その83:連合国の対日戦略

「日本を舐めすぎた」


 あの日以来、何度も繰り返していた独り言が出ていた。

 葉巻を取り出し、香りをかぐ。そして、口にくわえ火をつけた。

 肺の中に精神を鎮静化させる紫煙が流れ込み、それをゆっくりと吐きだした。


 深夜。ロンドン首相官邸の執務室だった。


 彼は一人でいることがありがたかった。

 なぜ、自分はあのとき狂喜したのか?

 1941年12月7日、大日本帝国が真珠湾を奇襲した日だ。

 大英帝国の首相ウィンストン・チャーチルは後悔していた。

 あのときの自分に「バカか? オマエは」と言ってやりたかった。


「奴らは強い」


 その事実を彼はつぶやいた。

 大日本帝国は、瞬く間にアジアの資源地帯を確保。

 その版図を一気に巨大化させた。

 海まで含めた勢力圏は、世界の歴史でも最大級の帝国だ。

 東洋の精強な軍事国家は、そういった物を築きつつあるということだ。


 大英帝国における東洋の一大拠点であったはずのシンガポールはすでに陥落していた。

 それも、我が国の歴史始まって以来の大敗北でだ。

 そして、奴らはニューギニアをほぼ手中に入れつつある。

 アメリカ、オーストラリアの勇敢で献身的な抵抗があったとしても、その流れは止められそうにない。


「オーストラリア侵攻があるのか……」


 英国情報部から上がってきた報告を彼は思いだす。

 すでに、日本軍は攻勢終末点に達し、守勢に入るだろうという分析だ。

 しかし、開戦以来、いや開戦前から、英国情報部は日本に対しなんの成果も上げていない。

 その報告を鵜呑みにはできなかった。


 もし、オーストラリア侵攻が現実となれば、欧州に派遣されているオーストラリア軍がどう動くか分からない。

 すでに、オーストラリア政府は国土の大半を捨てる覚悟の本土決戦を覚悟している。

 今のところ、同国の欧州派遣軍が母国に帰国する予定はない。

 そのための、本土持久なのだ。


 そして、チャーチルは英国にとっての最悪の事態を想定する。


「奴ら(大日本帝国海軍)がインド洋にでてきたら……」


 その言葉の先を飲み込む。

 今の英国海軍(ロイヤルネイビー)には対抗する力が無い。

 元々海軍出身である彼は、彼我の戦力差を冷静に考えていた。


 今や、英国海軍(ロイヤルネイビー)は、アフリカ東海岸のマダガスカルまで撤退している。

 帝国海軍に対し、こちらからなにかを仕掛けるなど出来るはずがなかった。

 下手にインド洋で動けば奴らの目をこちらに向かせかねない。


 強大な大日本帝国海軍がいつインド洋に出てくるか。

 その予測ができない。


 仮に奴らがインド洋に出てきた場合、それは我が帝国にとって致命的な事態を引き起こす。

 英国は、インドの巨大な人的資源と軍事物資によって欧州で戦ってる。


 すでに、アメリカ合衆国大統領ルーズベルトには「大日本帝国海軍を太平洋に釘付けにしてくれ」と要請していた。

 それに対しは「安心して欲しい」という回答を直接ルーズベルトからもらっていた。


 そして、ソロモン方面での攻勢が欧州における「トーチ作戦」と連動して実施された。

 ルーズベルトの発言はこのことを指しているのだろう。


「それにしても、想定以上にアメリカ軍の立ち上がりが遅いのか。それとも、奴らが悪魔のように強いのか」


 チャーチルの耳に入ってくる太平洋の状況はあまり芳しい物ではなかった。

 あの、ジェネラル東郷の直系。

 我がロイヤルネイビーが育ててしまった巨大なモンスター。


 もしインドと本国が遮断された場合――


 最悪王室を抱えカナダへの亡命も考えなければいけなくなるか……

 チャーチルは、最終的な「連合国の勝利」を疑ってるわけではなかった。

 連合国は勝利する。おそらく、アメリカの力によってだ。


 そしてその結果生まれる世界――

 それは、どのような物なのか。

 この戦争勝利は、7つの海を支配した「日の沈まぬ帝国」の残照となるのかもしれない。


 ここまで、ノートに書いて、チャーチルはペンを止めた。


「この戦争勝利は、7つの海を支配した「日の沈まぬ帝国」の残照となるのかもしれない。」はどうだろうか?


 彼は、自分の書いた文書見つめ考えた。

 ちょっと、修辞がくどいのではないか?

