その126:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その2

「俺たちは、ラバウル温泉遊撃隊か――」


 ポツリとした呟きが湯気の中に溶け込んでいった。

 牧田上等飛行兵は声の主の方を見た。

 気持ちよさそうに湯船につかっている上官だった。


 常に殺気を身にまとい「抜身の刃」のような上官だ。

 訓練でも実戦でも下手な飛行をしようものなら、鉄拳が容赦なく吹っ飛んでくる。

 それも、一発で頭の芯が痺れるような一撃を連打でくれるのだ。


『空で死にたく無ければ、痛みで覚えろ! 銃弾よりはマシだ!』

『俺を憎め。そうすりゃ、俺より先にくたばりたくなくなるだろ!』

『自爆は許さん。敵を百機落すまでは死ぬのは許さん! 生き残って戦え!』

 

 叫びながらの嵐のような鉄拳連打による教育だ。

 とくに、未熟練者が前線に送られるようになってからは凄まじいものがあった。

 ただ、そのせいかどうかは、分からないが彼の指揮する小隊の生還率は高いことも確かだった。


 ただ凶暴なだけの上官ではない。

 空に上がれば、ほとんど無敵の存在と言ってよかった。

 圧倒的な空戦技量の持ち主である。

 一方で、そう言った人物にありがちな、秘密主義的なところがなかった。

 問われれば、惜しげもなく自身の空戦技術について教える人物であった。


「ヘル談(エロ話)」をすることもあった。しかし、その時の目つきも尋常ではない。

 恐ろしく迫力のある「ヘル談」だった。

 ビリビリとした空気を震わせるようなヘル談を聴かされたのは牧田上飛にとって初体験だった。


 話の分からない人間ではない。

 筋の通った話には聞く耳をもっている。

 ただ、その性格は人好きのするものとは言えなかった。 


「脱衣所くらいは作ればいいのにな――」


 彼はそう言って、すっと兇刃のような視線を牧田上等飛行兵に向けた。

 昼間の星すら観測可能な視力をもった人外の視線だった。

 視線は牧田上飛を捉え、完全に照準を合わせている。


(逃げられない……)


 彼は、この上官の視線のケツもちせざるを得ない状況となった。


「確かに脱衣所くらいはあってもいいですね。小隊長」


 牧田上飛は、ものすごく当たりさわりなく同意する。


 ここは一応、海軍が慰安に使用している温泉であった。

 ブイン、バラレ、ラビなどの最前線の基地からも搭乗員をラバウルに戻し、定期的に休養を義務付けるようになっていた。

 彼らの小隊を含むいくつかの小隊がラバウルで休養のローテーションに入っていた。

 

 ポートモレスビーを曲がりなりにも占領し、ブインなどソロモン方面にラバウルの前衛基地を造り上げたこと。

 これにより、ラバウルがほぼ完全な後方基地となったのは大きかった。

 現在、攻勢防御的な闘いを続けている最前線では、搭乗員の交代と休養が可能になっている。

 この結果、搭乗員の疲労を原因とする事故や、未帰還は大きく減っていた。


 搭乗員の消耗は、戦闘よりもただ飛ぶというだけで発生する事故により失われるものが多いのだ。

 それを最小限にとどめる意味でも、現在の体制は有効と言えた。

 

「草しか見えないな――」


 本来であれば、ラバウルのコバルト色の海が一望できる立地だ。

 しかし、周囲は丈のある草が生えており、湯船につかると草しか見えない。

 立てば、海は見えるが、こんどは温泉に浸かれないのだ。


 もはや、草しか生えてない温泉であった。

 いや、背後には煙を噴き上げる火山が見えてはいた。

 

 花吹山だ。ここラバウルで毎日のように噴煙を上げている火山だった。

 火山灰の影響で、飛行場は火山灰だらけになる。

 ペラの巻き起こす風で砂塵が巻き上がり、埃っぽくてしょうがない。

 重油を撒いたりしているが、あまり効果はなかった。

 コンクリ舗装するという噂もあるが、本当かどうかは分からない。

 

