その161:ガダルカナル遊撃戦 その3

「なんだ、飯塚。言いたいことでもあるのか?」


「いえ、ありません……」


 飯塚二飛曹は結局のところ黙っているしかなかった。

 ――危険ではないか?

 とは、思う。

 しかし、それを口にしても古谷飛曹長の決心は変らないだろうし、「着いてこなくてもいい」と返されるのも予測できた。


(黙って着いていくしかないか……)


「じゃあ、行くかな。あ―― 与田、沢井、田中、続け」


「「「はい!」」」


 名を呼ばれた者が夜光の下ですっと動く。

 訓練された戦士の動きだった。


 関根中尉は持っている銃を肩に担ぎ歩いていく。

 下草をブーツが踏みしめる音が夜気に混ざる。

 漆黒の密林に向かって平然と進んでいく。


(この闇の中、密林に入っていくのか?)


 どうかしているのではないかと飯塚二飛曹は思った。

 どす黒い闇の塊のように、密林は不気味な圧力をもって存在している。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 密林――

 夜気がどす黒く染まっているかのような地の底という感じだった。

 下草を踏む音だけが、静寂を分断する。


「しかし、その銃は鹵獲ぶんどり品ですか?」

 

 古谷飛曹長が尋ねた。

 夜光の下で滑るような色を見せる銃だった。


「ああ、これかぁ」


 関根肩に担いでいた銃をひょいと下げる。


「機関短銃だ。鹵獲じゃない。我軍の正式兵器だ」


「そうですか」


 それ以降会話が続かない。古谷飛曹長は前方を見やる。

 与田、沢井と呼ばれた兵が前方を進んでいるはずだった。

 辛うじて人が存在することが分る。

 そこにいるという事が分ってなければ、視認するのが困難だった。

 時間の経過ほど前に進んでいるという感じがしない。

 前後左右―― 上下の感覚すら危うくなってきそうだった。

 

「方向は――」


「問題はない」

 

 言いかけた古谷飛曹長に関根中尉が言葉を被せた。


「敵の動静はどのようなものでしょうか」


 今まで口をつぐんでいた飯塚二飛曹が言った。

 ささやくような声。 


「ずいぶんと漠然とした質問だな」


「飛行場の攻撃の成果は上がっているのでしょうか?」


 飯塚二飛曹は言い直した。


 それは、古谷飛曹長も気になるとことであった。

 ガダルカナル基地には、連日の高空攻撃が行われている。

 しかし、米軍の抵抗は衰える気配がない。

 このままでは、攻勢を維持しながらジリ貧になっていくのではないか?

 そのような、茫漠ぼうばくとした不安は確かに存在した。


「敵も苦しんでいるな」


「そうですか」


 意外な気がした。


「飛行場の拡張工事が進んでいない様子だな」


「飛行場の拡張!?」


 古谷飛曹長にとっては、寝耳に水の情報であった。


「確定ではないが――」


「可能性の段階なのですか?」


「確度は高い。第二滑走路の工事を行った形跡がある」


「『行った?」ですか」


「ああ、今は止まっている」


「――」


「敵は、滑走路一本を維持するので手一杯だからな。今のところ、工事は止まっている。まあ、いつまで続くか分らんが……」


 航空隊には伏せられいる情報だった。

 工事が止まっているということで、伝えられていないの可能性はあった。

 情報は多ければいいというものではない。


 現状、一本の滑走とだけの航空基地ですら、連日の攻撃に耐えている。

 ここで、攻撃を分散してしまっては、どうにもならないという判断だろうか。

 が、無視するには、あまりに衝撃的な内容だった。


「工事は止まっているのですね」


「まあな」


 闇の中、関根中尉が笑みを浮かべた気がした。


「連日の航空攻撃は意味がある。敵は補給も十分に出来ない。『現状では』という但し書き付きであるがな」


「そうですか」


 前方を進むふたりの気配が変った。

 下草を刻む音が変化したのだった。


「中尉」

 

