗を光らせてハカセさんが走り出すと、

 ぼくたちも後へ続いた。

 数十メートル先の道外れの大木に車が煙を吹いて止まっている。

 そっと近づいてみると、

 車のボンネットは蛇腹じゃばらのようにぐしゃりと潰れていた。


「あねごー、生きてるー?」


 ヒメの呼び声と共に運転席を覗いてみると、

 あねごさんは白いエアバッグに、上半身を委ねてピクリとも動かない。


「大丈夫ですか?」

 運転席のドアを開けてハカセさんが肩を激しく揺する。


「う……ん、ああ」


 ゆっくりと体を持ち上げたあねごさんは、

 ぼくたちの方向へ全身を向けると、

 足をぶらぶらさせてぴょんと飛び降りた。


「あーあ、やっちゃった。

 折角の移動手段だったのに」


 腕を組みながらヒメが顔をしかめる。


「まあ形あるもの、いずれ終わりが来る。

 仕方ねえよね、あははははは」


 口を豪快に開けて笑うあねごさん。

 全くもって反省の色が見えない。


「あねごさんが無事だったので、良しとしましょう」


 ハカセさんは運転席に潜る。

 何をするんだろうと思いきや、

 プスンプスンと鼻をすすっているようなエンジン音が止んだ。

 どうやら切ったらしい。

 あ、そういえば中に。


「どうかしましたか?」


 後部座席に四つん這いになっているぼくに、

 ハカセさんが声をかけてきた。


「ヒメがぶつけてきた指輪を探しているんですよ。

 ……んーと」


 宝石入りのボストンバッグを退かすと、

 背もたれにぎらりと光るものがあった。


 よかったぁ。

 ケースを取りだして指輪収めようとしたところで手が止まる。

 ジャマだからいっか。

 ケースを捨てて、そのままズボンのポケットに入れた。

 一応ぼくの所持品だし、

 何かの手がかりになるかもしれないから、

 持ってても損はないだろう。

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