「温泉慰安といっても、湯船と石鹸があるだけだからなぁ…… もうちょっと、何とかしてもらうか」


 この上官が「何とかしてもらう」ために「何をするのか?」それは非常に気になる。

 ただ、具体的に何をする気なのか、訊く気にはならなかった。


 上官はザブッとその身を湯船に深く沈めた。

 

「まあ、ラバウル温泉で、戦塵を流すというのも悪くないがな――」


 ニヤリと笑った。兇状持ちの笑みだと牧田上飛は思った。

 休養中なのに、この上官の近くにいると、全く休養している気になれない。

 まさに「常在戦場」を具現化した存在が隣で湯につかっている感じだ。


「今日もよく星が見えるな~」


 彼――

 坂井三郎少尉――

 湯気の中、ラバウルの突き抜けるような蒼空を見つめつぶやくように言った。


 彼の目には確かに、星が見えているのだろう。

 その上官の言葉を疑う者はこの場には誰もいなかった。牧田上飛を含めだ。

 

 彼は飛曹長に昇進すると、間を置かずに少尉となった。

 海軍の人事体制の変化が原因だった。


 海軍の搭乗員の消耗は激しかった。

 表面上勝利を続けているように見える空戦ですら、櫛の歯が欠けるように熟練搭乗員がすりつぶされていく。

 そして、更に消耗が激しいのは士官搭乗員だった。


 ただでさえ、数の少ない士官搭乗員の消耗は、航空隊という組織の存続に関わる問題だった。

 高等教育を受けた者を採用し、士官搭乗員に仕立て上げる体制はできつつある。

 促成栽培であっても、士官はいないよりいた方がいい。

 これは、陸海空の戦闘どこであっても共通した答えだ。

 しかし、士官搭乗員を補充するのは一朝一夕ではない。


 海軍組織は、そこで下士官搭乗員の士官昇進を推進していくことも決断した。

 これは、海軍という身分制度の厳しい組織にとっては英断ともいえる物だった。

 人事権は海軍省にあるのだが、聯合艦隊、軍令部からも、大きな働きかけがあった。


 当初は他の兵科部門からは反発もあったが、それも次第に収束していく。

 搭乗員が激務であり、最前線で最も死に近い戦いの現場にいること。

 また、他の兵科でもある程度は人事の見直しが進んだこと。

 そういったことが理由だった。


 そもそも、海軍は陸軍に比べ、下士官・兵と士官の間に格差がありすぎたのだ。

 また、搭乗員養成のために、後から作られた各種の教育制度との人事面での調整の意味もあった。


 その対応は間一髪で間に合ったのだ。

 今のところ、海軍の航空戦力は、損失の穴埋めを行い、規模を拡大をしている。

 まあ、坂井三郎少尉の言葉でいえば「最近はジャク(未熟練者)ばかりを前線に送りこんでくる」ということになるのであるが。

 それでも、今日のジャクは未来の熟練者となる可能性を秘めている。

 今日を生き残ることができるならばだが――


「受領する機体は、もう揃っているんだろう」

「はい。そう訊いています」


 答えたのは、そこそこ古参の飛曹長だった。

 彼も本来であれば、まだ二飛曹あたりの階級だったかもしれない。


「やはり53型か」

「そうですが――」

「21型はもう手に入らんのかな~」


 坂井三郎少尉は思い出の中だけにいる初恋の人を語るような口調で言った。

 なんとも、似つかわしくない口調に、温泉に浸かっているにもかからず、周囲の気温が下がった。


 発動機を強化し、切返し機動も速く、速度も上昇力のある53型がダメというわけではない。

 ただ、自分の手足のように自在に動かせた、21型の操舵感覚が捨てがたかったのだ。

 戦闘機としての完成度、性能でみれば、53型が明らかに上であると頭では納得しててもだ。


「中島でも三菱でも、もう造ってないんじゃないですかね」

「そうか。53型も悪くないがな」


「空戦職人」としての坂井三郎は21型を評価していた。いや愛していたと言っていい。

 しかし、戦争を俯瞰する立場の士官搭乗員としては、やはり53型が正解なのだろうとも思う。


 防弾板、炭酸ガス式の自動消火装置、高初速の20ミリ機銃2門に、12.7ミリ機銃2門。

 火力でいけば、21型の倍はあるかもしれない。

 

