第8話 脱出

「んー気持ちいい」


 朝食と着替えの準備を終えたぼくは玄関を開けて、

 背筋を伸ばして太陽の光を受けていた。 

 玄関の周りは朝露あさつゆの残る芝生でおおっており、

 1本だけ長く橋へと道が伸びている。


 この屋敷はどうなっているんだろう? 

 くるりと反転して仰ぎ見る。

 洋風の建物らしく、まるで大きな猫が座ってるように思えた。


「早いなー」


 あくび交じりのあねごさんが2番目に到着。


「ええ特に」


「実は昨日、

 服洗うときにあたいのポケットから出てきたんだけど……」


 ジャラジャラと取りだしてきたのは、

 小型のリモコンと銀色の鍵だった。


「このリモコン、まだ押してないんだけど、

 爆発するアレじゃね?」


「物騒なこと口走らないでくださいよ。

 その鍵ってもしかして……」


「心当たりでもあるのか?」


「ええ実は、昨日ハカセさんと白ちゃんの3人で、

 毛布探しに地下に行ったとき、

 ひとつだけ鍵がかかっていて。

 持っている鍵がそうではないかと」


「おっしゃあ、ビンゴ! 

 試しに行こうぜ」


「目的が違いますって。

 まずは脱出することが先決ですよ」


 この人はなにを考えているんだ? 

 ぼくたちがここから抜け出せれば、

 鍵のかかった地下室なんてどうでもいいだろうに。


「冒険心の欠片もない若者だな。

 ったく、白も気になるだろ? 

 この鍵の行方」


 えっ、白ちゃん? 

 あねごさんの目線を追って振り返ると、

 仏頂面ぶっちょうづらの白ちゃんが頷いていた。


「わぁ! びっくりした。

 いるならいるって存在アピールしてよ」


 驚きの拍子に真横へぴょんとジャンプする。

 この子は透明人間並に影が薄いんだから、もう。


「ほら、太朗が驚くから白がしょんぼりしちゃっただろ」


「ごめんごめん、許して」


 うつむいて泣き出しそうな白ちゃんに、

 オーバーに手を動かして謝罪を試みる。

 正直めんどくさかった。


「お、またせー」


 ヒメを先頭に、ハカセさん、熊さんが来た。

 遅せーよって。


「これで全員集合したね」


 見てわからないのか、ハカセさん。


「出発しよう」

 ハカセさんの後をぼくたちは付いていった。

 橋に差しかかる。


「すごーい。ここ渡るの?」


 ヒメが下を覗き込む。

 ぼくも釣られてみると、底が切り抜かれたように真っ暗だった。


「落ちたら、ひとたまりもねーわ」


 さすがのあねごさんの額にも冷や汗がにじんでいた。


「鉄骨で十分補強されているので、

 橋が崩れることはまずないでしょう。

 それに手すりもあるし。

 行きますよ」


 ハカセさんが一歩橋に踏み入れたとき、

 あねごさんが、「待った」と止める。


「怖いんですか?」


「怖かねーよ。

 昨日の雨風で強度が落ちてるかもしれねーだろ。

 誰かひとり、試しに歩いてみるってのはどうだい?」


「そうですね、わかりました。

 では言い出したあねごさんに行ってもらいましょう」


「メガネ、おまえバカだろ! 

 あたいが歩いたって意味がねえんだよ。

 ここは一番重いヤツが行くってのが筋だろ」


 一番重いヤツ……。

 みんなの視線を熊さんが独り占めした。


「なんで、おらぁのこと見るだぁ?」


「おまえが一番太ってるからだよ。

 自分でわかんねのか? ほら行ってこいよ」


「ううう……」


 熊さんの目尻から涙が溢れてきた。

 がんばって熊さん。

 あなたが歩いて壊れなければ、みんな通過できるから。


「それはちょっと腑に落ちないね」

 ハカセさんが挙手をして意義を求める。

「もし熊さんが橋を渡り切った後に、

 強度が下がって崩れることだってあり得るかもしれないよ」


「いちいち突っかかってうるせえなぁ! 

 その時はあたいらがここで待機してて、

 デブが助けを求めに行けばいいだけだろーが」


 あねごさんは額に大きな青筋を生やして、

 ハカセさんの胸ぐらを掴んだ。


「痛てて、離してください。

 わかりました、暴力反対」


 ハカセさんも折れて命乞いをする。

 これ以上の反論は無意味だと悟ったらしい。


「ほらデブ、行ってこいよ。

 あたいらの未来がかかってるんだからさ」


 熊さんは一歩だけ橋に触れる。

 異常はなさそうらしい。

 がんばって熊さん。

 そしてもう一歩足を踏み入れて立ち止まる。


「ちゃっちゃと行けよ! 

 日が暮れちまうだろーが!」


 あねごさんの虫の居所は悪い。


「ひえええええー」

 熊さんは体を震わせながら左右に揺れた。


「下は見ない方がいいですよ」


 ヒメが声を張って励ました。

 熊さんは再び一歩踏み始める。


 そしておよそ30メートルある、

 コンクリートの橋を無事渡りきった。

 向こう岸にたどり着いた熊さんは、

 息を弾ませながら、大の字になって寝そべっている。


「デブも渡ったことだし、あたいらも行くか」


 あねごさんが軽い足取りで渡る。

 次にヒメ、そして白ちゃん。


「太朗くん、先に行ってくれませんか?」


 顔を引きずりながら、ハカセさんが進めてくる。

 最初に渡ろうとしていたくせに。


「構いませんよ」


 正直自分も怖いが、ここで足止めをくらってはいけない。

 先に進むしか道はないのだから。 


 棒状の手すりを掴んで歩む。

 うわぁ、さすがに底は見えないな。

 落ちたらひとたまりもないや。


「下を見ちゃダメだってば」


 怒鳴りつけるようにヒメが援護する。

 わかってるってば。


 そう自分の足に言い聞かせて歩き出した。

 そしてゴール。

 難なくクリアーできた。


「おーい、最後なんだから早くしろよー」


 あねごさんの叫び声がこだまする。

 振り返るとハカセさんが3分の1くらいまで進んでいた。

 ちょっと意外。

 全員が渡りきるまで30分、いや40分くらいかかっただろうか。

 最初に渡りきった熊さんも、息を整えて立ち上がっている。


「おい、あれ気になっていたんだけど」


 あねごさんの指差すほうへ目を向けると、

 車庫らしき建物を発見。


 車庫にはシャッターが下りておらず、

 2台の車が並んでいた。


 1台目は車高も高く、

 自衛隊が乗っていそうなジープみたいな車。

 色はシルバー。


 もう1台は軽自動車で色はホワイト。

 白と言っても、

 ドアやボンネットが墨汁を伸ばしたように黒ずんでいて、

 グレー寄りのホワイトだった。


「なにか手ががりがあるかもしれませんね。

 確かめましょう」


 すっかり元気を取り戻したハカセさんは、

 いそいそと車庫へ走り出す。


「ジープのほうは内装がきれいですね。

 それに比べて軽は……」


 ぼくたちが行くと、

 ハカセさんが口を歪めながら内部をチェックしている。

 確かに軽自動車の中は、

 スコップやら長靴やらペットボトルやらお菓子の袋やらで、

 ドライバーの性格がもろにむき出ていた。


「開かないよ、鍵かかってる」


 ぼくの隣でドアノブを必死に引っ張るヒメ。


「うーん、こっちも無理ですね」


 ジープのほうはハカセさんが確認している。


「よし、ここはデブの出番だな」


 ぽんっとあねごさんは熊さんの背中を軽々しく押した。

 もはやあねごさんの中では、

 熊さんはデブ扱いになったしまった。

 可哀想に。


「おらぁが? やってみるだ」


 腕をまくるような仕草をして、

 ヒメと熊さんが入れ替わる。

 「ふんぬぅー」と奇声を発してドアノブを引っ張る。

 実に原始的だ。

 だが、手応えもなく車体が揺れるだけだった。


「あたいらも協力するぞ。

 太朗、一緒に助手席側から押すの手伝ってくれ」


「えっ、ちょ、ちょっとー」


 あねごさんは助手席側のドアへ回り込んで、

 腰を深く落とし全体重を預けるように押す。


「ボケッと突っ立ってねえで早くしろよ!」


「だって」


 運転席側のドアを引っ張る熊さんと、

 助手席側から押すあねごさん。

 このふたり、何がしたいの? 


「ロックがかかっているので、鍵がないとダメですね」


 ジープを1周してきたハカセさんが、

 ぼくたちの元へ戻ってきた。

 ロック、鍵……もしかして!


