その145:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その3
「戦艦、重巡の砲撃と陸上基地からの航空制圧かい」
日吉の連合艦隊執務室で、俺は本物・山本五十六大将に相談中だ。
「やれることはやりますよ。とにかくアメリカ軍に
「そりゃ、同意せざるをえねぇなぁ。ありゃ怪物国家だ――」
本物・山本五十六長官は言葉を区切る。そして目をつぶり潜思、黙考する。
頭の中では、この戦争の行き先について、着地点について思いを巡らせているのだろう。
その部分、軍政を飛び越え、政治・外交の部分まで、本物様には色々動いてもらっているのだ。
「ま、今はいいさ。少なくとも半年やそこらで形勢が大きく動くことは無いだろうよ」
「短期的にみればですか」
「そういうことだな」
韜晦(とうかい)するかのような言い方は相変わらずだった。
何と言うか「分からん奴には何を言っても分からん」というような、諦観に似た感性をもった人物だ。
本当にあの有名な『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』の名言を残した人かと思う。
何というか『やってみて、己で考え、反省し、分からん奴は、俺ゃ知らねぇ』という言葉の方がぴったりくる感じがする。中々、腹の底を見せないし、考えの読めない人物だ。
それでも、この戦争を終わらせるため、なんとか動いているのは彼だった。
破竹の海軍の後ろ盾と「山本五十六大将」の名前があるとはいえ、現時点での「終戦工作」が非常に危険であることは、ソロモン視察と大差ないはずだ。
とにかく、ソロモン方面の視察は決定事項だ。
俺と宇垣参謀長、樋端(といばな)航空参謀を中心に同行は決定している。
それに合わせ、ガ島方面、およびニューギニア方面のポートモレスビーの強化も一気に行う。
「で、本音のところどうなんだい?」
「え?」
「今回の前線視察さ」
閉じていた眼(まなこ)を開き、心の奥まで見透かすような視線を送り込む本物・五十六大将。
俺としては、本音は「行きたくない」に決まっている。
ただ、山本五十六大将を動かすわけにもいかない。
俺なんかより存在は重要だ。この戦争の終着点に向け動いているのは彼なのだから。
「面倒くさいから、ふたりでいけばいいのだ!」
珍しく、大人しくしていると思った女神様が言った。
どの道、女神様は俺についてくるのは既定路線だ。
聯合艦隊司令部に、お留守番させるには、危険すぎるし、業務の邪魔という苦情も殺到する。
「ふたりで行っても意味ないから。前線に山本五十六がふたりいたら、混乱するでしょ?」
「吾の力であれば可能なのだ!」
「いや、俺一人でいいから」
「む、仕方ないが…… こやつを日本に放置するのは、危うい気がするのだ」
そう言って女神は本物・山本五十六を睨むのだ。
俺は「女神様、アナタの方がよほど危険です」という言葉を口には出さず、思うに留めた。
女神はどういう訳か「山本五十六」を敗戦の責任者、愚将と決めつけ封印していたのだ。
俺の説得でなんとか、今は「ダブル山本五十六」、「山本百十二」みたいな感じでやっている。
この女神は「勘違いと度忘れ」を起こさせる神通力を持っているのも、ふたりがそろって動ける理由になっている。
まあ、その程度の力しかないというのも女神としてどうかと思うが。
しかも日本人限定で――
(いや…… まてよ…… 「勘違い」か……)
俺の思考の中に少し引っかかる物があった。なんだ――
凄く大きなブレイクスルーになりそうなものに、一瞬指先がかかった気がした。
「で、どうなんだい?」
俺の思考が本物・五十六言葉で遮られた。
まだ『で、本音のところどうなんだい?』という問いに答えてなかった。
「既定路線ですからね」
「ま、本音を言えば、一軍を率いる司令官が、前線に行くことに意味があるかってーと、微妙だがな」
今更ながらに、決定に対し批判的なことを言う本物・五十六大将。
もっと早く言えよ。言っていることは完全同意だよ。
ただ、彼がどういう意見を持とうが、俺のソロモン方面視察は決定しただろう。
「司令長官が視察して、前線の士気が上がるかね? 上がったとしてそれが、どの程度の効果を上げるか―― 誰も分かりゃしねぇけどな」
本物・山本五十六大将は、自分に対して冷めきった感想を口にする。
俺は、この人は死地を求めて、粛々とソロモン方面に行ったのかと思っていたが、どうも本音は違うのかもしれない。
「ニミッツはガダルカナルまで視察に来たらしいですからね。こっちの世界では分かりませんけど――」
「そうかい」
「ええ、確か―― そうですね…… 確か、ガ島が完全にアメリカ軍の手に落ちてからですけどね」
「ま、最前線に出たって事実には変わりはねぇってことかい」
今回のソロモン方面視察は、歴史の予定調和みたいな感じで、凄く嫌な感じがする。
だから、俺は色々手を打った。
一式陸攻は防御力を強化された一式陸攻34型よりも、さらに防御力が強く高速の「銀河」を使う。
銀河は三人乗りなので、改造を空技廠からトラック基地の工廠に打診して、可能という回答を得ている。
四人乗りにして分乗するのだ。
さらに、ガ島飛行場に対しても、圧力をかけ、情報収集を怠らない体制は作ってある。
その次の策も手は打っている。もう、考えられるリスク排除は徹底してやっている。
今回の孔雀は落とされはしない。たぶんしない。おそらく――
「ま、ソロモン方面の均衡状態―― これも、いずれ手詰まりになるぜ? どうるするんだい」
俺は両手を口の前で合わせ、テーブルに肘をついて、その言葉を咀嚼する。
いや、未来のことを知っている俺にとっては考えるまでもないことなのだ。
言っている意味はよく分かる。
日本の善戦は、アメリカの反発力をかなり強めている。
エセックス級、アイオワ級などの投入が早まっている。
護衛空母の充実具合も、史実以上ではないかと思うし、正規空母の穴埋めのために、積極的に海戦に投入してくる。
ソロモン方面でガ島から先に米軍を足止めできるのか?
生産力の差から、ジリ貧になるのではないか?
また、史実のように中部太平洋方面から侵攻してきた場合どうするのか?
国内の軍事生産は、悪くなっていない。
オーストラリア政府が、本土防衛に傾き、今のところアメリカはその説得に成功していない。
アメリカ海軍が、日本海軍に対し勝利を得られないこと。
端的に言えば、連戦連敗(実際、日本もギリギリなのであるが)の状況がオーストラリア政府を弱気にさせている。
ただ、本土防衛の一環として、ニューギニア方面への兵力増強の動きは出始めているという情報がある。陸軍経由の情報で、どこまで確度が高いか不明ではあるが。
「ソロモン、ニューギニア方面からの侵攻を止めるだけでも、大きく時間を稼げますから」
おそらく戦力の整ったアメリカ海軍は、大日本帝国の外周部に来る。
マーシャル、ギルバート方面――
この時が、おそらく大日本帝国海軍が、アメリカ海軍に空母艦隊決戦を挑める最後のチャンスになるだろう。
「こっちにも時間は必要だが、時間の経過は、敵さんにも有利に働くんだぜ」
「それは、承知していますけど」
今、空母戦力はお互いに消耗し回復の途上だ。
運用できる機動部隊の搭載機数では、その時点で逆転されている可能性が高い。
その時点で、アメリカ海軍がどのくらいの規模になっているのか――
史実以上のペースで強化が進んでいるのだ。
最悪、艦隊決戦を回避する選択肢をとるかもしれない。
いや、陸上基地との連携――
決戦をあきらめることによるリスク――
