その160:ガダルカナル遊撃戦 その2
安全が保証される降下最低高度は四〇〇メートルといわれる。
今は高度が低すぎた。
飯塚二飛曹は片肺の屠龍をなんとか操り、ずりずりと高度を上げた。
上弦の月の方角――
キラリと何かが光った。闇に包まれた夜の空の中――
「くそ! 敵機だ かわせ」
「がぁぁぁぁぁぁ!!」
敵の夜戦であった。一瞬
見たこともない双発機だ――
でかい。黒塗りの巨大な機体だ……
「新型機か? 爆撃機改造機か?」
どこかに待機していたのだろう。
対空砲火が止むと同時に遅いかかってきた。
相手の性能云々以前に、片肺状態では勝負にならない。
ドドドドドドドドドド――
太い火箭が屠龍を掠める。
どうにもならない。反撃も退避も出来る状況ではなかった。
ガガンッ!!
防弾版に弾丸が命中し、激しい音を立てた。
一二.七ミリ機銃ではないのか?
もっと大きな二〇ミリクラスの機銃に思えた。
古谷二飛曹は、脱出を決心する。
「脱出する。落下傘降下!」
無駄に命を捨てる気はない。ここは敵地であるが、諦めたらそこで終わりだ。
ハワイ攻撃ですら、落下傘降下して潜水艦の救出を待ったという搭乗員がいたという話だ。
その搭乗員が無事帰還したのかどうかまでは、古谷飛曹長は知らなかったが。
機体が反転し、天地がひっくり返る。
風防は開いている。
そのまま、ポンとふたりは宙へと飛び出した。
緑の密林を足元に、南洋の空に白い落下傘がふたつ開いた――
◇◇◇◇◇◇
落下傘降下は上手くいったようだった。
だが、敵機は、
幸い、命中することはなかった。
戦闘機を狙うより、どこか及び腰なところがっあったのが、助かった理由だろう。
人間を狙うので的も小さい、近づいて、パラシュートが絡み付けばなにが起きるか分らない。
「いったか……」
どす黒い闇の色をした双発機は翼を翻すと去っていった。
落下傘は夜風に乗りふわふわと虚空を落下し続ける。
降下高度は十分だったはずだった。
それでも、相当な衝撃で地面に叩きつけられる。
「おふッ」
肺の中を空気を吐き出し、古谷飛曹長は横に転がる。
落下傘のバンドを外す。
「飯塚! 飯塚!」
古谷飛曹長は、操縦士の飯塚二飛曹の名を連呼した。
闇の底、白く浮き上がる落下傘が視界に入る。
凡そ一〇〇メートルは離れた場所であろうか。
飛行機であれば、一瞬で詰まる距離だが、地上では全く別物に見える。
「焼畑…… 現地人の耕作地か……」
降下した場所は密林ではなかった。
潮の匂い――
海鳴り――
そのようなものが、夜風に乗り微かに感じられた。
(海から近いのか――)
天空の低い位置に上弦の月があった。
透明でやけに冷たさを感じさせる光を放っていた。
夜光のお陰で全くの闇というわけではないが、視界は限られる。
「古谷飛曹長――!!」
「飯塚」
飯塚二飛曹が駆け寄ってきた。体にはどこも異常がないように見えた。
◇◇◇◇◇◇
ふたりは落下傘をまとめて、疎林の下に隠した。
下生の草や、木の葉、枝を折ってできるだけの偽装をほどこす。
なんの道具も無かったが、手抜きをするわけにはいかなかった。
念入りに隠さなければ、上空から発見される恐れがあったからだ。
「こんなもんでいいんじゃないですか」
「ま、出来るのはこのくらいか……」
流石に素手では出来ることに限界があった。
ただ、上空からなら、十分
ふっと、人の気配を感じる。
疎林の陰であった。
敵――ッ!