「あねごさん、鍵ですよ」


 ハッと気づいたぼくは、あねごさんを呼んだ。


「ああこれか。

 遂にあたいの時代が降臨こうりんしたようだな。

 待ってみー」


 ペタペタと体中に手形を押し当てる探す。


「まさか落としたんですか?」


「ほーらよ、心配すんな」


 胸ポケットから取りだしてニヤッと勝ち誇る。

 トントン拍子で弾むなんて、

 ラッキー以外なんでもなかった。


「今、開けまちゅからねー」


 なぜか知らないが、赤ちゃんに問いかける言葉になっていた。

 そんなあねごさんは運転席側にまわって鍵を突きだしたまま、

 まばたきもせずに硬直してしまった。


「あねごー、早く開けてよー」


 背後からはヒメのしびれを切らした声が押し寄せてくる。

 なんで動かないんだ? 

 まさか鍵の開け方がわからないのか? 


「その尖った先端を、

 鍵穴に刺して右にひねるんですよ」


「んなのわかってるわ! 

 肝心の鍵穴が見あたらねえんだよ」


「まじで! ってことはこの車どうやって入るの?」


 ぐるりと1周だけ車を見渡したが、

 鍵穴らしきものはどこにもなかった。


 っていうか、これ本当に車なのか? 

 車の形をしたプラモデルかなんかじゃないのだろうか。

 等身大の。


「わかった! そっちのジープの鍵ですよ」


「なーんだ、そっかぁ」


 コントの観客のように大げさに笑いながら、

 あねごさんはジープの運転席側のドアに移動。 

 またしても硬直してしまった。


「もしかして?」


「そのもしかしてだよ」


 あねごさんのこめかみからは、

 嫌な汗がぞわりと垂れてきた。


「君たち本当に愚かだね。呆れてものも言えないよ」


 溜息を吐いたのはハカセさんだった。


「自信たっぷりあるんだったら開けてみなよ」


 ブチ切れると思っていたあねごさんは、

 すんなりとハカセさんに鍵を投げる。


「簡単ですよ、このボタンを押して」


 だが、うんともすんとも言わなかった。


「おやおや? 開いてないんですけど。

 どうしちゃったのかな」


 あねごさんがジープのドアノブを引いてみるが、

 手応えは感じられなかった。


「ちゃぁ、そやぁ、えい、やあ、とう!」


 色々とポースをしながら小型リモコンを押してみる。

 結果は一緒だった。


「はあ、はあ、はあ」


 とうとう息をを切らして、前屈みになってしまった。


「もういいですよ、ハカセさん」


 あまりにもかっこ悪いので自ら止めに入る。


「あと1回、あと1回だけ」


 どうやらプライドが許さないらしい。

 そんなハカセさんの様子を、

 あねごさんとヒメはジト目で見送っている。


「うおりゃぁぁぁぁぁ!」


 右手を挙げてリモコンスイッチを押した。

 ピッと、どこからか電子音が鳴る。


「ようやく開いたか」

 あねごさんが再度ジープのドアノブを引く。

「開いてねーじゃねーか、このメガネ!」

 キレた。


「こっちの車も開いてないよ」

 軽自動車の開閉の確認は、ヒメがやっていた。


 ってことは、さっきの音は空耳? 