それは、結局、史実と同じ道に至るのではないか。
しかしだ――
マーシャル、ギルバート方面でもし勝利できれば……
その勝利で稼げる時間の価値はとてつもなく大きい。
目の前に迫ったソロモン前線も頭が痛い。
ただ、そこで俺が生き残ったとしても、別に戦争が終わるわけでは無い。
聯合艦隊司令長官として、アメリカという
そいつを相手とした殲滅戦の日々が続くだけの話なのだ。
◇◇◇◇◇◇
ガダルカナル島を占領しているのはアメリカ軍である。
この事実は揺るがない。
しかし、この島に日本人――
いや、日本軍が存在しないかというと、そうでない。
かつて零式水上観測機でガダルカナル方面の索敵任務を行っていた神田飛曹長と藤田一飛のペア。
藤田一飛が言った「ガダルカナルには陸戦隊の特殊精鋭部隊が上陸してる」という話。
全国から選抜された精鋭を館山砲術学校で鍛えあげた陸戦のプロフェッショナル。
精鋭中の精鋭の特殊部隊の存在だ。
神田飛曹長が「また与太話か」と思ったことである。
なぜに、海の上で戦う海軍が、陸軍の領域を超えるような陸上の精鋭部隊を作るのだ? という真っ当な疑問を持った話だ。
(参照:その82:ラバウル・ソロモン海空決戦 その4)
それは事実であった。
単なる一時的な作戦のため、兵員を上陸させたのではなく、長期にわたり、ガダルカナル島で活動を続けていた。
「必要物資は、確かに受領した。問題はない。ご苦労」
「はい。確かに」
「特殊潜航艇・甲標的丙型改二」の艇長である、早川少尉は返事をする。
しかし、その相手はおぼろげにしか見えない。
曇天の夜の空。月も星明かりもない。
まるで、墨汁の中に浸かったような濃厚な闇の中だった。
外に光が漏れないように覆いのされた懐中電灯の弱々しい光だけが頼りだ。
その光源の周囲だけを薄ぼんやりと闇を薄くはしている。明るくしているとはとても言えない。
それでも物資の受け渡しは完了した。
彼らには、この闇の中でもかなりの物が見えているのだろうと早川少尉は思った。
沖合には彼の乗ってきた「特殊潜航艇・甲標的丙型改二」が停泊している。
船には四月一日二等兵曹長がひとり残っているだけだ。
波の緩い入り江の砂浜のような場所ではない。
タコの足のような木が生い茂り、平らな大地などほとんどない。
海岸線から、すぐに切り立った崖のようになっている地形だった。
(ここがガダルカナルか――)
早川少尉には、昼間に海から見た鬱蒼とした濃緑の島という印象は今の時点では無かった。
闇に包まれた不気味な雰囲気。まさしく地の果て、マラリア、デング熱、アメーバ赤痢、南方性潰瘍など
実際、運んできた物資には薬剤が多く、早川少尉とともに、帰還するふたりもマラリアが悪化していた。
当然、その交代要員も運んではきている。
物資と要員を引き渡したことで、早川少尉は今までの緊張から解放された。
全身をドっと疲れが襲ってきた。滅多にかくことのない汗が嫌な感じで背中をべたつかせた。
かつて、戦艦を仕留めたときですら、感じなかった疲労感だ。
あの時は、疲労など感じている暇もなかったのであるが
(4人乗りはやはり厳しいのか――)
早川少尉はそう思う。
「特殊潜航艇・甲標的丙型改二」は水中速度最大18ノットの小型潜水艇だ。
漆黒の船体は、まさしく海の刺客という雰囲気であるが、今回の任務は運び屋だ。
それとて、重要な任務であることは変わりはないのであるが。
元々は潜水艇というより、有人魚雷ともいうべき兵器であった。
しかし、数度の改造を経て、現在は局地防衛などの任務をこなせる「小型潜水艦」的な運用もされている。
そして、今回のような隠密裏の輸送にも使用されているのだ。
彼らはマラリア患者を収容し、いったんブインに戻ることになる。