 アメリカも、シコルスキー(F4U)という新鋭機を繰り出してきている。

 そして、F4Fワイルドキャットも、相変わらずうるさい敵だ。


 ソロモンの空では連日の戦いが行われている。

 アメリカ軍は、ガダルカナル基地の補給成功により、一気に航空戦力を強化した。

 ブイン、バレラの日本海軍航空隊とガダルカナルのアメリカ海軍・海兵隊との血みどろの戦いは止むことはない。


 彼らの小隊もあと3日でブインに戻ることになっている。

 その際は、新規の零戦を受領しての帰還だ。


「ん? なんだ」


 ガタガタと荒れ地を走る音。

 坂井少尉は立ちあがり、音の方を見やった。

 1万メートル彼方の戦闘機を捕捉する双眸が、1台のトラックを見つける。

 荒れ道で盛大に砂煙をあげ、こっちに向かっているのだった。

 

「なんだ? あのトラックは」


 帰りのトラックはすでにここに停車している。

 彼らはそれに乗って戻る予定だ。新たな温泉客を連れてきたわけでもなさそうな気配だ。

 かなりの速度でそれはやって来ている。


「他の小隊ですかね? カチあっちまったのか?」


 小隊のひとりが言った。

 温泉といっても湯船は数えるほどだ。

 大人数が入れるものではない。


「どうも、違うようだ……」


 湯気を身にまとい、坂井三郎少尉が湯船を出た。

 細身であるが、鍛え上げられた肉体が露わとなる。

 こんな身体の持ち主にぶん殴られるのはごめんだと、誰もが思うくらいの肉体だった。


 トラックが停まった。

 運転席から、人が飛び降りた。

 こっちに向かって走ってきている。


「どうしたぁぁ!!」


 その尋常ではない様子に、たまらず坂井少尉は叫んでいた。


「敵です!! 敵空母が!! ラバウルに向かってます!! 至急、司令部に!」


 トラックを運転してきた兵の叫び。

 はっきり言った。

 敵空母――


「来たかよ…… ここまで……」


 彼は自分の部下に背中を向けて「にぃぃ」と嗤った。

 空戦の鬼が笑みを浮かべていた。禍々しい悪鬼のような相貌――

 彼が背中を向け、部下たちがその笑みを見なかったのは、彼らの精神安定にとって幸運なことであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「空母2、戦艦2、重巡4――」


 打電の音が虚空に響く。偵察員のモールスの平均は分速80文字と言われる。

 電波はソロモンの空に波紋のように広がっていく。

 アメリカ機動部隊の、位置、航路、戦力という情報を伴ってだった。


「敵はこっちの動きに気づいているはずだが……」


 大塚少尉は、操縦桿を握りながら、訝しげに言った。


 彼の操る機体。

 二式艦上偵察機。後に「彗星」と呼ばれることになる艦上爆撃機だ。

 ドイツ製のダイムラーベンツ601Aのライセンス生産品である液冷の「アツタAE1P」を搭載している。

 陸軍の新鋭機キ61搭載のエンジンとほぼ同系だ。


 当初、601A系列のエンジンを量産する計画の無かった陸軍では、キ61のテスト飛行での高性能に歓喜。

 泥縄でのエンジン量産に入ったが、上手くいくわけがなかった。 

 そこで、以前から量産計画を準備していた海軍のエンジンと共用化を図っていた。


 ただ、陸軍のエンジンよりはマシといっても、アツタAE1Pも、稼動難易度の高いエンジンだった。

 それが、艦爆としての大量採用を躊躇ちゅうちょさせ、エンジンの空冷化も検討される始末だった。


 ただ、大塚少尉はこの機体が気に入っていた。

 なによりも、見た目が美しい。そして速い。

 最高速度が時速300ノット(556キロ)を超える。


 低空で敵戦闘機を振り切り、カタログ値で3000キロ以上の航続距離を生かした遠距離先制攻撃。

 敵空母の飛行甲板を真っ先に叩き潰す尖兵として計画された機体であった。

 搭載可能な爆弾は500Kgとなる。現在主力となっている九九式艦爆の倍だ。


 ただ、その機体はまだ熟成しておらず、艦爆運用されているのは、母艦航空隊のごく一部。

 ほとんどが、高速偵察機としての運用だった。

 彗星の高速性能と、航続距離はこの任務も十分にこなすことができた。

 