 沢井の声だった。潜めた声。


「まずいです。マイクロホンが――」


「くそ! 伏せろ。伏せるんだ」


 音量を絞った強い語勢で、中尉は言った。

 訳も分らず、古谷飛曹長はその場に伏せた。


 次の瞬間、轟音が響き渡り、静寂を貫いた。

 驟雨しゅううのような機銃掃射であった。

 焦げ臭い匂いがした。


        ◇◇◇◇◇◇


 ガダルカナル基地、米海兵隊――


「おい、野戦電話だ――」


 夜気を振るわせるベルの音。


 ガダルカナル基地、前方警戒エリア――

 最前線に配置されている機銃陣地だった。

 積み上げられた土嚢どのうその中心にブローニング一二.七ミリ機銃が存在した。

 銃身は闇よりも漆黒に染まっている。


 マーティン軍曹が顎で指示すると、チェンバレン一等兵が電話を取った。

 ベルが鳴り止む。

 

「了解」


「敵か?」


「はい。ジャップです。奴らが接近してます」


 位置は聞くまでもなかった、機銃の前方、闇の先だ。


(サルどもめ、やっと網にかかったか)


 ガダルカナル基地周辺を探る日本兵はいる。

 不審な電波が傍受されていることからも、それは確実視されていた。


 ――密林に捜索部隊を送るべきである――

 という、意見もあったが、今のところは見送られている。

 存在が明確になっていない敵を探すためには、複数の捜索隊を出す必要がある。

 が、複数の捜索隊を密林に出せば、同士討ちの危険性も高まる。

 日本兵はあくまでも少数部隊ではないかと推測されていた。

 敵と遭遇するより、味方同士の相打ちの可能性の方が高かった。


 結果、基地周辺には無数のマイクロホンが設置された。

 容易に敵の接近を許さないためだった。


 マイクロホンでジャップの位置をプロットする。

 そして、機銃弾を嫌というほど食らわせてやるのだ。

 極めて分りやすい話であった。

 

「殺せ! ジャップのサルどもを殺せ! ミンチにしてやれ!」


「アイサ――!!」


 声と同時に、十二.七ミリ機銃が火を吹いた。

 隣接する陣地からも、機銃の咆哮がこだまする。


 闇の底を炎の色に染め、鋼鉄の驟雨が闇を切り裂いていく。

 絶対不可避な死を与えんがために。


        ◇◇◇◇◇◇


(くそぉぉぉ。なんだこれはぁぁぁ)


 飯塚二飛曹は、地面に潜り込むような勢いで伏せた。

 その瞬間、今まで自分のいた空間を火箭が走り抜ける。

 空気が焼け焦げるような匂いがした。

 徹底的で無慈悲な機銃掃射だった。


 死神が旋律を刻むかのような、弾丸の音――

 密林の樹木にビシビシと当たる。

 頭の上に「靖国直行便」が飛び交っていることは簡単に想像がついた。

 飯塚二飛曹は頭を抱え込み、地べたに顔をこすり付けるしかなかった。

 靖国に行くのはもう少し先にしたかった。少なくともこんなところでは御免だった。


(いつまで続くんだ――)


 無限とも思われる時間が経過しても、敵の勢いが止まらない。


 銃撃されたことは、初めてではない。

 屠龍座上で、何度も機銃掃射を受けていた。

 が、地上で弾丸を受けるのことは、全く恐怖感が違っていた。

 恐怖の量も密度も長さも違う。

 圧倒的な存在感で、頭の上に圧し掛かっている。


「匍匐で進め! 止まるな!」


 激しい銃声の中、関根中尉の声が辛うじて聞こえる。


「無茶だ!」


「無茶でも進め! 止まるな!」


 飯塚二飛曹は芋虫のようにはいつくばって進む。

 機銃弾はビュンビュンと音をたて、空気を切り裂き、密林をえぐっていく。


「弾が高い。頭を上げなければ当たらん」


 それはそうかもしれないが、そうでないかもしれない。

 今のところは、高くて当たってはいないということだけかもしれない。


 機銃音が止まった。唐突だった。

 それでも、飯塚二飛曹は頭を上げることはできなかった。

 

「沢井がられました」


「沢井……」


 唸るような声で、関根中尉は言った。

 まだ、夜は明けそうになかった。

 それが良いことなのか、悪いことなのか、今の飯塚二飛曹には分らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る