 そう思った。


「やはり、書籍化するには、分かりやすい表現がいいか」


 英国首相、ウィンストン・チャーチル。

 彼もまた、自分の手記の書籍化を目指す者であった。


        ◇◇◇◇◇◇


 アメリカ・ワシントンDCでは、大統領を中心とした。情報連絡会議が行われていた。

 報告をされる太平洋戦線の戦況は良いとはいえなかった。


 日本軍の攻勢をポートモレスビーまでで止める。

 そして、そこで出血をしいることで、オーストラリア侵攻を断念させる。

 それは、消極的な戦略であったが、今のところ大きな問題は無かった。

 ポートモレスビー包囲網は出来つつある。


「日本軍のインド方面への侵攻は、何としても止めないといけない――」


 ルーズベルト大統領は、震える手でメガネをはずした。

 そして、会議テーブルに置いた。


 その大統領の言葉を海軍作戦部長であるアーネスト・J・キング大将は顔をしかめて聞く。

 行きたいなら、行かせてやれと思う。インド洋は大歓迎だ。

 その分、こっち(アメリカ海軍)に必要な時間が稼げる。


 普段から「不機嫌」にしか見えない顔を更に「不機嫌」にする。

 彼にはもう2段階ほど更に不機嫌な顔があったが、今はここまでだ。


「イギリス(ジョンブル)の要請ですな」


 露骨に「不機嫌」をアピールするように、キング海軍作戦部長は言った。


「そうだ。イギリスの脱落は何としても防ぐ。連合国の合意事項であり、この戦争に勝つためだ」


 キング海軍作戦部長はイギリス野郎がどうなろうが知ったこっちゃなかった。

 イギリス(ライミー)はどれだけ合衆国の足を引っ張れば気がすむのだ。

 なんでも欲しがる「乞〇野郎」が同盟国か?


 合衆国海軍司令長官でもあり海軍作戦部長でもあるアーネスト・J・キング大将は思った。


「ドイツを主敵とし、イギリスを支えることは連合国内の合意事項ですからな」


 ハル国務長官がキング海軍作戦部長をなだめるように言った。

 キング海軍作戦部長は「このクソ野郎」という目で彼を見つめた。


 そして「ガタッ」と椅子を鳴らして立ち上がった。


「このままでは、ドイツとの戦争が終わっても、日本との戦いがずるずると長引く結果になりかねない――」


 キング海軍作戦部長は、つばを飛ばして言った。

 ハル国務長官に、つばがかかった。


「それは、海軍があまりに不甲斐ないからだろう」


 マーシャル陸軍参謀総長だった。


 キング海軍作戦部長は「ぶち殺すぞこの野郎」という言葉を飲み込み、殺意のこもった視線を送った。

 不機嫌顔のリミッターが外れ、一段階上の「不機嫌顔」が出現した。


「アメリカ本土西海岸放棄を計画している陸軍に言われたくありませんな――」


 キングの言葉に、普段は表情を変えない、マーシャル参謀長の顔色が変わった。

 そして、ゆらりと音もなく席を立った。


 事実だった。

 陸軍も日本軍の攻勢に逃げ腰となっており、本土防衛に対し消極的な計画を行っていた。


 キング海軍作戦部長――

 マーシャル陸軍参謀総長――


 両者の間で空気が固形化するような緊張が満ちる。


「キング君、マーシャル君、それくらいにしたまえ」


 呆れたようにルーズベルト大統領が言った。

 彼らは大統領を見つめた。

 車いすを回転させることで、太くなった二の腕がブルブルと震えていた。


 2人は大きく息を吐くと、席に座った。


 ルーズベルト自身、キングの言うことが分からなくもなかった。

 確かに、ドイツを重視しすぎ、日本を甘く見過ぎていた面はある。


 そして、今、アメリカ海軍の力はどん底に近い。

 イギリスに貸与予定の商船改造の護衛空母を緊急増産した。

 しかし、正規空母の代わりに活躍できるものではない。

 運用条件は限定される。


 現在、アメリカ合衆国の造船界はフル回転を開始している。

 1943年中には日本を圧倒できる艦隊が出来あがるだろう。


 しかしだ――


 艦の建造に経験のある海軍士官・下士官を艤装員として投入せざる得なくなっている。

 工場の人間だけでは軍艦は造れない。

 そのため、前線における海軍将兵の練度の低下は、目を覆いたくなるような状況になっていた。

 レーダーなどの最新鋭機材もあったが、まだ有効に活用できる水準にない。

 レーダーに関しては、優秀な人材を空母に集中配置した。

 それが大量に失われた。

「ポートモレスビー沖海戦」で受けた目に見えないダメージだった。

 ただ、要員の教育は急ピッチで進んでいるはずだ。


「ソロモンであまり突出すべきではないと思いますな」


 不機嫌顔が普段のレベルになり、キング海軍作戦部長は言った。


「これは、オーストラリアの孤立化を防ぐことと、日本海軍の主戦力をこの海域に釘付けにするためには――」


 ハル国務長官が言った。首筋にかかった、さっきのキングの唾を拭きながら。


「奴らがインド洋に行きたいなら、行かせてやればいい」


 キングは、黙って立ち上がった。

 そして、ボードに貼られた巨大な地図を指さした。


「中部太平洋。そこから一気に敵の喉元を締め付ける。これが最善の手である」


 マーシャル群島から、マリアナへと指を動かす。


「海軍にそれができるのかね?」


 皮肉を込めたマーシャル陸軍参謀総長の言葉。キング海軍作戦部長はそれをスルーした。


「1943年――」


「その年に可能なのかね」


 マーシャル陸軍参謀総長が訝しげに言った。


「できる。ジャップを太平洋から駆除する準備が整う」


「フィリピンはどうする?」


「放っておけばいい」


「フィリピンのマッカーサーを見捨てるのか」


 フィリピンでゲリラとして活動しているマッカーサーは、合衆国国内では英雄的な存在となっていた。

 それは、戦略的には全く意味のないものだったが、大衆は、そのような英雄を望んでいた。

 マッカーサーを救い、フィリピンを解放する。陸軍的にはかなり美味しいシナリオだ。


「我々に、民主主義国家の指導者は、ただ敵を打倒するだけではだめなんだ。いかに被害を少なくそして速やかに戦争を終わらせる必要がある」


 ルーズベルトは言った。

 国内ではフィリピンで踏ん張った陸軍に比べ各地で連戦連敗の海軍の評価は高くはない。

 ポートモレスビー沖海戦で一矢を報いたというが、その分析では喪失空母は2隻ではないかという見方がでてきている。


 海軍への風当たりは強い。

 海軍びいきのルーズベルトであったが、かばいきれるところと、出来ないところがあった。

 前線指揮官である太平洋艦隊司令官である。ニミッツはそのままだった。

 彼に代わりうる人材はいなかった。


 大きく変わったのは情報部門だった。

 ワシントンとハワイの情報部門が統合された。

 暗号解読など、解釈に差異が生じる事態を避けるためだ。

 それでなくとも、最近は日本海軍の暗号表の改訂頻度が上がってるという話も出てる。


 一本化された組織改編になじめず、体調を崩す者が出てるらしい。

 ただ、いずれはこうすべき問題だったはずだ。


 ルーズベルトは震える手でメガネをかけ直した。


「当面はソロモンで奴らに出血を強いる。本格的な反攻と思わせればいい」


「レーダー搭載艦と合わせ、要員の教育が必須です」


 キング海軍作戦部長が言った。

 よかろうという意思をみせるように、ルーズベルトは頷いた。


「海軍の戦力が整ったならば、一気に中部太平洋をつき破りマリアナまで進行する。フィリピンの攻略はそれからでも遅くはない」


 まるで蚊帳の外に置かれたような形になったマーシャル参謀長が無表情な顔でルーズベルトを見た。

 苦笑するルーズベルト。


「陸軍には陸軍の仕事があるだろう」


「マリアナ諸島の攻略ですかな」


 島嶼戦に関しては「海兵隊」という専門軍がある。

 ただ、世帯が少ない。今も、第一師団がガダルカナルで苦戦中だ。補給の問題でだ。


「それもあるがね」


「それ以外に?」


「例の超大型爆撃機の基地をマリアナに整備する」


「超大型爆撃機?」


 ハル国務長官が、小さくつぶやいた。


「ああ、あの機体ですか――」


 マーシャル陸軍参謀総長が言った。


「確かに、マリアナを手に入れれば日本全土が爆撃圏内です」


 彼は陸軍のトップとして開発中のB-17を上回る大型爆撃機の存在は知っていた。

 確かに、マリアナからでもあの機体であれば、日本全土に爆弾をばらまける。

 しかし、それだけで、あの狂信的な国家である大日本帝国が降伏するだろうか。


 彼の顔に浮かんだあるかなしかの疑問。それをルーズベルトは見逃さなかった。


「ま、それだけではない切り札も合衆国にはあるということだ」


 ルーズベルトは、まるで悪魔に魂を売り渡したようかのような笑みを浮かべた。

 そして、地図に描かれた日本列島を見つめていた。

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