その163:ガダルカナル遊撃戦 その5

 鉈で伐開しながらしばらく前進すると、急に視界が開ける。

 アルミと鉄の塊がそこにあった。

 残骸――

 撃墜された屠龍だった。


ようやくく発見できましたね」


「ああ、ここからが大仕事だな」


 屠龍はプロペラが吹き吹き飛び、翼がねじくれて折れていた。

 が、胴体部分には大きな損傷は見られない。


 脱出が遅れていたら、自分もここで骸になっていたのか――

 古谷飛曹長は周囲の気温が一気に下がったような感覚に襲われた。

 嫌な冷気が身にまとわわりついたかのようだった。


「こいつだな。これが敵の手に渡るといろいろ面倒だ」


 関根中尉は残骸の中で剥がれかかった製造番号を刻印したプレートをみやった。

 

「それは?」


「ああ、奴ら米軍は、こういった数字からでも航空生産力を推定してきやがる」


「そうなのですか」


 古谷飛曹長は訝しげな声音で言った。


「そもそも、日本の大規模工場に入っている工作機械類は米国製が大半だ。工場設備の規模は掴まれている。それがどの程度稼動しているか類推するのは容易かろう」

 

 野卑な感じのする関根中尉の双眸の奥に妙に知的な光が見えた。

 彼の言うことが本当かどうかを判断する材料は、古谷飛曹長には無かった。

 

 周囲を警戒する兵たち。

 不気味な得体の知れぬ鳥の鳴き声が響いていた。


「エンジン、機銃を塩斗薬で粉砕した後、隠蔽偽装する」


「はッ」


 兵のひとりが背嚢から、紙につつまれたブロック状の物を取り出した。

 それが「塩斗薬」というものだろう。

 初めて見るものだったが、爆薬だと思うと剣呑に思えた。

 米軍の機銃掃射を浴びたときに、誘爆したら全滅だったのではないかと思えた。


「このプレートは埋めとけ」


「はッ」


 兵は小円匙スコップを使い結構深い穴を掘りそこにプレートを埋める。

 上に枯れ木、枯葉などで偽装した。

 埋まっているところを知っていても分らなくなりそうだった。


「爆破準備完了!」


「よし、爆破」


「爆破!」


 命令の復唱と同時に、身を伏せた。耳を塞ぎ、背を丸く縮める。

 轟音が響き、鳥たちの狂乱するかのような鳴き声が交差する。

 ビリビリと痺れる空気の感触が収まると、そこには真空のような沈黙があった。


「機銃エンジンの破片は埋めろ! 残った機体は隠蔽する」


 関根中尉は命じた。


        ◇◇◇◇◇◇


 爆薬によって、屠龍のふたつのエンジンは、ボロボロに砕け散った。

 機首に備えた二〇ミリ機銃(海軍では機銃)も粉砕され、残骸となっていた。

 

 残骸は埋められる。小円匙で穴が掘られ、そこに埋められた。

 古谷飛曹長と、飯塚二飛曹は、枯れ枝や枯葉を運び、陸戦隊の兵と一緒に機体の隠蔽、偽装作業を行っていた。


「これで分らなくなりますかね」


「ここに墜ちたと確証をもって調べなければ、分らんだろう」


「そんなもんですかね」


 どうにも、やっつけ仕事に見えなくもない。

 が、それでも剥き出しでここに放置するよりもましだった。

 古谷飛曹長としては、ここに愛機の墓標を作っているような気分であった。


「古谷飛曹長」


 飯塚二飛曹が眉根を寄せ呼びかけてきた。


「ん? なんだ」


「さっきの爆発音なんですがね、敵に聞こえたりしませんよね」


「さあな。そんなこと俺に訊かれても分らん。中尉に訊けばいい」


「あの人、なんか普通じゃないでしょ。話しかけるのちょっと嫌ですよ」

 

 飯塚二飛曹は超えのトーンを落として言った。

 確かに、関根中尉はお世辞にも「人好きのする」顔ではなかったが。


「まあ、分らなくもないが…… 今更、気にしてもしょうがないだろ」


 とにかく、今は屠龍をしっかり隠すことに集中しなければならない。

 枯葉や枯れ木を被せ、根っ子ごと引き抜いた名もしらぬ植物を周囲に配置する。

 腐葉土も被せ、機体を完全に隠蔽することが出来た。

 

 ふと見ると陸戦隊の兵がなにやら別の作業をしていた。

 何をしているのだろうと、見やると関根中尉が声をかけてきた。


「罠だよ。米軍を殺す罠」

 

