第7話 就寝そして朝

 ぼくたちがリビングに戻ると、

 ヒメがぷんぷんしていた。

 だいぶ寄り道してきたからな。

 リビングを半分に割って、

 各自毛布にくるまって明かりを消して寝ることに。


 静かな夜だった。


 さっきまで窓ガラスをノックしていた風も止んで、

 すぅーすぅーと寝息だけが聞こえる。 


 だが、ぼくは寝付けなかった。

 記憶を失った不安と死体との対面が重なって、

 ストレスがのしかかってきたのだろう。


 ふと暗闇を見渡す。

 テーブルを挟んで向こう側は女性陣の領域だった。

 動く気配も感じない。

 ぐっすり寝てるようだ。


 一方こちらは、熊さんが隅っこにもたれて足を広げて熟睡中。

 暑いらしく毛布を尻に敷いている。

 ぐーすかと大いびきを立てそうな人じゃないのが救いだった。

 ハカセさんも毛布を下に仰向けになっている。

 みんな記憶がないのに、

 平然と寝てられるもんだと感心してしまう。


 ……本当にみんな記憶喪失なのだろうか?


 おかしすぎる。

 確かに何者かの薬の投与で、

 生活に支障もなく、

 自分自身の記憶がはぎ取られるなんて。


 ……いや、おかしいのはそこではなく、

 記憶喪失のフリをしている人間がいるのではないかという部分だ。


 怪しい人物がふたり挙げられた。

 まずはハカセさん。

 頭脳明晰というのだろうか。

 とにかく知識が豊富。

 そんなに知識があるのに、

 記憶がないなんて明らかに矛盾している。

 口は災いの元。

 そのうちボロが出るはずだ。

 マークする必要があるな。


 そしてもうひとり、白ちゃんだ。

 薬の副作用だからってずっと喋らないってあるのか? 

 しかも風呂以外ぼくと共に行動している。

 地下に行こうって進めてきたのも白ちゃんだ。

 記憶喪失の人間が催促さいそくしてくるわけがない。

 マークしておこう。


 考えることに疲れたぼくは、

 いつしか両目を塞いで夢の中へ旅に出た。





「……くるぢい」


 あまりにも束縛に耐えきれず、ハッと目を開ける。

 なんと熊さんがぼくの身体に巻き付いていた。

 最悪の目覚めだ。

 できれば女の子がよかったのに。


 昨日の雨が嘘のように、窓からは朝日が差し込んでいた。


 今、何時だろう? 

 リビングの中を見ると時刻は5時10分。

 境界線の向こう側、

 女性陣はまだ横になってゴロゴロしている。


「熊さん、苦しいです。

 どいてください」


 体重0・1トンはあるだろうと推測していたので、

 力任せにより起こして、どいてもらう作戦だ。


「むにゃむにゃ。

 おらぁお腹いっぱいだ」


 お約束の寝言が返ってきた。

 ……こいつ、このままだとこっちが潰されてあの世行きだ。


「熊さーん!」


 もはや強行手段。

 熊さんの胸に両手を当てて力の限り突き飛ばした。

 す、凄い! 人間やればできるんだな。


 熊さんはくるくると回って、

 「ぐほっ」

 ハカセさんのみぞおちに、

 肘をくらわせて止まった。

 熊さんは起きる気配もなく、

 ぐっすり眠っている……はずだ。


 何事もなかったように、

 ぼくも2度目の眠りにつくことにした。





「起きてよ、太朗」


 肩を乱暴に揺らされて目を開けると、

 ヒメがぼくの正面にしゃがみこんでいる。


「ふわああああああー」


 口をカバのように大きく開けて手を伸ばす。


「朝食並べたから食べよって」


 男女を分ける境界線であるテーブルの上には、

 食パンや缶詰などが載せてあった。

 昨日の夕食と変わり映えがない。


 だがそれよりも重要なのは、

 ハカセさんが仰向けに寝ていることだ。


 熊さんと白ちゃんとあねごさんは、

 既に椅子に腰掛けてスタンバイしている。

 ハカセさんのことを気にも止めないのだろうか?

 尋ねてみることに。


「ハカセさん、起きませんね」


「死んでるんじゃねえの」


 あねごさんはコップに牛乳を注いでいる。


「まさかねぇ。

 もしそうだとしたら第2の殺人事件ですよ」


 被害者には、みぞおちから大量の出血が。

 どうやらこれは重く固い凶器でつらぬかれたものらしい。


 そして犯人は熊さん、あなたですよ! 

 そんな熊さんは食パンにジャムを塗りまくっている最中だった。


「ほんと起きねえな」


 たっぷりと牛乳の入ったコップを持って、

 あねごさんはハカセさんの頭付近にしゃがみこむ。


 嫌な予感しかしなかった。

 そしてハカセさんの鼻をつまんで口を開け、


「おっきろー!」

 牛乳を注いだ。


「ごほっ、ぐほっ、ぐほっ」


 息を吹き出したハカセさんは、

 上半身を起こして必死に手で口元をぬぐった。


「な、なにをするんです、あなたは!」


 バスローブの襟元えりもとは、

 牛乳とよだれが混じってえげつなかった。


「ありがとうの一言も言えねえのか」


「危うく死ぬところでしたよ。

 ところでメガネ、メガネ……」


 昔のコントみたく手探りでメガネを求め始める。

 そのメガネはテーブルの脇、

 ちょうど熊さんの肘の辺りにあった。

 ハカセさんに手渡すと、


「ありがとうございます。ごほっ、ごほっ」


「大丈夫ですか?」

 ハカセさんに近寄って背中を優しくさすった。


「ちょっと、みぞおちの部分が寝違えたみたいで痛くて、痛くて」


「昨晩のこと覚えてないんですか? 

 仰向けに眠ってるハカセさんに、

 寝相の悪い熊さんが肘打ひじうちを食らわせて」


「なるほど、情報ありがとう」


 メガネを装着したハカセさんは食卓へ加わった。

 まとまりが悪く別々に朝食を頂いている。


 この風景を見ていると、

 ひょっとしてぼくたちは、

 家族なのだろうかと一瞬頭をぎった。

 熊さんがおじいちゃんで、

 ハカセさんとあねごさんが夫婦で、

 ぼくとヒメと白ちゃんが3人兄妹で……。


 んなわけないか。

 どう見ても、あねごさんとハカセさんが若すぎる。


「朝食を終えて着替えたら、玄関に集合しましょう」


 マーガリンとイチゴジャムを、

 食パンに塗りながらハカセさんが仕切った。

 みんなはうんうんと無言で頷く。

 ぼくたちの目的は、ここを脱出することなのだから。

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