第6話 地下へ
「どこ行くんですか?」
中央フロアの廊下で、
ハイペースで先行くハカセさんの後ろ姿に聞いてみた。
「2階が客間になっていたからベッドもあったので、
そこから失敬しようかと」
なるほど。
そういえば白ちゃんが倒れていた部屋にはベッドもあったし、
ぼくがいた部屋にも毛布があったな。
それにしてもガラス越しの空は黒かった。
雨はすっかり引いており、
草木を揺らす風の音だけがくっきりと耳にしみこんでいる。
中央フロアに到着。
天井のシャンデリアが豪華に照らしてあるだけで、
ここは真昼のように明るい。
ハカセさんが、
「2階は個室になっているから、
手分けして布団を回収しよう」
ぼくと白ちゃんは反論することもないので素直に頷いた。
2階へ伸びる階段を上り、
ハカセさんは突き当たりを右へ行ってしまった。
じゃあ左に行くか。
すると白ちゃんが、ぼくの横にくっついてきた。
てっきりハカセさんの方へ行くと思っていたのに。
左奥の部屋を開けた。
ベット、テーブル、本棚の3つが備わっている。
白いベットには掛け布団すらなかった。
つまり的外れってこと。
白ちゃんはぼくの肩越しに背伸びして中の様子を眺めている。
一緒にいては意味がないよ。
手分けして探そうって言ったのに。
左側には3つの部屋があった。
残り2部屋を片っ端から調べたが、結果は同じだった。
「そっちはどうでした?」
手ぶらのハカセさんが、ぼくたちと合流した。
「布団はなかったですよ」
「あと調べていない部屋は……」
「そういえば、ぼくが最初に寝てた部屋に毛布がありましたよ」
「何枚?」
「1枚です」
「まあ他を当たって足りないときに補足しよう。
あと調べてない部屋は……」
腕を組んだままハカセさんは再び考える。
調べてないところって地下くらいしかなかったような。
でも、今行くには気が引ける。
なにがあるかわからないところに夜行くなんて。
まるで心霊スポットに、
真夜中足を踏み入れるようなものだ。
「部屋という部屋は一通り調べたので、
もうないですよ」
「そうだね。
残念だけど、みなさんには
「どうしたの?」
白ちゃんがぼくのシャツの裾を必死に引っ張って指を差す。
その先は浴場と地下に続く階段がある。
わかっているから余計なことをしないでよ。
「心当たりでもあるんですか?」
前屈みになってハカセさんが白ちゃんに話しかける。
白ちゃんは指差しを止めない。
「そちらは浴場ですね。
トイレもあります。
トイレに行きたいんですか?」
ボケたつもりではないハカセさんだったが、
デリカシーがなさ過ぎる。
白ちゃんが激しく首を振って否定する。
あたりまえか。
援護することにした。
「白ちゃんは、
地下に行けばあるんじゃないかと、
訴えていると思いますよ」
「地下か……。太朗くんはとうする?」
「行きたくないです」
すると、なぜか白ちゃんに鋭く睨まれた。
「僕もあまり行きたくないな。
昼間なら構わないよ。
でも白さんが押してくるってことは、
行く価値はあるんじゃないかな」
そうかもしれない。
ただ不気味と言うだけで逃げていたら始まらないし。
ん? ひょっとして。
「白ちゃんって記憶が戻ったから、
地下に行こうって言ってるの?」
左右に首を振る。
戻ってないのか。
だったら何で進めるんだろう?
女の勘ってやつか。
「ここでウジウジしてても無駄なので、
ぼくたち3人で地下に行ってみませんか?」
「んー」
ハカセさんは腑に落ちない様子でうなっている。
「君たちがそこまで通そうとするなら、
僕も同行させてもらうよ。
でも暗いところはちょっと……」
「大丈夫ですよ。
きっと照明も備え付けてありますって。
もし怪しいところだったら引き返しましょう」
地下室へ続いていると
「ここで合ってるんですよね?」
ハカセさんに確認を取ると、
「そうだね。
この先に下り階段があることしか見てないんだ。
もしかしたら地下ではなく、
どこかに繋がってる可能性もありえるから」
「わかりました。ハカセさん先頭で」
「僕が? なんで?」
「この3人の中で、1番年上っぽいから」
「あのね、人を見かけで判断してはいけないよ。
白さんが君より年上ってこともありえるから」
「それはありませんよ。
断言できます。
ジャンケンで負けたでしょ?