 いや、ぼくだけならともかく、

 あねごさんもヒメも聞いていたはず。


 トントンと肩を叩かれて振り向くと、

 白ちゃんが指を差していた。

 その先にはジープより1回り大きな車が、

 道外れの草むらの上であぐらを掻いている。


「あそこにも車がありますよ。行ってみましょう」


 みんなで車を取り囲むと、

 あねごさんが運転席のドアノブを引いた。


「あ、開いた。すげえな、さすがメガネ。

 メガネをかけてるだけあるわ」


「メガネは止めてください。ところでこの鍵は?」


「あたいのポケットに入ってた。凄いだろ」


「別に自慢することでもありませんが。

 てとなると、

 もう1つの銀の鍵はご自宅のものになるでしょう」


「地下室の鍵じゃねえの?」


「車のキーと抱き合わせで付いていたので、

 可能性は低いですよ。

 試してみますか?」


「いいわ。ってことはこの車、あたいのもんだな」


 運転席に乗り込んだあねごさんは余程嬉しいらしく、

 両足を大きく伸ばし広々と構えて、

 ハンドルを左右にブンブン回した。


「よし、みんな乗りこめぇ」


 ぼくが後部座席に乗ると、

 ハカセさんが「失礼」と言って、

 むりくりあねごさんの座ってる運転席に身を寄せる。


「隣空いてるだろうが」


 一喝を浴びてハカセさんは助手席にまわって乗る。


「なになに、開いたの?」


 ヒメと白ちゃんと熊さんも集まってきた。


「お言葉に甘えて。そっち詰めてよ」


 ヒメが後部座席に乗ったせいで、

 ぼくは助手席の後ろへ詰めることにした。


「ラジオが繋がるか、やってみますね」


 ハカセさんは人差し指を巧みに、

 エアコンの辺りのボタンをじっくり押していく。

 確かに外部情報は喉から手が出るほど欲しかった。


 おや、このバッグは? 


 偶然にも足下にあった、

 黒のボストンバッグと目が合ってしまった。

 車内の物だから、あねごさんの所有物。

 気になるところだが、勝手に開けてはいけない。





『午前中は、スッキリとした晴れ模様に包まれるでしょう。

 午後からは湿った空気が入ってきて大気の状態が不安定になり、

 局地的きょくちてきに、にわか雨か雷雨なる可能性がありますので、

 念のために、折りたたみ傘を持参すると良いでしょう』





 女性アナウンサーの、

 はきはきとした声が車内中に漏れた。

 ハカセさんがラジオのチューニングに成功したらしい。


「やるじゃん、メガネ」


「お静かに」


 ぼくたちはラジオの声に耳を立てることにした。





『冒頭でもお伝えしましたとおり、

 一昨日宝石店ジュエル・ミコーに強盗に入った2人組はなおも逃走中。

 被害総額は2億円にのぼる模様。

 周囲の住人の不安を払拭するように、

 警察官一同が鑑識、聞き込み調査を行ってるようです。

 逃走した犯人の名は、

 すずり 美礼みれい容疑者と、

 黒飛くろとび 侑斗ゆうと容疑者と断定。

 付近に潜んでいるかもしれませんので、

 近くのお住まいの方は十分に警戒してください』





 急に貫禄かんろくのある男性アナウンサーにバトンが渡されると、

 冷たいニュースが流れてきた。


「物騒な世の中ですね」

 とハカセさん。


「捕まるのわかってるくせに、

 石ころなんか欲しいもんかね」

 とあねごさん。


「あたしはこれがあるから、

 他の指輪なんてゴミそのものよ」

 左薬指をじっと見つめるヒメ。


 いつの間にか自分の物にしているなんて。

 世間を騒がせているニュースに、

 みんながぶつぶつと主張をむき出してきた。

 熊さんは無言でノーコメント。

 同じく白ちゃんも。


「おい、太朗の足下にあるそのバッグ、何入ってんだ?」


 あねごさんが不意に振り向く。


「中は見てませんよ」


「なんで開けないんだよ。ったく」


「だってこれ、あねごさんの所有物だし」


「あたいが許す。開けてくれ。

 何か役に立つもんが入ってるかも知んねえし」


 確かにそうだった。

 ぼくはボストンバッグをひざの上に置いてチャックを滑らせた。

 重さからすると、ずっしり手応えがのしかかる。


 もしかしてバラバラ死体の一部でも入っているのか? 

 途中で止めていた手を端まで加速させた。


「で、中身は?」


 鋭い視線がバッグに注目する中、ヒメがゴクンと息を呑んだ。


「宝石……だね」


 パールやダイヤの輝かしいネックレスに、

 親指くらい大きいエメラルドの指輪。

 金のブレスレットにルビー、

 アメジスト、サファイア、その他諸々。


「きれーい、あたしみたい」


 いつの間にかヒメは、

 首を伸ばして少女のような純粋なまなざしで観察する。

 って、どこまで自分を持ち上げてるんだよ、お前は。

 でも、こんなにたくさんの宝石どうしたんだろう?


「あねごー、ひとつちょうだい」


「しゃねえなー。吟味しな」


 あねごさんもまんざらでもなかった。

 まさかねぇ、偶然にもほどがある。

 えて口にしなかったが、

 ハカセさんがピーンときたらしくズバリと切った。


「ひょっとして、

 先ほどニュースで流れていた、

 宝石強盗のものではないでしょうか?」


 辺りは南極にワープしたように一気に凍り付いた。


「じゃあ、あたいが犯人だって言うのかよ!」


 噴火ふんかしたのはもちろんあねごさん。

 なんか知らないけど、

 ハカセさんとあねごさんの、

 衝突の頻度ひんどが増しているような気がする。


「そこまで言ってません」


「逃げるんじゃねーよ! 言ってんだろうが」


 確かに記憶喪失とはいえ、

 車のキーの所有者と車内のバッグに宝石がてんこ盛り入ってて、

 ニュースで強盗騒動ってきたら疑われても当然だ。


「もしあねごが強盗だったら、

 もう1人この中に相棒がいるはずよね?」


 空気を読まないヒメが犯人捜しを開始した。


「はあ? お前まであたいのこと疑ってんのか?」


「そうじゃなくて、もう1人この中にいなかったら、

 あねごの濡れ衣が晴らせるのよ」


「偉そうなことぼやきやがって。

 だったらその指輪だって盗品に決まってんじゃねえか、

 お前が強盗なんだよ」


「この指輪は太朗があたしにー」

 ヒメの言葉が詰まった。

 そして、


「もう一人の強盗って太朗なの?」


 ブルブルと痙攣けいれんしながらぼくの方へ振り向いた。


「見覚えないよ」


「サイテー! 

 盗んだ指輪であたしとの愛を計ろうとするなんて!」


 薬指から指輪を抜いて、怒りを込めてぼくに投げつける。


「痛ってえなぁ。記憶にないって言ってるのに」


 このままでは、あねごさんと一緒に強盗にされてしまう。


「どーだか。本当は記憶のないフリをしてるんじゃないの」


 否定はしたものの、

 証拠がないので証明はできなかった。

 ましてワガママヒメ相手ではお手上げかも。

 あねごさんなら助けてくれそうな。

 そっと横目でヘルプを送る。


「自分で撒いた種だ。反省しろ」


「待ってくださいよ。

 あねごさんの無実だって証明されたわけじゃないですか」


 するとハカセさんが深刻な顔で、


「この場を乱してすまない。

 もしかしたら、みんなが当てはまるか思っただけで……」


 ハカセさんの言ってることがイマイチ掴めなかった。


「どういうことですか?」

 ヒメが代弁してくれた。

 もちろん、ぼくとは一切目も合わせずに。


「僕の予想だが、ここにいる全員は記憶喪失になっている。

 それは何者かによって、薬を打たれた実験材料として。

 つまり何らかの前科にもとづいてそうなったのではないかと。

 それが強盗かもしれないし、殺人犯かもしれない……」


 一理あった。

 理由がなくてはモルモットにされることはないはず。

 今まで記憶が蘇るように、

 あれこれ探ってみたことが急に怖くなった。


 自分を知るのが怖い。

 その感情が再びぐつぐつと沸き出してきた。


 静まりかえる車内。

 スピーカーからは電波の調子が悪くなり、ザーッと砂嵐が流れる。


「バッテリーがもったいないから、ラジオは消した方がいいべ」


 ずっと黙っていた熊さんが、

 ボソッと口にするとハカセさんが電源を落とす。


「これは僕の推理であって真実ではないよ。

 あねごさんが持っていた鍵も犯人に仕立てる罠かもしれないし」


 バツが悪かっただろうと、

 ハカセさんは挽回ばんかいに試みたみたいだ。


「そ、そうだよなー。

 あたいたちは被害者なんだし、

 それにこの宝石も偶然かもしんねえし、

 あたいだって車の運転できるとは限んねえし」


 あねごさんの顔が左に引きずっていた。

 自分が強盗かもしれないのを、

 帳消しにするための言い訳だろう。


「そーよね。

 こんなカワイイ美少女が、人殺しなんてするわけないって」


 ヒメも笑いながら便乗する。

 少しずつみんなの空気が緩やかななってきた。


 よし、ぼくも、

「さっきのことは水に流しましょう。

 昨日の雨のように」


 苦笑を含めると、ギロッとヒメがナイフのような視線で睨む。

 そして「ふん!」とぼくから逸らした。

 どうやら婚約ごっこにヒビが入ったようだ。

 ベタベタされるのも好きではなかったが、溝が入るのも嫌だった。

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