「すでに、接敵して相当な時間が経過していますが、動きがありませんね」

 

 後部座席から伝声管を伝わり、声が響く。

 偵察員の在原二飛曹だった。


「日本海軍の縄張りを、堂々と航海か――」


 大塚少尉は内心に怒りを覚える。この悠然とした航行が、日本海軍など大したことはないと言っているように見えた。


「正規空母だな―― 一隻はサラトガに間違いないな。もう一隻はレンジャーか?」

「ですね。間違いないです」


 巨大な煙突が目立つ艦影。

 すでに姉妹のレキシントンを沈められているサラトガに間違いなかった。

 あんなデカイ煙突を持っている空母は日米とも他にない。


 そして小型の艦影。アメリカ海軍が空母消耗に耐えきれず、大西洋から引っ張ってきたレンジャーだ。


「後方、三〇〇海里まで、敵は見つからないようですね――」

「伏兵はいないのか? 前みたいに」

「今のところ発見されていません」

 

 在原二飛曹は、他の偵察隊からの情報も受信しているのだろう。

 断定的に物を言った。


 大塚少尉は考える。発見できないほど離れているとすれば――

 いや、意味がない。連携の出来ない戦力は各個撃破されるだけだ。

 囮――

 この機動部隊を囮にして、戦力を誘因する。

 そして――


 そんな贅沢な作戦をするのか?

 そもそも、囮になる艦隊には人が乗っているんだぞ。

 空母や戦艦ともなれば、2000人以上の人間が乗っているはずだ。

 囮とは、その命を餌にするということだ。


(アメリカがそこまで追い詰められている―― まさか……)


 アメリカが、戦争においても自軍の人命を大事にすることは周知の事実だった。

 そのような組織が、囮作戦などを行うとは思えない。

 大塚少尉は自分の考えを否定した。


 では――

 一体なにをする気なのか?

 他の空母はどうしているのか?


「仮に発見できないほど離れているなら、戦力的な連携ができない」


 誰に聞かせるわけでもない考えを口にしていた。

 何をする気なのか、この二隻の機動部隊は。

 自ら、死地に飛び込んでくる意味は?


 答えはでない。

 仮に答えが出たとしても、彼には何もできなかったことだろう。


 大塚少尉は青いセロファン紙に塩をまいたような航跡を引いて進む敵空母を見つめる。

 それが、なぜか喉元に突きつけられたナイフのような気がしてきた。

 

「ブイン、ラバウル、バラレ、ラビから戦爆連合の攻撃が始まりますね」

「ああ、タダで帰すわけにはいかないだろう。縄張りに土足で踏み込むような、舐めたマネされて――」


 吐き捨てるように大塚少尉は言った。


 陸攻の配備されている各基地では、敵基地からの攻撃を警戒しつつ、戦爆連合の編成が開始されている。

 陸攻――

 一式陸上攻撃機は、かつての脆弱性を大きく改善している。

 それにより、航続力を大きく減殺していたが、それでも双発機としては水準を超える航続距離を持っている。

 どの主要基地からでもこの位置にあるアメリカ空母を攻撃するのに十分な航続性能があった。


 ソロモンの空海はどこまでも青く続く。

 鋼と火薬と血と肉――

 空海は嵐の前の静寂を抱え込んでいた。


■参考文献

7%の運命―東部ニューギニア戦線 密林からの生還  菅野 茂 (著)

祖父たちの零戦 Zero Fighters of Our Grandfathers  神立 尚紀 (著)

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