ここで道草してたら、
またあねごさんに怒鳴られますって」
ぼくの説得に不満があるみたいで、
唇をアヒルみたいに尖らせて、
小言で念仏のように言葉にならない言葉を唱えている。
よほど暗闇が苦手らしい。
押してもダメなら引いてみるか。
「じゃあ、ぼくと白ちゃんで地下室に行きますので、
ハカセさんはここで待機してください」
ハカセさんを背に、ぼくは階段を一歩下る。
白ちゃんも一歩後ろから付いてきてくれた。
「置いていかないでくれよー」
ハカセさんの顔は涙と鼻水でグチャグチャになっていた。
ちょっと可哀想なことをしたかも。
冷たい階段を下るとL字型になっており、
ドアが3つあった。
「ちょっと薄気味悪いところですね」
ハカセさんが言うのもごもっともで、
シャンデリアで目が肥えてしまったぼくには、
地下の照明がホタルのようにぼんやりと淡かった。
「順番に開けていきますか?」
振り向かずに、
ぼくは間近にあったドアノブに手をかける。
「そうだね、異議はありませんよ」とハカセさん。
真横の白ちゃんはコクリと人形のように首を縦に1回動かした。
鍵はかかってなさそうだ。
こういうのって緊張するんだよな。
「真っ暗だね、電気は?」
ドアの隙間から流れる光を手がかりに、
ハカセさんがスイッチを探し当て点灯。
「お、色々なものがあるね。
お米にしょう油、
シャンプー、リンス、トイレットペーパー。
ということは、ここは備蓄倉庫ってことかな」
ハカセさんが言ったとおり、
金属製の棚には調味料らしきビンが並んでいる。
その横には真ん丸に太った黄土色の袋が四つ束ねられていた。
まあ食料はあるに越したことはないが、
今の目的からは外れていた。
「ハカセさん、布団ありますか?」
白ちゃんと一緒に、
棚の反対側に回ったハカセさんを呼んでみる。
「毛布があるね。1枚、2枚……。
10枚あるから持っていこう。
こっちに来て手伝ってくれないか?」
ぼくは軽く返事をして、
棚の裏へ行くと白ちゃんの手に2枚、
ハカセさんの手に2枚、
肌色の毛布を持っていた。
「戦利品も手に入れたし、
みんなのところへ戻るとしよう」
ニッコリとハカセさんは、
ぼくたちの先を歩いて「消すよー」と、
スイッチに指を乗せている。
さっきまで怯えていたのが嘘のように思えた。
「他に2つ部屋がありますけど、見ておきます?」
「あんまり待たせるのも悪いし、
引き下がった方がいいと思うよ。
太朗くんが気になるって言うんだったら、
止めはしないけど」
意外にもハカセさんは乗り気じゃなかった。
正直ぼくも気にはしてないが、どうしよう。
「白ちゃんはどうする?」
口をぱくぱくさせてなにか訴えている。
だめだ、質問が悪かった。
イエスかノーにしないと。
「白ちゃんは残りの部屋を見ておく?」
左右に首を振って否定した。
ふたりとも興味なしか。
「ほら行きますよ」
ハカセさんが生意気に急かしてきた。
不要かもしれないけど、
念は押しておいてもいいだろう。
「もう1部屋見ておかないですか?」
くるりと反転したハカセさんと白ちゃんの足が止まる。
「珍しいね。気にかかることでもあるのかい?」
「いえ、興味本位です」
いつものぼくだったらネガティブに考えて拒否するのだが、
好奇心が勝ったのだろう。
口を一文字にしてハカセさんは、
彫刻のように黙りこくってしまった。
シンキングタイム10秒経過。
「構わないよ、目的の品も手に入れたしね」
了承を得た。
ぼくはそのまま白ちゃんへと目線をスライドさせる。
白ちゃんは深く頷いた。
よし決定だ。
「で、どっちの部屋を探るのかね?」
2つのドアの前でにらめっこしているぼくに、
ハカセさんが言った。
「これといってなにも」
「右の部屋にしよう」
「なんでですか?」
「興味本位っかな」
人のセリフパクりやがって。
ハカセさんは2枚の毛布を足下に落とし、
銀のドアノブを回す。
「あれ、鍵がかかっている。
太朗くん、鍵?」
「持ってるわけないじゃないですか。
諦めましょう」
「そちらのドアは開いてるのかね」
ぼくは左のドアノブを回す。
「開いてますね」
そのまま静かにドアを引く。
2回目? いや3回目のドキドキ。
いくら経験してるからって、
ピタリと手を止める。
開けた瞬間、ライオンが飛び出てきたらどうしよう?