そして、患者をおろし、本来の所属であるポートモレスビーに戻る手はずになっている。
そのマラリア患者ふたりがふらふらと海岸にあるゴムボートに向かって歩き出した。
闇の中、早川少尉はそれが辛うじて分かった。
「大丈夫なのですか? 肩を貸しま――」
肩でも貸そうかと、その手に一瞬触れた。
まるで、焼け火鉢のような体温だった。
早川少尉は反射的に手を引いてしまった。
「問題はない」
「気にしなくていい」
荒い呼気を吐きながら、どうみても問題だらけの体調にしか思えないふたりはそれでも正確にゴムボートに向かっていった。
マラリアに侵され、おそらくは体温は40度を超えているだろう。
そもそも、動けるのがどうかしているレベルだ。
「まあ、キニーネを飲んでいても100%という訳にはいかぬな」
ガ島の遊撃部隊の責任者らしき男が言った。
佐藤という名の大尉だった。
ガ島に展開する遊撃部隊。海軍陸戦隊選りすぐりの精鋭中の精鋭――
ポートモレスビーの水上機部隊あたりから、聞いたような記憶があったが、病魔に侵されたふたりを見ていると納得できる気がした。
この佐藤大尉という言葉の端々から「尋常じゃなさ」を感じさせる。
「敵の情勢はどうなのですか?」
彼らの任務は、ガダルカナル飛行場の監視、および破壊活動だ。
早川少尉の立場で、情報が得られるかどうかは分からない。
口をつぐまれてもしょうがない話だ。ただ、少尉はなぜか、佐藤大尉は答えてくれるのではないかと思った。
「過大だな。おそらく戦果判定が過大だ―― 米軍機は、搭乗員が言うほどは落ちてない。ボロボロになっても帰還してきやがる」
「その報告は」
「してるさ―― 当然だ」
早川少佐は闇の中、辛うじて浮き上がる佐藤大尉の横顔を見た。
額が出て、眼窩の部分が落ち窪んだ異相といっていい顔の持ち主であることが分かる。
この闇の中ですらだ。
「それをどう判断するかは、上の問題だ。ただ、奴らが思ったほどには消耗していないのは確かだ。空戦自体には負けてはないんだろうがな」
佐藤大尉は「負けてはない」という微妙な言い方をした。
ただ、それは早川少尉が聞かされていた空戦の状況とは大きくかけ離れたものだった。
新型零戦の前に、敵は一方的にやられている。鎧袖一触だ――
ただし、アメさんの補給力が凄いので、落としても落としても湧いてきやがる――
航空部隊ではない早川少尉が聞く話とはこのような威勢のいいものだった。
自分が思っていたほど、航空優勢は確保されていないのか?
彼はそう思う。
「おい―― 準備できたみたいだぜ」
早川少尉がそのことを考えていると、佐藤大尉が声をかけた。
すでに、ゴムボートには2人が乗っていた。
後は、彼が漕いで戻るだけだ。熱病の中でもこのふたりは、問題なく船内に入れるだろう。
特殊潜航艇内に入ってからの劣悪極まりない、環境に耐えられるかどうか――
まあ、この島で数か月戦ってきた精鋭なのだ、根を上げることもないだろう。
あの後、フロンガスを使用した冷房装置も取り付けられている。
あまり効きはよくなないが、風の出る場所にいれば、涼しいことは涼しい。
「では、ご武運を――」
早川少尉は敬礼した。
佐藤大尉も返礼した。闇の中でもビシッとした敬礼であることが雰囲気でわかるものだ。
そして、早川少尉は踵を返し、ゴムボートに向かっていった。
曇天の闇の空を映しこんだかのような墨汁のような海に、黒いゴムボートが揺れながら進んでいく。
佐藤大尉の目にはそれがはっきりと見えていた。尋常な夜間視力ではなかった。
「武運ね…… ま、運だけは、俺でもどうにもならないがね」
佐藤大尉は、
まるで、武運以外のものであれば、どうにでもなると言っているようなものだった。
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