 既に日は西に傾いていたが、日没までには相当の時間がありそうだった。

 陽光を背後に受け、黒い土で染まった顔に笑みを作り上げていた。

 味方であっても、ゾッとする笑みだった。


「罠…… ですか」


「ああ、そうだ。幾つか仕掛けておく。奴らの捜索隊が動いている気がするんでな」


「勘ですか?」


「勘というか、匂いだ。どうにも不穏な匂いがする」


 不敵で有無を言わせぬ声音で中尉は言い切った。

 飯塚二飛曹は不安そうな顔で、古谷飛曹長を見つめる。

 が、敵の存在を臭わせる発言に不安になるのは、古谷飛曹長も同じであった。


「紐を張って、引っかかれば手榴弾でドカン! 余った塩斗薬に点火すればここら一帯が、爆焔につつまれる。まあ、被害半径二〇~三〇メートルってことだろうな」


「そうですか」


「ああ、そうだよ。な、仕掛けてみるか。楽しいぞ。こいつにぶっ殺される米兵を思い浮かべながら仕掛けるんだ」


「いえ、自分はどうも不器用でして」


「そうか、ならいい。爆薬は危険だからな。自爆されても困るしなぁ~」


 関根中尉は懐からタバコを取り出す。

 近くで爆薬の設置をしているというのに、気にしているそぶりすらない。

 火をつけ、肺の中にニコチンや諸々の有害物質を含んだ煙を流し込む。


「あ、あと水と塩はちゃんと採っておかなきゃいかんぞ」


 一〇〇式機関短銃を肩の上でトントンと上下させ関根中尉は言った。

 

「そうですね」


 確かに口の中が乾いていた。口腔粘膜がベトベトになり、舌は砂を舐めたようになっていた。

 水筒を渡され、塩の錠剤と一緒に飲み込む。

 

「ここらに罠を張って、逆に怪しまれることはないのですか?」


 古谷飛曹長は、漠然とした不安を胸に疑問を声にしていた。

 敵の捜索隊についてはあまり活発に動いてはいないという話は聞いていた。

 それでも、このような罠を仕掛けることは露骨あからさますぎるのではないかと思った。


「どうだろうな。そのあたりは半々だよ」


 危険を感じ、他にもトラップがあると思い込み後退するか、それとも怪しいと感じて徹底的に調査するか。

 

「ただ、何もしないより、敵に出血と労力を強いるだけ、やっておりて損はない。見つかるときは、見つかってしまうもんだ」


 のどの奥で笑いを堪えるかのように、関根中尉は言った。


「罠の設定が完了したら、移動」


 関根中尉が言った。ウキウキするような声音だった。


 南洋の陽が西に大きく傾いていた。

 密林を行く者にとっては、直射日光は殆ど届かない。

 辛うじて周囲がまだ明るいということで、陽がまだ沈んでいないことが分るだけだった。

 

 棘の生えた竹のような下草を掻き分け、古谷飛曹長は関根中尉たちの後に続いていた。

 現在位置がどこだかも分らないし、どこに向かっているのかもよく分からなかった。


「海岸へ向かっているのですか」


「いったん拠点のひとつに戻る」


「そうですか」


 緑色の深海の底を這いつくばっている様な感じだ。

 古谷飛曹長は周囲を見やる。

 敵の存在を考ええると、いきなり奇襲を喰らうのではないかと不安になる。

 拳銃程度しか武器はなく、本格的な武装をした敵に遭遇したらと、考えると陰鬱な気分となった。

 

「待て! 止まれ!」


 声量は小さいが、鋭く有無を言わせぬ語勢で関根中尉が言った。

 何だ? 一体――


「鉄と火薬の匂いだ…… 移動している」


「え?」


 ポカーンとしたのは、古谷飛曹長と飯塚二飛曹だけだった。

 残りの兵隊たちは、一瞬で冷たい鋼のような雰囲気を身に纏った。

 

 古谷二飛曹は、思い切り鼻から息を吸い込んだ。

 むせ返るような「剥き出しの自然」の匂いが鼻腔に流れ込んでくるだけだった。

 密林の匂いだった。

 そこに、一切の人工的な物を感じない。ましてや鉄と火薬の匂いとは……


「来たのかよ」


「敵ですか?」


「原住民じゃなかろう」


 この広い密林の中で、さほど活発ではないと聞き及ぶ、敵の捜索隊――

 それでも、遭遇してしまうときはしてしまうものなのか?


 気休めかもしれないが、古谷飛曹長は拳銃に手を伸ばす。

 鉄の温度が指先に流れこんでくる。

 空中では命が惜しいなどど、思ったことはない。

 が、こんな地べたで野たれ死ぬのはごめんだった。


 ザッ、ザッ、ザッ――。


 草を掻き分ける音が微かに聞こえてきた。

 いるのだ。

 確かにこの密林に自分たち以外の存在がいる。

 敵の規模、人数が分らない。

 

「ま、一〇人かそこらか、数は多くないだろうな」


 まるで古谷飛曹長の心を読んだかのように、関根中尉は言った。

 一〇人なら、こちらの倍に近い。

 どうする気なのだ?

 身を隠し、やり過ごすのか?

 密林をかき分け、ここから移動するのか?


 まさか……

 待ち伏せし敵襲を仕掛けるのか?

 

 関根中尉は浅黒い顔の上に何ともいえない笑みを作っていた。

 精悍というより、どこか頭のネジが外れている者の笑みだった。


「その場で伏せろ、隠れろ」


 その命令は仕草と同時に発せられた。

 古谷飛曹長と飯塚二飛曹も棘のある草の中に身を潜める。

 被服を貫き、肌に棘が食い込む。が、構わなかった。

 

 足音は、明確に古谷飛曹長の耳にも届くようにった。

 密林の底を湿った風が吹きぬけた。  

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