リビングの時と二の舞の状況に陥ってしまった。
自分で決めたことなのに。
もっと前向きに考えないと。
「どうしたんだい? 目が止まってけど。
嫌ならやめようか」
ハカセさんがぼくの顔を覗き込んできた。
「いやあ、実はですね。
このドアの向こうにベットの上で、
裸の金髪美女が誘ってきたらどうしよう、
って考えてたとこなんです」
「太朗くん、君って人は……。
面白いことを想像するんだね。
その考え嫌いじゃないよ」
「ハカセさん」
ぼくたちは見つめ合って爆笑した。
「……」
背中をえぐる冷たい視線が。
反射的に口を閉じた。
「白さんもいることだから教育によくないよ。
早く開けてくれるかな」
ハカセさんも気づいているらしく、
優等生を装うようにコホンと咳払いをした。
ぼくはゆっくりとドアを引く。
中はお約束通り真っ暗だった。
だが、鼻を刺すような薬品の臭いに慌てて呼吸を止めた。
「科学室……みたいだね」
電気のスイッチをパチンと点灯させるハカセさん。
どうやら隣の部屋と同じ間取りらしく、
スイッチの位置も一緒だった。
「みたいですね。どうします?」
「取りあえず、軽く偵察でも」
ずかずかと中に入ってしまった。
不用心なんだから。
するとぼくの脇を素通りして白ちゃんも入っていく。
仕方がない、行くとするか。
内装は至ってシンプル。
中央にぽつんと断熱性の黒い机があり、
左右の壁には薬品の小瓶が入った棚がずらりと並んでいる。
左隅には学習机1つ分の広さの、
ステンレス製のシンクが備わっていた。
「何の実験が行われてたんでしょうね?」
ハカセさんはぼくを無視して、
薬品棚の引き出しを開けて探索を始めてしまった。
目的がわからない。
暇なので、白ちゃんのいる左側の棚を見物することに。
白ちゃんは小瓶を1つ持って念入りに回している。
ラベルにはテトロドキシンと書かれていた。
初めて聞く名前だ。
ちょんちょん。
後ろから誰かが肩を突っつく。
誰とは考えることなく反射的に振り向くと、
「わあ!」
「わあああああああ!」
慌てふためいて、
ガラス戸に強く背中をぶつけてながら、
ドスンと床に尻もちをついてしまった。
ハエみたいな仮面をつけている人物は、
「いやあ、ごめんごめん。
そんなに驚くとは思わなかったよ」
「ハカセさん、おちょくるの止めてくださいよ。
おかげで口から心臓が飛び出そうでしたって」
「いやあ、なにか写真でも入ってるかと思って、
引き出しを漁っていたら、
偶然にもガスマスクを見つけちゃって、ごめん」
棚の薬品もビクンと震えてだけで、
こぼれ落ちることはなかった。
白ちゃんも目をぱちくりさせて、
こちらを見ながら一時停止している。
するとハカセさんが、
白ちゃんの持っている小瓶に反応した。
「テトロドキシンかあ。
それはフグの毒だね。
まさか飲むつもりでしたか?」
白ちゃんは首を横に振った。
当たり前じゃないか。
好き好んで毒なんて飲む人はいない。
「この棚には結構毒の瓶がありますね。
青酸カリウム、
アコニチン、
ポロニウム、
ネオスチグミン、
亜硫酸など」
棚にへばりついて小瓶のラベルを順番に述べていった。
「毒を保管してるなんて、
どんな実験していたんですかね」
「僕の予想では、
記憶を消す薬を作っていたと思うよ。
そう考えれば、
今の状況に合点がいかないかなぁ」
自分の出した答えに「うんうん」とハカセさんは頷く。
「説得力ありますけど、
普通だったら記憶力アップする薬を開発するのが常識ですよ」
「それならもうあるよ」
ハカセさんの意外な答えに、ぼくはじっと待った。
「DHAって聞いたことあるかな」
「ありますけど……」
意外にも頭の隅に残っていた。
けど、説明するとなると自信がないので口を閉じた。
「簡単に言うとドコサヘキエン酸。
不飽和脂肪酸の一種で、
主に青魚に多く含まれる油のこと。
血栓の防止や、
脳機能の向上に効果があるといわれているらしいよ」
「DHAを多く摂取すれば、
ぼくの記憶も戻るってことですか?」
「薬じゃないから、さすがに言い切れないね」
ハカセさんは含み笑いをしている。
ちょっと安直な発想みたいだったらしい。
「そろそろ引き上げるよ太朗くん。
みんな待たせるわけにはいかないから」
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