真っ先に思う。
何者かは分らない。が、味方と思って行動する証拠は何も無かった。
古谷二飛曹は一四年式拳銃を握る。
今のところ、武装しているのは、彼だけだ。飯塚二飛曹は操縦の邪魔になるということで、拳銃は持っていない。
一四年式拳銃は結構大きいのだ。
「味方だ。キ四五……『屠龍』の搭乗員か?」
疎林の陰から現れた者は重く静かな声で言った。明瞭な日本語であった。
「味方?」
「独立ガダルカナル遊撃隊―― 通称だけどね…… 一応、陸戦隊の所属だ」
疎林の陰から現れた相貌が月明りに白く照らされる。
凄まじい獰猛さを隠そうともしない笑みを浮かべ、男は立っていた。
肩には、銃を担いでいる。
小銃ではない。機関銃のようであった。見たことのない銃だった。
「関根中尉―― だ」
男は言った。
「はッ、古谷飛曹長です」
「飯田二飛曹です」
海軍式の脇を締めた敬礼をするふたり。
関根注意も軽く返礼する。
「飛行機は、あっちに落ちたな……」
そう言うと無骨な指を指し示す。
「あ…… そうですね」
「あれ、新鋭機だよなぁ。
実際には運用を開始して一年以上たつ機体であるが、海軍で本格的な運用を開始してからは日が浅い。
元々は海軍機ではなく陸軍機なのだ。
別の方から声が聞こえた。
ここに来ていたのは、関根中尉だけではなかったようだ。
今まで気配を完璧に消していたのだろう。
味方ながら、薄気味悪い連中だと古谷飛曹長は思った。
「陽が上がれば、敵機がここらを探索します。夜間のうちに移動を――」
「ま、そうだなぁ~」
関根中尉は、そう言うと胸元からタバコを出して火をつけた。
ここは一応最前線である、その行為はあまりに迂闊に思えた。
が――
「ここにゃ、敵はいねーよ。敵性原住民ももう、いないよ」
「そうですか」
「いるかい?」
タバコを勧められたが、古谷も飯田もその習慣は無かった。
「ここは問題ないんだぜ」
「いえ、そうでなく、我らはタバコを吸いません」
「そうかい。珍しい奴だな……」
珍しいと言われ、ちょと「ム」っとする。
あと七〇年もすれば、立場は逆になるのではないかとふと思った。なぜ思ったのか理由は分らない。
とにかくだ――
古谷飛曹長は、ガ島のことなど何も知らない。
そう言われたら納得するしかない。
「
言っている意味が少し掴みかねたが、この場所が今のところは安全であるというのは分かった。
「敵の斥候は、滅多に危険のある場所には踏み込んでこない。ま、こっちが踏み込ませないっていうのもあるけどな」
関根中尉は、プッとタバコを捨て、軍靴でグリグリと踏んだ。
「ま、怪我がないのは幸いだったな。あ―― 次の特潜はいつくるんだけ?」
「トクセン?」
聞きなれない言葉に、古谷飛曹長が確認する。
「ああ、ま、あれだ。これ、軍機だっけ? 軍極秘だっけ?」
「いえ、もう解除されています。『トクセン』小型の潜水艦です。特殊潜航艇の略称です」と、兵の一人が説明した。
周囲に兵は一〇数名いるようだった。
自分たちの捜索にこれだけの人数を割いたとなると、どこか心苦しいものがあった。
「あれだ、我々は、これから落ちた機体の破壊に向かう。ま、近くの
「破壊?」
そのまま聞き捨て出来ない言葉だった。
今まで座上していた機体を破壊するというのだ。
確かに、密林に落ちた機体であるし、回収は不可能だ。
ただ、そっとしておいて欲しいという気持ちが胸の隅にあった。
「新鋭機だしなぁ。いろいろな技術情報を与えてしまうかもしれん」
「技術情報?」
「奴らは刻印された、製造番号からでも、航空機生産力を割り出してきやがる―― 与える情報材は少ない方がいいんだよ」
関根少尉は事も無げにいったが、この密林の中を掻き分け、墜た機体を発見し、破壊(どうするのかは知らないが)するのは容易ではないと思った。
「我々は、もう出発する。ま、君たちは監視哨まで戻って、待機―― で、次の特殊潜航艇で帰還だ」
その言いっぷりが、なんとも「お客さん扱い」であり古谷飛曹長の心にささくれを作る。
「いえ、行かせてください! 私も同行します!」
そう言った古谷飛曹長を飯塚二飛曹は怪訝そうに見つめたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます